第23話 生死を賭けたドッグラン
不知宰吾は空を飛んでいる。
無論、彼に飛行能力はない。ただただ不死身の、ほとんど普通の人間である。しかし、今は大空を駆け抜けている。とてつもない風圧が全身にかかり、ほとんど呼吸ができないが、不死身の身体のお陰でなんとか意識を保っている状態だ。――意識が飛んでは目覚め飛んでは目覚めを繰り返している。
なぜ、こんなことになっているのか。
クラクラする頭をなんとか動かしながら、宰吾は記憶を整理することにした。どうも、死ぬ直前の記憶は曖昧になりがちである。
猪巻、アリー、シェパと別れた宰吾は、とりあえず先へ進むことにした。もう日が沈む頃だったが、少しでも距離を稼ぎたいと思い、少し無理をして歩みを進めたのである。
「……夜は魔物が活発とかってあるのか……?」
鬱蒼と茂る森をズカズカと進みながら、そう呟いた。
葉や枝で手足に傷がつくことは全く気にしていない。その程度の傷なら一瞬で治るからだ。それよりも、前へ前へ進むことが最優先である。とは言え、疲れや空腹、睡魔は感じ続けるので、そう言う意味での限界はすぐそこまで来ていた。
そして、喉の渇きが最高潮に達した頃、丁度目の前に小さな湖が現れた。
「げ、幻覚じゃ、ないよな……?」
恐らく八時間は歩き続けた宰吾は、よろけるようにその水場へ駆け、倒れ込んでそのオアシスの水質を確認した。とても透き通っていて、綺麗である。安心して水を手に掬った宰吾は、まるで獣のようにそれを啜った。綺麗な水があって本当によかったと思った。
まあ仮に死んだ水であったとしても、飲んでいたことだろう。飲んで、腹が痛くなったころにナイフを突き立てれば、再生能力で痛みは引く。
「水ってこんな美味かったか……?」
そんなことを呟き、満足まで水を啜った宰吾はその場に座り込んだ。一度座ってしまっては、もう立ち上がることはできない。それくらい疲労が溜まっていた。脚を切断して生え変わるのを待てば疲労は回復するだろうが、全身の疲れや空腹はどうにもならない。能力で全身の疲れを取りたければ、身体中をミンチにするしかないかもしれない。試したことなどないけれど。
なんてことを考えていたそのときだった。
背後の茂みから、何か物音がした。しかも、一か所からではない。宰吾の背後を取り囲むように、恐らく最低でも五つの音。
宰吾は音の正体に気づいていることを気づかれぬよう、ゆっくりと目だけで周囲を見渡した。前方は狭い湖。左右は開けた草原。そして、背後は音の群れ。ほとんど四面楚歌のこの状況である。
「どうしろってんだよ……」
相手が飽きるまで殺され続けるという手もあるが、敵と遭遇するたびにそんなことをしていれば、いくら時間があっても足りなくなる。できれば、こっちが殺してしまうか、逃げ切りたい。そして後者の方がもっといい。
そう考えた宰吾は、息を整えて頭の中でルートをシミュレーションし、そして立ち上がった。のと同時に、勢いのまま全力で走り始める。硬い地面を蹴り、疲れ切った両足をどうにか動かして今できる全力疾走をした。
後ろから、何らかが追ってくる気配がする。
風を切り、自分の足音と背後の足音に混じって、獣のような息遣いが聞こえてくることに、酸素の足りない頭で気づいた。その直後、追ってくるものの正体の目星が付く音が聞こえた。
ワンッ! ワンッ! ガルル……!
犬系の動物……!? いや、魔物なのか?
見当もつかない。犬っぽいな、しか頭に出てこない。ただでさえ疲れている体に鞭を打ち全力疾走しているのだ。考えている余裕などな――
その刹那。
気づけば踏み出した右足が、自分が想定していた地面の高さより低い位置へと落ち込んだ。
そして、何が起きたのかと思うより早く、体ごと宙へ投げ出される。
宰吾は、断崖絶壁へと追いやられていたのだ。そして、それに気づかず真っ逆さまに落ちてしまった。
重力に引っ張られ、成す術なく奈落へと吸い込まれる宰吾。
やっと走らなくてよくなった、という安心感と、また死ぬのかといううんざり感が頭の中をぼんやりと駆け抜けた。上を向いた視界に、先ほどまで自分を追っていた獣の姿が映る。それは、宰吾の世界では全く見たことのない大きさの、赤い目をした狼に見えた。
「異世界、こわ……」
宰吾の呟きの直後、鈍い音が谷底に響いた。意識がぷつりと途切れる。
これが、今に至る宰吾の最後の記憶である。
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