食べて
「ほら、ラミア、食べて」
「……うん。食べてるよ」
「嘘だ、食べ物のにおいがちっとも減らない。全然食べられてないよね」
「…………うん……」
「もう二週間もこんな調子じゃないか! もう毒は抜けたのに、このままじゃ飢えてしんでしまうよ……ねえもっと柔らかい方がいい? それとも味が濃いほうがいいの? 好きなものを言って、ぼくがんばって作るから」
「……………………じゃあ、」
生きた人間を。
そう、言ってしまいそうになるのを抑え込む。シエルは首を傾げ、わたしの言葉の続きを待っていた。
たしかに、エルフの毒はすっかり抜けている。しかし毒と戦った体は傷つき消耗し、狩りに出るまではできなかった。
なによりシエルがそれを許さなかった。わたしは洞窟に軟禁され、シエルの手料理を食べることを強制されたのだ。
それは、わたしにとって地獄の拷問だった。
……なにも食べられない……!
蛇妖女という魔物がヒトを食うのは、好物だからではない。それしか食べ付けないのである。
美味い不味いではない、なんというか……食べ物と認識できないのだ。いよいよ飢えればいけるかと思ったが、やはりダメだった。
シエルと暮らし始めてから、わたしはずっと模索をしていた。ヒト以外に食べられるものを探し回り、色んな動物を狩ってみた。しかしそれはむやみな殺戮でしかなかった。ヒトの形をしていなければ、わたしはそれを、食べられない。もうどうしようもない、これがラミアの生態なのだ。
人を食わぬという誓いは無理だったかと、あきらめかけたところに見つけたのがエルフである。しかしいま毒に傷つき、消耗した体……もうあそこを襲撃できない。なんとかたどり着きあの幻術を破ることまでできたとて、エルフたちはさらなる対策を練っているだろう。狙い撃ちにされるのがオチだ。
……ゴブリン、コボルト、ワーウルフ……いくつか可能性は思いつくが、彼らの住処はまだ見つかっていなかった。今から探し出す力などない。
わたしは衰弱していた。
この状態で、唯一どうにか、襲えそうなのは。
「――ねえラミア、やっぱり村へいこう。ゆっくりなら歩けるよね」
シエルは強い口調で言う。
「とにかく村にさえ着ければ、人に頼んでなんでも用意できる。ぼく、お医者さんの家がわかるよ」
「……だめ。いけない」
「歩くこともできない? ……わかった、じゃあ待っててラミア。ぼくが行く。村の方角をまっすぐに教えて、それでどうにかたどり着ける。かならずひとを連れてくるから」
立ち上がりかけた腕を、掴んで止める。振り向いた彼は裏切り者を見るかのように強張っていた。わたしは首を振り、ただ短く、
「だめよ」
そう言って、彼を離した。
「……それができるなら……そのまま、村へ帰りなさい。……洞窟の奥、木箱のなかにあるものを持っておゆき。お金の代わりになる。……それで、家を追い出されることはないと思うわ」
「何言ってるの? ラミアはどうするの!」
わたしは答えなかった。
ただ彼が村人を連れてくることを拒む。わたしにはもう、それしかできなかった。
もしも今、シエルがヒトを連れてきたら……わたしはきっと、食べてしまう。
一瞬たりとも我慢できないで、襲い掛かってしまうだろう。
またヒトを食べるだけの覚悟なら、ないことはない。
だがシエルが傷つく。
自分が連れてきた人間が食われれば、シエルはきっと、こころに深い傷を追うだろう。
……わたしへの怒りや恐怖で、離れるだけなら、それでいい。
しかし彼を傷つけるくらいなら……
なにも答えないわたしに、シエルはとうとう、座り込んで泣きだした。
細い顎からしずくを滴らせて、しゃくりあげながら、
「おねがい、食べて。……美味しく出来たんだよ」
匙を傾けて、シエルが言う。
そんなことはわかっているよ。きっとそれは美味しい料理なのだろう。……ヒトが作って、ヒトが美味しく食べられる、ヒトの食べ物。
わたしは食べられない。
病み上がりの消耗と空腹とで、わたしはずっと目眩がとまらなかった。ろくに視界もきかず、頭痛が続く。甲高い耳鳴りのなか、シエルの声が聞こえる。それはとても悲しい声だったけど、不思議と心地よかった。
「ラミア。ラミア。お願い食べて」
人間がたべたい。
そう願いながら、人間の子を抱いて死んでいくのも悪くない。
「ラミア、食べて……」
シエル、愛してるわ。
そう伝えようと口を開いた。その舌先に、ポタリと滴が落ちた。
ポタリ、ポタリ。
……なんだろう。あまいかおり。
わたしは無意識に舐めとった。口の中に広がる優しい味。唾液といっしょに飲み下す。
――美味しい。
もっと欲しいとねだる唇に、やわらかな肉の感触があった。わたしはそこへかじりついた。突き立てた牙は薄皮を破り、ぶつんと心地のいい音がする。甘い。美味しい。わたしは夢中で吸い付いた。あふれ出す液汁をなめ回し、喉を鳴らして啜り――
ハッと目を見開く。これは何?
覚醒したわたしの眼前に、シエルの白い腕があった。乾いたわたしの唇に、彼は手首が触れている。わたしは悲鳴を上げた。
シエルは笑っていた。
左手に、己の血がついた小さなナイフ――ただ穏やかに、傷の痛みに眉をしかめながらも、微笑んでいた。
「……食べて……」
わたしは逃げ出した。