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彼と私の想いちがい   作者: キャプ戸 理間
その一 悪魔達の絶望
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異形と人間

 小さな子供、子供を抱いてへたりこんでいる女、二人に大きく手を回す男。


 親子であろうか。


 三人ともに共通する家族の雰囲気がある。そしてその、よく似たみっつの顔は、それぞれ同じように表情を無くしている。真顔というのも違う。真っ白の表情。次の瞬間には全員泡を吹いてぶっ倒れてしまいそうな、とびっきりの怯え顔。死人のように蒼白で、老人にも似て呆けきった、まさに極限の表情。三人寄り添ってひとつの方向を向いてはいるが、隙あらば家族だろうがなんだろうが放り出して逃げ出そうという気配がある。


 父の威厳も母の慈愛も子の溌剌さも無い。あるのは、人間としての建前を脱ぎ捨て、赤々と露出した生存本能。しかし残酷なことに、むき出しの本能に理解できたのは、何をどうしても永らえることの出来ない、という。一言でいえば、彼らは今、途方もない数瞬後の死を実感しているのだ。

 声も出ない、身動きもとれない。瞬きすらも自由にならない。流れる走馬灯に想いを馳せる余裕もない。体だけは未だ、「それ」に向き合っているが、心は完全に敗北を認めてしまっている。目の前に立ちはだかる絶望にくじけ切ってしまった。六つの目は明日をうまく思い描けず、虚ろである。



「それ」とは、親子の前に立ちはだかるものとは何か?


「それ」とは、全長四メートルを超す、ドロドロに腐り溶けた恐竜のような化け物。憐れな一家はこの異形の前から逃げ遅れたのだった。


 じっと静かに三人を見つめる異形は、命が恐怖に震えることすらも許しはしない。目眩を起こしそうなほどの激烈な腐敗臭。こってりとした赤い体表の模様は、血液の赤よりも鮮明でグロテスクである。見たものの生きる気力を残らず吸い尽くす、あまりにおぞましい外見。巨体。瘴気。轟音。殺意。



 巨大な化け物が人間を襲っている。このような絶望的な風景が、実はこの時代において日常的なものであることを、説明しないわけにはいかないだろう。


 人類は現在、地上の支配者の座を追われている。ただいま地球は間違いなく彼ら異形、その名も「デブリ」達のものとなってしまったのだ。

 命あるものなら、象でも蛆でも草花でも、人間だろうとおかまいなしに殺し尽くす、破壊の存在。人類の、生命全ての新たなる天災。いつしか生まれてしまった未知なるもの。デブリ。恐ろしく獰猛で冷徹な、人類を脅かすためだけに現れたかのような、まさしく天敵。


 正体不明の存在は、幸せだった人類の繁栄に正面から仇なした。彼らの人類狩りは、積極的で執拗である。産声をあげるより先に人間を襲う化け物達。今より百五十二年前、なん前触れもなく地上に生を受けた彼らは、手当たり次第に命を壊し、壊し、壊しまくって。


そしてなんと人類はあっさり負けを認めた。国家という国家は地上に居場所を無くし、人類文明は事実上根絶されてしまった。すんなりと、全くなんの抵抗もないと言っていいくらいに。それから永きに渡り両者の力関係に変化はなく、ただ蹂躙されるだけの人間の日常が続いている。


 いや、デブリの歴史は、今どうでもいい。それよりも、あの憐れな一家はどうなってしまったのだろうか。


 視点を戻し、もう一度見やれば、親子はすでに肉片に変わっている。一体何をどうすればここまでむごい死体になってしまうのだろうか。原型を留めないとは、まさにこのことである。赤々とした血だまりに、肉片は泥の塊のように折り重なっている。その塊から時折覗く、折れ曲がった白骨がなんとも痛々しい。


 赤と白のぐちゃぐちゃを前にして、何事もなかったかのように、虚心に佇むデブリ。そのまま血だまりに向かってゆっくり近付いてゆく。



 ふわり。きらり。



 次の瞬間、デブリの巨体は、暖かな赤い光に包まれた。遺体から血液が、ひとりでに飛び出して浮き上がったのだ。広がり結晶し、漂う粒になって弾け、デブリにまとわりつき、すっかりその全身を呑みこんだ。

 まるで魔法、いやまさに魔法というべきか。もちろん自然現象ではない。デブリの仕業だ。デブリは殺した死体から血を抜く。その恐るべき威容には似つかしくない、幻想的な手際でもって、遺体から一滴残らず血を差し出させるのだ。命の粒に囲まれたデブリは、さしずめプラネタリウムのようでもある。見とれる程に美しい、真紅の星々。人間の芸術とは比べものにならない、激烈な美。


 さて、この光景を理解するにあたって、一つ付け加えなければならない。これは、デブリにとっての捕食ではない。デブリは食うために殺したのではない。血を抜き取るのも、食事の為の下準備では決してない。


 そもそもデブリとは、食事を必要としない。行われているのは、もっと単純な、下らないこと。



 しばらくして、摘みたての薔薇のような真紅を讃えて、宙を漂っていた血の結晶達は、異形の身体に触れる。まるで吸い寄せられるようにして、粒全てが異形の体表にまで達する。その独特の瘴気と混じり合った血の粒には、またしても劇的な変化が起きる。


 そう、デブリに触れた血の粒は、色を失うのだ。

 鮮やかな赤は青く反転し、そこからどんどん色褪せて行く。純白にまで退色した後、穢れ、としか表現できない醜い濁りに覆われる。そこにあった温もりや、生命力も合わせて失われる。浮力も亡失する。まるで魔法が解けたように漂う力が消えて、びちりびちりと、音まで汚く地べたに垂れた。


 色と輝きを忘れた血液はまるで工業廃液のようで、その醜さたるや、およそ生物から生じたものとは思えない。そんな汚れてしまった血の元の持ち主、つまり血を抜き取られた親子の死体を振り返ってみる。なんという事だろう、もはや肉団子ですらない。紙くずだ。十年は置き去りにされて、乾き果てた紙くずだ。死体どころか、有機物にすら見えない。


 束の間の幻想は、逃れ難い現実によってかき消された。いや、その現実すらも陵辱され、砕かれたのだ。そこに親子が三人存在していたという、確固たる現実が。さっきまで生きていた人間だというのに、あるはずの命の残滓は綺麗さっぱり消滅させられた。デブリによって。


 生物の死骸とは本来、分解されて、新たな命のための豊かな栄養源になる。そのまま他の獣に食われることもあれば、大地に浸透し、草木に吸い上げられる事もある。規則正しく循環し、途切れることなく次の命に繋がって行く。これは言うまでもない事だ。生命の大原則だ。

 それがどうだ、ここに残されたものは汚水とぼろ切れ。損なわれ尽くした残骸。なんの役にもたちはしない。命の素、という役目を果たすことが出来なくなっている。ほんの少しも次の世代には繋がらないだろう。あるべき恩恵は誰も受け取れなくなった。そう、デブリさえも。



 デブリは喰わない。ただ殺すだけ。

 ただただひたすらに命を汚損し、消滅させる。文字どおりに、完全に消し去る。踏みにじって価値を奪い、ドブに棄てる。ただそれだけ。

 与えられた有限の時間を、無為の殺戮のみに費やす、それこそがデブリの本質なのだ。


 死ぬまでせっせと殺すばかりの奇特な異形は、死体だったものにはもう目もくれずに、のそりと向きを変えた。次手にかける命を求めて、ゆっくりゆっくりとその場を離れていった。



 やがて、血だったものは素早く渇き、失くなり、人肉だったものはさらりと崩れ、やはり一欠片も残らなかった。


 果たしてデブリとは、本当に生物と呼べるのものなのだろうか。


たまにこうやって三人称っぽくなったりします

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