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なれのはて

作者: だいきち

怖いタイトルをしていますが、やわらかい話なので良かったら見ていってください。

                15才高校生 春


 始まりは、ふと気づいた弱い風のように通り過ぎて行った。

 高校二年、初めての席替えで隣になったのはなんだか印象の薄い男の子で、話しかけて良いのか分からなかったし、私はそのまま日常を送っていた。

 初めてその子と話したのは国語の授業のペアワーク。山月記の感想を言い合うというものだった。意外にも先に口を開いたのは彼だった。

「理想を追い求めたなれのはてがこれって悲しいよね」

「え、なれのはてってネガティブな意味だったの?まじか、ずっと勘違いしてた」

「じゃあどんな意味で使ってたの?」

「進化しきった先みたいな。ピチューのなれのはてはライチュウだ、って感じ」

「なんだよそれ」

彼は笑った。なんだかそれがおかしくて、私はもっと笑っていた。



                16才高校生 夏


 好きな人が出来た。というか、気付いたら頭の中に彼がいた。これからどうなっていくかはまだ分からない。でも、なぜか私には先に広がっている未来が、とても輝いて見えた。



                16才高校生 秋

 

彼と付き合うことになった。意外にも彼から告白してきたのだ。彼は奥手に見えたので自分が頑張るしかないとは思っていたが、それだとあと一年はかかっていただろう。正直私は今浮かれている。次会ったら何をしようか、何を話そうか、そればかり考えてしまう。この甘い時間を楽しめるのがいつまでかなんて、どうでもいい。私は彼と今共に歩ければそれでいいのだ。



                18才高校生 秋


 交際は順調だ。彼は受験だったが私は就職の方向で動いていて、各々自分の将来のために動いていたので会う頻度は少なかったが、これで関係が終わるわけではない、と割り切って頑張っていた。ただ、自分の恋のする気持ちが少しの、ほんの少しの悲しいという感情に蝕まれている感じがした。今はまだ小さいがこれから大きくなるかもしれない。それを押し殺しておくのが、今の私に唯一できることだ。



              20才会社員 春の始まり

 

偶然就けた本当に良い会社の仕事にもとっくに慣れ、いろいろなことを学んだ。そして私は彼に別れを告げた。私は泣いていたのに彼は笑っていて、

「しょうがないよ。シュウのせいじゃない」

その言葉がまた私の罪悪感を増幅させた。

結局私は悲しい、寂しいという感情に飲み込まれた。つらい時期は乗り越えたが、会社という第二の巣がある私と違って自由に飛び回る彼を見ていて、辛くなってしまった。そして、好きでは無くなってしまった。

そうして私は、一人で歩き出した。



                28才会社員 梅雨


 心の奥底に眠っていた、男との記憶が呼び覚まされる瞬間が、何よりも嫌いだった。心臓の中に手を入れられてごそごそと漁られている気分になる。そのたび、私はその記憶を焼き付ける。二度と同じ記憶で同じことを繰り返さないためだ。覚えておいてしまえばなんでもなくなる。不思議とそれが起こるのは一人の男の記憶だけで、他はうっすらとだけ頭の中にいた。そうして気付いた頃には彼の記憶が私の頭の多くを占めていた。彼氏が居たら少し申し訳なく感じるのだろうが、三か月前に別れて独り身の今、私に残っているのはどうしようも無く消えなくなった記憶と、少しくたびれた女の体、それと生活だった。



 デパートで一人買い物をした帰り道になんとなく入ったカフェで、他人になって生きてみたいという考えが止まらない時期があったことをふと思い出した。今はそんなことは思っていない。頑張ろうが頑張らなかろうが、生きるのは面倒くさい。生きるのが簡単だろうと、難解だろうと、生きていることには変わりない。考えることもあればしなければいけないこともある。しかし、面倒くさくても私は私の人生が好きだった。老後の独り言みたいだな、と一人で少し笑う。適当に頼んだ飲み物はもうぬるかった。私は、熱い飲み物が好きだった。


「過去なんて、風化していくだけのつまらないものだよ」


いつか彼はそう言った。そんな彼の言葉は、皮肉にも私の脳内に塗りたくられている。そう言われて妙に納得していた私は、どこへ行ってしまったのだろう。・・・もう、考え事はいいだろう。雨もやまないまま、私は外へ出た。



 雨は嫌いでは無いが、雨についての話を彼がよくしていたのでなんとなく避けていた。浅瀬にある記憶が掬い出されるのはまあ良いのだが、事あるごとに顔がちらつくのもそれはそれで嫌だ。最近はもう奥底から思い出がせりあがってくることもなくなり、ようやくストックが無くなったのだと喜んでいたところだった。もう夕方だ。最後に家の近くのアンティーク店に寄ろう。店主と私の趣味が合うのか、あそこは私が好きなデザインの物ばかりが置かれている、雰囲気の良い店だ。週に一度は通い、一か月に一度は何か買うことにしていた。



店には客が一人。店員も一人。店主しか見た事がないので一人で切り盛りしているのだろう。客は男で、背格好は高く、なんというか小綺麗で、アンティークを見るようなタイプには思えなかった。結婚指輪もない。背中しか見ていないのに失礼な話だが、どうせもう会うこともないんだから心の中で何を思ってもいいだろう。そのまま私は小物のコーナーを見始めた。新しくカエルの置物が増えている。今は六月だし、玄関先に置いてもいいかもしれない、と手に取っている時、視線を感じた。なんだろう、とそちらを向くとさっきの客がこちらを見ている。そこで私は初めて客の顔を見た。瞬時に理解する。そういうことか。私の方を向いていたのは、見覚えのある、ありすぎるあの顔だった。顔は大人になっているが、しっかりと面影が残っていた。


「ナツじゃん」


考える間もなく言葉が出てくる。そう、彼は夏。私の元彼だ。


「あ、やっぱり。シュウだよね」


彼も私の名前を読んだ。私は秋という字でシュウと読む名前だった。昔は夏と秋はくっついてるから仲がいいんだとふざけあったりもしていたが、シュウという読みは私にとって少し違和感があって、付き合っている時は気にしていた。どうせだったらアキでも良かったのに。そうしたら綺麗にナツとアキって呼びあえたのに、なんて。


まあ、そんなことはもういい。本当に。


「こんなとこで何してんの?私の行きつけなんだけど」


私の言葉を聞き、彼は少し驚いているようだった。


「僕の行きつけでもあるんだけど。もう一年来の」


流石に私も驚いた。私がこの店を知り、通うようになったのは三年前だ。一年間同じ場所に通い続けて会うのが今日が初めてだなんて。


「まじか」


この驚きを表すには荷が重すぎる三文字を私は吐いた。


「でもなんか、久しぶりだねほんと。中学の同窓会も来なかったよね?」

「うん。まあね。ナツはなんか、明るくなった?」

「そうかな?まあ、色々あったんだよ、うん」


女だな。確実に。まあこっちの同窓会云々も男絡みだし、向こうも気づいているだろう。いや、案外鈍くなってるかもしれない。



 ここでずっと話し出すと店に迷惑がかかるので一旦外に出ると彼は

「雨だね。いい天気」

と言う。私はあまり雨が好きでは無い。嫌いでもない。



「飲むか」

ふと彼はそう言った。

「飲むか〜」

私も同じトーンで返した。ああ、この感じ、聞き覚えがある。なんのことかは分かるけど、回想に入るのはやめておこう。感傷的になっては楽しくない。



 彼は静かながらに面白いタイプだった。少々元気になった今、それが損なわれていないか、そこだけ心配だ。今は七時。夜は始まったばかりだ。

 店に入る手前、一応聞いた。



「恋人は?」

「いたら飲まないよ。そっちもでしょ?」

「あたりまえ」

倫理観は変わっていないようだ。なんだか少し嬉しくなった。いつもより明るい自分がいて、歯がゆい。



 席に着くと私はビールを。彼は酒もソフトドリンクも頼まずにウインナーを頼んで待ち始めた。

「なにしてんの?普通にお酒かソフトドリンク頼まないの?」

「ああ、なんかいつもそうだから」

彼はそう言ってなんだか居心地悪そうにしている。



「・・・。」

 知能指数を落としてぼや〜っとした脳を作ろう。無心で話した方がきっと楽しい。そうに違いない。



「ウインナーがいっぱいあると何になるでしょー」

「わかんない」

こういう時彼は即答するタイプだ。

「正解は・・・たくさんウインナー!!」



 久しぶりにこんな冗談を口にした。無心で話そうと決めても今の私なら落ち着いて話すだけだったはずだ。彼と話していて昔の感覚に戻ったのか、先ほどから少し自分が幼稚になっている気がする。ふと、何かしらの違和感が私の頭に走った。言語化は出来ないのだが、気持ち悪い何かが脳を巡る。



「つまんないし。上手くもないし。てか、シラフだよね」

「んふふ」

適当に笑ってごまかしたが、これはさすがにやりすぎかもしれない。まあ、何かに気付いても普通にスルーすればいい話か。



「仕事はなにしてんの?」

「今のなんだったんだよ。いや普通に会社員してるけどさ」

「どんな」

「なんか査定でもしてんの?急に怖いわ」

「いや久しぶりに会った相手が今何してるかがいちばん気になるもんじゃない?」



「運送業の倉庫担当」

「へー。給料貰えてんの?」

「まあ、それなりに」

「そっかー。じゃあ別れてから今までのことでも語ってもらおうかなー」



「その前に、今君は何してんの?」

「なんだ、君って。私にはシュウっていう名前があるんだけど」

そんな呼ばれ方はされたことがない。

「んー。なんか、『お前』って呼び方あるじゃん」

「うん」

相槌をしたタイミングでウインナーが来た。ビールはとっくのとうに来ていて、私は飲みながら話を聞いていた。ウインナーを頬張りながら彼は言う。



「なんか親しい仲じゃないとそもそも使わないのに、ものすごく距離がある言葉な気がしてさ」

「あー」

「なんか気持ち悪いなって思った時からお前って言いそうな時は君って変換してた」

「なるほど」



「てか、最初の頃僕の名前全然呼ばなかったよね?」

思わぬところを突かれてしまった。そういえばそうだ。

「なんだっけなー。僕が『なんで名前呼ばないの?』って聞いた時の返事。直接聞いたのにアプリのメッセージで帰ってきたよなー確か」

一転防勢なんて言葉は無いが、この状況にぴったりだ。



「『恥ず」

ピンポーン

こういう時は店員を呼び出せばいい。しかし、こういう時に限って来ないのもこの世の常だ。少し気まずい沈黙ののち、

「すみませーん。ビール二本お願いしまーす」

少し大きな声で店員を呼びつつ注文をした。少しして店員がビールを運んできた。そしてその時ふと、先ほどから感じていた違和感が頭の中で言語化された。



 簡単な話だったのになぜ気づかなかったのだろう。私は無意識に無理をしていた。私はオトナになったはずだ。オトナという生き物に。望んだわけではない。成長なんて言葉では表せない。でも、汚く生きてるわけじゃない。人だらけの、目的を遂行するためにある環境に身を置き、時を過ごすということは大人になるということだ。



 私は彼と、あの時の関係のまま話せると心の奥では思っていた。自分でいられたあの頃の私はまだ心の中にあると、信じていた。でも、今のこれは違う。明らかに私は演じていた。彼の前では子供でいたかったのだ。彼は、大人になった自分で私に接している。もう私は、子供じゃない。深く呼吸をする。そして、怪訝な顔をしている彼に気づいた。まあ、急に話していた相手が深刻な顔をしていた時にかける言葉なんて


「どうしたの」


だろうな。やっぱりそうだった。ごまかしてもしょうがない。もう正直に話してしまおう。ビールを一度口に含み、話し出した。



「無理して子供っぽくしてたなって気づいちゃっただけ」

できるだけ重くならないような言い方をしたが、結局言うことは同じだ。しかし彼は

「ああ、そんなことか。」

なんてことを言う。そしてまた少し間を置いて話し出した。



「たまには僕も昔みたいに戻りたくなるし、逆にずっとなりたい自分でいる必要も無い」

今、彼が言ったことは、綺麗すぎる。彼が見ていた世界は、どこか摩れていたはずなのに。痛い。昔の自分を見ているようで、痛い。

「でも、、あーー、うん」



 言い返そうとしたが私の頭に彼を納得させられるほどの能力はなかったことを思い出した。いい論理を思いついても結局穴を突かれてしまうだろう。考えは変わっても頭の良さは変わらない。

彼は私が話し出さないのを見てまた話し出す。



「続けるけど、僕はね、前よりは明るくなったけど、何も考えなくなったわけじゃない。過去の自分を中に着ながら、今の自分を上に着てるだけ。どっちも本物だし、根本に昔の自分がいるんだよ。考えない方がいい時もあるし、ただそっちの方が生きやすいからそうしてる。みんなそんなこと考えてないんだろうけどね」

そう言って彼もビールを飲み出した。少しぬるかったのだろう。顔をしかめている。そういえば勝手に頼んだがビールが苦手なのかもしれない。



「シュウはさ、普通に変わったんだと思う。僕とは違って、皮を被らずに、昔の自分を振り返らずに生きることを自然と選んだんだと思う。それで久しぶりに懐かしい相手と会って、誤作動が起きたんだよ。消えたはずの自分を引っ張りださなきゃってさ」

この人は、本当に。



「だから、そんな神妙な顔をやめて、昔の自分を演じるか、今の自分でいるか、適当に決めちゃえばいいんだよ。目の前の相手にまた会うかどうかなんてわかんないんだからさ。僕と話すこの人生の中の一瞬くらい、頑張っても頑張らなくても後から見たらどうってことないよ」



 私が手放したこの人は本当に、いつも私に答えをくれる。優しく手を差し伸べてくれる。好きではなくなってしまったと告げた時も、傷ついているのは彼のはずなのに、私は彼に心を救われた。あの時は泣いてしまったが、今はもう泣かない。



「じゃあ、もう今日は考えるのやめる。何も考えずに、出てきた言葉で喋る。演じるとか自然でしゃべるとか、考えるの疲れるし、決めらんないから」

私はそう言って少しぬるいビールを飲みきった。

「シュウらしいね」

彼は笑う。



「じゃあ、お互いの恋愛遍歴でも言い合おうか」

「望むところだけどその前に注文しよ」

「そうだね」

今度は自分たちで好きなお酒と料理をひとつずつ頼んだ。ビールを頼まないあたり、彼はやっぱり苦手だったのかもしれない。



 お互いトイレに行き、私があとから席に帰ってきたところで

「どっちから言う?」

と聞かれて適当に答えた。

「じゃあそっちから」

嫌がるかと思ったが、彼はそのまま話し出した。



「確か言ってなかったと思うんだけど、僕一回中学の時に女の子と付き合ったことがあるんだよね」

「確かに初耳だそれ」

「すぐ別れちゃったんだけどさ、そん時は引きずったなぁ。別れたあとも話しかけたりしてさ」

彼は頭をしきりにかいている。恥ずかしいのだろう。



「それでシュウと別れたあと、今度は引きずらないようにすぐに恋愛で打ち消そうと思って、いい子見つけて付き合ってさ」

彼は奥手に見えて奥手では無かったので驚きはしなかったが、そこまで早かったとは。驚きつつも相槌を打つ。



「でも結局生き方のテンポが合わなかったんだよね」

「価値観の違いみたいな?」

それなら私にも経験がある。彼との間に起こった。



「まあ、そうと言えばそうだし違うといえば違うんだけど、噛み合わないというか、各々やりたいことをやってて、甘えたい時とかが合わなくて、頑張って合わせようとしてみたんだけど、生活は営めないねってなって別れたなー」

「後腐れとかなさそうだね、それ」

「無いよ。その頃にはかなり割り切ることに慣れてたし。でも、次はまた引きずったなー」



「それも教えてよ」

しかし彼は

「次はシュウの番」

と言ってよくわからないお酒を飲み始めてしまった。仕方がないので話し出す。



「私がナツの後に付き合ったのは二人で、あだなというか頭の中で呼んでた名前はバカとヘタレ」

「ただの悪口じゃん」

「いや普通に好きだったよ、そんなとこも。まあ結局そのせいで別れたとも言えるんだけどね、バカの場合」



 彼は興味がありそうな目で私の話をじっと聞いている。

「バカはほんとバカで、ちゃんと愛してくれたんだけど、そもそも交友関係が広くて、危ないなーと思ってたら二年で浮気した」

「あー」

 下がり気味に伸ばしたひらがなを言っただけで残念だねという感情を表せる日本語は本当に便利だなとふと思った。どこかへ飛んでいきそうな思考をとりなし、また私は話し出す。



「それがほんとにバカらしいというか、いつもはしめないシャツの一番上のボタンはしめてるし、聞いてもないのに自分が何してたか話し出すし、アホらしとか思いながら問い詰めたら普通に吐いてさ、こっからがまたバカなんだけど、相手の女は一回好きって言われて断った女で、思い出にって頼み込まれて断れなかったんだって。じゃあこっちの気持ちも考えろって話だよね」

「そんくらいの浮気ならいいかとはならなかったんだ」

彼はなんだか楽しそうだ。



「いや正直なったんだけど、老後にこいつの世話するのもされるのも嫌だなって思ったから別れようって言った」

「楽天的なのにたまに口悪くなるのは変わってないね」

彼はにやにやしている。癪だが

「まあ確かに」

と言うしかなかった。



「いいね、その話面白い。シュウらしくて。じゃあ次は僕の引きずった話でもする?」

「いや、いいよ。なんかちょっと食べたらおなかいっぱいになったし、お開きにしよう」

嘘だ。本当は彼が気持ちを引きずったという女性の話を聞きたくなかった。割り切るようになった彼が引きずった恋なんて、聞いていて苦しいに決まってる。もう好きではないとは言っても、自分の時より感情を動かした恋なんて。



「何、僕の引きずった恋の話が聞きたくないから?」

彼は平気でこういうことを言える人間だった。そこだけは変わっていて欲しかったのに。そうして私が黙っていると



「じゃあ最後にヘタレとの恋愛がどうだったのか教えてよ。」

と話題を変えてきた。ずけずけ心の中に入ってくる割に引き際はわきまえているのが憎たらしい。



「まあ、それだけならいいけど。ヘタレはさ、告白もしてこないからこっちからしたし、自分からボディタッチも出来ないような本物のヘタレで、そこが可愛くて付き合ってたんだけど、ヘタレなことを抜いたらなんの面白みもないことに気づいちゃってさ。でもこの人の世話ならしてもいいかなって思ったちょうどその時、ヘタレのくせに自分から別れ話持ちかけてきてさー」

「寝耳に水だね」



「そう、それ。今言おうと思ったのに。しかも思い至ってからすぐ言ったらしくてさ、今思うと成長したんだなって思えるけど、さすがに腹たったなその時は。それが三ヶ月前」

「割と最近じゃん。どんくらい続いてたの?」

「一年くらい?かな。バカと別れてから四年くらい空いてて久しぶりに彼氏出来たし結婚もいいんじゃない?とか思ってた。まあしなくてもいいんだけどね」



「それだけが人生じゃないもんね。選択肢としてはありだけど。でもなんか日本の人口少なくなったらそれはそれで困るから難しいところ」

なんだかいつの間にか会話のスケールが大きくなっている。

「合う人がいれば結婚して子供とかもいいとは思うんだけど、まあそう簡単には出会えないしね」

「そうだね、偶然の出会いはそうない」

「うん」



 そこから少し二人とも黙って、普通の会話に移った。何をしてるとか、何が大変だとか。二人とも酔いには強く、話し続けたが、話が丁度良くなったところで彼は



「店出ようか」

と言い出した。

「うん」

 私もそれに応えた。



 そうして店を出た。もちろん会計は割り勘だ。外はまだ雨だった。スッキリした気分なのに。どうも天気とは相性が合わない。これが小説なら、きっと情景描写が下手なやつが書いているのだろう。

早めの時間から飲んでいたのでまだ九時代だった。ハシゴしたりカラオケに行ったりするにはちょうどいい時間だが、私はこれから向かう場所がわかっている。彼もわかっているだろう。


「じゃあ、ばいばい」


彼はそう言った。私も


「うん」


と答えた。

そうして私たちは居酒屋からそれぞれの家路へ歩き出した。連絡先も交換せず。私は分かっている。これが運命の出会いなんて呼び方をできるものでは無いと。彼も分かっているだろう。ここから何かを始めても上手くいかないことを。互いに慰めあって生まれるものも、消えるものも何も無いことも。どこかで偶然会って目が合っても、もう彼と話すことは無いだろう。彼を思い出して悶えることももうない。私は彼を思い出として消化出来ずにいたのだ。消化しきれなかった罪悪感が私を苦しめていたのだ。私はそれに気づくことができた。



 今、私の手のひらには、縋れるほどの幅もない、擦り切れた布のような彼への罪悪感が乗っている。まあ、これくらいなら、持っていてもいいか。

 そうして私は手をぐっと握りしめた。



 私たちの愛情のなれのはては、きっとこれなんだろう。




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