98話
◆
――ついに、この日がきてしまった。
今日、この日に、我がソウェニア王国の生死が決する。
ほんの数日というわずかな時間ではあったが、やれるだけのことはやった。現にあれからというもの、騎士や兵士らの奮闘により牢獄には多くの賊たちが捕縛されてきている。
だが……問題はその中に『正解』がいるのかどうか、だ。
シルヴェリッサの言では、緑竜は「供物を盗んだ者」に怒っているという。しかし、賊を捕らえることはできても、それらが盗んだ品などの詳細を突き詰めるのは容易ではない。
時間がとても足りなかった。
もう手段としては、牢の賊すべてを怒りの捌け口として差し出すか、適当な者らを『正解』として差し出すか……。
(…………いっそのこと、両方を合わせる?)
おそらくそれが、自分たちの打てる最適手だろう。
そう判断し、大臣に指示を出す。
「現在、牢にいる中で最も罪の重い賊を『正解』の者とする。残りの賊もすべて……いえ、軽罪の者は除いて、贄として差し出す準備をしなさい」
「はっ」
返事の後、大臣は迅速に行動を開始した。あとは任せておけばいいだろう。
次に、騎士団長ガナンや旋花隊団長アランドラ他、隊長格へ問いをかける。
「兵の展開状況は?」
「はっ。王国騎士団、第一~第三すべての部隊の展開を完了しております」
「同じく旋花隊、第一~第三すべての部隊の展開を完了しております」
「同じく兵士団、第一~第四防衛部隊、展開を完了しております」
「同じく兵士団、第一~第六迎撃部隊、城下街外壁にて展開を完了しております」
「同じく兵士団――」
展開状況の報告が続き、どの部隊およびエリアも問題ないことが確認できた。一つ、うなずく。
「全団全部隊に言い渡す。……最悪の展開になるまでは、武器を下ろしておきなさい。それから件の竜が影を見せたら全員で伏し拝み、決してこちらが攻撃的に迎えているなどと誤解されないように努めるのよ。以上、解散しなさい」
「「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」」
そうして返事をすると、隊長格たちは速やかかつ流麗に謁見の間から去っていく。
間もなくして場に静寂が訪れた。
残されたのは自分とユリーヴィア、そして側仕えのメイドたちのみ。
「フィーさま……」
ユリーヴィアがこちらの手に触れ、不安げにその瞳を揺らす。自分の左手に伝わる彼女の指の震えが、心に翳った。
「……大丈夫、大丈夫よユリーヴィア。この国を終わらせなんてしないわ。ええそうよ、こんなところで終わるなんて御免だわッ。まだ貴女との子も授かっていないのに!」
「フィーさま……はい。ユリーヴィアはどんなときでも、どんな場所でも、あなたさまと共におりますわ」
そう言ってにこりと微笑む彼女が、たまらなく愛おしい……幼少のときからずっと変わることのない愛おしさが、この渦中にあっても心地よく、自分の心を安らがせた。
やんわりとユリーヴィアの腰に手を回して抱き寄せ――彼女の柔らかい唇に、接吻をする。
「んっ……」
少し驚いたように瞠目した彼女だったが、すぐに瞳を和らげ目を閉じた。
それからどれくらいの間だったろう。普段よりもささやかな接吻を楽しむと、名残惜しみつつそっと彼女の唇から己の唇を離す。
「ぁ……」
ユリーヴィアも名残惜しいのか、かすかに声を漏らした。……また彼女と楽しい時を過ごすためにも、この絶望を乗り越えねばならない。そう再び決意を固め、深く呼吸をする。
それから玉座から立ち上がり、メイドに問いをかけた。
「シルヴェリッサの様子は?」
「はい。ご起床なされてからずっと、展望塔よりフィンルフ大森林のほうを窺っておられるようです」
「そう……。妙な気を起こさないように、引き続き見張っておきなさい」
「はい」
正直なところ、見張りをつけるのは心苦しいし、彼女の強さを鑑みるといざというときに取り押さえることも難しいだろう。だが戦う意思のない者に手を上げる性格では絶対にないといえるので、他に考えが浮かばない以上、メイドに任せる以外なかった。
(シルヴェリッサ……お願いだから、いざというときは素直に逃げて頂戴)
これはこの国の問題だ。代表騎士に見初めたとはいえ、部外者の彼女を巻き込むわけにはいかない。
もちろん穏便に解決する可能性だってあるのでギリギリまでは城に置くが、もし竜が荒事を選べば、そのときは自分が出ていってでも彼女たちが逃げる時間を稼ぐつもりだ。
ぎゅっ……と、手に力を入れる。
(――リフィーズ・ファル・ソウェニア、一世一代の正念場よッ……!)
◇
――――――――――来る。
遠く遠く、大森林の奥に霞むエラッフェ旋塔の頂の辺りから大きな暗雲が発生し、やがて徐々にこちらへと向かって進んできた。
おそらくあの中にいるのだろう。緑竜ディーガナルダが。
「…………」
己の後方へ目を向ける。
自分の担当メイドが、ひどく神妙な面持ちでこちらに目を向けていた。朝おきてからずっとこの調子で、どうもこちらが『妙な気』を起こさないように気を張っているらしい。
また目を前方へと向き戻す。
暗雲がかなりの速度で近づいてきていた。もうここからエラッフェ旋塔の距離の半ばほどまで進んできている。
……もしも彼の竜がこの国との問題に対し穏便な様子であったならば、周りへの被害の可能性を考えて今回は手逃すつもりだ。しかしもちろん、彼の竜が他の命を戯れに踏み荒らしたことを許す気はない。今回は逃がそうとも、けじめは後につける。
とはいえ、これはもしもの話だ。そしておそらく、現実になる可能性は低いだろう。
――…………いよいよ、時がきたようだ。
巨きく塒を巻く暗雲が、上空一帯を覆い尽くす。城壁の上に見える騎士や兵たちは、いつの間にか皆一様に膝をついていた。なるほど、伏し拝んでいるらしい。自分が先日に伝え加えたディーガナルダの言に従っているようだ。
と、暗雲の中心から、荒れ狂う風を纏い緑の竜が姿を現した。
「クハハハハハハハ! 聞くが良い小畜共! 我輩こそは吹き荒ぶ風を従えし竜の王、ディーガナルダであるッ!」
アルティア標準語で話している。相手は人間なのだから当然か。
場に緊張が走ったのを感じてか否か、ディーガナルダは眼下を睥睨してさらに続けた。
「――うむ。良い、良いぞ。しっかりと伏し拝んでおるではないか。しかし許しを乞う声が聞こえぬなあ」
「――――風を従えし竜の王ディーガナルダ様ッ!」
「む? おお、そこか。小畜の雌よ、許可しよう。話すが良い」
リフィーズ。どうやら城の中央にある塔の頂にいるようだ。ここからだとあまりよく見えない。
「ありがとうございますッ! 妾はこの国の王、リフィーズ・ファル・ソウェニアと申しますッ! 貴方様の供物を盗んだ賊はこちらで捕らえましたッ! 贄も他にご用意いたしましたので、どうかッ! どうかそのお怒りをお鎮めくださいッ!」
「――ほう」
上空へと声を張り上げるリフィーズの言に、ディーガナルダは少しだけ間を置くと――
「――ならん。死ね」
「! リフィーズ様ぁぁぁぁーーッ!!」
たしかこれは、アダックの声。どうも護衛をしていたらしい。
次の瞬間、ディーガナルダがその翼をぐぐ……っと一層に広げた。
「……”緑刃抜剣”!」
唱えると同時に、縁へ向かって駆け出す。メイドが何かを叫んだが、無視して跳躍した。そして、
迸る淡緑の燐光を纏い顕現した『風』を従え、空を駆ける。
「諸共に死ねぇぇぇいいッ!」
ディーガナルダが叫び、その翼に羽ばたきから暴風が生まれ出でる。が、
「――何ぃッ!?」
”ストームグリーン”を軽く振るい、それをかき消した。『風』の具現たる剣だ、このくらいは何ということもない。
「シルヴェリッサ、なの……?」
「おお、なんという力よッ……!」
そういえば、この姿は見せたことがなかったか。リフィーズとアダックが後ろで驚いている。だがディーガナルダは……わなわなと身体を震わせ、グルルと低い唸りを鳴らしていた。
「うぬはあの時の……小畜の分際で空を飛ぶかアアアァァァァーーッ!!」
咆哮。
ディーガナルダが天に向けた口から風が巻き起こり、上空の暗雲を貫いた。するとその巨大な雲は一気に晴らされ、そして――
「「なっ!?」」
――瞠目する。
竜。竜。竜。
ざっと見ただけでも十は下らない数の竜が、その姿を現した。
まずい。
まさか群を引き連れてくるとは予想していなかった。このまま散らばられては手が届かなくなる。
即座にディーガナルダへ向けて剣を振るったのと、彼の竜が再び咆哮するのは同時だった。それに呼応するような咆哮がいくつも上がり、竜たちが街へ城壁へと散らばっていく。
「グオァッ!?」
そしてディーガナルダの胸に剣撃が届いた。が、存分に力を込められなかったこともあってか、思ったよりも浅い。相手が風属性で、風の力への耐性を持っているのも一因だろう。
反射的になのか、呻きながらもディーガナルダが尾を振るってくる。それを剣で迎え撃ち――断ち切った。
「ギィギャアアアアアアアアアアァァァァァァーーーーーーッ!!!!」
激痛に苦しむ絶叫が大気を震わせる。飛び散っていた竜たちが止まり、振り返った。
「嘘……竜と渡り合って、いえ、圧倒している……!」
「おお、おおぉぉ……ッ!」
「グッウウゥゥ……! 何故だ……何故だ……小畜ごときがこんな……!」
ディーガナルダが怯んだように呻く。
続けて攻撃を加えるべく飛び込み、剣を振り上げた――そのとき。
天空が――裂けた。
「……!」
「ヌウッ!?」
「こ、今度は何!?」
「わかりませんがリフィーズ様、この隙に下がりますぞッ!」
裂け目の中に見えるのは、虚ろなる錆色の空間。
(錆色……)
胸が煮えるような、肌が焦げ付くような、凄まじい嫌悪感。
なぜだろう、見ているだけで心がざわつく。
と、
「グヌッ、な、何だこれは!? ッガ!? ウ、ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーッ!!!!」
裂け目から溢れ落ちる濃密な錆色。
それがとてつもない勢いでディーガナルダを包み込んだ。
いったい何が起こっているのか。
わからない。わからないが、良くないことであるのは間違いないだろう。
(どうする……?)
急然の事態に自問した次の瞬間、
「――――グオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッ!!」
轟く咆哮と、集束していく錆色。そこにあったのは、禍々しく変貌したディーガナルダの姿だった。
身体中には甲殻や鱗を突き破るようにして錆色の棘が生え、凶悪な気を放っている。頭部には新たに二本の角。切断したはずの尾も再生し、刺々しく変化していた。
「――――クハッ」
ディーガナルダの口から笑みが漏れる。
……やはりというべきか、どうも予想が当たったようだ。
「クハハハハハハハハハーーッ! 素晴らしい! 素晴らしいぞッ! とてつもない力が沸き上がってきおるわッ!」
狂喜したように笑い続けるディーガナルダ。そして天空の裂け目は、何事もなかったかのごとく消え失せた。
ピタリと、笑みが止む。
「さあ小畜――死ぬがよい」




