彼方編 新月の滝にて
説明口調が標準装備。
「この森…いえ、この滝には逸話があるのです。」
「その、月の姫っていうのが宿るっていう話?」
「はい。たけとり物語をご存じですか?」
「うん。かぐや姫が月に帰る話だよね。」
「その要約で間違ってはいないのですが……。ここの逸話は、そのかぐや姫の孫娘に当たる姫のものなのです。名を光夜姫、かぐや姫が晴れの満月の象徴であるならば光夜姫は雨のしんげつを象徴するのです。」
今日は時雨ではあるが、新月ではない。
ゆえにまだ姫が少年を見初める確率は比較的低いというが、まだ安心はできないと少女は漏らす。
少女に手をひかれつつ滝のわき道を登り、滝の源流であったであろうか阿波の岸辺を歩く。
「姫はこの地に降り立った時、帝と恋に落ちたのですが、かぐや姫とは違い迎えが来る前にこの滝に身を投げたのです。」
「え?!月の人って滝に身を投げたくらいでどうにかなっちゃうの?」
「いえ、それはさすがの月の人とも言いましょうか、身を投げた滝つぼの中で傷一つない姿で立ち上がったそうです。」
「こわっ。」
「それで、迎えがやってきたときにこう言ったそうです。」
少年は緊張した面持ちで少女の手を握る。
「この身がかの方と引き離されようと!わらわはこの地を縛り続けるのじゃ!何人たりとも邪魔はできぬ!」
少女の鬼気迫る迫真の叫びに、雑木林が揺れる。
むわりとした風が少年の頬を舐める。
「この言葉が、滝に呪いをかけたのです。」
「呪い……?まさかこの滝が枯れてるのって、」
「ご名答、新月の姫らしい一片たりとも水を残さない完ぺきな枯らし方です。」
感心する点ではない。
「これは姫が、帝と結ばれるまで水は戻らないとされています。帝は土葬されてっしまっているので、想定では二度と結ばれない。地元じゃ有名な仁連スポットなんですよ。」
「可哀そうな、って言えばいいのかな……?」
「彼女に対する評価は人それぞれなのですが、私もこの地には悲しみが漂っていると思います。」
「君は、どうしてそんな悲しみの地で剣を振っていたの?」
「それは……。」
少女の顔を覗き込むと、ふいっと視線をそらされる。
「私の祖先は、その帝の落とし胤とされているのです。
「それは月の姫の子孫ってこと?」
「……。いえ。」
「じゃ、あ。」
「帝が月の姫の面影を垣間見た、しがない地方貴族の娘です。」
「じゃあ、なおさらどうして。」
「いつもはここを避けてるんですが……今日は、呼ばれたような気がして。」
だれに、とは彼女は言わなかった。
だが、きっと月の姫にだろうとは容易に予想がついた。
「信じなくても、いいんです、けど。」
「ううん、信じる。」
きっぱりと言ってのける少年の声に、うつむきがちだった少女の瞳がまっすぐと少年をとらえた。
なんせ恋に燃える少年だ、きっと今彼女に1億ちょうだいと言われたら臓器を打ってでも応じるだろう、ちょっとだけスピリーバな話題を吹っ掛けられて信じないわけがない。
まっすぐに見つめ返されて少女は顔を赤く染めて、どぎまぎしつつまた目をそらした。
「それより、なんでこの滝を避けてるの?」
少女は背負った長剣の塚にそっと手を添えつつはにかむ。
「この、時雨の剣は光夜姫の遺物と言われてるんです。不思議の力が宿るとかで……。」
少女は不意に立ち止まってうずうずしたように、自慢するように少年を見つめて発表した。
「実は、さびないんです!」
岸辺の開けた空間に、少女の嬉々とした上ずった声が響く。
それを少年が愛おしそうに頷きながら聞くものだから、少女は耳まで赤くして手を振りほどいてまですたすたと歩いて行ってしまう。
「あ、待ってよ!」
「す、すみません。」
すぐに観念したように手を差し伸べてくれたので少年としては御の字なのだが。
「でも、この剣が唯一乞われるのが、この呪いの地だと言い伝えられていて……。でも、そんなことないって今日は照明もかねてここで修練していたのです。」
「なぁるほど。」
「さ、つきましたよ。ここが光夜姫の祠です。もとは、帝が崩御なさったあと遺品をお供えするために作られてそうですが、今は光夜姫への懇願の祠とされています。」
頬子らといっても、小さなお地蔵様のような何かに小屋が取り付けられているだけのようだった。
「気になってたんだけど、どうして光夜姫は少年を見初めるの?そういうセイヘキ?」
ぽっと少女は赤くなる。
少女は存外に初心なのだなと感心した。
「ひ、光夜姫は帝がまだ9歳の頃に恋に落ちたといわれています。若い少年には、どうしてもその影を重ねてしまうのでしょう。性ですきっと。」
なるほどショタコン。
「ですので、この少年はお手付きであると祠で証明しないといけないのです。」
人のものを盗らないのは光夜姫のポリシーらしい。
そこで少年はお手付きというワードに首をかしげる。
「お手付きってどういうこと?」
「その、えと、こ、こういうことです!」
少年が瞬きする間にもぷっくりと柔らかい何かが、少年の唇に触れるのを感じた。
唖然とした少年を置いて、少女は祠の前で身を屈め手をあわせた。
「おお、この地に宿る光夜姫さま、どうかこの少年の御霊をお見逃しくださいませ……。」
「あ、あの。」
「これで、終わりです。」
少年の思考回路が回復する前に少女は立ち上がってはにかんだ。
その月のささやかな光に照らされたその姿に、つややかな時雨の剣がうっすらと瞬いてまるで絵画のようね麗しさだった。
「は、あ、いやその、あ、ありがとうございます!!」
彼女のキスは、まるで少年の恋にガソリンをまくようなものだった。
もちろん、少年にとってご褒美以外の何物でもない。
「いや、先に何も言っていなくてごめんなさい。」
少女は胸の前で指同氏を絡めてもごもごとそういった。
「ううn、その、ほんとにありがとう!」
甘やかな雰囲気が流れ始めた、その時だった。
『ユルサヌゾ……』
「こ、この声……」
「気を付けて、多分光夜姫ですっ!!」
祠がガタガタと、動き出したのは。
「」
もう一羽だけ、彼方編が続きます。