プロローグ& 1話 受付嬢
街路に日が落ちた頃、石造りの壁に西日が差し込み影を作り始める。
影は段々と濃くなりまるでこれからは自分達の世界だと言わんばかりに範囲を広げていく。
闇が魔で光が人なら境目は何になるのだろうか。
どちらにも受け入れられないはぐれ者か、それとも調停者か。
一台の馬車が南西の城門を抜け市街へと進んでいく、門を抜けると北と東に走る大通りがあり、その間には円形劇場を中心に大きな広場が見える。
劇場の正面には大きな赤い布を持った派手な男が市街に入ってきた新たな客にファンサービスと言わんばかりに布を振り回しながら華麗に舞っている。
北の通りはユゴー通り、東の通りはシオン通りだと先程門兵が御者に説明しているのが聞こえた。
遊びに夢中になっている子供達が馬車にぶつからないように大人達が声を掛け、
気付いた子供達は道の端に避けると今度は大通りの店先にあった串焼きの匂いに釣られそちらに集まっていく。
日が傾き始めているというのに幌を纏った荷台の中まで人々の明るい声が響いてくる。
活気に満ちた人の街コーロニア。
しかし所々穴の空いた幌の中へ差し込む西日から隠れるように隅にじっと座る1人の少女___。
時折穴の間から外を窺うが、また日の光を避けるように奥へと引っ込む。
ゴトゴトと揺られながら東のシオン通りを暫く進んでいると左には市街が、右には高さ3m程の石壁がどこまでも続いている。
外から見えた城壁はもっと高かったから城壁の中に更に壁があると言う事だろうか。
そんな事を考えているといつの間にか通りは北上しているようで、どうやら別の通りに入ったようだ。
先程まで見えていた壁はどんどん遠のいていく代わりに通りの右側にも街が広がっていた。
そういえば街を外から見た時は四角い箱のような形をしていた事を思い出し、恐らく南西の城門で分岐したシオン通りとユゴー通りは同じく北東の城門から分岐した2つの通りと合流し街を囲むようになっているだろうからこのまま進めば北東の城門に着くのだろう。
そんな事を考えている内に石畳を打つ蹄の音が鳴り止み、馬車が止まる。
既に駄賃は渡してある。
御者席の男に一礼するとフードを目深かに被り直し、俯き加減に道の端に寄る。
案内板をみると【クルべ通り】と書かれている。一緒に北を指す矢印と城門のマークがあるから先程の推察も合っているみたいだ。
そう考え街の中心と反対側、クルべ通りの右側の市街へと足を向ける。
こちらを選んだのは馬車を降りた時に見渡したらこちらの方が若干寂れた雰囲気があったからだ。
顔は下向きだが視線だけは忙しなく左右上下へと動き、時折目が驚きに見開かれ、訝しむように眉間に皺が寄る___、だが決して興味に惹かれそちらには足を運ぶ事なく、露店で売っていたホクホクの串焼きと、朝に焼き上げた残りだろう、固くなって安売りされていた平べったい円形のパンを買い、比較的人通りの少ない道で寂れた宿を見つけ足を踏み入れる。
部屋に入り、思わず長い溜息が漏れ出る___。
フードを外し青い髪が流れる、机の上の明かりが青い瞳を照らす。
窓縁の近くから通りを少し眺めては、すぐにカーテンを閉じる。
ベットに腰掛けると少し冷えてしまった串焼きと冷たいパンを交互に口に運ぶ。
久々のまともな食事に唾液が口の中で溢れるがすぐにカラカラのパンに染み込んでしまう。
口の中がパサついた感触が気になり外套から水筒を取り出し中身を煽るが水が出てこない、長旅の中で切らしていた事を思い出しながら、唾を飲み込む………。
身体は長旅で硬く強張り衣服が貼り付く感触も気持ち悪いが今日はもう、何もする気が起きず布団に潜り込む………。
疲労と裏腹に中々寝付けずにいたが日が徐々に地平線に沈み込み、景色が暗闇溶けていく頃にはいつの間にか眠っていた____。
■■■
黒髪を春風に靡かせグレーの石畳に白亜の壁の間を迷いなく駆けていく。
別に時間に遅れそうな訳でもなく急ぐ必要は全くない、距離もそう離れている訳でもない。
ただ今日という日をずっとずっとーーそう16年間も待ったのだ。
早く早く冒険者になりたくて、そしてこれから冒険者になれるという高揚から思わず走らずにはいられなかった。
昨日、北東の城門から入ってクルべ通りの東に広がっていた地域で宿を取ったのだが、通りの反対側に面した冒険者ギルドの屋根部分が見える事に気づいてしまったその時から思わず気持ちが昂り、寝ようと思っても度々カーテンを開けては屋根を見るを繰り返していたせいで若干寝不足気味である。こんなワクワクで眠れない夜は子供の頃に初めて村の外へ遠足に行く事になっていた前夜くらいなものだろうか。
段々と息があがるが吸い込む空気がエネルギーとなって体を巡りどこまでも走ってさえ行けるような感覚になってくる。
毎日浴びていたはずの日差しが、風が、景色が昨日までとは全てが違って見え、今日が新しい人生の始まりだとそんな気分になってくる。
彼の名はアッシュ、歳は16、身長は170に満たないくらいだろうか。
鍛え込んだ体が彼を実際の身長以上に大きく見せるが顔は16らしくどこか幼さが残る。
腰に下げた片手剣と金属製のプレートを差し込んだ真新しいグローブとブーツが誇らしげに輝いていた。見て驚く人も怪訝な視線を向ける人もいない。ここは冒険者の街なのだ。
「はぁ…はぁ………ふぅ。」
あっという間に目的地の目の前まで着いてしまった。
上気した頬は走ったからか、高揚のせいか赤く染まっている。
今日から何度も足を運ぶ事になるだろうギルドは今まで見てきた建物の中でも一際大きかった。
石造りの白亜の壁がそびえ立ち、その前には装飾の施された円柱が立ち並んでいる様は神殿のようにも見える。そして柱を抜けた先の両開きの扉の奥から冒険者の愉しげな笑い声が聴こえてくる。
そう!これから自分もその冒険者になるのだ!
一度大きく深呼吸し、息を吐き終えると
「よしっ!」と気合を入れる。
そして勢い良く冒険者ギルドの扉を開いた!
「これで説明は以上になります。何かご不明点は御座いますか?」
そう言いながら目の前の女性は冒険者登録用紙を差し出してくる。
ーーーやばい。
なにも覚えてない。
白と黒のモノトーンカラーの制服の襟元に輝くは大きなサファイアのブローチ、そして負けじと主張する巨乳。
胸元にピンで固定されている名札には【セラ】と書かれている。
刺激の強い胸元から目を逸らし改めて顔を見るが、青みがかったアッシュグレーのボブヘアーにサファイアのような瞳、赤のアイラインが目尻に流れる様はあまりにも16なりたての健全男子には刺激が強すぎた__。
さっきまでの勢いはどこに行ってしまったのか
「は、はい!大丈夫です!」
普段より1トーン高い声で返事をしながら精一杯の笑顔を見せるがきっと引き攣っている。
仕方ないだろ、村にはこんな色っぽいお姉さんなんて居なかったぞ。
村を出てまだ数日なのにおやぁ〜何とか言いながらお菓子を勧めてくるおばちゃんずが懐かしく思えてくる。
だが流石都会の女性かな。
「まぁ最初は冒険者にはランク分けがあり受けられるクエストが違う事、一般人への危害は御法度な事、クエストの内容が実際と異なっている場合は撤退し報告が推奨されている事の3点を覚えていればOKですよ。」
きっと惚けて何も聞いていない駆け出しに慣れているのだろう。
そう言ってさりげないフォローをいれてくれる。惚れそう。
そんなかんやで登録を完了し冒険者登録証を受け取った。
新品の登録証が輝いている。
(うはぁ〜…嬉しい…念願の冒険者だ!)
心の中で変な声が漏れ出る。仕方ない、嬉しいんだから。
「そうそう、言い忘れていましたが悪魔の発見報告は必ずしてください。特に二つ名がある悪魔など有名なものは報告だけでも報酬が支払われる事があるのでお願いしますね。」
そう言ってウインクする。
「まぁこっちに悪魔が来る事なんてそうそう無いですけどね。」
まるで2人だけの内緒話のように小声で耳打ちしてくる。
耳に吐息が掛かる。
自分の耳が熱を持つのがはっきりとわかる。
きっと真っ赤になっているのだろう。
これは受付嬢さんが男を誘惑するサキュバスでした♪なんていう前振りだろうか。
すっかり骨抜きになっている自分を見てニコニコ笑っている。完全に弄ばれている。
でも…嫌じゃないです…。このシチュエーション。
「でも…どうやって見分ければいいんでしょうか?」
そう言って取り繕いつつ疑問を口にする。
確かに悪魔の存在は一般的だ。
普段は魔界にいるが、地続きな為国境警備をすり抜けいつの間にか紛れ込んでたり、召喚によって呼ばれていたりと侵入の手段は様々である。
「魔力の質が違うから一発で分かりますよ。重々しいというか何というか…あっ喩えるなら人間の魔力が白ワインで悪魔は赤ワインみたいな!」
何とも大人っぽい表現で説明してくるがワインなんて飲んだことがないから違いが分からない。大人っぽい味のブドウジュースだろうか?
大人っぽい味ってそもそもよく分からないけれども…。
人によって辛いとか甘いとか苦いとかいうから結局味のイメージが湧かないんだよな…。
そして決まり文句はこうである、お前も大人になれば分かるさ、と。
口を揃えてガハハと笑う村の大人達とのやりとりが脳裏に浮かんでくるが受付嬢さんは上手い事を言ったと言わんばかりにドヤ顔である。可愛い。
「それに悪魔は魔力量や一度の放出量が人間より遥かに多いのも特徴ですね。だから魔力障壁で攻撃の勢いを削がれちゃうから対悪魔戦は長期化しやすいんですよねぇ…。」
悪魔も人間も魔力を放出する事で攻撃の勢いを削いだり、使い方によっては魔法耐性を一時的に上げることができる。
勿論魔力総量や魔力の扱いにどれだけ長けているかによって放出量や障壁の強度に違いがあるが、悪魔の中には攻撃を完全に遮断してくる奴もいるからたちが悪い。
ただこれは魔力消費が激しい為人間はどちらかというと防御魔法などで工夫する事が多い。
詰まる所、魔力量に物を言わせたゴリ押しスタイルが悪魔、人間は魔法や武具による創意工夫とパーティーでの役割分担でカバーと言ったところだ。
これだから脳筋は嫌なのである。こっちの努力を地力で上回ってくる。厄介極まりない。
「でも、人間に擬態している時は魔力の質も外見的にも全く分からないんですよね…。
その分と言っては何ですが力も殆ど出せなくなるらしいですよ。肉体も人間の物に置換していますし、魔力で身体能力の補助を行うにしてもそもそも魔力があまり出せないですからね。」
擬態中は赤ワインを白ワインに変換する必要があるから魔力を一気に出せないという事だろうか。確かに赤成分をろ過するのは時間がかかりそうだもんなぁと納得する。
「ふふっ、それでは良き冒険者ライフの門出となりますよう。」
そう言って彼女ははにかんだ。