04.臣従
山道に差し掛かった頃、女の精気が戻ってきた。ようやく、魔物に襲われたという衝撃から立ち直ってきたのだろう。
この女をよく見てみれば、少年とさほど年齢も変わらないらしい。化粧と髪型で誤魔化し、大人ぶっているということがわかってきた。
もう少し髪を短くすれば、恐らく年齢相応の幼さも感じられるだろう。エグリはそのように思ったが、口にはしない。
彼女はエグリを忌々しそうに見ては、唇を噛んでいる。かなり苛立っているらしい。
「このまま家に戻っても、お前のことを正直に話すからな。何も期待なんてするなよ」
怒った声で、彼女が告げた。エグリとしては、何か事情があるらしいことだけしかわからない。
周囲は山道で、人の気配もない。ここらで状況を聞きだすことも悪くなかろうと判断して、エグリは女に向き直った。
「実のところ、自分には記憶がない。何か毒にやられてしまったらしい。
君が怒っていることはわかるが、どうしてなのか教えてもらいたい」
嘘は言っていない。その上で、女から状況を聞きだそうと考えた末の言葉だった。
しかしこれを女は信用してはくれなかった。激昂し、彼女はエグリに掴みかかる。奇声を上げた。
「何だお前の、その態度は。忘れただと。虚言を吐くな、ゴミが」
散々暴れるので、どうにもならなかった。エグリは女を力で抑え込み、怒りが収まるのを待つしかなかった。
その後、歩みを再開する。人間たちの地域に入ることになるが、そうするしかない。
女はまだ生きているのだ。ここから一人で帰れと放り出すのは死ねと言っているも同然だったし、エグリはそれをするほど人間を恨んではいなかった。
彼の目的は人間全ての復讐などではない。ただ、自分たちの棲む場所を確保し、旧領を回復できればそれでいいのだ。
とはいえ、馬車の中に糧秣は置いてきてしまっている。食糧は不足することとなった。
エグリの操る少年は既に死んでいるので食べ物や水は不要だったが、女は空腹や咽喉の渇きを訴えてくる。
この女はどうやら野外での食糧確保の方法など知らないらしい。エグリが探すことになる。
結果、川を発見したが、どうやらあまり質が良くない。他をあたるべきだと忠告するが、女は聞き入れずに水をたっぷりと飲む。我慢できなかったのだから仕方がないだろうと彼女は言う。
それがよくなかった。
数時間もしないうちに女は体調を崩し、歩くことができなくなる。
エグリは彼女を回復させるためにとれるだけの手を尽くしたが、女はエグリに触れられることを嫌がり抵抗する。
とはいえ命を落としては仕方がない。看病する手は止めなかった。だがその場に大した薬も設備もなかったのであり、結果は見えていた。いくらかは延命したものの、衰弱した女はほどなく息を引き取った。
空腹のあまりに、山道の草などを口にしたことが原因と考えられる。
彼女はエグリの手を最後まで拒絶し続けた。嫌悪からか、それとも自分の知識に従ってのことかはわからない。しかしそれは仇となった。
弱りきった女は、ぐったりとしたまま苦痛をかみ殺すようにしながら死んでしまった。
このまま女の住んでいた町に向かう理由はなくなってしまったといえる。
こうした事情によって、エグリは死体を手に入れた。女の死体だ。
亡くなったことに関してはかわいそうだとも思えるが、土葬する気にはならない。エグリには死体が必要だったからだ。
山に棲む精霊たちから魔力を集めて、自分自身を切り分け、それを女に流し込む。手早い方法として、口の中で練った魔力を口移しで女に吹き込んだ。
数分で女は立ち上がる。
彼女もまた、生ける屍となったのだ。
この女を操るのはエグリから切り離された魔法生物であり、分身だった。エグリを主として敬い、服従するが、すでに彼とは切り離されて別の個体となっている。
少し血色が悪くなったものの、女は生前とほぼ変わらない容姿で、するりと頭を下げた。
「エグリ様」
臣従を誓うように、女は丁寧な礼をとっている。
エグリはそれを見て、新たな部下の誕生を素直に喜ぶ。
生前は散々にエグリを憎しみの目で睨み、罵倒を繰り返していたはずだが、もはやその人間は死んでしまっている。ここにいるのはその体を借りた魔法生物だ。
恐らく、これからエグリの目的のために役に立ってくれるだろう。
まずは彼女に名前を与えなくてはならない。




