03.邂逅
今、少年の体を操るエグリはゆっくりと歩いていた。
とりたてて急ぐ必要もなかった。操る肉体さえ手に入れてしまえば、後は時間をかけてもいい。
最終的に一族の仇敵である勇者を絞め殺し、旧領を奪還し、一族を再興することがエグリの目的なのだ。
遠大な計画となることは必定であり、今この場で走り回ったところで瑣末な影響であろうと思われた。
しかしながら日も暮れる頃、エグリの前に二人組みの男が現れる。彼らは屈強な体躯をしており、この少年と面識があるようだ。
まるでこちらに非があるような口調で、彼らがエグリをなじった。だがエグリはこの少年が何をしていて倒れたのか、全くわからない、操ることはできても記憶を覗き見ることはできないからである。
どうしたというのか?
エグリも言葉を交わして対応しようと試みたのだが、男たちは早口であり、内容がうまく聞き取れない。一族の中でも人間たちの言葉に堪能であると評判だったエグリをしても、だ。
そのうちに男たちはエグリの腕を掴み、どこかに連れて行こうとした。
これについていくと厄介ごとが待っているのだろうと思われたが、少年の力では大人の男二人を引き剥がすことはできそうにない。仕方なく、エグリは彼らについていくことにした。
そうしてやってきたのは、大きな馬車の目の前だ。最初に少年が倒れていた森の、入り口付近といってもよい場所。
そこには非常に怒った表情の少女がいる。
エグリはその女を見て、察知した。殺意をだ。
この少女はどうやら一人で森に分け入った少年を心配していて、その反動からこれほどの怒りを見せている、というわけでは全くない。真に怒っている。殺意を向けている。憎しみを持って、この少年を見ているのだった。
「この下衆、お前はカスかっ!」
少女は可憐な要望に似合わぬ言葉を吐き、少年を足蹴にした。
「どれほどおろかなのか、貴様は。いますぐ死ね、死んで私への侘びとせよ」
続いて、さらなる蹴りを見舞ってくる。エグリは咄嗟に魔力の膜を展開して少年の体を保護したが、周囲の男たちはこれを止めようともしない。エグリが保護魔法を展開していなければ骨が砕けてしまっても不思議ではない。
さらに少女は御者台から鞭をとり、それでもって鋭く少年を打ち据える。
「汚らわしい、賎民! 私に色目を使ったであろう。はいと言うがいい。首を切断して差し上げる」
「そのとおり。下民の分際でありながらお嬢様に劣情を抱くとは恥知らずである」
周囲の男たちが同調している。エグリには事情が飲み込めなかった。
自分が今支配している少年が何のために死んだのか、それもわからない。なぜ彼女たちが怒っているのかもわからない。
だが、このままでは肉体が破損するということだけは確実だ。エグリは魔法生物なのでたとえこの少年の肉体が完全に損壊してしまったとしても死ぬような気遣いはないが、人間の死体を新たに捜すのは面倒だった。
あまりの怒りに、この女は手加減を忘れている。そして周囲の男たちはこの女を止めるほど地位が高くはないらしい。
エグリは鞭を避けた。これは楽な作業だったが、女を刺激する結果となる。
「生意気にもお前は私の鞭を避けるのか。自分が何をしたかわかってないのか。
罪の自覚がないからそうして避けるのだな。よかろう、手打ちにしてくれる。そこになおれ、なおるのだ。
お前たち、この下郎をとりおさえよ。私が首を落としてくれる」
女は激昂してそう叫び、男たちに指示を飛ばす。男たちもさすがに多少は渋ったようだが、無駄だった。女が一喝すると、逆らえずにエグリを取り押さえてしまう。
あまりいいとはいえない。保護魔法を展開して身を守るのはたやすいことだが、それだけで事態は好転しそうにない。
言い訳をしようとしても聞いてもくれないのだ。このまま頭に剣を振り下ろされるのは面倒なのでごめんこうむる、と判断。
どうせ人間たちは自分たちの居住区を脅かす害獣である。エグリとしては保護する必要のない生物だった。
無理にも男たちを魔力操作で弾き飛ばして、女を殺そうと考える。
「なんだ、こいつ」
だが、その前に男たちが異変に気付く。どうやら少年の肉体があまりにも冷たいことを不審に思ったようだ。
エグリは拘束が緩むのを感じたが、女はそのような瑣末なことを気にかけず、さらに命令を下す。
「何、そのようなこと問題ではない。死に損なった結果であろう。
とどめをくれてやれば何も結果は変わらぬ。早く始末してやろうではないか」
「少し待ってもらいたい。私には何もわからない。
話を聞いてもらえないか。なぜ私があなたの怒りを買っているのか、教えてもらえないだろうか」
交渉の余地はないものかと考えたエグリは声を出してみる。人間たちの言葉としては相当に流暢に話せたはずだ。
しかしこれは女の怒りに油を注ぐ結果となった。
「よくもそのようなことをいえたな。貴様は生まれただけで罪である。死ぬ以外にその罪を詫びる方法はない」
エグリの操る少年は既に死んでいるのだが、彼女たちはそれを理解しようとしていなかった。残念ながら交渉の余地はないと判断するしかない。
だが、エグリが力を発揮するには及ばなかった。
「おお?」
「ま、魔物だ!」
男たちが驚愕の声を上げ、完全に拘束を解いた。どうやら他に優先するべきことができたらしい。
振り返ってみると、なるほど。魔物がいる。
魔法生物であるエグリにとっては見慣れた存在だったが、この人間たちにとっては恐怖の対象なのだろう。彼らは完全に及び腰になっており、逃げ出す体勢になっている。
「ちょ、ちょっと。このクズ、なんてものを連れて。
逃げるのよ、逃げっ」
女は指示を下すが、思ったより人望がない。男たちは女を見捨てて自分たちだけ馬車に向かって走り出した。
ゆったりと起き上がりながら、エグリは哀れな女を見つめる。
やってきた魔物は森林に棲む雑食性の獣だ。外骨格をまとった熊のような生物であり、生きた肉を特に好んで食らう。非常に獰猛である。
そうしたことを知っているのか、あるいは魔物というだけで恐怖しているのか、男二人は先を争って逃げ出している。だが、この魔物は呆然とする女よりも逃げ出す男たちを追いかけることを選んでいた。
男たちに未来はない。
予想されたとおり、彼らは魔物の巨大な手によってほんの一撃で打ち砕かれ、その場に倒れこんだ。馬も怪我を負わされたので逃走に成功する確率は格段に下がり、男たちの命の終焉は秒読みに入ったといえる。
「うあっ、うあ……ひぃぃっ!」
「あぎゃっ、が、……」
悲しくも情けない断末魔。
もはや意味もわからぬ叫びをほとばしらせながら、彼らは生きたまま噛み砕かれ、魔物の胃袋へと消えていった。
それを眺め、女は腰から崩れ落ちていた。恐れのあまりに逃げることすらできなくなったようだ。その腰からは失禁による水溜りが広がっていく。
声もない。殺されるのを待つだけの肉人形だ。
エグリは彼女を放置すれば、魔物によって食われることになるのを理解していた。そこで彼女の襟元を掴み、引きずってでも連れて行くことにする。
当然のことながら、人間たちの状況を聞きだすためだ。この女のところに人間のふりをして潜伏できる可能性もある。




