95話
前回に引き続き鬱耐性のない方はご注意ください。
あと主人公不在です。
◆
今より4年前。
クーナが発起し村を出てから、3年後のこと。
ロペリは自分の胸の中で、ある想いが募るのを感じていた。
自分も村を出て都会で暮らしてみたい、という想い。
それは田舎育ちの者ならば誰でも抱き得る、ごくありふれたものだ。もちろん村の暮らしに不満があるわけではないが、とにかくその憧れを胸に、自分も意を決して都会へと出た。
行商人に頼んで街へ同道、住み込みで食事店の給仕の仕事にも就き、充足した日々を手に入れて久しくなりかけた頃――。
「娘、少し良いか」
「はい?」
休日をもらい、買い物でもと歩いていたところを呼び止められ、振り返る。
知らない男だった。格好は少しだけ上等、といった具合だろうか。
とにかく呼び止められた理由がわからず、首をかしげた。
「急な話だが、あちらの馬車におられる我が主が、お前を見て気に入ったようでな。屋敷でメイドとして雇いたいと仰せだ」
「え? わ、私が、ですか?」
「ああ。屋敷には使用人用の部屋もある。もちろんだが貴族街にも出入りができるようになるし、給金に関しても期待していい。どうだ?」
「――う、うれしいです! ぜひよろしくお願いします!」
上流階級に雇われるなど、うれしくないわけがない。いま働いている場所の人員にも余裕があるし、断る理由がなかった。
――うなずいて、しまった。
それからトントン拍子に進み、新たな職場――下級貴族ゲースマンの屋敷での日々が始まる。掃除や洗濯、お茶の用意や給仕など、覚えることは多かったが、それなりにやりがいも感じられた。
そんなある日……。
「ご主人様、お茶をお持ちいたしました」
『入れ』
「失礼いたします」
執務室の扉をそっと開き、給仕用ワゴンを引きながら入室する。数日前から言い渡された役目だが、やはり緊張は禁じ得ない。
ともあれ、無礼のないよう注意しつつ、先輩に教わった通りにお茶を入れて茶菓子とともに出した。ゲースマンは少し手を早めておそらく切りの良いところまで作業を進めると、そのお茶を一口ふくむ。そして次に茶菓子である”ハニークキィ”に手をつけ、再びお茶を口に含んだ。
「美味い」
「ぁ、ありがとうございますっ」
「ははは、慣れるまではもう少しかかりそうだな」
「も、申しわけありません」
少し恥ずかしくなりながら頭を下げる。ゲースマンはそれに「構わん」と短く言って、また茶休憩に戻った。
主の休憩が終わるまで壁に寄って待機しているように教わっているので、その通りにしようとまず一つ礼をする。
「では壁の側に待機しておりますので、なにかご用がございましたら何なりとお申し付けください」
「あぁ、いい。ここにいろ」
「え、は、はい」
「…………」
「…………」
言われたのでその場に待機するが、いっこうに申し付けがこない。
「あ、あの」
「なんだ」
「その、ご用命は?」
「用がないと側に置いてはいけないか?」
「え……」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
「あ……ぅ……///」
意味を理解すると、今度は顔が熱くなっていく。それを見られるのが恥ずかしくて、たまらずうつむいた。
「い、いけなく、ない、と思います……///」
「そうか」
なんとか絞り出した自分の言葉に、ゲースマンは短く微笑した。
自分とて女だ。一度は玉の輿を夢見たこともあるし、ここで期待するなという方が無理だろう。それにゲースマンは独身と聞いていたのでなおさらである。
そういえば自分はゲースマン直々に気に入られて雇われたのだ。これはもう確定と言ってよいのではなかろうか。
「…………///」
「む、顔が赤いが、具合でも悪いのか?」
「い、いえっ、なんでもございませんのでっ」
「そうか? ならばよいが……」
そう言ってゲースマンは再びお茶を口にし、一呼吸する。
「そうだロペリ、少し話に付き合ってくれるか。ただ食べて飲んででは少しばかり暇でな」
「は、はい。私でよければ喜んで」
「そうか。では、お前は自動人形というものを知っているか?」
「いえ、聞いたことがありません」
「魔巧技師の中でも数えられる程度の一部の者しか作ることができない代物でな、まるで生きているかのように動く人形らしい」
「生きているかのように、動く……」
それは、とんでもなくすごいことなのではないだろうか。
「”ゴーレム”を作れる者はそう少なくないが、自動人形となると次元が違うそうだ。その分かなり高額でな、聞いた話では4百~5百万メニスはするらしい」
「そっ、そんなにですか」
やはりとんでもない値段だ。自分などでは手を伸ばすことすらできないだろう。
「ははは、驚いたようだな。そうそう、5百万メニスといえば……さすがに”ジュエリーパピヨン”は知っているな?」
「はい、それはもちろんですっ」
「やはり女性の憧れか。それでその”ジュエリーパピヨン”だが、希少過ぎて辺境の町などにはその値段相場が正しく伝わっていない場合がある、という話は聞いたことがあるか?」
「え、そうなのですか?」
「ああ。本来ラナンド商会が見定めた基準では5百万メニス前後となっているが、ひどいところでは5十万メニスになっていたりするそうだ」
「そっ、そんなに変わってしまうのですか」
驚く話である。しかし、なぜそんなになってしまうのだろうか。
「その希少さと、世の女性たちがこぞって話題にするからだろう。実物に触れたり目にする機会も少ないからか、どうも正しい正しくないに関わらず噂がどんどん広まってしまっているらしい」
なるほど、なんとなくわかる気がした。
「そうそう、それからこんな話も――」
と――いろいろな話をしていくうちにゲースマンに対する好感も湧いてきて、しかしやがて茶休憩とともにそんな楽しい時間も終わってしまうのだった。
「ふむ……名残惜しいが、そろそろ仕事に戻らねば。楽しかったぞ、ロペリ」
「そんなっ、私のほうこそいろいろなお話を聞かせていただけて、楽しゅうございました」
「そうか。……なあ、ロペリ。今宵、一人で別館に来てくれるか?」
「え?」
別館。
それはゲースマンが『お気に入り』のメイドと楽しむための建物だと聞いている。ということは……。
「は、はははいっ、あのっ、わ、わかりました……///」
「では、また夜に、な」
早くも緊張と恥ずかしさで震える手をなんとか抑えつつ、お茶の一式をワゴンに片して部屋を後にする。そしてなるべく平静に努めながら厨房まで戻ると――、
(ど、どうしよう~~~~っ///)
一気に動揺が溢れ出て、頭が真っ白になった。両手は無意識に頬を押さえてしまっている。
たしかに今回のような申し出は、女としては嬉しい。嬉しいが、しかしそれと心の動揺とは別の問題だ。そもそも、
(わ、私そういうの、ぜんぜん経験ないのに……だ、大丈夫かな)
こんな田舎育ちの生娘などが貴族様の興に添えるのだろうか。と、そんなふうに思えてしまう。それに『お気に入り』は自分以外にもいるのが確実なのだから、不安感はなおさらだった。
「ん? あ、こら新人! サボらないの!」
「ふあっ!? ご、ごめんなさいっ!」
厨房の前を通りがかった先輩メイドから叱責を受け、慌てて仕事に戻る。そうやって心を落ち着けられないまま時間はどんどんと過ぎていき――、
もやもやとした不安や緊張、そして期待なども胸にないまぜになったまま、やがて夜になった。
「…………っ」
こくん、と。
唾を咽下して、別館の玄関扉をノックすべく手を上げる。手を上げて……それから動けなかった。
この扉をノックすれば、いよいよそこからは別世界。
心臓が高鳴る。呼吸は早まり、手のひらは汗で湿りを帯びる。
怖じ気づきそうになりながらも――意を決して扉を叩いた。
『……誰だ』
「ぁ、その……ロペリでございます」
『入れ』
「は、はい、失礼いたします」
扉の向こうからのゲースマンの声に従い中に入ると――暗かった。いや、正確には窓からの月光でそれなりに見えはする。が、本来あるべき照明による明るさは皆無だった。壁などに設備自体はあるようだが、どれも沈黙している。
少し疑問とは思いつつも、それに気を向けている余裕はもちろんなかった。
「地下へ行く、ついてこい」
「え、は、はい」
なんだろう。ゲースマンの態度というか、まとう空気というか。うまくは言えないが、何かおかしなものを感じた。
しかし、やはりそれに気を向ける余裕はない。言われるまま追従するしかできなかった。
「…………」
「…………」
言葉もなく、ただただ静かに足音が二つ並ぶ。
廊下を奥に進み、階段を下に降りた。冷たい石造りの、ごく普通の地下階。いくらか別れた通路、部屋の扉も普通にいくつか窺える。
なんら変なことはない。ないはずなのに、なぜか――悪寒がした。
だがここまできて引き返すなどすれば主の不興を買ってしまう。相手は下級とはいえ貴族だ。そうなってしまえば、もう自分は街にすら居づらくなるだろう。
「…………」
なにも言わないゲースマンの背が、妙に怖くなった。
「ぁ……あの……」
形無き恐怖にたまらず声をかける。
しかし、
「ついたぞ」
「え……」
立ち止まったのは……鉄製の暗い扉の前だった。
おかしい。
そういうことをするのに、こんな地下の奥で、こんな物々しい扉の部屋で……? さすがに経験のない自分でも違和感を覚えた。
「あ、あの」
「入れ。すぐにわかる」
「あの、でも……」
「暗くて静かな場所で興じるのが好きなのだ。納得したか? さあ、入れ」
「きゃっ!? ご、ご主人様っ?」
腕を掴まれた。決して弱くない力で、まるで逃がすまいとしているかのように。
逃げなければ。
いまさらに、そう気づいた。
「やっ、やめてください!」
「入れ!」
「い、いやっ! いやです!」
抵抗するも、力の差が大きく効果はほぼなかった。そして壁に強く叩きつけられる。背中に重い衝撃と、短く息が漏れ出た。
「あ、っ……ぅ!」
自分が怯んだ隙に、ゲースマンは鉄扉を開いて再びこちらの腕を掴んでくる。ぐいっと強く引き寄せられ、もう片方の腕も一緒に後ろ手にさせられた。
そして……目に映った部屋の中の状態に、背筋が凍る。
地獄。
ところどころに転がるボロボロの女性たち。ある者は皮膚がズタズタで、ある者は身体中の至るところに殴られた跡があり、ある者は血傷にまみれ……全員が虚ろな目をしていた。
黒く血の跡が染みついたさまざまな拷問具がある中、普通の物と思われるベッドが一つだけ混じっている。それが却ってこの場所の異常さを象徴しているかのようだった。
「あ……あ……」
これは現実なのか。一瞬わからなくなり、声が漏れる。その次の瞬間――前に突き飛ばされた。
「きゃあっ!」
そして、
――ガチリ……。
錠の閉まる音。
恐怖に硬直しながらも、振り返る。
おぞましい暴虐をまとった笑みが、自分を見下ろしていた――……。
◆
「…………」
言葉が、でない。
ロペリも、話し終えてからずっとうなだれている。途中からこぼし始めていた涙も、止まる様子がなかった。
沈黙。
沈黙……。
沈黙…………。
ロペリの嗚咽だけが、耳に響く。
許せない。
しかし、どれだけ怒りや悲しみを溢れさせても、自分はただの庶民。貴族に報復などできるはずもないし、ロペリの身体を治すこともできはしない。
なにも……なにもできないのだ。
(ひどいよ、こんなの……ひどすぎるよ……!)
唇を噛み、己の手のひらを痛いほど握りしめる。
どんなに憤っても、どれだけ怒りや悲しみを募らせても……自分には、なにもできないのだ。
この状態では、もはや高ランクの薬を使ったとしてもどうにもならないだろう。
(……いや、待って? そういえば!)
思い出すのは、修行時代に師匠から聞いたなにげない話。
『昔、最上級の調合師が作った初級の解毒薬が、強力な劇毒を綺麗に消し去った』という話だった。調合のスキルLvが高いと作った薬の効果も多少なり高まるのは周知されているが、それほどまでの効果の上昇は聞いたことがなかったので、そのときはとても驚いたのを覚えている。
治る、かもしれない。
スキルLvが高い調合師に、高ランクの薬を作ってもらえれば、あるいは。
まずその調合師自体を見つけなければいけないし、たとえ見つけても、きっととんでもない値段を求められるだろう。だが関係ない、知ったことか。
(探して探して探して、絶対に見つける。お金だって、どんなに高くたってかまうもんか。たとえ足りなくても必ず貯めてやる! 絶対に、絶対に!)
決意を胸に立ち上がり、ロペリを後ろから抱きしめる。
「ぁ……クー、ナ、ちゃん……?」
「大丈夫だよ、ロペリ姉さん。私がきっと、ううん。絶対に治してあげる。だから、安心して」
「…………」
ここからでは表情は窺えない。
けれど、ロペリはそっとかすかに顔を上げ、
「……あ、り、がと、う……」
希望はわずかにこもっているが、諦念のほうが明らかに強い。おそらく自分の言ったことを本気には捉えず、ただ単に元気づけてくれただけだと思っているのだろう。
だが、本気にしてくれていなくともかまわない。
いつか、いつか必ず。
想いを胸に宿しながら、ロペリを抱く力を少しだけ強くした。
ジュエリーパピヨンの件。
なにげにシルヴェリッサが被害に遭ってたという話。




