6話 -捕食者-
教会の礼拝堂は埃とカビ、そして日が差さないだからだろうか、どこか湿っぽさを感じる。
ひんやりとした感覚は空気のせいなのか自身の緊張によるものだろうか。
さっきヒルティアがあんな事を言うから…。
馬鹿らしいと思いつつもついつい意識してしまう。
並ぶ長椅子の影に何か潜んでいる気がするし、ステンドグラスに貼り付いたツタの隙間から差し込む光と影が作る文様が何かの姿に見えてしまう…。
(全く、幽霊が怖い訳無いだろ。………出ないに越した事は無いけど。)
違う事を考えないと…
そういえば受付嬢さんもここが廃棄されている地区と言っていたが何が知っているのかな。
魔物の巣となって取り返せなくなった風でも無いし、綺麗にすれば使える住居も多い。
やっぱり再開発に着手しない手はないのでは?
やっぱり廃棄に至った理由が何かるのかな…………幽霊とか。
いけない、いけない!どうして気を紛らわせる為に考え事をするとまた悪い想像をしてしまうんだ!
別の事…別の事…。
そんな思案に耽っていると何やら、くちゃ……くちゃ………と微かに聞こえる。
思わずビクッとなってしまったがヒルティアには見られていない感じだ、良かった。
しかし…何の音だろう…?湿り気を帯びたような…でも水滴が落ちる音じゃない。
気のせいかと思える程の微かな音だが、耳を澄ますほど幻聴では無い事が確信に変わる。
隣のヒルティアを見ると無言で頷いてきた。先程までのニヤけ顔は真剣な表情に変わっていた。
彼女にも聞こえていたみたいだ。
どうやら礼拝堂の奥、本来であれば神父の居住スペースへと繋がる扉の奥から聞こえる。
剣を構え、互いに他に潜んでいる物がいないか周辺に気を配りながら徐々に扉へ近づいていく。
扉はわずかに開いていた。
しかし、ドアの取手部分の埃が無くなっていた。
ドアノブ周辺の金具には埃が積もったままであると言うことは誰かがこの先に出入りしている事は間違い無さそうだ。
だが、くちゃくちゃと言う音が何か引っかかる…。
人の痕跡、そして何かを咀嚼するような音、何かがおかしい。しかし何が引っかかっているのか分からないのがどうしようもなくもやもやする。
痕跡があり、そして中に何かがいる、辻褄が合うようで何か引っかかる。
噛み合わない歯車が苛立ちを募らせる。
この疑問を解消する前に扉を開けてもいいのだろうか、よく考えるべきでは無いだろうか?
答えがあるのか分からない焦りがまるで胃の中を這いずり回る虫のように蠢く。
隣にいたはずのヒルティアはいつの間にか礼拝堂の一番前の長椅子、扉の正面よりやや右側でその背もたれの後ろに身を隠し -椅子の正面から見ると胸より上だけ出すような形で- 両腕を扉に向けていた。
あれは何のポーズだろう?
伸ばした両腕は正面でクロスしており左手首の上に右手を乗せ、右手は指を揃えまるで抜き手のような形で突き出し、左手は掌を扉にむけている。
ただ真剣な表情からはふざけている様子は無いので何かしら意味があるのだろう。
そうに違いない。
この状況でふざけていたら中々肝が座っている云々ではなくこっちの身の為にも今すぐ止めて欲しい。
扉をゆっくりと押し開くと左側 -礼拝堂の裏側- へ続く通路と正面の部屋に続く短い通路があった。
通路の窓から微かに光が差し込むが部屋の奥は見通せない。
だがより鮮明に聞こえる咀嚼音と息遣いが確実に何かが潜んでいると告げていた。
思わず唾を飲む、額にはじっとりと汗が浮かんでいる。
今まで稽古で散々握ってきたはずの剣が手の中で急に収まりが悪くなる。
握っているはずなのに握れていないような感覚__。
剣を何度も握り直すが手の中でどんどんずれていくような感覚になり、このまま振ったら抜けてしまうのではと心配になる。
姿は見えないがジャイアントラットではない、だがもっとおぞましい物が潜んでいると本能が告げている。
そんな恐怖を嗅ぎ取ったのだろうか、ピタリと音が止む…………。
数秒の沈黙の後、グルル…と何かの呻き声が聞こえた。
暗闇で何かが立ち上がる。
その瞬間、背後から火球が飛び何かに命中した___。
火によって照らされたそれは腐敗した死体、死体が何かを喰べていた。
火球が命中した死体、グールは左肩から先が吹き飛んだだけで崩れたバランスを取り戻すとこちらに走ってくる。
唸り声を上げ、澱んだ瞳で獲物を捉えている。
想像よりずっと速い。
思わず後ろに飛びのきながら剣を振ったせいか傷が浅い、殆ど動きは止められず右腕で掴みかかろうとしてくる。
剣で受け止める。手が剣に食い込み骨に当たる。力が強い、押し込まれる。
口が大きく開かれる___腐敗した血肉、腐った息遣いが鼻を吐き生理的な恐怖を掻き立てゾワっとした悪寒が背筋を駆け上る。
黄ばんだ歯が目の前まで迫ってくる。
こんな所で、こんな奴に喰われてたまるか____。
一瞬だったが火球によって照らされた光景がフラッシュバックする。
死体に貪り食われる。絶対にごめんだ。腹の底が熱を持つ。
「う、ああああぁぁぁぁ!!!!」
雄叫びを上げ、全力で押し返し、弾き飛ばす。そしてそのまま前蹴りを腹部に突き刺す。
グールは大きくのけ反り仰向けに転倒するがすぐに起き上がり苛立ったような雄叫びを上げて迫ってくる__いったい誰だ!グールなどのアンデット系は動きが遅いとか言ったのは!
めちゃくちゃ元気じゃないか!
今度は腰を落とし重心を低くする__押し負けないようにする為だ。
そして剣の切っ先をグールの胸に突き立てる__が、それでもグールは止まらず剣はあっという間に胴に沈み込み柄が腐りかけの身体に食い込む。
冷静に考えればそうだ。
グールには痛覚がない、恐怖心もない、身体が動く限り襲ってくるのは分かり切っていたはずだ__。
グールの歯が、爪が目の前まで迫る___剣が抜けない、グールの手が自分の肩を掴む。
押し返そうにも距離が近すぎて力が入らず、肩を掴んだ手にどんどん力が加わり、骨がミシミシと悲鳴をあげ爪が食い込む。
ジャケットが革製でなかったら今頃爪が皮膚を裂き肉に食い込んでいただろう____そうなったら自分も目の前のと同じ化け物になるのか?
グールに怪我を負わされるとグールになると聞いた事がある。怪我の程度に依るのだろうか?少しでも傷を負うと駄目なのだろうか?
おぞましい死体となって彷徨う自分が脳裏に浮かぶ___絶対になってたまるか!
落ち着け!教わった事を思い出せ!
戦士の基本……魔物と人が対等に戦う為の____!
そうだ!魔力で身体を強化するんだ!
何故忘れていたんだ…初歩の初歩じゃないか…!
自分に内心悪態をつきながらも
全身に魔力を漲らせ身体能力を強化する____。
押し負けていた身体は徐々に前傾になり、踏ん張る足に力が入る。
右手でグールの顎を鷲掴み、低い体勢のまま一気に押し込むとグールは徐々に後退し、
体が浮き、そして数歩進む頃には身体をくの字に曲げるようにして担がれていた。
今度はこっちが雄叫びを上げ、そのまま走りグールを壁に叩きつけ壁をブチ抜く、壁の先にあった通路に押しつけると刺さっていた剣を一息に引き抜く______。
二歩後退し剣に魔力を纏わせる____、グールが起き上がる___慌てるな、集中しろ。
魔力を纏い剣の光沢が鋭い輝きを放ち__上段に構える_、グールが向かって来る、今なら切れる、そう確信する、そして____グールの頭部に向けて振り下ろした______。
息を荒げながら距離を取る___グールは床に伏しており動かなかったが、それでもまた動き出すのではと目が離せなかった。
中々息が整わない、人生で最大の恐怖体験だったのは間違いない、いや、冒険者稼業初日からこんな経験をしているのは自分くらいではないだろうか?
滝のような汗がブワッと溢れて来る、シャツが張り付き気持ち悪い。早く帰ってシャワー浴びたい…きっとグールの臭いも染み付いているのだろう…最悪だ。
暫くして漸く息が整うと目を離す余裕が出てきた、流石にもう動かないだろう。
ヒルティアの方に視線を向ける。
先程と変わらない姿勢で扉の奥を見ている。というか何か眼が薄っらと発光してない?
何それ?綺麗な瞳をしていますねやり方教えてください。
しかしヒルティアの表情は変わらず真剣である。
もしやまだ居るのか、と一瞬気を張り詰めるが先程と打って変わって存在するのは至って普通の静寂のみ。何かの息遣いも、咀嚼音も、おぞましい気配もない。
グールに喰われていた何かが起き上がると心配しているのだろうか……。
恐らく不幸な誰かが扉を開けて入ってしまい、そして暗闇に潜むグールに気づかず餌食となってしまった___そんな所だろう。
意外と彼女もビビリなんだな…。
教会に入るまでは守ってあげるとか言いながらからかって来た癖に動けなくなっているなんて。
どう弄り返してやろうかと歩きながら考え彼女と扉の間を通る_____。
_______ヒルティアの叫ぶ声が聞こえた。