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◎生きづらい現実があったのなら…

作者: 藤雅

◎生きづらい現実があったのなら…


自殺をするのは人間だけだと言う。

レミングと言うネズミ科の動物が集団自殺すると長年言われ続けているが実は自殺ではなく移動中の事故なのだと最近になって知った。


しかし飼い主が亡くなってから食事を摂らなくなり結果的に死に至る飼い犬や狼に襲われた羊の群れのうち1番強い個体が盾となり他の羊を逃すと言った行為が見られることも彼らが死を認識しているか否かは別としてまた事実である。


よってこれらの行為も結果的には自殺と捉えられなくはないのである。


つまり人間以外は自殺をしないと確証は科学的に証明されているわけではないと捉えることが現時点では1番正確な認識であろう。


ともあれ日本においての自殺率は先進諸国でも高くとりわけ二十代三十代の死因のトップが自殺であることは日本の未来にも関わる重要な課題である。


自分で自分は殺せない。

何らかのストレスや環境が原因として必ずあるはず。

専門医にかかるべき。

専門医にかかることはなんら後ろめたいことではない。風邪をひいたり歯が痛むことと別次元のものではないはずなのだ。


美容整形でそうありたい自分に変わる事を積極的に行っている人もいる。


専門医にかかりあるべき自分になれる可能性を見出すのも手段に違いないのである。

誰かに手を差し伸べることが出来たら…と思うのである。


命を奪いかねない状況から逃げてしまうことは誰からも咎められることではないとも考える。であれば『逃げる』という手段も取るべき方法の一つではないか。


例えば自分の周囲に刃物や拳銃といった凶器を持った人間が居たら普通は防御するかその場から逃げようとするだろう。

逃げられない状況があるとすれば、

①その場から動けない物理的な支障がある。

②自分以外に守るべき者や物がいる(ある)ため逃げられない

③恐怖や不安から心理的に硬直してしまい結果的に体が動かない

等が想定される。

これらの要因を自殺せざるを得ない逼迫した状況と比較した時やはりそれらを回避する為にはやはり『誰かに相談する』『医療機関にかかる』などの手段を取ったり『その場から逃げるという選択』をとることは妥当であると考える。

 簡単にはいかないこともあるであろう。

殊に正義感や責任感の強い人柄の方は『逃げる』という選択氏はチョイスしづらいのかもしれない。

「誰かに迷惑がかかる」「自分さえ我慢すれば…」といった思考が強く働くことが予測できからである。

しかし『逃げる』という選択を選んだ後『命』を潰えさせなければその後にきっと『補填』はできるはずなのである。

『逃げる』ことによって生じたデメリットを完全に『補完』出来なかったとしても『生き残ること』でその後の選択肢は生まれてくる。

『逃げる』ことによって『選択肢』は狭まったとしても『選ぶ』ことが出来るのである。


『死』が完全なる『無』であり『終末』であるとは思えない。

自身の『死』の後に残された『家族』や『周囲の人間』からはその存在が『無』なることは到底ないのである。


生きることが辛すぎる

『死』を選ぶ

決して責めることはできない逼迫した状況であることは間違いない。

『今すぐ死んでしまいたい』

そんな追い詰められた精神状況の中では誰が何を言ってもきっと琴線に触れることはないのかもしれない。


しかし一度大きく深呼吸をして遠い未来に目を向けてほしい。

人生100年と言われるようになったが逆にどんなに頑張っても100年ほどしか生きられないのである。


今あなたの年齢が20才なら後80年ほど

50歳なら50年

60歳なら40年…

80年も!50年も!40年も!

この辛い状況に耐えろというのか!

と思われるかもしれない。

また辛い状況にあっては時の流れは悠久とも思えるほど長く重いものであったりするかもしれない。

そうであればそれを逆手にとってその時間を『選択』出来る時間にしてみてはどうだろうか?

今まで生きてきた時間を振り返ってみて欲しい。

20歳なら20年間

50歳なら50年間

過ぎ去った時間の流れを体感することはなかなか難しい。

私たちに現に体感することが出来るつまり存在するのは『今』だけなのである。

子供のころのことがほんの少し前のことに思えたり

20歳のころがつい昨日のことに思い出されたりしないだろうか?


時の流れを正確に体感することは困難である。

それは『死にたくなるような状況』にあることと似ているともいえる。

自身を取り巻く時間の経過や状況の把握は客観的、合理的に判断することは極めて困難だという点において。

殊に精神的にゆとりがないときはなおさらである。


『辛い時間』を『選択』する時間に引き換える為にもやはり『誰か』の支援は必要なのである。そこされているであろうわずかな時間を『生きる』という『選択』に変えることが出来ればきっと目の前の景色は少しずつ変わってくるはずなのである。


『行動』することで事態はきっと変わる。

しかし『行動』することがままならない状況であったのなら躊躇せず誰かの『手』を借りて欲しいと思うのである。


きっと『力』になってくれる『誰か』がいます。

きっと『何かが』『少しずつ』変わって…

『目の前の景色』が変わってくると思うのです。


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