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伝説の勇者

 昔むかし、大きな海に、大きな島と、ちいさな島があった。そして、ちいさな島のほうに、男の子が住んでいた。

  「ぼく、伝説の勇者の子だ」

 まだ六つくらいのぼうやだが、どこから持ってきたのか、弓と矢が三本はいっている弓かごを背負い、それに小刀と剣を差している。 でも、さすがに重たいらしく、足元がふらふらしている。

  「ばっかじゃないの。勇者だなんて」

 ムッとしてふりむくと、ひとりの女の子がたっていた。この子は、ぼうやよりはちょっとだけおねえさんである。

  「ほんとだもん。勇者だい」

  「あんたのパパのことでしょ?それでも、勇者だなんて」

  「ほんとだもん。王様の手紙、もってるもん」

 女の子は手紙の入っている封筒をさっとぼうやから取り上げ、じっとみてみた。けれども、まだ字が読めなかった。

  「わかんないや。ママに読んでもらおう」

  「ぼくの手紙、かえしてよ」

 女の子は意地悪く駆け足で家に。ぼうやもあとを追いかけた。


 女の子の家は、坂を上ったところにある。右手にはタンポポが黄色い花を咲かせている。左手にはチューリップが赤、黄、白とならんで咲いている。

  道の向こうから、白い生き物が近づいてきた。全身まっ白な犬だ。舌をだし、しっぽをふってやってくる。

  「ジュリアス」

 女の子は、やってきた犬に抱きついた。大きな犬なので、ジュリアスに抱っこされている、といったほうがよいのかも。

  ぼうやは、あまりにも大きな生き物の出現に、自慢の刀をあげる、どころか、腰を地べたにつけて座り込んだ。そこへ、女の子を下ろした、ジュリアスがやってきて、大きな舌で、ぼうやのひたいをべろりとひとなめ。

  「どうしたの、勇者の子なのに、こわいの」

  怖くなんかない、と言おうとしたが、ジュリアスがぼうやの左のほおをひとなめしたため、口に出せず。そしてその瞬間、腰をぬらしてしまった。

  「あはは。内緒にしててあげるね」

 

 ジュリアスは道の向こうに駆けてゆく。女の子の母がこちらにやってくるのがみえたからだ。そして母に抱きついた。母は優しく頭をなで、こちらにやってきた。

  「ママ」

  「こら、そんな遠くまで行ってはダメだっていっているでしょ。あら、何持っているの。それに、かわいいぼうや。おともだち?」

  女の子は母に、ぼうやが持ってきた、王様からという手紙を渡した。

  「この子がね、王様から、お手紙いただいたんだって。読んで」

  母はぼうやのところにやってきて、こう言った。

  「うちの子と、仲良くしてね。あら、お洋服ぬれているじゃない。どうしたの。そうね、おねえちゃんのお家にいらっしゃい。洗ってあげるから。もちろん、おねえさんが美味しいおやつ作ってあげるわよ。いらっしゃい」

  「ママ、おばちゃ…」そういいかけたが、その瞬間、母の目が一瞬コワかったので、口をつぐんだ。

  母のあとを、ジュリアスは駆けて、女の子とぼうやは歩いてついていく。坂をのぼりきったところに、一本の高いカシの木があり、その向こうに、大きな窓のある家がみえた。まるで教会のようだ。

 男の子は、その家にあがった。なかも、教会みたい。いや、これはどうみても教会そのものだ。

  「こっちよ。階段のぼるの」

  入り口の右手に、手前と奥にそれぞれ階段がある。どちらを昇ろうと、上の階につく。あがった先に扉があり、女の子のお母さんが扉をあけ、灯りを点す。そして女の子がなかにはいり、男の子をうながす。ぼうやは、だまってしたがった。

  横長の木製テーブルに、長いすが手前と奥に一脚ずつある。娘は手前右に座った。ぼうやも、少女の左隣に腰かけた。女の子の母は、奥からお皿に載せたお菓子、そしてティーカップを持ってきた。

  「さあ、いただきましょ。我が家自慢のスコーンと、甘くて温かいチョコレートよ。さ、ぼうやも。

  そうそう、忘れてたわ。そこの右の奥の扉のところが化粧室なの。そこで、ぬれた服を脱いで、これに着替えて」

  といって、奥の部屋に替えの服とりにいき、戻ってきた。

  「はい、これに着替えてね。着ていた服は洗濯しておくから」

  ぼうやはいわれるまま、代えの服に着替える。違和感があるものの、とりあえず着た。そして、先程のテーブルに戻った。

  その姿をみたとたん、女の子は笑いころげた。

  「あはは、()()()()()だ」

  「ごめんね。うちはこの子しかいないから。しばらく我慢しててね」

  男の子がいま着たのは、女の子の着古したワンピースだった。脱ぎたくてしかたがなかったが、代わりの服がないので、ただがまんして、カシスのジャムをつけたスコーンをひとつ口にいれた。

「どう、美味しい?」女の子のママがぼうやに、そっと口をひらいてそういった。

  「うん、うん。もっと」

  「だめ、少しは遠慮しなさい」女の子は皿をひっこめる。

  「いじわるしないの。まだたくさんあるからね。チョコレートも、冷めないうちに飲んでね」

  ぼうやは、おそるおそるカップに手をやる。ちょっと口つけてみる。熱い。

  「あわてんぼ」女の子は、自分のカップをとり、ひと口グイといれた。そしたら、顔をくしゃくしゃにして、口をすぼめた。

  「ほら、ぼうやをからかったりしたから、神様のバチがあたったのよ。まだ熱いから、ほら、まずはフウフウと息かけて、少しずつ口に注ぐの。ほら、熱くない」

  ふたりとも、ママのとおりにしてみた。まだ熱い。でも、なんとか飲める。それとともに、甘い香りと味にふれられた。

  ちょうどよい熱さになって、ズズっと音たてて飲んでゆく。クロテッドクリーム、クランベリージャム、カシスジャムをつけたスコーンも、次々と手をつけてゆく。

  「美味しかった?じゃ、『ごちそうさまでした』って、神様にあいさつしましょうね」

  手をくみあわせ、神様に感謝の礼をした。

  「ママ、てがみ、手紙」

  「はいはい。待っててね」

  いよいよ、男の子が持っていた手紙を開ける。母は、ロウ止めはそのままに、上部をナイフで切り、便せんを取り出した。


 母は、中に入っていた一枚の便せんをとりだし、広げた。意外にも、平易な言葉でつづられている。とはいえ、クセが強い字なので、所々読みづらいのだが。それでも、なんとか淡々と、黙って読み進んでゆく。

「ねえ、読んで聞かせてよ」

 娘の言葉にはうなずかず、そのまま静かに読み続ける。そして、読み終わり、ひとつ息を吐いた。

「どうやら、ぼうやひとりで来て欲しいみたいね」

 男の子は、ぽかんと口をあけた。そして、女の子の方にふりむき、ほくそ笑んだ。

「えー、でも、弱虫くんだよ。さっきも、ジュリアスにびびって、おしっこもらしちゃったし」

 ぼうやは女の子をギロリとした目でにらんだ。

「こら、そんなこといわないの。今日はもう遅いから、明日の朝、あんたも一緒についていってあげなさい」

「じゃあ、パンとミルク、それに、お金ちょうだい」

「明日ね。ぼうやも、今日は、ここに泊まっていきなさい」  

 女の子の部屋にはいって、遊ぼうとしたが、おもちゃがないので、ただソファでごろごろしていた。

「はい、これあげる」

 ぼうやは、使い古してぼろぼろになった馬のぬいぐるみと、兵隊さんの人形をもらった。早速、馬に兵隊さんをまたがせ、騎馬兵だ、といって、部屋中を手でもって走らせた。

「WOOF!」

 そこへ、犬のぬいぐるみを持った女の子がやってきて、騎馬兵にとびかかる。

「ぼ、ぼくは、伝説の勇者だい、こ、こわくないや」

 騎馬兵はひるまず、犬に体当たりする。だが、犬はそれにたじろぐことなく、いったんひいてから、また勢いよくとびかかる。

 騎馬兵とともに、ぼうやは部屋の隅っこに退却した。

 ふたりは夕食をとり、おふろに交互にはいり、くつろいだあと、ベッドでぐっすりと休んだ。男の子は、はじめての羽毛布団に興奮するも、いつものように、すぐに眠りについた。


  そして、朝になった。女の子は、まくらをぼうやにぶつけるように、ふとんにたたきつけた。それにより、男の子も、ようやくふとんから起き出す。

  木いちごのジャムつけながら、オリーブパンをほおばった。温かいミルクには、ちょっとだけチョコレートがはいっている。ほのかに甘い。

  「いい、道草食っていないで、まっすぐ港まで行くのよ。手紙みせれば、タダで船に乗れるわ。そう書いてあるの。じゃ、気を付けてね」

  ぼうやは、すっかり乾いた服に着替えた。アイロンがかかっており、これなら、城下までの道のりは大丈夫。女の子も、毛糸で編んだセーターを上に着ている。赤、黄、空色、紫、黄緑、白と、色とりどりだ。下は、桃色の羊毛スカート。

  女の子はどんどん先に進んでいく。ぼうやは、女の子のあとをひたすら追ってゆく。

  「王様、へんなひとだよね。だって、犬が苦手な、おチビちゃんなんかよんで」

  おチビちゃんは、女の子も一緒だ。男の子は、なにもいわない。ただ、ひとつのことで、頭がいっぱいだからだ。

 

  『いよいよ、勇者の冒険が始まる』

 

  王様の目的が何なのか。だれにも知るところはない。だが、ひとりの男の子を王宮に呼び寄せる。これは、厳然たる事実だ。

  少なくとも、勇者に悪霊退治、なんて話ではない。それだけは、男の子以外の者たちにもわかっている。

 

  ともかく、ふたりは無事に港町にたどり着いた。

  果たして、街のどこに向かえば、船に乗り、王様の住む地へと行くことができるのだろうか。

  そんなとき、長刀持った男のひとがやってきた。警備兵だ。

  「お嬢ちゃんたち。こんなとこで何してる。ママやパパは?はやくおうち帰んなさい」

  「やだ。王様に会いに行くんだ」

  「だめだめ。船に乗るには、お金たくさんないと。こどもだけでは、乗せられないよ」

  女の子は、頭を抱えた。

  「ねえ、ぼくの王様からのお手紙」

  ぼうやにいわれ、あわてて手紙をバッグからとりだした。そして、兵士に渡した。

 兵士はともかく手紙を開けてみた。しばし黙って読み進める。やがて、その手紙に王のサインがあるのをみて、顔色をかえた、真っ青に。

  「これはおどろいた。王様の手紙じゃないか。お嬢ちゃん、いや、ぼうやあてのようだな。ともかく、いつ、どこで、どうして」

  男の子は首をたてにふるばかり。

  「そうか、わかんないか。まあ、なにはともあれ、船に乗せてあげよう。手紙には、ぼうやだけ、とあるけど。特別に、お嬢ちゃんも許可しよう」

  兵士は手紙を男の子に返した。いや、その手紙は、ふたたび女の子が受け取り、バッグにしまった。

 

  しばらくすると、別の兵士ふたりとともに、ひとりの女性がこちらにやってきた。襟元とそで口が白く、残りは黒い上衣と、黒の長い、足首までかかるスカートをはいている。どことなく、女の子のお母さんに似ている。

  「まあ、かわいらしい。はじめまして。わたしが、ぼうやたちといっしょに、王様のお城にいってあげるわね。じゃ、いきましょ。いらっしゃい」

  ぼうやたちは、この女性のあとをついてゆく。兵士たちは、すぐ後ろをついてくる。

  「さあ、この船よ。兵隊さんは、ここまで。『バイバイ』っていいましょうね」

  ふたりは後ろにいた兵士たちに、『バイバイ』といって、船に乗る橋を渡った。まっすぐ先の扉の向こうに行き、階段を下に降りた。そこには、いろいろな人がいる。右の通路を先に進み、扉のなかにはいった。そこはちょっとした教会になっている。数人の女性がこちらをふりかえり、おじぎをしている。

  「さあ、お嬢ちゃん、ぼうや。席に座って。みなさん、この子たちのこと、よろしくね」

  そういうと、正面の壇に立った。

  そう、ぼうやたちを連れてきた女性は、牧師なのだ。まわりの女性は、シスターである。

  「さて、本土に着くのは夜更け過ぎです。それまで、新たな友と、充実した時を過ごしましょう。まず、天の父君に、旅の安全を祈りましょう」

  ぼうやは、なにすればよいか、まったくわからず戸惑うが、とりあえず、まわりのおねえさんの真似して、静かに手を組んだ。


 海は平穏で、揺れも気にならない。まわりは三百六十度すべて海。本土までは、まだ数時間かかる。

  先ほどの部屋に戻ると、女の子はベッドの上に仰向けになっている。ひとりのシスターがつきそって、頭にのせていた、ぬらしたタオルを取り替えている。

  「ぼうやは、なんともないみたいね。でも、気分悪くなったら、すぐに言ってね。まだ着くまで、時間かかるからね」

 

  暇なので、船の探検をふたたび。部屋を出て、左の通路をまっすぐ進む。正面には、コーヒーハウスといって、男性専用の喫茶室がある。ここで紳士方はブラックコーヒーを飲み、葉巻をふかし、新聞に目をとおす。夜更けにはウィスキー片手に、踊り子の女性をながめつつ音楽を聴く。

  その右隣は、ティールームといって、女性専用の喫茶室がある。こちらは、子供ならば男女問わず入れる。紅茶飲みながら、ケーキをいただきつつ、おしゃべりし、化粧する。夜は女性とこども専用の寝室となる。

  男の子は、ティールームにはいり、奥のテーブルへ。先程のシスターたちが、午後のティータイムを満喫しているところだ。

  「どう、お嬢ちゃんの具合は」

  ぼうやは、女の子がまだ船酔いが治らず、出した熱もまだ下がらないことを告げた。

  「そう、かわいそうね。ぼうやは元気そうね。どう、このケーキ」

  木いちごのショートケーキは、甘酸っぱくて、なんともいえない感じ。

  「お嬢ちゃんと、一緒にいるお姉さんに、これ持って行ってあげて」

  箱にはケーキが数個つめてある。もうひとつケーキをいただいてから、箱をもって、部屋に向かった。

 

  部屋では、女の子は起き上がってはいるが、まだ顔があおい。シスターも、疲れの色を隠せない。

  「おばちゃん、ケーキ」

  早速、ケーキをシスターに渡した。

  「ありがとう、ぼうや。でもね、おばちゃんは、ひどいわ。おねえちゃんと呼んでね」

  「うん、おば、いや、おねえちゃん、食べて」

  「そうそう。これからも、女の人には、そういうのよ」

  シスターはスプーンで、女の子に一口ずつ食べさせてあげた。すると、だんだん女の子の顔色がよくなっていった。

  「もっとちょうだい」

  「もう空よ。あとでティールームにいきましょうね。そのまえに、このジュースをどうぞ」

  甘いリンゴのすりおろしたジュースを一杯。すっかり、いつもの元気を取り戻した。ぼうやもいっぱいいただく。

 女の子は、付き添ってくれたシスターとともに、ティールームに向かう。具合がよくなったあとは、栄養をとることがなにより大事だからだ。

  男の子は、部屋に残った。奥の小部屋から、牧師がでてきた。ぼうやを抱っこして、こういった。

  「わたしたちも、一緒に行きましょう。お友達と、港に着くまで、一緒に仲良く、遊びましょ」

  そのまま牧師は、女の子とシスターの後をついてゆく。

  「やーい、赤ちゃん、牧師(ママ)にダッコされてる」

  ぼうやは牧師の胸元から飛び降り、女の子を追いかける。少女のほうも、ジグザグに通路を駆け回る。

 ぼうやたちはティールームに、そのままの勢いで入って行く。

  「これ、はいるときは、お祈りしてからですよ。こっちいらっしゃい」

  シスターによびとめられ、ふたりは牧師の元に。シスターはふたりの頭を軽くたたく。

  「いいですか、まず、静かに歩いて、扉でとまり、一回おじぎして。そしてふりかえり、十字切るの、こうやって」

  シスターは、話すとともに、体で説明する。十字きり、軽くおじぎし、またふりかえり、なかに入る。

  ふたりも、いわれたとおりにする。ぼうやは正教徒のように、逆まわりに十字をきる。むろんやり直し。

  「お待ちしておりました、御母様。お嬢ちゃんも、元気になってよかったね。さあさ、どうぞお座りになって」

  一同、紅茶で、子供たちはリンゴジュースで、乾杯する。サラダ、肉、パンにチーズが次々と運ばれてくる。

  「さあ、いただきましょう。天の御父様に感謝して、旅の御加護の為に」

  どの料理も、美味しいのなんの。女の子はもちろん、さっきも来て、いくらか食べたにもかかわらず、ぼうやは胃につめてゆく。

  「あとでデザートもあるのよ」

  「へいき。おやつだと、羊になるから」

 要するに、別腹ということ。事実、ラムステーキを食べていて、ふたりともお腹一杯だと音をはいていたのに、やってきたケーキは、三種類あるが、すべて、きれいさっぱり、平らげるのだった。

 すっかり食べつくし、そのままふたりとも眠ってしまった。シスターたちは、ぼうやたちをおんぶして、部屋に連れ帰り、ベッドにそれぞれ寝かした。

 

 数時間は経っただろうか。男の子が目をこすり、両腕をのばしたときは、船内の騒がしい声が扉をこえ、部屋のなかまで響いていた。

  先程、女の子につきそってくれたシスターが扉を開け、部屋に入ってきた。

  「さあさ、もうすぐ港に着きますよ。起きて、支度して」

  女の子はまだ眠ったままだったので、シスターがうまい具合に起こした。ぼうやは、ベッドからでて、洗面所にいく。

  三十分ほどして、船は本島の港に着岸した。ふたりも、牧師たちとともに、船を降りた。

  「さあ、無事についてなによりです。私とシスター・アンは、まず、このぼうやたちを城まで送ります。他のものたちは、先に修道院に行きなさい」

  ふたりは牧師さん、アンのあとをついてゆく。しばし歩くと、二頭馬車が停まっていた。

  「さあ、乗りましょう。城まで」

  馬車のほろの中は、意外と広く、カーペットにソファと、ここちよい。またねむくなってきた。女の子は、乗ってすぐ、寝てしまった。よって、ぼうやも同じく寝た。

  馬車は、ゆっくり進む。一時間ほど経ち、城門の前に到着した。

  城とはいっても、日本のお城とはまったく違う。ヨーロッパ、中国や韓国と同様、この場合、町全体を囲む城壁と城下町のことを指す。

  「さあ、この門のむこうにある、大きい建物が、王様のいる宮殿よ」

  門をくぐると、たくさんの人で賑わっている。正面の大通りの向こうには、宮殿がみえる。

「私はここまで。アン、この子たちをよろしく」

  船のなかで女の子につきそっていたシスターとともに、牧師は城門から外に出た。

 

  先にはさらにもうひとつ宮殿の門がある。その先には長く大きな階段があり、その上にある三つの建物の真ん中が、王宮である。門の前には兵士がふたりたっている。

 三人が門に近づくと、兵士たちは門の前に仁王立ちし、サーベルを上にかかげた。

「この先は、許可無き者の立ち入りは厳禁だ」

「こちらに、ジョン國王陛下からの招待状があります」

 シスター・アンは、兵士に手渡す。早速目を通す。

「うむ。よかろう。そこで待っておれ、案内の者を呼ぼう」

 数分後、連絡を受けた男女が現れた。男の方は、ぼうやの手をとり、こう告げた。

「ようこそ。案内しよう、ついてきなさい」

 男の子と女の子は、後をついてゆく。いや、女の子のほうは、兵士とさきほどやってきた女に止められる。

「おっと、この先は、ぼうやだけだ。お嬢ちゃんは、シスターと一緒に、このおねえさんについてゆくんだ」

「なんでだめなの」女の子は顔をしかめる。

「この先は、男のひとだけなの。女の子は、別の建物で、待っていなくちゃだめなのよ」

「ということ。わかったね」

 納得できない女の子は、そばの石ころを、おもいっきりけっとばした。

「しかたがないでしょ、がまんしてね。さ、いきましょ」

 シスターは女の子の手をひっぱってゆく。女の子はふりむくたび、さけんだ。

「バッキャロー、女性差別だ。あたしが女王様になったら、クビにしてやるから」


 男の子は、階段をのぼってゆく。ぼうやには、この階段はキツイ。もっとも、本来ならば、成人した男性しか入れないところなのだから、しかたがない。

  やっと上り終えた先の、この門にもふたりの兵士がたっている。付き添いの男が証書を掲げると、門を左右それぞれひっぱって開けた。

  ここが、王宮。正面には、紅いじゅうたんの敷かれた大きな階段がある。

  「さあ、この上に、王様は、いらっしゃられる」

  階段をのぼると、兵士たちが左右に整列してたっていた。正面に座っている男が、国王、ジョン十六世その人である。

  「これはかわいいガキ、いや、ぼうや。朕こそ、この国の王であるぞ」

  王冠をかぶっているのでよくわからないが、短髪で、墨で描いたまゆ、厚化粧した白いほお。黒い口紅して、ひげは細く、先のほうが上にはねあがっている。お腹がふくらんでおり、足が太く短い。

  「来てもらったのは、ほかでもない」

  「悪霊退治ですね。まかせてください」

  ぼうやのはっきりした返事に、いったん静まりかえるも、すぐに一同笑いころげた。

「ははは、ぼうや、それには及ばんよ。ちゃんと、自慢の男がおるからな。アグリッパ」

  王の後ろから、男が現れ、ぼうやの前に立った。

  「うわあ、巨人だ」

  それもそのはず。この国の将軍である、本名ジュリアス・アンソニー・エイグリップ、通称アグリッパは、身長が二メートルを超えている。

  「巨人はよかったな。どれ」

  アグリッパは、ぼうやを両手で抱き上げ、肩車をした。

  「わあ、パパよりすごいや」

 

「どうだ、ちょっと自慢の剣舞をみせてみてくれ」

 王様の言葉に、まわりも同調し手拍子をはじめる。ぼうやを下に下ろし、アグリッパはいったん裏に戻った。そして刀をさやからぬいた。

 用意されたわら人形をしばしじっと静かにみつめた。そして、雄叫びを発してから、いつのまにか、としか言いようがないほどの早業で、鮮やかな切り口で切り倒した。

「さすがは将軍。いつみても素晴らしいの一言です」

「ダテに、古のローマ皇帝アウグストゥスの右腕、アグリッパと同じ名前を名乗ってはおらん。敵でなくて良かったと、いつもホッとするわい」

 アグリッパは頭を下げ、裏にさがった。

「どうだ、ぼうやに頼む必要はない、ということが、わかったかね」

  ぼうやは、素直に首を横にふった。


「オホン、では、説明しよう。そのまえに」

  王は側近のものたちの方にふりむき、こういった。

  「おまえたち、さがってよろしい。この子とふたりだけにしてくれ」

  その言葉を聞いて、そばの者たちは、しぶしぶ席をはずした。ぼうやに託すことは何なのか。アグリッパをはじめ、部下には、さっぱりわからないからだ。

  「うむ、ふたりきりになったな。では、ここに座りたまえ」

  男の子は、先ほどまで兵士が座っていたいすに乗り、腰かけた。

  「おまえのオヤジ、つまり、パパは、勇敢な軍団長だった。えらい兵隊さん、という意味だ。わかっているかわからんが、パパは先の戦役で敵方の捕虜となり殺害され…亡くなった。

  やつは、わしの良き友であり、女房のかつての恋仲…やめよう、ぼうずに言っても、わかるまい」

  ぼうやは、父が亡くなったことを知らない。いや、まだ「死」というものを理解できなかった。また、今王様の言ったことも、さっぱりわからなかった。

  「おまえに頼みたいのはな…」

  いよいよ本題に入る。ぼうやは目を大きく開き、立ち上がって、耳をすました。

 

  「実は、こないだ、敵国の女と不倫…浮気していたのが、女房にバレてな。

  わしが何をいっても、口を聴きやしない。

  そこで、思い付いたのが、ぼうずのことだ。

  おまえの父親は、女房の恋仲だったことはさっき説明したな。なんのことかわかっとらんだろうがな。

  父親とわしが友人だともいったな。これくらいはわかるだろう?

  わしの友の息子ならば、女房も心を赦すだろう。

  そこでだ。おまえが、女房に話して、わしを無条件で赦すよう、説得して欲しい。

 もっと簡単に言えば、うーむ、とにかく、 『王様をゆるしてあげて』と言うんだ。まあ、そんなとこだ。わかったな」

 

  あんまりにも、へんてこな依頼に、おもわず、こう口にだした。

  「ニャン?」

  「ネコになるな!」

  「そ、そんなことで、ボクを」

  「なにをいうか。朕の言葉は、絶対服従」

  「ぜったい、ふく…?」

「要するに、『逆らうな』ということだ。まったく、ガキはこれだから嫌いなんだ。ともかく、そうだな。もしうまくいったら、なんでもおまえの好きなものやろう」

  「ほ、ほんと?」うれしさのあまり、思わず王様の手をつかんだ。

  「もちろんだ、だから手を離せ。うまくいったらな」

  「うん、わかった」ようやく手を離した。

  「では、行け。そこの扉の先をまっすぐいき、広い通路にでたら右。まっすぐいき、階段下りたら、王后御殿だ。そこに女房である王后がいる」

 ぼうやは早速扉をあけて、中に進んだ。


 ぼうやがやってきた場所が、後宮。宮仕えする女性と、十二歳未満のこどもが過ごす場所である。ここには、王様以外の、十二歳以上の男性は、王様と王后様の特別な許可なしには立ち入りできない。

 

  裾を擦って歩く、おねえさんたちが、ふと立ち止まり、こちらをふりむく。久しぶりに新しくやってきた、かわいいぼうやに。

  シスターと、女の子は、どこにいるのだろうか。ここに来ているはずなのに、そばにはいないようだ。

  階段がみえる。ここを下りた先の部屋が、王后のいるところだ。

  扉の前に、ふたりの中年女性が立っている。早速、王様の命を受けて来たことを、告げた。

  「はいりなさい。王后殿下は、奥にいらっしゃいます」

  ふたりは扉を開けてくれた。男の子は十字切り、おじぎをして、部屋のなかに入った。中は広々としていて、じゅうたんが敷かれている。

 奥からひとりの女性がこちらにやってきた。なんだか、女の子のお母さんに、どことなく似ている。今は亡きぼうやの母にも、感じがそっくりだ。

 王后メアリーは、部屋に入ってきたのが、かわいくて幼い男の子であるとわかった。だから、いつものようにメイドに門前払いさせるのではなく、いすから腰をあげた。そして、ぼうやのほうに歩いていく。

  足首にかかるほどの青空色のスカートに、同じ色のブラウスを着ている。耳や手指にはなにもつけておらず、首まわりも、ロザリオすらかけていない。足元は、スリッパを履いているが、素足だ。

  「あら、かわいい赤ちゃん(プリティ・ベイビー)ね」

  『赤ちゃん』なんていわれたので、つぶやいた。

  「あのねぇ…」

  「あら、『あのね』ていう名前なの。変わっているわね」

  ぼうやは、反論するのがばからしく思えたので、だまりこんだ。

  「ぼうやね、うわさの天使というのは。

  なにもいわなくてもいいのよ、何しにここに来たのかなんて。いわれなくても、『ママはなんでも知っている(マザー・ノウズ・ベスト)』のよ」

「ママ?」

 なぜ王妃様が『ママ』といったのか。もちろん、ぼうやには知るすべもない。ぼうやにとって、ママと呼ぶ相手はほかにいるのだから。

  「そう、あとで教えてあげる。それより、疲れたでしょ。天使は天使らしく、エンジェル・フーズを召し上がれ。」

  メイドのひとりが、お盆に載せて、持ってきた。チョコレートと、パンケーキだ。

  「うわあ。すごいや。ママみたい」

  男の子は、すかさずパンケーキに食らいついた。

  食事の前のお祈りなんて、まるで気にしない。手も使わず、口を大きく開けて、一枚くわえていった。

  チョコレートも、温かく、甘くて美味しい。

  女の子のお母さんにいただいたものは、はじめ熱く、少し冷まさなくてはいけなかった。こちらは、そんなに熱くないので、すぐ飲める。

  パンケーキは、バターに、ハチミツがたっぷりついている。だけど、そんなにベトベトしないし、バターも舌ですっと溶け、ハチミツはとってもいい香りがする。

  「食べ終わって、そうね、ひと眠りしたら、行きましょ」

  「どこに」

  「決まっているでしょ。おう…さま、のところよ」

 男の子は、ふかふかソファに座り込み、考えた。このまま王様のところへ戻ってよいのか。

  「どうしたの。行くわよ」

  メアリーは立ち上がり、メイドから上衣を受け取り、それを羽織り、碧珠のロザリオを首もとにかけて、ぼうやの目の前にしゃがみこんだ。

  「いい、いくの、わかる?」

  顔をこちらに近づけた。きれいで優しそうな笑みこそ浮かべているが、だからこそ、ぼうやは身体をそらした。

「わかっていないみたいね。言ったでしょ。『ママは何でも知っている』って。ただついてくるだけでいいの。わかった?」

  「う、うん」

  「じゃ、いきましょ」

  王后に抱きかかえられ、そのまま部屋の出入り口まで行った。ようやく下ろされ、メイドが用意した靴にふたりとも履き替えた。真っ白な革靴のサイズはぴったり。ちょうどよい大きさである空色の上衣も身につけた。

  このまま王様に会えば、きっとしかられる。好きなものは買ってもらえないにちがいない。

  でも、やさしくてママにどことなく似ている王后様がいてくれたら、それでいいかも。

  そんなふうに考えているうちに、王様のいるところにたどり着いた。王様に、さきほどの巨人の名将アグリッパもいる。剣を携えた兵士たちまで。

  なんとかなるさ、という気持ちが薄れてゆく。背中がむずがゆくなってきた。


 王は、ぼうやが妻とともに戻ってきたことに、戸惑った。だが、ここで妻を追い返すわけにもいかない。国王たるもの、女房にたじろいでいる姿をみせるわけにはいかない。

  「おうさま」

  「うむ。うまくいったか?」

  男の子はいったん沈黙したあと、こう続けた。

  「やっぱり、ごほうび、今ください」

  「なにをいうか。役目を果たし終えて、はじめて渡すかどうか考えるもの。そんな簡単にはやれん」

  「じゃ、だめなの?」

  「だめじゃ。第一、女房を連れて来いとはいっておらん」

  「わたしが来たいから来たのよ。実の息子と一緒にね」

 

  王の配下の者たちはざわめいた。どういうことだろうか。王との間には子がいないはず。

  「ジョセフか。やつは」

  ジョセフ。彼は、メアリー王后の初恋の兵士。まだ彼女が身ごもっていることは知らないうちに、インドへ転勤命令が下る。そして、メアリーは王后とされる。

  「そして息子は」

  「死産したはずだ」王はあごひげをしきりになでる。

  「無事に産まれたの。そして妹夫婦に預けたの」

  「キャサリンと、トーマス。みんに追放した。やつらの養子か、このボウズは…。

 まあ、よい。いまはこのボウズと話しておるのだ。裏切るとどうなるか、わかっておるな」

  ぼうやには王と王后の話は、ひとつとして理解できなかった。そんなことより、今はただ王后の側にいたかった。メアリーは実の息子の手を左手でしっかり握った。

  「こんなちいさな子になに脅しているのよ。ここではっきり、みなにわかるよう、話しましょうか」

  王の配下たちはみなざわついていた。このような事実をはじめて知ったからだ、ひとりの男を除けば。

  「ええい、メアリーとこのぼうずを捕らえい、アグリッパ」

  彼はだまって、ただ王を上から見下ろしている。

「なにをしておる。これは王命だ」

  アグリッパは静かに王后のほうに振り向き、歩いてゆく。なぜか怖くなり、ぼうやは王后の両腕にしっかりしがみついた。

  「メアリー王后」

  彼は敬礼した。敬礼といっても、いわゆるナチス式ではなく、おじぎして左片ひざつき、頭だけ再度おじぎするのだ。

  片ひざついたまま、首にかけているヒスイのロザリオ兼用ネックレスをはずした。そして立ち上がると、王后の頭上にかかげた。

  「な、なにを」

  王はさけんだ。配下のものたちは驚きのあまり、黙りこみ、じっとみつめた。

  今度は、王后が右の片ひざをついた。アグリッパはネックレスを王后の首にかけた。

  王は頭をかかえた。王后は立ち上がり、王のもとに歩きはじめた。配下のものたちは、ただ突っ立っているだけ、口を結んだまま。

  「ブルートゥスよ、お前もか」王はつたないラテン語でいった。

  「わたしはアグリッパです」これもラテン語で答えた。

  「おまえたちも、そうか」王は配下の者たちに問いかけた、今度は自分たちの言葉で。

  配下の者たちは口を結んだままであった。そして王后のほうを一斉に振り向いた。そして、敬礼した。

  王は席にもどった。そして、刀をとりだし、こちらに向けた。

  「わ、わしは嫌だぞ。絶対に認めん。わしが王じゃ、これからも」

 

 さきほどから、外が騒がしい。こちらがそれどころでなかったのだが、みなが王后に忠誠を誓ったところで、城下が気になりだした。

  そんなとき、伝令の者が入ってきた。

  「王様、一大事でございます。反乱軍が城市を取り囲んでおります」

 王はめまいをおこし、いすに深々とすわりこんだ。宮廷内にとどまらず、外まで、自分に逆らっていることに。

  「なにをぼうっとしているのです。アグリッパ、直ちに軍本部に戻りなさい。他の者たちも配置につきなさい」

  メアリー王后。事実上の女王は、的確に指示した。

 

  王になるには、まず将軍から王室伝統であるヒスイで作られたロザリオ兼用のネックレスをかけられる。王冠のようなものだ。次に、将軍配下の者たちから敬礼を受けること。最後はまだなのだが。

  ぼうやも、王后につれられて、ふたたび王后の部屋にもどった。これからは大人の男たちの仕事。こどもと女たちは避難する。

  王は、ただ女たらしなだけではなかった。それだけならば、とりたてて問題にはならない。彼は政治的にも愚劣だったのだ。

  つい最近の増税も庶民を憤慨させた。増税の目的が、ただ王自身の財布を豊かにしたいがためだということは、国中のひとたちはみな知っていた。おまけに、仮想の敵国とは、ここ百年ほどは平穏を保ってきたのだが、王がその敵国の王室の女に手を出したことで、ふたたび緊張がはしりだしていた。

 

  蜂起した軍に対し、アグリッパ率いる軍が対峙たいじした。

「王はどこだ?」蜂起軍は一様に声をあげる。

「おれたちの血と涙で貯めた金を、敵国の女に貢ぎやがって。おまけに、聞いたぞ。ちっちゃなぼうやをダシにして哀れな我らの愛しき王后殿下をごまかそうとしただと?ふざけるな、俺たちが成敗してやる。さあ、王の野郎を出しやがれ」

 両者の前に、ひときわ大きな馬に乗っているアグリッパ将軍が姿を現した。

「その件については、我々が解決すること」

「そんなこといって、王のやつにいいようにいいくるまれるのがオチだろう」

 アグリッパの目が変わる。蜂起軍は静まり返った。

「市民諸君。君たちの気持ちはよくわかる。だが、わたしも、この国を愛しているのは君たちと同じだ。さあ、帰るのだ」

 市民たちはアグリッパをみつめた。そのとき、王宮からひとりの女性が姿を現した。王后メアリーだ。

 改めて、アグリッパは王后に敬礼をした。そして、メアリーは先ほど与えられたヒスイのネックレスをはずし、アグリッパに渡す。ふたたび、アグリッパはメアリーにネックレスをかけた。

「あ、あれは・・・」

  市民たちはこれが何を意味するのかを知っている。すべてを悟った反乱軍兵士たちはみな武器を捨てた。そしてメアリーに顔を向けた。

  「女王殿下萬歳!」

  これが王になるための最後の条件、市民の支持を得ること。この瞬間、メアリー女王が誕生したのである。

 

 前王ジョンは、これ以上の抵抗が無駄であることを悟り、ひそかに宮殿から去った。シスターがジョンを呼びとめた。

  「これを持っていきなさい。天なる父上は温かく受け入れるでしょう」

  前王が向かった先は、海沿いにある大聖堂。彼はここで第二の人生を送ることとなる。

  ぼうやは、女王の部屋となった部屋のベッドで休んでいた。結局、なんでも好きなものを買ってもらえる機会を逃したし、なんといっても、勇者らしいことをなにひとつしていないことに、がっかりしていた。


 王宮の玉座に、女王メアリーは腰かけた。古からの慣わしで、公文書などには、ラテン語での正式名称である、レギナ・マリア・カエサリア・アウグスタが記される。目の前には、側近の将軍アグリッパがひざまずいている。

「ご苦労様。これからも、国の治安の為、働いてもらいますよ」

「おそれ多き御言葉」

 アグリッパは立ち上がり、一礼してから、王宮を後にした。

 女王は自分の部屋に戻って行く。今日は、彼女にとって、長い一日であった。

「王后様、いえ、女王様。男の子がお待ちです」

 メイドはいつもよりずっと緊張しているのがわかる。必要以上に頭を下げるのだから。

「王位に就いたからって、今までと大して変わりないわ。だから、あなたは今までどおりでいてちょうだい」

「で、でも…あ、すみませ、いえ、申し訳ありません、しかし、おそれながら…」

「言ったそばから。お願いだから、ふつうにしゃべってちょうだい」

「は、はい」

 メイドはまた深々と頭をさげようとしたので、それもメアリーはやめさせた。


 いっぽう、ぼうやはというと、ベッドで、ぐっすり眠っている。

「お疲れさま、愛しきぼうや」

 ギリシア語でそうささやき、湯でぬらしたタオルでぼうやの顔をふいた。ぼうやはそれで目をさました。

「うん、あ、女王さま」

「ありがとう、今日は」今度は、ぼうやのわかることばでいった。

「ほら、そんなところにいないで、こっちに来なさい」

 女王は、部屋の隅っこに向け声かけ、手招いた。

 すると、シスター・アンと、こないだの女の子がきた。

「えへへ…」

「メアリー様。即位おめでとうございます」

 シスターはひざまずこうとしたが、メアリーは止めた。そこで、アンは、頭だけさげた。

「それにしてもびっくり。この子、女王さまのこどもだったなんて」

「お嬢ちゃんも、お母さんは…」

 そんなとき、メイドのひとりがやってきて女王に耳打ちした。メアリーはOKの合図をだしたので、メイドは、ひとりの女性を部屋に呼び寄せた。やってきた女性をみて、女の子は目を丸くした。

「ママ、なんでここに?」

「女王様に失礼なかったでしょうね、ルーシー。シスター、娘の面倒みてくださって、ありがとうございます」

「ひさしぶりね。ダンナさんは元気?うまくいってる、リーザ」

「おかげさまでね。もうリーザはよしてよ、姉さん」

 ルーシーは母と女王を交互にふりむき、声をあげた。

 そうなのである。ルーシーの母、リーザことエリザベスは、女王メアリーの妹なのだ。ちなみに、ぼうやの義母キャサリンは、末妹である。

「え、ママ、女王さまの妹なの?じゃ、じゃあ…あたし、未来は女王さまになれるんだ。わーい」

「なれるわけないでしょ。あんたより、ぼうやのほうが可能性高いわ」

 ルーシーは、ぼうやの顔を、あらためてじっとみてみた。

「この子が、王様?ありえない」

 ぼうやはなにも言えなかった。いや、言うつもりもなかった。自分が王子様であるという実感など、まるでなかった。第一、王子なんかより、勇者のほうがよかった。

 王様になっても、ただ命令するだけ。勇者なら、世界中の注目を浴び、歓迎され、讃えられる。

「ところでさ、なんて名前?きいてなかったし、興味なかったけど、一応王子様なんだし」

「え?ぼくは、ゆう…」

「あんたの名前聞いているの。あなた(YOU)なんて、聞き返してどうすんの」

 本当のところ、ぼうや自身もわかっていなかった。なにしろ、名前で呼ばれたことがほとんどなかったからだ。義父母も、『ぼうや』あるいはフランス語で『プティフィス(小さなかわいい息子)』と呼ぶのだから。ぼうやも、父はパパ、母はママと呼ぶのだが。

「あのひと、ジョセフは、この子が産まれる前に流刑にされたし、産まれてすぐキャサリンに預けたしね。名前つける間もなかったの」

 実母メアリーも、ぼうやの本名はわからない。キャサリン・トーマス養母父は、この子に、何と名付けたのか。ぼうやがかすかにおぼえている『ゆう…』


  そんなとき、メイドが女王に耳打ちした。そしてメアリーはOKの合図を出した。

「今回は特別に許可します。お入りなさい」

 メイドが扉で応対したのち、部屋にひとりの男が入ってきた。将軍アグリッパだ。

「女王様ならび御婦人方。非礼を御許しください。申し上げたいことがございまして」

 幾度と説明した通り、ここは後宮。本来ならば、女性と十二歳未満の男子のみ立ち入りを許される。しかし王と王后の特別な許可が下りた場合はこの限りではない。

「わかりました。それで、話したいこととは」

「こちらのぼうやに、今回王宮へと招く手紙を書いたのは、この私です。むろん、前王の御墨付きです」

「なんですって。では、そなたは、この子が私の実子であることは」

「存じておりました。何故なら、私は、妹キャサリン様の夫君トーマスの親友でございますゆえ」


 アグリッパ将軍と、女王メアリーの妹キャサリンの夫トーマス。

 この国の男子は十二歳で寮生活に入り、十八歳で軍に入隊する。三十歳で除隊し、ようやく結婚が許される。優秀な人材は除隊後、公務に携わることになる。公務に携わるもの、つまり公務員は、文官と武官の二種類がある。アグリッパは武官、トーマスは文官になった。

「そうですか。この手紙は、将軍様がお書きになられたものなのですね」

 エリザベスは娘の持っていた、例の手紙をとり出し、今度は声を出して読みはじめた。


「王宮配下の者達に告ぐ。この文書を携えてきた少年とその一行を厚遇し、少年ひとりを国王殿下に招き入れよ」

 (将軍サイン)

 (国王サイン)


 上記が一枚目に、自国語で大きく記されている。

 以下の文面はラテン語で記されている。ただし、比較的平易なことばでつづられている。これは、読む相手が女性の場合を考慮してあるためだ。エリザベスは、最初はラテン語でそのまま読み、次に自国語でゆっくり読んだ。


「少尉トーマス・カウリィとその夫人キャサリンの男子。その少年をみかけたら、至急王宮に連れてきてほしい。ただし、あくまでも付き添いとして。彼のみをお願いしたい。

 少年の両親は共に世を去っている。国王として、それをあわれに思い、後宮で養育したい。(少年の)亡き父トーマスは国の忠臣であった。その実子の養育は国の責務である。

 少年には、国王殿下自ら依頼事あり。

 この文面を読んだ者は、協力をお願いしたい。

 (国王サイン)


 メアリーは苦笑した。キャサリンの夫トーマスは確かに忠臣であった。その忠臣を、追放刑に処して妻と養子から切り離したのは、だれの責任か。前王の責任ではないか。


「申し訳ございません。こう書かない限り、前王には署名いただけないので」

「されど、そなたのお陰で、こうして息子と再会することができたのです。感謝しています」


 アグリッパは深々と頭をさげた。立ち去ろうとしたので、ルーシーはあわてて、アグリッパの軍服のすそをひっぱった。

「ねえ、この子の名前知ってる?」

「知らないのかい?てっきりぼうやからきいているとばかり思っていたけどな」

「バカだから、じぶんのなまえ、知らないんだよ」

「バカじゃないもん、知ってるもん、ゆう…」

「そう。でも、『ゆう』じゃない、『ゆうすけ』だよ」

「ゆ、ゆうすけ?なにそれ」

 アグリッパは、メイドの用意してくれた椅子に腰掛けて、ぼうやの名前の由来について語りはじめた。ただ、そこは文官ではなく武官たる者の泣きどころだ。話が長いうえに、繰り返し、あいづち、うなずきが多く、聞いていて意味不明なところも所々ある。よって、ここでは、大意を書こう。


 ぼうやの名前は、ゆうすけ。養父のトーマスが命名した。彼はゴア(現インド西部の港町)に滞在していたおり、前王の粛清、つまり、リストラの一環で無実の罪を着せられ、国外追放刑に処された。

 そんなとき、妻キャサリンは、姉で、前王に急きょ嫁ぐこととなったメアリーの子を預かった。この子に名前を付けてほしいと夫に手紙を送った。

 そのころ、明(みん、現在の中国)の都市、南京なんきんに滞在していた夫より、『ゆうすけ』と書かれた手紙が送られてきた。

 『ゆうすけ』とは、日本のことばで、勇敢なるすけという意味である。介とは、日本の官位の名称。戦国時代、織田信長は上総介かずさのすけと自称していたことでも知られる。

 トーマスは、一度だけゆうすけを抱いたことがある。妻が預かった義理の息子のことを知ったことで、義理の関係ではあっても、いてもたってもいられなくなった。そのため急きょ隠密裏ながら帰国した。そしてゆうすけを抱きかかえた。ゆうすけの義理の父親に対 する記憶はそこから来ている。

 そしてふたたび明に戻った。その後、朝鮮(現在の韓国、北朝鮮)に向かう途上で、嵐で遭難してしまう。これらのことは、彼の側近の者たちから、アグリッパに手紙で伝わる。

 妻キャサリンは、姉の子を、実の子のようにかわいがった。そして、時々、夫のことを語りきかせた。遠い国にいる夫を勇者とみたてた物語を。


「いい名前で、よかったわね、ゆうすけくん」

 シスター・アンにはそういってもらえたものの、ぼうやは不満だった。

「なんか、へん。ゆう…すか?ゆんすき?」

「『ゆうすく』よ。じぶんの名前でしょ。おぼえなさい」

「『ゆうすけ』ちゃんよ。ルーシーだって、まちがえているじゃないの。

 とてもいい名前よ、男らしくて。それに、ぼうや、勇者が好きなんでしょ。ぴったりじゃない」

 勇者…勇敢な男だから、ゆうすけ。そういわれてみると、だんだん、この名前が好きになってきた。

「そう、ゆうちゃんは、伝説の勇者の息子よ。ジョセフしかり、妹の夫トーマスも」

「いいなあ。結局、この子さ、王様から、好きなものをもらったじゃない、それも、すっごくおっきな。あたしなんか、王宮にも入れなかったし。ひとりぼっちじゃない」

「ジュリアスがいるでしょ。それに、ゆうすけくんも。ね」

「ジュリアスかあ。連れて来ればよかったなあ。はやくあいたいよ」

「来てるわよ」母の一言にルーシーの表情は一変した。

「門のところで預かってもらっているの」

 喜ぶルーシーに、さらに女王からのお土産としてメイドから大きな猫のぬいぐるみが手渡された。さすがに荷物となるため、これは後日家に送り届けられることとなった。

「ジュリアス、これみたら、とびかかってくるかな」

 こういったあと、ルーシーはゆうすけをみて、続けてしゃべった。

「これみたら、誰かさんなら絶対びびって、こないだみたいに…」

 ゆうすけは、それを聞いて頭にきて、ルーシーを追っかけた。ルーシーも、部屋の中をすばしっこく逃げまわる。


「ジュリアス、ごめんね。さびしかったでしょ。もう離さないからね」

 まだ母に預けられて、一日しか経っていない。ルーシーが家を離れてから数えても大して時間は経っていない。当然ながら、ジュリアスはルーシーの態度に戸惑っている。


 ルーシーは、母とともに、都を立ち去った。ゆうすけも一緒だ。

「何でこの子も連れてゆくの?王宮で暮らせばいいじゃん」

 ゆうすけは、ルーシーとともに、エリザベスの家で暮らすこととなった。昨晩メアリー女王とエリザベスが話し合った結果、この結論に達した。アグリッパをはじめ配下の者たちは、それに従った。


「ゆうすけ。息子には、外の世界で、のびのびと育って欲しい。もちろん十二歳になるまでだけど。

 わたしは、母親失格。最愛の子を、そばには置けない。

 ましてわたしは、この国の当主。息子の母であることよりも、今は、国民みんなの母でいなければならないの」


 無事に家に着くやいなや、早速聖書のお話をきかされることとなった。シスター・アンと修道院からのお土産として、聖書とロザリオ、メダイが贈られたのである。聖体拝領の歳になるまで、聖書を聞いて勉強するのは義務なので、いくらふたりがへきえきしていても、これはしかたがないことなのだ。

 それがようやく終わるころ、焼きたてのスコーンが出された。とてもいい香り。よだれが出て止まらない。

「おいしい。やっぱり、ママのスコーンは最高」

「うん、おいしい。もうひとつ」

「だめ、これはあたしの」

「ぼくのだ」

 残りひとつのスコーンをめぐり、ルーシーとゆうすけは争う。結局、ルーシーのものとなり、ゆうすけは、余りのクロテッドクリームとブルーベリージャムを指でとってなめた。


 (おわり)


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