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魔王様は焦っておられる

 険しく、深い山岳地帯。その山間の高い台地におどろおどろしい城は立っていた。闇を閉じ込めたかのような黒色で染められたその城は、魔族を束ねる魔王の居城。常に濃い霧がかかり、周囲には冷えた空気が漂う。決して人を寄せ付けぬ、その暗黒の城の最奥。そこに魔窟の主の姿があった。

 

 かの者の血色の瞳は眼光鋭く。


「……おかしい、ない……」


 波打つ漆黒の長髪は強い魔力を帯び。


「馬鹿な……ない……ないないない……」


 側頭から突き出る、捩じくれた一対の角は大変立派で。


「ないっ、ないない……何故だ! 何故、あれがないのだああああっ?!」


 ……魔境の支配者である男、魔王の姿は誠に威厳のあるものであった……はずだった。


 広く、複雑な作りの魔王城。その一角に設けられた魔王の私室は、ひどい有り様になっていた。箪笥の棚という棚が抜き取られて、その中身である衣服類は無造作に床上に放り捨てられている。書棚に丁寧に詰めていたはずの本や大切な書類も部屋中に散乱していた。竜巻でも発生したのかと思わせるほど悲惨な、その室内のど真ん中で、城の主人である魔王は膝立ちのまま絶望に打ちひしがれていた。

 一体何があったのやら、端正な顔はやつれて、鮮やかな真紅の両目の下には濃いクマができている。普段はきちんと手入れされている黒髪も今はボサボサ。そんな状態にも関わらず魔王はただ紅い目を虚ろにして、虚空を眺めるばかり。


「……終わった、世界が終わった……」


 何やらぶつくさと呟く彼の意識をひとまず覚醒させたのは、急なノックの音だった。次いで涼やかな女の声が部屋の外から聞こえてきた。


「魔王様、魔王様。本日の日程の確認を行いたいのですが、お部屋に入っても宜しいでしょうか?」


 なんてタイミングで来やがる、あの女! 魔王はそう毒づきたいのも抑えて、サッと指を振った。すると、荒れに荒れ果てていた部屋が一瞬で元に戻る。床上に散乱していたものは、その全てが本来あるべきところに収まった。さすがは魔王。


「あ、ああ! 良いぞ、入って来い!」


「では、失礼します」


 影のようにするりと部屋に入って来た女は、魔王の秘書だ。主君と同じ赤い瞳が開かれる。背の高い青髪の、いかにも知的そうな秘書。そんな彼女は魔王の顔を見るなり、怪訝な表情をしてみせた。


「魔王様、おはようございます。何やら目の下にクマが出来ておりますが……昨夜は眠れなかったのですか?」


「あ、ああ。おはよう、ウェルネ。そうなんだよ、少し探し物をしていてな。それのことで、どうも頭が一杯になってしまって」


 浮かぶ苦笑いは、ひどくぎこちない。


「探し物、ですか……。私が探索をしましょうか?」


 ウェルネは探索の魔法を大の得意にしている。そんな彼女に頼めば、魔王が必死になって探しているものの行方はすぐにでも分かるだろう。けれども、魔王は慌てふためきながらウェルネの親切を断った。


「い、いいや、いやいやいやいや! ちょっと見られたくないものなんだ。自分で見つけるから結構だ!」


「……見られたくないもの? ああ、エロ本ですか」


「はあっ!? ちげえし! ふざけんなし! 絶対違うからな!」


 ムキになる魔王を完全無視し、手元のスケジュール帳に目を落とすウェルネ。


「魔王様。分かっておられるでしょうが、今日の午後には南方のティミシア王国からの使者御一行が、城にご到着されます。我が国とのこれからの貿易や交流について話し合う会談ですので、くれぐれも失礼のないようにお願いします」


「あーあー、うん。分かってるって。勇者様御一行が来るんだろう? ……めんどくさいわぁ、国の英雄とか言って持て囃されてるイケメンなんかと会談とか、超めんどくさいわぁ……」


「……ちっ、そんなんだからいつまでもモテないんだよ」


 いかにもやる気無さげに寝転がるダメ施政者は、物凄い罵詈雑言を聞いたような気がした。


「あれ? 今なんか酷い悪口が聞こえたんだけど……」


「何も言ってませんよ、駄王様」


「ウェルネ……。君、本当に我の秘書なんだよね……?」


 悲しげな魔王の呟きは、やはり無視される。朝からどうしようもない主君のどうしようもない姿を見せつけられた有能な秘書は、隠す気もなく大きな溜め息をついた。


「はあ……。良いですか、魔王様。貴方の、『魔王城で会談するなら使者は勇者がいい。魔王の前で勇者たちが剣を構えて挑もうとしてる、あの定番の絵面を再現したい』とかいう、くっだらない我儘のために向こうはわざわざ勇者様を寄越して下さったんですからね? 本当、この国の主として恥ずかしいことをこれ以上しないでくださいね」


 主君に向かって釘を刺しまくった後、ウェルネは魔王の部屋をするりと出て行く。パタン……と、ドアの閉じる静かな音がした。一人、室内に取り残される魔王。そんな彼は。


「ああああああああああ……うざあああい……。人間の国と会談とかマジでだるい……。勇者とか絶対嫌なヤツだろ。間違いないわぁ、どうせパーティーの面子が皆、女なんでしょ? うぜえええ……」


 自分で指名したくせに絶賛僻み中だった。このダメダメな魔王の時代、既に人間と魔族の戦争は終わっており、各地で力のある魔族の指導者たちが人間たちと交流を持ち始めていた。この魔王の一族も広大な領域を支配する強大な魔族だったが、いかんせん所領が辺鄙なところにあったため、長年人間との交流が無かったのである。それが始まったのは、この魔王の亡くなった先代……つまり父親の代からだった。今日この日は、亡くなった父から王位を継いだ魔王にとって、初めて人間の国の使者に会う日なのである。


 でも、ぶっちゃけたところ、今の魔王にとって、そんなことはどうでも良かった。

 何故なら、彼には勇者との会談よりも個人的に遥かに重要な緊急事態が生じてしまったから。それは。


 ネタ帳の紛失。


 ネタ帳の紛失。


 大事なことは二回でも三回でも言って良いのだ。


 ネタ帳の紛失。


 そう、魔王の探し物は趣味で密かに執筆している小説のネタ帳だった。常日頃から手の届くところに置いておき、外出先にもこっそりと持って行っていた大事な、大事なネタ帳。あろうことか、彼はそれをどこかで失くしてしまったのだ。

 

 本棚は探した。無かった。

 本に挟まっていないか、一冊ずつ見た。無かった。

 箪笥の中も探した。無かった。

 壁に掛けてある上着のポケット。無かった。

 ベッドの下。無かった。エロ本はあった。

 

 つまるところ、私室の中は隅から隅まで探したのだ。けれど、それでも見つからなかった。一晩中、ゴソゴソと探したのに。そして、この緊急事態が意味することは……。


「くそっ……我の部屋には無いということだな」


 魔王は唇を噛み、頭をフル回転させて考える。秘書やメイド、部下たちから「アホ」と陰口を叩かれまくっている、その頭で考える。


「……ポケットに入れてる間に落としたのか? まさか城の中に!?」


 もし、あれが誰かに拾われていたら! そして中身を見られていたら! 


「うっ……うわああああああああああああ!」


 ……城中に響き渡った魔王の悲鳴で、ウェルネがすっ飛んできたことは言うまでも無い……。



◇◇



 さて、結論から言うと魔王のネタ帳は城内で拾われていた。当然のごとく中身も見られていた。で、既に捨てられていた。


「ルーミル、お仕事手伝おっか?」


 魔王城の外れのゴミ捨て場。そこでゴミの分別や焼却の仕事を担当している魔族の少女、ルーミルはちょうど午前中最後の休憩時間に入ろうとしている時だった。赤黄色の髪が揺れ、夕焼けの空のような橙色の瞳が声のした方に向く。

 そこには同じ年頃の魔族の少女がいた。常闇を写し取ったかのごとき黒い髪に紅く鋭い瞳。彼女は城のメイドでもないし、衛兵でもない。魔王の歳の離れた妹だ。


「姫様……。こんなところにいて良いのですか?」


「もう、ルーミルったら! 二人きりの時は敬語も姫様も無しだって言ったでしょ」


 頰を膨らませる自由奔放な魔族の姫を前に、ルーミルもようやく仮面を外すことにした。


「へへ……。そうだったね、リザメラ。ごめん、ごめん。つい、癖でね……」


「いいの、いいの。ところで、もしかして今は休み時間? ならお菓子持ってきたから食べようよ」


 ルーミルとリザメラは近くのベンチに腰掛ける。布を広げ、そこにクッキーを並べていたリザメラの目が、ふと正面のゴミ捨て場に向けられた。大きな焼却炉から少し離れたところに小さな東屋が建っていて、その屋根の下にいくつかの箱が置いてある。箱の中からは縫いぐるみがはみ出して見えていた。


「ねえ、ルーミル。あそこに置いてある箱の中のものは捨てないんだっけ?」


 クッキーを頬張っていたルーミルが口をもごもごさせながら、姫の問いかけに答えた。


「ああ、あれね。あの東屋に置いてるものは再利用品だよ。城から出た、まだ使えそうな家具とか道具とか……あとはまだ読める古本を分別して、近くの村や町にタダで配るんだって。城ではゴミ扱いでも、見てみると意外に綺麗だったりするんだよ」


「へえ……それはゴミが減っていいわね」


 姫が感心していた時、ルーミルが思い出したように声を上げた。


「そういえばね、この前ゴミを分けてた時なんだけど……すごい面白いゴミがあったの。もう笑っちゃった」


「面白いゴミ? なあに、それ?」


 変わった話が聞けそうだと、姫の目が輝く。


「それがね……誰かの手帳だったんだけど。中に何かのお話しのネタなのかなぁ……登場人物の細かい設定とか魔法の技名とかが、びっしり書いてあってね。真ん中の何ページか読んだんだけど、びっくりしたし、読んでるうちに笑っちゃったよ」


「何それ! 私も読んでみたかった! それって、もう捨てちゃった?」


「ううん、捨てなかったけど、さっき言った配布用の再利用品に分別しちゃった。きっと、もう近くの村に配られてるよ」


「え? なんでそこに分けたのよ、ルーミル。城の落とし物係に回さなかったの?」


 どう考えても誰かの私物である手帳。普通だったら、落とし物係に渡しておくべきだろう。だが、ルーミルは思ったのだ。こんな恥ずかしい手帳、落とし主もおいそれと引き取りに行くこともしづらいだろう、と。


「んー、まあ……そうするべきだったのかも? 悪いことしたかな、私」


 その時、姫君は眉根を寄せる友人をたしなめることもせず、こう言い切ったのだ。


「いや、面白いことしたと思う! ナイス判断だよ、ルーミル!」


 リザメラは兄に負けず劣らず問題のある姫だった。



◇◇



 太陽が燦々と照り付ける正午の頃、魔王が住まう城から最も近くにある山間の村の入り口に五人の男女の姿があった。彼らがティミシア王国から遠路はるばるやって来た勇者たちだった。先頭を行く金髪の青年が後ろを振り返る。


「うーん、思っていたより遠かったせいか、お昼に魔王城に着くことはできなかったね。皆、ご飯はこの村で頂こうか」


「遅くなったのは、あんたが途中で人助けなんかしてたせいよ、アリュース」


 棘のある物言いをしたのは、紫のローブに身を包んだ茶髪の魔法使いだ。それでも勇者アリュースは気を悪くすることもなく、魔法使いの少女に謝った。勇者は良いヤツだった。ナイスガイだった。魔王が思っているような嫌なヤツでないことは、たぶん間違いない。


「メルシアさんっ、そ、そんな風に言うのは、よ、良くないですよ……」


 純白のローブを纏った、気の弱そうな少女が声を上げる。が、メルシアに睨まれて、すぐに隣にいた大男の陰に隠れてしまう。


「……メルシア、あまりサニアを苛めるな。仲間内で争うのは実に嘆かわしいことだ」


 大柄で武骨な戦士、ロウレルはサニアをかばい、しかめっ面をした。その横で群青色の長髪をなびかせる剣士が仲間たちの喧嘩などには見向きもしないで、ひたすら手鏡で髪型を整えている。


「そんなことはどうでもいいけどさ。とりあえず僕は空腹だな。早いところ村に入ろうじゃないか」


「こらこら、フェイン。お前はもう少し、周りを気にしてくれ」


 困ったように言うアリュースのことも華麗に無視する剣士フェイン。一行を率いるアリュースはいつもの光景に慣れっこだったから、立ち止まらずに村へと入る。お昼時だからか通りに魔族はほとんどいない。食堂はどこだろうかと辺りを見回していたアリュースの視界に、彼らの方へ向かってまっすぐ走ってくる幼い魔族の少年の姿が映った。


「村をおそう、あしき人間どもっ! おまえたちは我が魔剣のさびにしてくれる!」


「んん? なんだい、坊や。俺たちは悪しき人間ではないよ」


 短い木の枝を振り回す少年の背に合わせるように、勇者は中腰になって笑いかけた。どうやら、この少年、何かのごっこ遊びをしているらしい。右手に持っている木の枝がさしずめ魔剣といったところか。左手に持っている……手帳はカンペだろうか? たぶん自分で考えたセリフか何かを忘れないように書いているのだろう。勇者はそんなことを思って笑った。


「魔剣のざんげきはつよいんだからね!」


「そうなの? それは怖いなあ」


 えいっ、という小さな掛け声と一緒に木の枝が前に突き出される。その先端は勇者の硬い胸当てに当たって、先端がぽきりと折れてしまった。途端、幼い少年はバツの悪そうな顔を見せて、つむじ風のように走って去ってしまった。よほど恥ずかしかったのか、それとも悔しかったのか、手帳を落としたことに気付かないまま。


「あらら、落として行っちゃったね……。って、何これ。なんかすごくびっしり書いてある」


 屈み込むアリュースの背後からメルシア、サニア、ロウレルが手帳を覗き込んだ。フェインはやはり一人で髪型と格闘していた。つくづく協調性がないらしい。


「……これ、小説か何かのネタ帳っぽくない? なんかガキっぽい内容ばっかねえ。さっきの子が書いたのかしら?」


「でも、あの子の年齢でこんなに難しい言葉を使えるでしょうか……?」


「あの子供の家族の持ち物かもしれんな。おおかた目を盗んで持ってきてしまったのだろう。返すべきではないのかな、アリュース。……アリュース?」


 熱心に手帳のページをめくっていた勇者の手が、あるところで止まる。徐々に彼の身体が小刻みに震え出した。笑っていたのだ。


「ふふっ……これ嘘だろ。……皆、このちょっと恥ずかしい手帳の持ち主が分かったかもしれないよ」


 そう言って勇者が開いた、手帳の一番最初のページを全員が見た。そこにはでかでかとした文字で、こう書いてあった。


『魔王のネタ帳。我以外、読むべからず』

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