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送辞のない答辞

作者: 青木優倭

「ねぇ、どうして? どうして私たちは、こんなに呆気なく、見送ってくれる人もいない場所で、卒業しなくちゃいけないの?」

「……仕方ないんだよ。だれも悪くないんだからさ」


 非常に強い感染力を持つウイルスが、日本に上陸した影響で、日本は今大混乱に陥っている。医療機関もまともに機能しなくなりそうな気配がして、SNS上では日本の終わりだ、なんて揶揄されてすらいる。そんなウイルスに対し、政府は何の対応策も打ち出せないまま、もう1ヶ月以上が過ぎた。既に日本中に拡大したウイルスは、依然としてその勢力を強め、正に今、日本全国が侵食されていくその一歩手前だ、というところまで既に来てしまっていた。


「私、卒業生代表に選ばれて、悩んで悩んで、答辞を考えたんだよ? それなのに……聞いてくれる人は、誰もいないんだよね……」

「……ああ、そうなるね」


そんな混乱が続く中、昨夜の事だった。SNSが急に賑わい出したと思ったら、クラスのグループにあるネットニュースのスクリーンショット画像が送信されたのだ。『全国の小中学校・高校を来週より休校とするよう要請する』……そんな内容だった。ならば、来週に予定されていた卒業式はどうなるのか。その話題でクラスのグループはその日活発に活動した。そして、その問いの答えは今日のHR中の校長先生からの放送により告げられた。


『ウイルスの拡大につきまして、政府は先日、全国の小中学校・高校を来週より休校とするよう要請しました。これにより、来週の卒業式についてですが、卒業生と先生方のみでの式とさせていただく判断を致しました。なので、在校生は当日自宅学習となります。また、卒業生の保護者の方についても、出席はご遠慮頂くことになります。誠に残念ではございますが、これもウイルスの拡大を防ぐために行える最大限の処置でありまして——』


現場は相当な混乱を極めていた。政府の要請は、本当に唐突な通知だったのだ。よりにもよってこの時期に——多くの学生がそう思った。どこの地域でも、今は卒業式シーズンなのだ。今じゃなくても——そんな声があちこちから聞こえた。僕の横にいる彼女——佐藤恵(さとうめぐみ)もまた、そう寂しく訴え続けるクラスメイトの一人だ。しかし、どれだけ僕らが騒ぎ立てようと、政府も苦肉の策だったのだろう。国のトップが決めた事に、たかが一高校生たる僕らが意見できる事など何一つとしてなかった。


「お母さん、お父さんにも、今まで育ててくれてありがとうって……そう言いたかった。家じゃなくて、他でもない、卒業式って舞台で……卒業生代表って立場で……私、立派になったんだよって。もう心配いらないよって……。堂々と笑顔を見せてあげたかった……」

「……うん、分かるよ」

「……ねぇ、優生(ゆうせい)くん……。優生くんは、どう思う……?」

「……どうしようもないさ。僕らは、どこにでもいるただの高校生なんだから」


自分でも、冷たい言葉だな、と思った。どこか俯瞰していて、達観しているような自分がいる事を感じていた。


「私は……私は嫌だよ……。だって……このクラスが、この学年が、みんなのことが……大好きだったからさ……」

「……うん、そうだね」


彼女は泣いていた。隣にいる僕の目なんて気にしないで、寂しく嗚咽をあげていた。整った顔立ちも今は面影一つなく、髪は乱れ、涙や鼻水で顔中ぐしゃぐしゃだ。これがあの佐藤恵なのか、きっと彼女のことをよく知らない人が今の彼女を見れば、そんな感想を抱いたことだろう。


「おい君達ー、いつまで教室に残っているんだ。もう完全下校の時刻は過ぎているぞ。早く校舎から出なさい」

「……はい」


そしてとうとう見回りに来た先生に見つかってしまった僕らは、あえなく校舎の外へ出るよう注意されてしまった。土日を過ぎれば、月曜日にはもう卒業式だ。せめて、卒業式前最後の登校日くらいはもう少し——そんな願い一つ叶えられないほど、僕たちの力なんてちっぽけなものなのだ。


* * *


「なんだか恥ずかしい所を見せちゃったね……」

「……ううん、それが普通だよ」


 校舎を出て、少し二人で遠くの公園まで歩いてきた。歩きながらも涙を流していた彼女に、周囲の人々は奇異の視線を向けてきたが、周りなんてどうだっていいことだ。そんな彼女も、公園に着く少し前にはとうとう泣き止んだ。そして、今に至る。


「優生くんはさ、高校、楽しかった?」

「……うん、楽しかったよ」


楽しかったのだろうか。ああ、楽しかったに決まっている。友達もたくさんできた。先輩とも後輩とも仲良くできた。高校2年の頃半年だけの事ではあるが、彼女もできたことがある。いい経験をたくさんした。だから、そうだ。楽しかったとも。


「だったらさ、思い出話をしない?」

「……思い出話?」

「うん。私と、優生くんが出会ってからの事」

「……僕と、君が?」

「最初は……そう、私が学生証を落としちゃったのを、優生くんが拾ってくれたんだっけ」

「……ああ、そんなこともあったね」

「それから……特にクラスが同じわけでもなかったから、暫くはお互い名前も知らないような関係だったね」

「……そうだね」

「それで……私が高1の冬休みにバイトを始めたんだ。そしたら、そのバイト先が優生くんと本当に偶然同じ場所で。それから、今みたいに話す関係になったんだよね」

「……うん」


意味もなく、彼女は僕たちの思い出を振り返った。僕は、ただ相槌を打つだけだった。何を言えばいいのか、分からなかったのだ。懐かしいなあと、ぼんやり思い返すこともあった。でも、どこかやはり他人事のようで。雰囲気に浸ることができなかった。


「優生くんさ、多分私より寂しがってるんでしょ」

「……どういうこと?」

「だって私、覚えてるんだ。そんな昔のこと覚えてるなんて気持ち悪い、とか言われちゃったら傷つくんだけど……」

「……何を?」

「優生くん、私と初めてバイトのシフトが同じになった時に言ったんだよ」


彼女はまるで悪戯っ子のように、口元を歪めて笑ってみせた。それと同時に見せた、道化師のような仕草が印象的だった。


「“今がずっと続けばいいのに”……って」

「……」

「あはは、覚えてないフリしなくていいんだよ。そんなに長い付き合いじゃないけどさ、私、分かるんだ。優生くんと一緒に過ごしてきた時間で、私もたくさん成長できたからさ」

「……君は本当に凄いね」

「……ふふ、私には勿体無い言葉だよ。だって、優生くんの方が、私より何倍も凄い人なんだから」


全部、見透かされているような気分だった。他人にここまで心の内が覗かれているような心地、普通なら快いものであるはずがないのに……なんだか、あたたかくて、それがとても心地よかった。日干しした後の布団みたいな、ポカポカした、陽気な感じが心に流れ込んできたんだ。


「ねぇ優生くん。私、まだ諦めてないよ」

「……何を?」

「またまた、分かってるんでしょ?」

「……はは、まぁね」

「ふふ、流石だね。優生くんには、私の考えてることなんてお見通しなんだ」

「……君の方こそね」

「もちろんだよ。……卒業式、答辞読むからね」

「……送辞のない答辞か。それも悪くないんじゃない?」

「ありがとう。でも、送辞はちゃんとあるよ」

「……ああ、そうだね」

「……また、私の考えてることが分かっちゃったの? 本当に凄いね、優生くんは」

「……分かるよ。だって、僕も同じだから」

「同じって?」

「……言わなくても分かるくせにな」

「あはは、バレちゃったか」


お互いに、詳しくはあえて語らなかった。だって、分かってるから。一緒に過ごしてきたのは、たった2年弱と短い時間だ。それでも、密な時間だった。そんな時間も、もう終わる。僕たちは、卒業するのだから。


「優生くん」

「……何?」

「私の名前を呼んでくれないかな」

「……恵」

「なあに?」

「……なんでもない」

「もう、そういうところは凄くない」

「……そう言われてもね」


他愛もないやりとりを重ねて、ここまで過ごしてきたんだ。なら、きっと最後までそれでいい。


「優生くん」

「……今度は?」

「今夜は月が綺麗だね」

「……星の方が綺麗だよ」

「……あはは、寂しいな」

「……変に捻った事を言うから、戸惑ったじゃないか」

「そんなこと言って、断り方もバッチリ知ってるんじゃん。優生くんって、もしかしてプレイボーイなの?」

「……失礼な。僕に彼女がいたのは、高2の半年間。あの時だけさ」

「むぅ……それだけの経験値でサラッと受け答えしてきたの? やっぱり優生くんはどこか変だよ」

「……変? 変か……そうかもしれないな」


彼女に言われた言葉がどうにも可笑しくて、面白い話をされたわけでもないのになぜか笑ってしまった。空は雲に覆われて、月も星も何も見えないというのに、彼女はああやって切り出してきた。だから、僕も雰囲気を壊さないように受け答えをしたつもりだったが……どうやら、これは彼女に一本取られたみたいだな。


「ねえ、優生くん」

「……まだ何かあるの?」

「この土日でさ、私、優生くんにも答辞を書くよ。月曜日の午後、卒業式が全部終わって、みんなで自由に写真とか撮り合ってるタイミングでさ、ちょっとだけバレないように抜け出して、優生くんだけの為に答辞を読むんだ」

「……面白い発想だね」

「だからさ、優生くんには送辞を読んで欲しいの」

「……僕が送辞を? 僕だって卒業するんだけど」

「細かいことはいいの! ……ダメかな? これが本当に私の最後のおねだりだから……聞いてもらえないかな?」

「……分かったよ。考えてくる」

「……ありがとう!」


そう言って笑った彼女があまりにも眩しすぎて——月なんかより、君には太陽の方が似合ってるよ、なんて、クサい言葉を思いついてしまった。当たり前だが、口になんて出さない。それにしろ、それは“お断り”だ。


「今日はもう遅いから、そろそろ帰ろっか」

「……そうだね。家まで送るよ。近いでしょ?」

「近いからこそ、わざわざ送ってもらわなくても大丈夫だよ?」

「……まぁ、そうかもね。それじゃあ僕は先に帰ろうかな」

「またまた、そんなこと言って、やっぱり送って行ってくれるのが優生くんだよね?」

「……そうだけど」

「ふふ、分かってるんだー。優生くんは優しいからなー」

「……なんだよいきなり。やけにテンション高いじゃないか」

「いいんだー! 気にしないで! ささ、帰ろう!」

「……ああ、帰ろう」


どうして彼女のテンションがいきなり高くなったのか。分からないフリをしたつもりだけど、本当は全部分かっていた。そして、きっと彼女の方は、僕が分かっていないフリをしていることを分かっているだろう。だって、僕たちはお互いに分かっているから。お互いが、お互いのことを。大袈裟かもしれない。いや、きっと大袈裟なんかじゃない。僕たちは分かりあっている。でも、それももう終わりだ。卒業式が終われば、もう話す機会はなくなっていき、次第に相手の事なんて忘れあっていく。そうやって、僕らはまた新しいステージに進むのだ。せめて進路が同じであれば良かったのに。どうして僕はそんな事を考えているんだ? 分からないな。彼女のことの方がよっぽど分かっている。自分自身のことは、昔からよく分からないままだ。卒業したら、少しは分かるようになるのだろうか。彼女を家まで送る途中は、ずっとそんな事ばかりを考え続けていた。


* * *


 月曜日になった。卒業式当日だ。この土日で、彼女に言われていた“送辞”はしっかりと僕なりに考えて書いてきた。きっと彼女も納得してくれるだろう。それくらい、自分としては良い出来だ。


「優生くん!」

「……なんだ、君か。いきなり驚かさないでくれ」

「あはは、ごめんごめん。今日で最後だからさ、一緒に登校したいなって思って」

「……それでわざわざ待ってたの? 君の家、逆方向だろう?」

「まぁね。最後くらいいいじゃんっ。ほら、一緒に学校行こ?」

「……まぁ、最後だからな。うん、行こう」


僕たちは同じ歩幅で歩き出した。これで最後となる、高校への登校という普遍的なイベントに、ちょっぴり思うところを感じながら。


「ねぇ、ちゃんと書いてきた?」

「……何を?」

「もういいってそれ。送辞! 書いてきてくれたよね?」

「……あー、忘れてた」

「嘘つかない!」

「……バレたか」


また、いつものようなやりとりを繰り返しながら、ゆっくりと足並みを揃える。少しでも長く歩いていたかった。なぜか? 知らない。でも、もう少し彼女とこうして話していたかった。


「どう? いいのができた?」

「……ああ、バッチリね」

「わぁ、楽しみだな。優生くんが自信満々な時って、失敗した事ないもんね!」

「……そうだったか?」

「そうだよ。優生くんは凄いんだから」

「……そうか、ありがとう」


——君は、いいのができたのか? なんて、聞く気がしなかった。だって、分かってるから。君のことなら、僕は大体分かってるんだ。だから、教えてよ——僕自身の事。僕より僕を知っている君に、教えてもらいたいんだ。


* * *


「最後くらい、しっかりとした出欠確認をしようじゃないか。出席番号順に名前を呼ぶから、元気な声で返事をするように!」

「なんすかそれ、小学生みたいっすね!」

「構うものか。卒業したらお前たちは進学する奴も、就職する奴も、皆平等に世間からは社会人として見られるようになるんだ。せめて卒業前くらいは小学生に戻っても誰も咎めやしないさ。

飯田(いいだ)、出席番号はお前が1番だろう? さあ、みんなの手本になってやれ!」

「それもそうっすね……。そんじゃ先生。いい感じの雰囲気でよろしくっす!」

「よーし! 出席番号1番……飯田良平(いいだりょうへい)!」

「はいっす!!!」

「次! 出席番号2番……井上昂也(いのうえたかや)!」

「はいっ!」


 登校して、廊下で彼女と別れ、それぞれ自分のクラスに入った。クラスの友達と他愛のない話をしながらHRを待った。そして、チャイムの音を皮切りに、最後のHRが始まった。なんだか少年漫画のような展開だ。担任は、熱血で面倒なところもある人だったけれど、いい人だった。この学校は、校舎が古くてたまに雨漏りしている場所もあったけど、それでもやはり、いい学校だった。とても充実していた学校生活だったなと、卒業式前にしみじみと浸ってしまう。そうだ、いい3年間だった。


「出席番号28番……星野優生(ほしのゆうせい)!」

「……はい!」


自分にできる精一杯で、元気よく返事をした。そんな表面上とは裏腹に、僕の心は昂らなかった。


* * *


 卒業式は、体育館を広く使って、学年全体で行った。本来なら教室で各クラス毎に卒業証書を渡して少し談笑するくらいの規模にする予定だったらしいが、卒業生代表である彼女の『せめて卒業生たちは一緒に卒業の瞬間を迎えたい』という強い要望により今の形が採用された。保護者すら呼ばずに式を執り行うほど徹底している割には、意外とすんなり要求が通ったものだなと感心する。それも、彼女が日々努力してきた賜物かなとも思った。信頼されているのだろう。


「それでは卒業証書授与式を始めたいと思います。卒業生、起立。礼……。着席」


一見意味のなさそうなこの動作も、もうすぐ終わりなのだと思うとしっかりやらないとなという気になる。そして、式は滞りなく進み、1組から順に卒業証書授与が始まった。僕は8組、一番後ろのクラスだ。ちなみに、彼女は1組の16番だ。だから、もうすぐ名前を呼ばれて卒業証書を受け取る事になる。式が終わるまでは卒業とは言えないかもしれないが、僕はなんだか彼女が先に卒業していってしまうような心持ちがした。そして、その瞬間をしっかりと見届けたいなと思った。だから、眠い目を擦りながら、意識を確かに保って前を向いた。


「佐藤恵」

「はい!」


堂々とした、彼女らしい返事だ。歩き方も様になっている。流石は卒業生代表だな。凛々しい表情で校長先生の元へ歩いて行く姿は、やはり太陽と表現するに相応しいように感じられた。


「……」

「……」


校長先生の方へ向く前の一瞬、彼女がこっちを向いて笑ったような気がした。でも、眩しすぎて見えなかった。その後は特に何事もなく、彼女は卒業証書を受け取り、階段を降りていった。もう目元には涙が溢れそうになっていたが、彼女は必死に堪えてそれを溢さなかった。そして、自分の席へ戻っていった。


 それから長い時間が経っただろう。彼女以外が卒業証書を受け取る姿は、どれも普遍的で何も感じなかった。次は僕が呼ばれる番だ。彼女の前だし、情けない姿は見せられないな。それに、これで最後だ。悔いのないようにしないと。


「星野優生」

「……はい!」


また、同じだ。HRの時と何も変わっちゃいない。表ばかり元気良く返事をしているのに、内側は冷めきっている。もう終わりなのに。これじゃ悔いが残ってしまう。嫌だな。でも、どうすればいいのか分からないな。


「……」

「……」


僕も彼女に倣って、一瞬彼女の方を見た。一瞬だったから間違っているかもしれないが、彼女と目があった気がする。彼女は、僕の方を見ているのだ。僕がそうしたように。だから、僕も何事もなく卒業証書を受け取って、階段を降りた。涙は、出なかった。


* * *


「それでは最後になりますが、卒業生代表の佐藤恵さんに、答辞を読んでいただこうと思います」


 送辞もないのに答辞かよ——周囲からそんな声が漏れた。聞き捨てならなかった。送辞はある。目には見えないかもしれないが、僕らの卒業を祝おうとする気持ちが確かにそこにはあるのだ。それが見えないなんて、可哀想な奴らだ——なんて、僕は何様のつもりなのだろう。余計な事を考えるのはもうやめよう。彼女が壇上に立って、こっちを見ている。答辞が読み始まれた。定番な季節に関するフレーズを読み終えると、彼女はより詳しい内容に踏み込んでいった。部活で支えあった後輩・同級生との思い出、受験勉強を熱心に指導してくれた先生方への感謝、それ以外にもたくさんの話をしていた。それから、彼女の表情が少し硬くなって、両親への感謝の気持ちを述べ始めた。


「私は、この場をお借りして、両親に胸を張って“ありがとう”と伝えるつもりでした。しかし、このような事態になってしまい、それは叶わない夢となってしまいました」

「……」


先生達の表情も強張っている。遣る瀬無い気持ちで心が締め付けられでもしているのだろうか。このような形になってしまった事は、現場には何の非もない。だからといって、政府が100%悪いのかといえばそうでもない。全部、このウイルスが悪いのだ。誰も悪い人はいないのだ。


「確かに、この場に両親はいませんが……それでも、この声が自宅まで届くように、やっぱりこの場をお借りして、精一杯私の想いを伝えようと思います。居もしないのに……そう迷いましたが、それでも口にするべきだと思いました。個人的な内容で、ちょっと砕けた言葉を使うことをお許しください」


ゆっくりと、言葉を紡いでいく。


「お母さん、お父さん。私、立派になったでしょ? ……たくさん友達ができて、いっぱい支えてもらったから、私は今、こうしてこの場に立っているんだよ。二人に、この景色を見せたかった。それも、叶わなくなっちゃったけど……仕方ない事だから、帰ってからゆっくりまた家族で話そうね」


ポツリ、ポツリと言葉が紡がれていく。それは本当に個人的な内容だったのかもしれないが、先に答辞をやる事について物申していた彼も、どこか思いつめたような表情で彼女の方を見つめていた。それほど、彼女の答辞は普遍的で、それなのに心に響いて。この姿を彼女の両親にもし見せられたなら、間違いなく立派になったなと感じてくれるだろう。そう、思った。


「このような形ではありますが、これを卒業生代表、佐藤恵の答辞とさせていただきます」


彼女は、涙を溢さなかった。目元に液体がうるうると溜まっているが、あれは涙なんかじゃない。きっと答辞を読みながら、先生の隙を見て目薬でも差したんだろう。だから、あれは涙じゃない。彼女は、最後まで立派にやりきった。成長した姿を、卒業生と教職員全員の前で示したのだ。それがなぜか僕にとっては嬉しい感じがして。僕の方が泣いてしまっていた。こんな顔、彼女にだけは見せられないな。涙を持っていたハンカチでそっと拭って、バレないようにポケットに戻した。壇上で、また彼女がこちらを向いた拍子に目があった。お互いに、目が腫れていた。なんだか、可笑しかった。


* * *


 卒業式が終わった。これから、各教室に戻ってそれぞれクラス写真を撮ったら、後は自由解散である。そんなわけでクラスに戻ろうという矢先、彼女がわざわざ僕を追いかけて話しかけてきた。


「優生くん、あの……どうだった?」

「……何が?」

「ねえー!」

「……ごめんって。良かったよ。最高だった」

「……ほんと? ほんとに、最高だったって思った?」

「……うん。恥ずかしげもなく言えるよ。君は凄いな。最高の答辞だった」

「……っ、あはは……ずるいなぁ……ほんと……。優生くんに、そんなこと、言われたらさ……」


……もう何も、言わなかった。彼女なりに、我慢していたのだろう。必死に、堤防が壊れないように、ダムに水を溜めて。だが、それももう限界だったみたいだ。


「もう、泣いてる顔なんて……見せたくなかったのにぃ……」

「……泣いたっていいじゃないか。今日は卒業式なんだからさ」

「……うぅうぅ……わああぁぁぁぁあああああああ!」


彼女は、大きく声をあげて泣いた。さっきまではあんなに立派に成長した姿を見せていた彼女が、今はこんなにも幼い子のような泣き方で弱々しく肩を震わせている。立派になった姿を示した後だからこそ——泣き顔はもう見せたくなかったんだろうな。


 彼女の肩を抱いて、暫くそうしていた。そうしたら、先生がやって来て、「どうしたの?」と聞いた。「大丈夫ですから」と答えると、先生は心配そうにしながらも、僕たちから離れていった。もう、みんな教室に戻っている。クラス写真を撮る準備に入っているくらいの時間だろうか。まぁ、別にこのままここにいたって構わない。彼女がよければ、だが。


「……集合写真、いいの? 僕は構わないけど」

「うん……いい。こうしてる方が……いいもん」


……むず痒かった。面と向かってはっきりと言われると、どうも落ち着かない。でも、彼女がこうしていたいと言うのなら、まぁいいだろう。いい大義名分ができた。もう少し、僕もこうしていたかったんだ。君が落ち着いた後も、少しでも長く——はは、何考えてんだか。これじゃ、金曜日に彼女に“お断り”を叩きつけた示しがつかないじゃないか。……でも、そんなことはどうでもいいか。彼女の答辞が、僕の気持ちを変えたんだ。そういう事にしておこう。だからもう少し、もう少し。最後くらい、僕の願いを叶えてくれ。


* * *


 どれくらいの時間が経っただろう。分からないが、生徒のガヤガヤとした声が遠くから聞こえてくる事を鑑みるに、もうクラス写真は撮り終えて自由解散になったくらいのタイミングなのだろう。後は皆、自由に撮りたい人と写真を撮ったり、改めて校舎の中を一回りしたり、教室で仲のいいメンバーと固まって談笑したりと、過ごし方は様々だ。もちろん先に帰った人たちもいるが、少数派である。そして、僕と彼女もその少数派に含まれる。校舎を出て、また金曜日と同じ公園まで一緒に歩いて向かった。一丁前に、手なんかも繋ぎながら歩いてみたりした。凄く恥ずかしかった。でも、この上ないほどの幸せを感じた。あんなにあっさりと“お断り”をした奴が、随分と都合のいいものである。彼女には悪いことをしたな。これからたくさんお詫びをしていかなきゃと思う。兎にも角にも、僕たちはあの公園に到着して、2人で桜の木の下にあるベンチに腰掛けた。ここなら、ゆっくりと話ができるだろう。周囲には誰もいない。ツイてるな。


「優生くん」

「……どうぞ」

「私……今すっごく幸せだよ」

「……うん、僕もだよ」


ありきたりな言葉が、自分のことになると物凄く重い言葉のように感じられた。ただ自分の気持ちを言い合う、それだけのことなのに、どうして僕は今までそれをしなかったのだろう。いや、違うな。しなかったんじゃない。できなかっただけだ。


「じゃあ、聞かせてくれるかな。もう、“何を?” はナシだからね」

「……分かってるさ。僕から、君へ。送辞を読ませてもらおう」

「うん……楽しみだな。優生くんが自信満々な送辞」

「……あまりプレッシャーをかけないでくれよ。さっきの君の答辞を聞いたら、自分の送辞なんてちっぽけで情けないもののように感じてきた」

「それは褒めすぎだよ。優生くんの送辞、絶対に私よりいいこと書いてあるもん」

「……まぁ、期待を裏切らなければいいけど。それじゃ、読むよ」

「うん!」


紙を持つ手に力が入る。何を震えているんだか、僕は。彼女は、卒業生全員の前に立ってもあんなに堂々と答辞を読み上げたというのに。やっぱり、本当に凄いのはいつだって君の方だよ。恵——僕は内心、君に憧れていたのかもしれないな。


「恵。君はいつだって僕の憧れだった」

「……うん」


実は、僕は送辞を書いてきたとは一言も言っていない。手に持っているのはただの白紙だ。きっと彼女が卒業式で答辞を読む姿を見れば、色々感じるところがあると思ったから——ある程度のコンセプトは決めてきたけれど、話す内容は全くのアドリブだ。だからこそ、思ったことを素直に晒け出せるという利点もある。きっと文字に起こしてしまえば、僕は本当に伝えたい事は何も伝えられないから。だから、これが一番いいんだ。


「君はいつだって僕を凄いと褒めたが、僕からすれば君の方が何倍も凄かった」

「……うん」

「君と初めて出会ったのは、春先の下校中。君が学生証を落として、僕がそれを拾って声をかけたのがきっかけだった。それから暫くは何も関わりがなかったけど、その冬に君が僕と同じバイト先にやってきた」

「……うん」


金曜日に、彼女が話した通りだ。僕はあえて今、また同じ話をしている。僕らの思い出話だ。心境が変わった今だからこそ、もう一度これを話したいと思った。


「君はバイトでミスばっかりしていた。その度に店長に叱られて、バイト終わりの帰り道で涙を隠して歩いてたのは今でも覚えてる」

「……あの時、優生くんがわざわざ家まで送ってくれて、ずっと励まし続けてくれたんだよね。……今覚えば、金曜日の放課後もあの時と同じだったんだね」

「あれだけ厳しい言葉を投げつけられても、君はバイトを辞めなかった。僕なら多分、直ぐに合わないなと判断して辞めていたと思う。その頃から、僕は君を尊敬していたんだと思う」

「……」


彼女の表情が変わった。驚いたような顔だ。“尊敬”……なんて言葉を使ったから、ちょっと重く聞こえているのかもしれない。でも、とりあえず話を続けよう。


「それから僕らはよく話す仲になって。冬休みには一緒に受験勉強会もした。僕は正直そこまで本腰を入れて勉強なんてしたくなかったけど、君がやけにやる気を出していたから仕方なく付き合ったんだ。それなのに——その冬休みは、今までのどの長期休業よりも楽しかった。充実していた」

「……っ」


彼女の表情は変わらない。変わらず、驚いたような顔だ。


「学校が始まってからは、毎日のように放課後先生の元へ勉強を教わりに行くものだから、僕もなんとなくそれに付き添って一緒に教わっていた。そうしていたら、受験当日は何の緊張もなく、スラスラと問題が解けた。志望校にも余裕を持って合格した。君と一緒に、特に力を入れた英語に関しては、センターで満点を取れたんだ。感謝している」

「そんな、感謝だなんて……優生くんの実力だよ」

「そうだ。僕の実力だ。君と一緒に伸ばしてきた、実力だ」

「……うん、そうだね」


彼女は微笑んで、肯定した。


「他にも君との思い出なんていくらでもあるけど、僕は僕が君に伝えたい言葉を早く伝えたい。金曜日、君と過ごした放課後に、君が僕に言った言葉——『月が綺麗ですね』という謳い文句に返す言葉を訂正させてもらう」

「えっ……? それって……」

「『君が照らしているからだ』……それが、今の僕が感じた素直な気持ちだよ」

「……それって……」

「最後まで、君はみんなの太陽だった。君が卒業式で答辞を読んだとき、僕はずっとそう思っていた。眩しすぎて、君が見えないとすら感じた。そんなみんなを照らす太陽である君が、あの満天の夜空を彩ったんだ。月は、太陽の陽を受けて夜に浮かぶ。あの夜に見えた月がいつもより美しく見えたのは、他でもない、君が月を照らしたからだったんだ」


なんて、クサい台詞だろうな。あの時の自分がこんなことを言っている自分を想像したら、きっと彼女を置いてさっさとその場から逃げだしてしまいたくなるだろう。それくらい小っ恥ずかしくて、キザで鼻に着く殺文句だ。何度も言うようだが、あの日の夜は雲に覆われていたため、星も、月も、何も見えやしなかった。それを踏まえてこんな台詞を吐いているのだ。僕も、彼女の陽を受けて変わったというところだろうか。


「……優生くん。私は——優生くんのことが好きだよ」

「僕もだ」

「優生くんは、月なのかもしれないね」

「そうかもな。太陽がいなければ、誰の目にも届かない……陽の光を受けて、初めて夜空の上で輝くことができるんだ。そういうのも悪くない」

「ふふ……これからは、もっともっと、私がいっぱい照らしてあげるからね。そしたら、優生くんはもっともっと輝いて、いつか私より眩しくなっちゃうのかもしれないなぁ」

「それは無理だよ。月は太陽より眩しくはなれない」


……話が逸れたな。まだ、送辞は締められていない。中途半端じゃ、終われない。最高の答辞を受ける準備を整えるんだ。


「僕はこれから、君にたくさん迷惑をかけるだろう。この通り面倒な奴だ。それでも——君と、なんでもない日を大切にしていけたらと思う。そしていつか……本当の意味で、僕は卒業するんだ」

「……うん!」

「恵……ありがとう。これからよろしく頼む。やっぱり、まずは君が先に卒業だ。卒業おめでとう。——んと、送辞終わり」

「……あはは、なんだか締まらないなぁ。ふふ、でも優生くんらしいな。ありがとう。こちらこそよろしくね」


言いたいことは言った。送辞というよりも、もはや新手のラブレターになっていたような気もするが……まぁ、どうせ君の為だけの送辞なのだ。これくらいの距離感でもいいだろう。こういう送辞でも許してくれるはずだ。……自分の言葉を思い出しただけで、恥ずかしくなるな。よくもまぁ、こんな青い台詞を口にして——あぁ、ダメだ。頭がクラクラしてくる。恥ずかしさのあまり蒸発してしまいそうだ。僕らしくもない言葉ばかり紡いで——彼女には、どう映っただろうか。


「優生くんの想いは伝わったよ。だから、私の想いも受け取ってほしいな。……聞いてる?」

「うん……聞いてる」


……なんの心配のいらないか。相手は、他でもない彼女なのだから。最初から遠慮なんていらなかったのだ。紙に書いてこなくて正解だったな。もし書いてきていたら、やはりきっと何も伝えられないままだった。たまには自分を褒めてやる。はは、よくやったもんだよ。大したもんだ、僕。


「それじゃあ……私の答辞、聞いてくれるかな……?」

「もちろん……聞かせてほしい」

「分かった。読むね。私から、君へ。優生くんの為だけに書いた、卒業式とは別の、もう一つの答辞。ちゃんとした送辞のある答辞だね!」

「はは、そうだな」


僕が返事をすると、彼女は満面の笑みを浮かべた。その姿が眩しすぎたから、思わず目を擦ってしまった。いけないな。彼女からの答辞を、集中して聞かなければ。見なければ。彼女の想いを知ることが、今僕にできる唯一の恩返しだ。例え今世界が滅んだって——これを聞き終えるまでは、何もない世界でだって生きてやろうと思った。君が、そう思わせてくれた。君のおかげで、僕は僕を知れた。ちゃんと、教えてくれたんだ。僕が、君を想う気持ちは、君から教わったんだよ。なんて、きっと彼女は言わなくても分かってる。だから、僕は彼女の事が好きだと胸を張れるんだ。まだ恥ずかしくて、口に出すのは躊躇うけれど。でも、確かな事だ。恵、ありがとう。僕は君を、愛している。


「私は、優生くんを愛しています」


答辞の始まりは、そんな僕の考えを分かっている君からのアンサーだった。送辞はそこにあった。まだ、終わらない。最後なんかじゃ、なかったのだ。それが嬉しくて。僕は脇目も振らず泣いた。君の驚いた顔はきっとこの先もずっと忘れない。そう、ずっと、この先も。続くのだ。終わりじゃなかった。


 恵が答辞を読み終えたら、僕はただ黙って、彼女を抱きしめた。彼女は、何も言わず、笑ってくれた。一筋の涙の粒が眩しかった。いつまでも続いていく道を、彼女と歩みたいと心から思った。もう一回だけ言わせてほしい。恵、本当にありがとう。人生最高の答辞を、ありがとう。

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