愚かなことをした件
なんとなく書いてみた。
「はぁ、はぁ、あー。」
息が荒い、かろうじて出せる声は、あ、や、う、といった母音ぐらいだろうか。いや、頑張れば単語ぐらいは話せるかもしれないが、残念なことにそれを実行するだけの力がない。
首から下にかけて生暖かく気持ち悪い。腕やふくらはぎのもやもやとした違和感が消え痛みだけが残った。たぶんこの痛みもいずれ消えるだろう。貧血を起こしたときのように意識が急に落ちればよかったなとおぼろげなに思いながら、首や腕、ふくらはぎにタオルを強く押し付けられ、時折、ほほをたたかれた。けれど、反応するのがものすごく億劫になるぐらいだるい。息をするのもつかれるぐらいだるい。
さっきまで、わざわざなんで大学病院まで行く必要あるのと文句を言っていた言葉にイラッときてじゃあいけるぐらいの怪我があればいいんでしょ、と短絡的に行動した結果がこれなのだから、きっと方法は間違っていてもこれ以上文句を言われる筋合いはないと思うとどこかほっとしたような安心感があった。だから、きっとこれが自分にとって良かったことなのだろう。それが、たとえ周りに多大な迷惑をかける愚かな行為だったとしても。
※ ※ ※
「じゃあ、次の予約は1週間後で今日と同じ時間でどうですか。」
「1週間ですか?」
「前より安定してるようだけど、この後、急きょ外に出ないといけないことになってあまり話を聞けなかったので、念のためです。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「では、待合室でお待ちください。」
「あ、紹介状貰いに行かなきゃ。」
どうして、こうなったのだろう。診察を終えると時折そう思うことがある。
大学を出て、学部の教授の紹介で、何とか、ギリギリで、運よく、ご厚意で等の枕詞が付くが就職できた。職場は小さい法律税務系の個人事務所で所長とその親戚関係者の数名しかおらず、大学の先生ともなるといろいろなつながりというのがあるのだと思った。
人数が少ないからか何かと気にかけてくれてよく話をかけてもらうもコミュニケーション能力が足りず、趣味の話をと思ってもアニメ、ゲーム、漫画と俗にいうサブカルチャーの話になってしまうので逆に気を遣わせてしまうということになるのではと思うと一歩踏み出せなかった。チキンでへたれで石橋を叩こうとして戻るという厄介な性格だと改めで実感したが、それなりに仕事はこなしていたと思う。
そういった性格が災いしたのか、お腹を壊すことが増えるようになった。お腹を壊していてもお腹は減る。気づいたらお菓子などごはん以外によく食べるようになっていた。
病院に行けば念のため胃カメラして見ようかということで総合病院へ。結果、ピロリ菌発見ということになった。
実家は、車社会で田舎だけれどそれなりに栄えているところもある。どこにでもありそうな小都市と田舎の間といった感じだ。だから、原因となりそうなことを考えると子供のころキャンプで川遊びしたときか湧水を飲んだときぐらいまでさかのぼる。というより思い当たるのがそれぐらいしかない。
薬をで除菌を無事済ませ、逆流性食道炎の兆候が見られたので経過観測ということになった。
それで一安心と思ったのだが、それでもお腹の痛みはひかず、逆流性食道炎のせいかゲップが多くなり吐き気を感じるようになった。
胃カメラでは異常なし精神的なものかもしれないということで診療内科を紹介された。思えばこの時もっと自分の性格、特徴を再認識する必要があっただろう。
診断結果は教えてもらえなかったが、話すと幾分か楽になった気がしたのでストレスの問題なのかなと思った。それでも、よくトイレに行くし玄関をなかなか超えられない、休日は以前からのインドア派だったけれどそれを加速するかのように必要最低限以外の外出もしなくなり友人との連絡も取らなくなっていた。
寝て起きて寝るだけで何も手を付けないことが多くなった。そして、仕事も少しだけ休むようになっていた。
そんな状況だったから、上司から他と合併する可能性あるけど、どうする。やめる。とやめる前提で話を聞いたときどことなくほっとした。
合併の話は流れたがそれからしばらくしてやめることになった。
それからしばらく、地元に帰らず外出するのに気持ち悪さを感じながらもハロワに通ったが、1年後には環境を変えるためと節約のために地元に帰った。
外出するのに気持ち悪さは減った。気持ちが安定したのかと思ったが、時折、わけもわからずイライラして襲ってくる破壊衝動や加虐自虐衝動、安定したとは言い難い状況だった。幸いそこまでバカではなく理性という物がしっかりと働いていたし安定剤も新たな病院で引き続き処方してもらっていたので最低限の安定を保てていたような気がする。
それでも職が決まらずフラフラしていたのは対外的によろしくないが不安定になるよりはましだろうと自分に言い聞かせ一歩踏み出すことをしないことを正当化し、家の手伝い少しずつすることにより非難されないようにした。怠惰の一言では済まないぐらいの堕落。
一度レールから外れると再度レールに乗るのは難しいと聞くが、きっとそれ以前の段階なのだろう。
そんな自堕落とも言ってもおかしくない状況の中で片頭痛やほほ骨、下あごの痛みが出始めた。
整形外科でレントゲンを撮ったが問題は見つからない、痛み止めをもらい、耳鼻科かもしれないけど歯かの方な気がするなという助言により歯科医へ。
頭部CTの設備がないから確定したことは言えないが親不知かもしれないな埋もれているのも気になるし大学病院の紹介状書くから、とのことでCTとって抜歯かなと思いつつ大学病院に行くはずだった。
それがその日の夜、家族の前で大学病院で親不知抜くかもと言った。これが間違いだったのかもしれない。
「わざわざ大逆病院まで親不知抜きに行く? 別に親不知なんて抜かなくてもいいのに?」
不意に兄がそんなことを言った。好き好んで痛い思いをしに行くわけでもないのになぜかすべてを否定さた気がした。馬鹿にされた気がした。だから、大学病院に行けるだけの怪我あればいいのだろうと思った。
だから、包丁を手に取りもやもやと違和感を感じるふくらはぎと左腕、首筋を切った。
痛みで視界が歪のを感じつつ、救急車という大声で言う親の姿が目に入った。けれど、いまはどうでもよかった。だって、ここ数年で一番落ち着いていたのだから。