ラミア、がんばる
「ここが、おねえちゃんのおうち?」
「そうだよ」
わたしが肯定すると、背負われた彼は頭を上げ、首をきょろきょろさせた。
その目はやはり閉ざされたままである。見回してなにになるのだろう?
しかし、彼は言った。
「……洞窟だ。おねえちゃんは変わったところに住んでいるんだね」
どうやら気配で、いろんなことがわかるらしい。
思ってたより、慎重に会話をしなくちゃいけないようだ。
「そうよ。ここはわたしの秘密基地なの」
「秘密基地。ふふっ」
少年は小さく笑った。
ラミアの洞窟は、八割が岩肌、一部分が湿った土で出来た洞穴である。入り口は大人の身長ほど、進むとぽっかり大きな部屋になっている。さらに奥には細い道が続き、深いダンジョンになっているのだが……特に行く用事はないし、冒険者たちの遺品でふさいでいる。シエルがうっかり、ダンジョンへ進むことはないだろう。
わたしはそんな、ちっぽけなスペースで日々暮らしていた。
剥き出しの岩と土は、ラミアにとってここちのいい寝床だけど……ヒトには快適ではないだろう。
「ちょっと、待っててね」
わたしはシエルを座らせて、洞窟と森とを往復した。
たっぷりの枯れ葉をクッションにして、騎士が着ていた上質なマントをふんわりかける。手で叩き、一度自分が寝てみて確認。うん、悪くない。
「シエルお待たせ。ベッドが出来たよ!」
振り返って呼んでも、返事がない。土の床に座り込み、どうやら寝ていたらしい。
そうか、真夜中だもんね。
わたしはシエルを抱き上げて、そっと手製のベッドに横たえる。
背負ったときも思ったけど、彼の体重は小枝のように軽い。
離れようとしたところで、髪を掴まれた。
シエルがわたしを引き留めたのだ。
……仕方なく、わたしは彼の横へ寝転がる。じゃらじゃらとやかましいアクセサリーを取り除き、体を密着させてみた。
「やわらかーい……」
わたしの腕を枕に、乳房に鼻先を埋めるようにして、少年は呟く。
「気に入ってもらえてよかったわ」
返した言葉への、答えはなかった。うわごとだったのだろうか?
そう思いながら、少年の顔を覗き込む。彼の目はいつも閉じたままなので、眠っているかどうかわかりにくい。
まじまじと観察した結果、少年はたしかに眠っていた。
だがわたしが期待していた、安らかな眠りではなかったらしい。
顔色がおかしい。
彼は失神していたのだ。
シエルは発熱していた。
わたしは洞窟内をかけずりまわり、何度もきれいなわき水や、彼に心地のいいものを探した。だけど結局、ただ添い寝をするだけがもっとも少年に好評だった。
「おねえちゃんのからだ、やわらかくて好き」
高熱にうなされながら、幸せそうにいう。
「シエル、しっかりして。死んだりしないでね」
握った手のひらが焼けるように熱かった。わたしは彼の手を、自分の下半身へと導いた。ひんやり冷たく、ほどほどに柔らかく、熱を吸い取る蛇の身体。
「……これ、なあに?」
盲目の少年に、わたしは答えを教えなかった。
「……つめたくて、きもちいい……」
わたしの全身を抱きしめて、少年は眉を垂らす。
「ねえ、おねえちゃん」
「なあに」
「お名前、教えて」
――優哉。という、ヒトの親からもらった名前が頭に浮かんだ。
しかしわたしの口をついて出たのは、
「ラミア。そうとだけ呼んでくれたらいいわ……シエル」
シエルは嬉しそうに頷いて、何度かわたしの名前を呼び、穏やかな眠りについた。
シエルの体調は悪化する一方だった。
症状が安定している時を見計らい、わたしは鳥や兎を狩りに出た。もちろんわたしが丸呑みにするためじゃない。爪と歯と尖った石でどうにか捌いて火をおこし、焼いたものを持ち帰る。
しかしシエルはあまり食べてくれなかった。熱のせいを差し引いても、やけに食べづらそうである。それもそのはず、適当に焼いただけの肉は堅く、しかも調味もされていないのだ。はっきり言って、不味い。それでも無理に食べさせたら下痢をした。
シエルはここにくるまでにもう何日もまともに食べていなかったんだと。胃腸が消化できなくなっていたのだ。
刻一刻と、消耗していく。
わたしは苦心した。お湯をわかして煮込んでみたり、細かくちぎってほぐしてみたり。しかしたき火がやっとのこの設備に偏った食材、さらにわたしはもともと料理ができないという三重苦である。どうしていいかわからず、わたしは何度となく、少年に拙い手料理を運んだ。
ありがとう、の形に、唇が動く。だけど声になっていなかった。
もう噛む力もなく、舌に乗せ、喉へ送ることができない子供――
「どうしよう。病院食……いや、離乳食のようなものを作ればいいんだ。噛まずに飲みこめるもの、簡単に消化できるもの……!」
呟きながら、わたしは亡霊のように森をさまよった。あの子を元気にするためのなにかを探して。
「……シエル。口を開けて」
わたしの声に、彼は乾いた唇を震わせる。もう開く力もない。
わたしはそこへ親指を添えて、ほんのすこし、開かせた。彼はなにも抵抗せず、ただそこに寝転がっている。
彼の髪をとかしながら、わたしは手に持ったリンゴにかぶりついた。堅い果実を、大人のアゴと歯でかみ砕き、つぶしていく。そして少年に口づけた。
わたしの口内にあったものが、彼の口へ移される。甘い果汁に、少年の喉がコクリと動いた。コクリ、コクリ、飲み下していく。
一口分、ちゃんと胃に送れたのを確認して、もう一口。
舌を使って、彼の喉へと送り出す。
コクリ、コクリ。
……ヒトの喉が動くのを、これほど嬉しく思ったことはない。
消化不良をおこさないよう、時間を掛けて、時間をおいて、何度でも――
三日三晩。わたしは彼に口づけていった。
四日目の朝。
どうやら峠は越えたらしい。すっかり顔色をよくした少年は、空腹を訴えた。
内臓がただしく動き始めた証拠だ。
こうなると、流動食では足りない。
わたしはさっそく狩りに出たが、調味料がなにもなく、ただ焼いただけの鶏肉ではシエルは食べにくいようだった。せっかく食欲が出たのに、十分な量を食べてると言えない。それに栄養も偏ってしまう。
二日後、やむをえず、わたしは村に忍び込み、あちこちから食糧を失敬した。コソコソ潜入するより家主を食い殺した方がラクだったが、なんとなく、そうしたくはなかった。
「おいしい、ラミア」
鍋ごと抱えて盗んできたのは、野菜がたっぷり入ったシチューだ。口いっぱいに頬張って、少年はうれしそうに笑った。ヒトの作った料理で、彼がみるみる回復していくのがわかる。
「ありがとう」
「……いいえ、どういたしまして……」
嬉しかった。ほっとした。良かった、と思った。
同時にものすごい罪悪感がわたしを襲った。
わたしは今、盗んだ物を、この子に与えている。この子からお礼を言われ、笑いかけてもらう資格などあるのだろうか。
次の機会、わたしは宝飾品を代金として置いて帰ることにした。……それ自体が、洞窟にやってきた冒険者や捕食した旅人の持ち物であったが……それは、戦利品であり、わたしの財産という自負がある。
たとえるなら狩人が兎を獲り、肉は食って、剥いだ皮は売る――そのようなものだと、わたしの本能が判断している。おためごかしかもしれない。倫理観がかつてと変わったのかもしれない。
どっちでもいい。
シエルの笑顔がみたかった。