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(上)

 昔、若い絵師がいた。

 大層腕の良い男で、描くもの全てに高値がつく。実物と並べ比べても寸分違わぬ良い出来だと評判であった。



 ある年の春のこと。

 絵師はとある峠を目指し、数日かけて旅をしていた。

 そこには大層立派な大桜があり、その花びらの散りゆくさまはまるで宵の海のようだと言われていた。

(――是非その光景を目にしたいものだ)

 心踊らせながら絵師は足を動かし続けた。路銀が尽きかけてはいたが、後で絵を描き売れば良いだろうとさほど気にはしていなかった。

 ようやっと到着しようかというところで、絵師はいきなり山賊どもに取り囲まれた。

 旅人狙いの山賊どもは絵師を縛り上げると荷と懐を丹念に探った。だが、出てきたのは空の財布に画材ばかりで金目の物は一つもなかった。

 気の短い頭は腹を立てると刀を振り上げ、すぐさま絵師を切り殺そうとした。

「待ってくれ!」

 慌てて絵師は命乞いをした。

「私は美しいものならば何でも描く。それを売って金にしたらいい」

 山賊達はしばらく顔を見合わせていた。この男の言う『絵』というものが、どれほどの価値があるのか分からない。

 だが、高く売れるのであれば良い金づるになるに違いない。

「そんなら屋敷の女を描いてみろ。ここらで一番のべっぴん揃いだ」

 頭はそう言うと絵師を山の屋敷へと引いていった。

 やがて、山賊どもは宴を開くと屋敷中の女という女を呼び集めた。

 女達は皆、白粉をはたいて紅を差し、着物とかんざしで美しく飾り立てていた。若い男がいると知ると、女達は皆艶っぽく色目を使い、こぞって気を引こうとした。

 だが、絵師はどの娘を見ても一向に筆を取ろうとはしなかった。

 さては絵師とは嘘であったか、と頭はかんかんに腹を立て、床に椀を叩きつけながら喚いた。

「この嘘つきめ! 腹を引き裂いて臓物を犬の餌にしてやるわ!」

 そこへ、手下の一人が一人の女を連れてきた。

 その女は首と手に枷を付けられ、長い鎖で引きずられていた。

 油気の抜けきった黒髪は足元まで伸びており、分け目から覗く瞳はらんらんと怒りに燃えていた。いや、実際、女の目が血のように赤かったため、そのように見えたのだった。

 青白い肌はろくに風呂にも入れてもらえないのか汚れが目立ち、据えた臭いが辺りに漂う。女達は一斉に鼻を摘んで顔をしかめ、ぱたぱたと手を振りながら口々にあざ笑った。

 女は頭の前に引きずり出されると、従者に蹴飛ばされ、よろめきながら両膝をついた。

「こやつで最後です」

「――確かに屋敷中の女を連れて来いとは言ったが」

 頭は新たな酒椀を手に取りながら顔をしかめた。

「こやつは龍だ。戻してこい」

 途端に絵師は顔を上げ、女の姿を凝視した。

「龍…………彼女が?」

「そうだ」

 椀を空けながら頭が答えた。

「こやつは大桜の守り龍だ。寝ているところをワシらで捉え、力を封じた。龍の鱗は妙薬の薬として高値が付くからな。

 小屋に入れ、鱗を引き剥がし、生え直したところをまた剥がす。この繰り返しよ。

 そうしたら剥がされまいと人間の姿に変化しおった。

 そっからは餌も水も与えずに放ったらかしよ」

 女はぎらぎらと赤い瞳で頭を睨みつけていた。歯を剥き出し唸り声をあげ、隙あらば飛びかかろうと身を構えていた。

 だが、長い間何も与えられていないのだろう。手下に鎖をぐん、と引かれて蹴飛ばされると、よろめき、どう、と倒れ伏した。

「龍はしぶとい生き物だが、放っておけばいずれ死ぬ。

 死ねば元の姿に戻ろうて。

 最後に鱗を剥がすまで、傷はつけられないからな」

 ひくひくと痙攣しながらも顔を上げ、龍の女は荒れた髪の隙間から赤い瞳を覗かせている。

 絵師は黙って水差しを取ると、硯に注ぎ、墨を手に取って擦りだした。

「――描きます」

 小筆に墨汁を浸すと、絵師は半紙にさらさらと滑らせ始めた。

 盗賊達が見守る中、真白な紙の上に見る間に女の姿が写されていく。伏した肩は震えるように見え、伸ばした手は弱々しい。乱れた髪からは恨みつらみの念が伝わり、覗かせた目に朱を差せば、まるで今にも抜け出てきそうな出来となった。

「こりゃあ……凄い」

 ごくりとつばきを飲み込むと、頭は興奮した声で言った。

「おい、今すぐこの絵を売りに出してこい!

 値の付きようによっちゃあ、こいつは大した宝を手に入れたのと同然だぞ!」 


 こうして、絵師は山賊の屋敷に閉じ込められ、延々絵を描き続けることとなった。



「私は描きたいものしか描けません」

 絵師はそう主張した。

 こればかりは、どう脅そうがなだめすかそうが曲げることが叶わなかったため、頭は一体何なら描けるのかと訊ねてみた。

「龍の女です。それ以外は描きませんし、描けません」

 絵師はそう繰り返した。

 やがて、そと見張りの付いた絵師の部屋に龍の女が連れて来られた。

 相変わらずふらふらと足元がおぼつかず、目だけはらんらんと赤く光り、敵意をむき出しに威嚇している。

「――私が描きたいのは、憎しみではなく美しいものです」

 絵師は再びそう主張した。

 我が儘に頭は怒りを覚えたが、せっかくの金づるを殺しては勿体無いと、どうすれば納得するかと再び絵師に尋ねてみた。

「女に飯を与えて下さい。

 湯浴みをさせて垢を落とし、新しい着物を着せてから、再びここに連れて来て下さい」

 仕方なく、望み通りの事が行われることとなった。

 

 肌を磨かれ、髪油を塗られ、真新しい着物に身を包まれた女が部屋に通されてきた。

 腹いっぱい飯を与えられたのか、女は少し力を取り戻したようだった。げっそりとこけていた頬はほんの少しだけ赤みが戻り、ぎらぎらと睨むその瞳も以前よりも強さを増していた。

「お前はその枷のせいで逃げられないのだな。

 ――私と同じだな」

 絵師は自身の足に付けられた枷と女の首と手にかけられた枷を見比べながら呟いた。呪いか呪いの類がかけられているのだろうか、付けた場所からじわじわと力が抜けていく錯覚に陥る。

 女は返事をせず、ただ炎のような瞳で絵師を睨みつけながら低く唸るだけだった。

「お前は何もせず、そこにいるだけで良い」

 絵師は上等な紙に筆をト、とひと置きすると、女の絵を描きだした。

 互いに一言も発することなく、ただ時だけが刻々と過ぎていく。

 宵の帳が降りても絵師の腕が止まることは無かった。女の周りには燭台が取り囲み、絵師の手元には更に油と芯を入れた灯盞(とうさん)が灯された。

 いつの間にか女は唸ることを止めていた。することが無い為、絵師が己の姿を写して色を付けていく姿をじっと見ていた。


 出された夕餉が冷める頃、ようやく一枚が仕上がった。

「素晴らしい! やらせた甲斐があったというものだ!」

 仕上がりを見た頭は、さっそく立派な軸装をさせようと手下を呼びつけた。

 絵師と龍の女は向かい合って冷たい夕餉を摂った。

 女は椀に顔を突っ込みながらガツガツと飯を貪り、あっという間に食事を終えると、ちらりと男の膳を見た。

 絵師は箸を持ったまま、ぼうっとしていた。

 力を出し惜しみすることなく描ききったため、何もする気が起きない。

 かちり、と箸を置くと絵師はため息をついた。そして、女の視線に気付くと

「――ああ。よかったら、食べるか?」

 と尋ねてみた。

 返事こそしなかったが、女の目は膳の上にしっかりと張り付いたままだ。

 絵師は女を警戒させぬよう、ゆっくりと腰を上げると膳を持ち上げた。そして唸り出した女の前に「どうぞ」と言いながらそっと置いた。

 元の場所に座り直した途端、龍の女は絵師の膳に飛びかかった。

 抱え込むように貪るその様を、絵師の男はじっと見ていた。


 


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