人食いラミアと盲目の少年
これは、捕食じゃない。
ただの人殺しだった。
おなかの中にいた人間が、息絶えた気配。
それを感じて、わたしは大きく息を吐いた。
……ヒトを食ったのは初めてではない。
だけど、わたしは初めて、人を殺した。
『俺』は、女に自分の貧弱な性器を小馬鹿にされたことがきっかけで、人生を終え、こうして異世界に転生してきた。だがそれで元カノへ恨みなどなかった。満足させてあげられなかった、その悲しみと申し訳なさしかなかった。
幸せにしてあげたいと思っていたから。
世をはかなんで自殺をしたわけじゃない。死んだのはただの事故である。急に飛び出して、トラックの運転手さんには迷惑を掛けたと思っている。もちろん恨んでなんかない。
『俺』は人間が好きだった。
とくにか弱い女性であれば、傷つけてはいけないと思ってた。
ひとを食らう魔物となっても、その信念は変わらなかった。
だがいま、わたしのこころには冷たい激怒しかない。義理とは言え我が子を差し出す母親が、どうしても許せなかったんだ。
……わたしは、人を殺した。
動物が、生きるために食事をすることは悪ではないと思う。だけど……たとえ相手がどんな外道でも……恨みや怒りで人を殺したんだ。食事じゃない。人殺しだ。
わたしは悪だ。動物ではない、魔物ですらない。ただの人殺しだ……!!
「ウッ……」
突如、猛烈な吐き気がわたしを襲った。地面をのたうち回り、わたしは嘔吐した。食い殺したばかりの女の死体、ついでに先の男もまるごと吐き出す。強力な消化液が草を焼いたが、それでもわたしは吐き続けた。
吐いたからって取り返しはつかない。彼らはすでに絶命しているし、また数日以内に、わたしはヒトを食い殺す。だって、ラミアだもの。そういう生き物なんだもの。残酷な生物、人食いの魔物――だけどわたしはそこに救いを求めた。
ああ、わたしは魔物になりたい!
邪悪な人間なんかじゃなく、ただ本能のままに食事を取る魔物のほうがよほど優しい。おぞましい――こんな魂。もう消えて無くなってしまえばいいのに……!
「……おねえちゃん、泣いているの?」
細い声は後ろからかかった。
振り向くと、闇夜にフラリ、幽鬼のように佇む少年。あの女の子供だ。わたしは涙で水浸しになった顔を、少年から隠した。
「お、おまえ、まだいたのか。わたしは……もう満腹だ。とっとと村へ帰れ。それとも食後のデザートにされたいの!?」
シャァアッ、と蛇の威嚇をしてみせる。それでも、少年は首を傾げた。やはりまたどこか遠くを見ている――と、そこで初めて、少年の目が閉ざされていることに気づく。
――役立たず、という義母の言葉が思い出される。
こいつ、目が見えないんだ!
「……帰れないよ。おかあさんが連れてきたんだもの。……村は、どっち?」
「うう、うわあぁ……っ」
わたしはわななき、言葉が出なかった。
村の方角へ背中を押してやることはできる。しかしそこから、家の場所がわからない。家族の顔もわからない。そうでなくても野原には木も岩もあるし、足下だって危険がいっぱいだ。盲人がひとりでは歩ける場所じゃない。
っていうか今気づいたけどこいつ、めちゃくちゃ軽装だし裸足じゃないか! ふざっけんなあのクソ女、案の定、子供の肌は傷だらけだ。指先は冷えて青黒く、擦り傷が土で汚れている。
ボロ服のほかになにも持たない子……この子は、ほんとに、捨てられたんだ……!
ぶわっ、と涙があふれる。ちくしょうちくしょうと地団駄を踏んで、どったんばったんのたうち回った。ハタ目には鹿でも喉につまらせて悶絶してるウワバミ。実際は、涙もろいラミアだが。
「お、おねえちゃん? どうしたの、なんで泣いてるの?」
少年が心配して、わたしの背中をさすってくれる。
「どうしたの、なにがどうなったの……魔物が出たんだよね? ど、どこに?」
あああ、しかもこいつ事態がぜんぜんわかってねぇーっ!!
どうやらこの少年、わたしが魔物で、自分の義母をさきほど食い殺したことさえ理解していないようだった。わたしを恐れることなく、蛇の下半身に驚くこともない。母親の悲鳴から魔物が出たことは察しても、想像したのはモノを話せぬ獣だったんだろう。終始おだやかに話していたわたしを、イチ通行人の女だと思ってるんだ。
「おかあさんは……」
不安げに、わたしの背中に身を寄せる少年。やせっぽちの身体は冷え切って震えていた。秋の夜は、少年がボロ着で過ごせるような気温ではない。
「あなたのお母さんは、あなたを置いて、逃げ出したみたい」
そう言ってやると、少年はなぜか安堵したように眉を垂らした。置き去りにされたことを嘆きもせず、さらに尋ねてくる。
「魔物は、まだそこに居る?」
わたしは、首を振った。
「ううん。もう居なくなったわ。もう、大丈夫よ」
「……よかった。……ねえ、おねえちゃん。お願いがあるの」
「なあに」
「ぼくを川のほうへ連れて行って。本当のママがそこで待ってるって、おかあさんは言ってたの」
わたしは少年を抱きしめた。ちっぽけでやせっぽちで、薄汚れて傷だらけで、冷えて震える子供――トゲのような彼を、女の身体で包み込む。
「お、おねえちゃん?」
頷く少年を、わたしはさらに強く抱きしめる。はじめは驚いていた彼も、わたしの体温で、ゆっくりと緊張をほぐしていく。
おぞましい蛇の下半身、だけど上半身はあたたかく、やわらかい女の肉があった。わたしは大蛇ではなく、蛇妖女という魔物に生まれたことを感謝した。
わたしの体温をうつして、ほんの少し元気になった少年を、わたしは背中に背負った。
「今夜は冷えるわ。わたしのおうちへいらっしゃい。……あなたには、そんなに心地のいいとこじゃないとは思うけど、川の水よりはあたたかいから……」
わたしの肩に顔をうずめて、少年は素直に頷いた。