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ラブレターズ  作者: ニシザキ
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02

   国吉轍・1


 もうすぐ三月になるといっても、朝の冷えこみはまだまだ真冬だ。

 ふとんを出た時のひんやりとしたフローリングと居間の冷たさに体がふるえる。

 テレビをつけると、ワイドショーのキャスターが今日は風が強いと告げていた。定休日の水曜日、重い腰を上げてスイーツ巡りに出かけようというのに、この予報はあまりに酷だ。自分が寒さに弱いとは思わないが、長時間屋外で並ぶ時に風は堪える。

 カジュアルなシャツを選んで支度をする。以前、暗い色の服で並んでいたら店員に怖がられた経験があるため、少しでも柔らかい印象になるよう心がけている。

「慧一、もう出るぞ」

 寝室に戻って声をかけると、慧一はふとんの中でもぞもぞと身じろいだ。茶色い頭が濃紺のふとんカバーから這い出る。

「ん~……どこ行く?」

 顔は俺の方を向いたが、目は瞑ったままだった。行楽シーズンに伴う取材や新しいパッケージの打ち合わせなど、この一ヶ月、慧一は忙しく動いていた。加えて花粉症でだるいらしく、溶けるのではと思うほど休日は寝ている。

「駒沢のパティスリー510」

「うまそー」

 目を閉じたまま、慧一がだらしなく笑う。あと一時間はエンジンがかからないだろう、と想像して俺も頬をゆるめた。

「オレ、昼から代官山行くからさ……どっかで落ち合お」

「わかった、メールしてくれ」

「通知気づけよ」

 寝室から出ていこうとする時になってようやく慧一が気だるげに目を開ける。

 俺が小さく手を上げると、慧一はふとんからのそのそと手を出した。


 昔のアニメでよく見る変身能力があればどれだけいいかと、行列に並びながら毎度思う。

 黒や茶色の頭が一列に続く光景を見るのはいつも落ち着かない。それがカップルや若い女性で構成させているとさらに落ち着かない。たまにいる地元の老人に心の拠り所を求めてみるものの、向こうは俺を訝しげに睨んでくることが多い。好きなもののために毎回懺悔するのはおかしいと思いつつ、可愛くなくてもいいから若い女性に変身できたらどれだけ楽かと自分を慰めた。

 今日並んでいるパティスリー510は学生街の中にあるせいか、行列の年齢層も若かった。弾んだ高い声の中、俺は持ってきた文庫に視線を落とす。推理小説を読みたかったが、集中すると顔が険しくなるため行列には不向きだ。バイトの濱くんに勧められた、イラストがふんだんに入ったペットエッセイを持ってきた。和む。

 あたたかくなる心とは反対に、顔が寒い。長身のせいで行列から頭だけ抜き出ているからだ。風が強いとテレビで言っていたのは当たった。春一番とはいいがたい冷気に肌や耳がヒリヒリする。

 びゅう、とひときわ激しく風が舞った。

 バッと後ろ頭に何かが張りつき、反射的にそれを手で掴む。

「す、すみませんっ」

 正体がわかる前に、背後から声が飛んできた。

 振り返ると、俺の後ろに並んでいたのは少年だった。高校……中学生くらいだろうか。小型犬のように目が大きく、顔はまだ幼い。平日だが春も近いし、学校はもう休みなんだろうか。そのまた後ろを見る限り、一人で並んでいるらしい。

 俺は掴んだものを自分の目の前に持ってくる。コピー用紙には長い数字が印刷されていて、その下に式が書き足されていた。

「いや、大丈夫。宿題かな?」

 怖くないようにいつも使わない語尾にしてみて、自分の顔が渋くなるのがわかった。

 少年は特に気にする様子はなく、俺からプリントを受け取りはにかんでいる。

「はいっ」

 プリントをクリップボードにはさみ直し、少年はぺこりと頭を下げて宿題の続きを始めた。すきま時間をこの歳からマスターしていることに眩暈がした。俺が中学生の頃はもっとぼんやり毎日を過ごしていた。

 中学生の頃……まだ慧一とも会っていない頃。あと数年すれば、人生の半分を慧一と一緒にいることになるのか、と妙に感慨深くなってしまう。

 文庫に視線を戻す。ペットの犬や猫に対して阿吽の呼吸の筆者夫婦に、どことなく自分たちを重ねた。


「……あの」

 エッセイをあらかた読み終わる頃、再度後ろから声がした。

 体ごと振り返ると、少年の丸い目が見上げてくる。

「もしかして、先週jardin bleuに並んでました? おれも並んでたんですけど……人違いならすみません」

 人違いではない。先週の第五日曜日は定休日で、jardin bleuに慧一と並んでいた。

 取材が増えてきてから、慧一はしばしば俺をパティスリーの行列に誘う。どうやら雰囲気に慣らそうとしているのではないかと感じる。そうは言っても客やカメラの前に出る気はさらさらないのだが、どうにかしようと健気な姿を見るとその気がなくてもつい頷いてしまった。

 驚愕だ。おぼえられていた。いや、おぼえられるほど自分が異質だったということだ。やはり俺はスイーツのために並んではいけない人間なんだろうか、と罪をつきつけられた気持ちになる。

「並んでたよ」

 しかし、嘘をつくことではない。ここは素直に認め、少年の判決を待たなければならない。

 心の中で十字をきって手のひらを合わせる俺を前に、少年の顔がパッと明るくなった。

「やっぱり! スイーツ好きなんですか!?」

 きらきら輝く瞳は、何か大切なものを見つけた時に似ている。

「……ああ」

 本を読み終わり特にすることがなくなった俺は、少年との会話を続けてみることにした。お互いに一人、周りの華やかさに肩身の狭い思いをしている者同士、といったところか。

「君も好きなのか、スイーツ」

「はいっ!」

「今日は学校休みかな?」

「はい、テスト休みです」

 元気な声に、気持ちは穏やかになった。

 少年は俺について何も言わず「やっぱりミルフィーユ目当てですかっ?」と興奮気味に訊いてくる。

「ああ」

「おれもです!」

 高校の購買で見た慧一の笑顔を思い出す。大好きな菊ちゃんのフルーツサンド、その愛好家を発見し、喜びを共有した時の熱。

 つい嬉しくなって、俺は少年と開店まで話し続けた。


「おっすー。何? 結構並んだ?」

 待ち合わせの公園に行くと、慧一はベンチでまったりカフェラテを飲んでいた。足元にはブランドの紙袋がある、春物でも買ったんだろう。

 予告の時刻に遅れた俺は、ミルフィーユが入った箱を掲げて近づく。俺の分のカップを受け取ると、隣に座って一口飲んだ。あたたかい。

「いや、列で隣だった奴と話してた」

 俺の言葉に、慧一は「へえ」と眉を上げる。

 慧一が珍しがるのもよくわかる。俺自身も珍しいと驚いている。

「あの、よかったら今度、協力して並びませんか?」

 目的のミルフィーユを買い終わると、少年はスマホを俺に向けてきた。

 行列に並ぶほどのスイーツ好きならば、協力してより多くのスイーツを手に入れようという提案だ。俺が買ったミルフィーユは二人分、少年が買ったのも二人分、合計四人分のスイーツならば、厳しい個数制限の店以外はクリアできる。

 パティスリーの行列にいつまでも慣れない自身に躊躇していたが、ふと気づく。

 切り出した少年の顔は強張っていた。年の離れた俺に言うのに、どれだけの勇気が要っただろう。

「……ああ、いいぞ」

 断る理由はない。列に並んでいる間に、少年の人柄はわかっていた。

 気がかりなのは、自分が日々果の調理師だと気づかれないかということだったが。

 ――それに。

「パティスリー510のミルフィーユ! 夕飯なんだったら合うだろうな」

 慧一の笑顔を見ると、もっといろいろ持って帰ってやりたいと思ってしまう。

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