92話
ごめんなさい、久しぶりなのに主人公不在です。
◆
夜の帳がソウェニアの街を染めてしばらくの頃。
貴族街の奥、サーヅリス家の屋敷にて、サイモンは固く閉ざした自室で昏い笑みを浮かべていた。
「クク、フハハ……! 器足りえぬ女王め、残り短い命をせいぜい足掻くがいい」
二日後の昼が楽しみでならない。
揉めた会議の結果、供物を盗んだ賊の捕縛に全力を注ぐことにしたようだが、そんなことは無駄である。完全に無駄なのだ。
なぜなら――
「かの緑竜ディーガナルダ様は、儂の……クク、ハハハハッ!」
忘れもしない、あの器足りえぬ女王が帰還するちょうど十日も前のこと。
『とある用向き』で秘密裏に森へ赴いた際、人の姿に化けたディーガナルダ様と出逢ったのだ。
最初は無礼な一民草だと思った。あろうことか大貴族たる自分に「供物を寄越せ」などと口にしたのだから、怒りもしよう。
憤激する自分に、しかしディーガナルダ様はクハハと笑ってその正体を見せた。
見上げるほどのその威容は、まさしく真の竜。
無礼を働いたのは自分のほうだったのだ。
あのときはもう死んだと思ったが、けれどもそうはならなかった。
初めに憤激したのを見てか、「小畜、さては群れの王か?」と問われたのである。一瞬だけ呆けはしたがなんとか自分が「王ではないが最高位の貴族」だと説明すると、なにやらディーガナルダ様は考え込んだ後こう言った。
”ならば小畜、我輩が手を貸してやるゆえ、王になるがよい”。
当然ながら、何を言われたのかすぐにはわからなかった。そしてやがて理解すると同時に、震えんばかりの歓喜に襲われたのを覚えている。
竜に選ばれた王。
そんなもの、伝承そのままではないか。しかも自分がその主役となるのだ、歓喜興奮しないほうがどうかしている。
是を示した自分に、ディーガナルダ様はさらにこう言った。
”汝、王となったらば群れの全てで我輩を崇めよ”。
「ええ、ええ、仰られるまでもありませぬぞディーガナルダ様ッ。儂が王となったあかつきには、国を挙げて貴方様を崇め奉りましょうぞッ……!」
興奮のあまり声が滲み出てしまった。ここは自分の領域とはいえ聴かれてはまずい。少なくとも、今はまだ。
自分を落ち着けていると、ノックがされた。
「……誰だ」
『あんたの飼い犬だよ』
「ふん、入れ」
間もなく現れたのは、少し重量のある皮の軽鎧をまとった男。
名はビーベ。他国の領町でBランクの冒険者として活動していた輩だ。
下賤の者にしては、という言葉は先につくが、そこそこ頭の出来もいい。他の粗暴な冒険者どもと違い、考え無しな行動をしないため、そこは信用できる。
だが先日、一つ言わねばならない案件が起こった。
「この大事な時期に警戒を促しかねん問題を起こしおって……部下の手綱はしっかり握っておけ馬鹿者!」
「あー……俺も奴らには羽目を外しすぎないよう常に言っておいたんだがな。やはり大貴族様の後ろ盾に酔ってんのがほとんどで、いまいち緊張感を持ってる野郎が少ねぇ」
「ちっ、やはり冒険者などを使うのはリスクが大きすぎたか……」
額に手を当てながら自分がそうこぼすと、ビーベが肩を竦める。それにまた苛立ちを覚えながらも頭を振った。
リスクが大きい、確かにそうだ。しかしそれでも、私兵や自分の色がついた者を使うよりはずっといい。いざとなれば切り捨てればよいし、白を切る手段などもいくらなりとある。
「まあ怪我したのは野郎どもだけってことで、牢獄からは短い間で出てきたみてぇだが……目は付けられちまっただろうし、しばらくは捨てといたほうがいいよな」
「……わかっておるならよい。それから『例の仕事』についてだが、これから賊に対する捜索が大きくなる。控えておけ」
「了解。……にしても、気になるな。例の銀髪の女、低ランク揃いとはいえ冒険者を複数相手にして返り討ちとは」
「…………」
その娘に関しては確かに気になる。あの女王が急に代表騎士にするなどと戯言を吐いたときは何を馬鹿なと思ったが、あの騎士団長ガナンをも容易くいなす実力も見れば納得と言わざるを得ない。
だが。それでも、だ。
どれだけ強かろうが人である以上、脅威になどなりはしない。なぜならこちらにはディーガナルダ様が付いているのだから。
「ふん、心配せずともお前と当てようなどとは考えておらん」
「そりゃありがてぇこって。聞くにその女Aランクとかいう話じゃねぇか、勝てるわけねぇよ」
ビーベは悔しがるでもなく、おどけたようにそう言った。相変わらずふざけた態度と思うが、この男との付き合いも近いうちに終わる。構うことはない。
「それで、話はもう済んだか?」
「ああ、済んだ。もともと森から戻った報告が目的だったしな。で、『獲物』はいつも通り好きにしていいんだよな?」
「構わん。賊に盗られた物品など扱えるか」
「そりゃそうだ」
そうしてビーベはくつくつ笑い、去っていった。
再び部屋に夜の静寂が訪れる。
「……礼無しが」
吐き捨てる。やはり下賤は厭わしい存在だ。
できるなら面と向かうことはしたくないが、今は仕方あるまい。
だが、あと少しで全てが終わる……いや、始まるのだ。
あと少し――あと少しの辛抱である。
◆
夜の静寂の中。ソリステラは一人、屋敷の廊下を歩いていた。
向かう先は、地下。
途中、その地下階へ降りる階段を見張る衛兵の前を通るも、言葉はない。それどころか、本来あるべきはずの礼儀すらも……。
もはやこの屋敷に、祖父サイモンの側でない兵などいないのだ。もとからサーヅリス家に仕えてくれていた者たちは、全て街の外に出払わされている。
気が沈み表情まで陰るのが自分でわかったが、今から向かう先にこのままではいけない。頭を振って軽く深呼吸をし、気持ちを直す。
壁掛け燭台に揺れる静やかな火が照らす冷たい石の地下廊を進み、やがてひとつの扉の前にたどり着いた。ノックをする。
『どうぞ』
「……失礼します」
去来する辛さを堪えながら、扉をくぐる。
そこにいたのは、
「また来てくれたのね、ソリステラ」
母、リージェス。
おさげにした一纏めを右肩から前に垂らし、服はまるで庶民が着るような簡素なブラウスと長スカートを穿いている。……いや、穿かされている、というべきか。
軟禁、されているのだ。父ウィズムが臥せってからずっと。
祖父サイモンが下賤の者を嫌悪しているのはよく知られている。そして母リージェスは地方村の庶民の出であり、父ウィズムとの婚姻を祖父に強く強く反対されたという過去があった。
とはいえそのときは当主が父に替わって久しく、結局は結婚まですぐだったと聞いている。
そういったこともあって、今回のように機会があれば祖父が母に対して酷い仕打ちをするのは予想に難くなかった。母の服装や部屋の質素さも、きっと「下賤の者は下賤の者の格好をしていろ」ということなのだろう。
「お母様、お加減はどう?」
「心配しなくても大丈夫よ、変わりないわ。それよりあなたのほうこそ表情が沈んでいるわよ」
「……今日も、わかる?」
「それはそうよ、私はあなたのお母さんなんだから。……こっちにいらっしゃい」
「はい」
言われた通り、椅子に掛ける母のそばへ寄っていく。
すると母は静かに立ち上がり、そっと両手を広げて「おいで」と優しく微笑んだ。
その瞬間、自分の中で、我慢していた何かが溢れる。気づけばもう、母の胸に抱かれ泣いていた。
「う、うぅ……ぐす……っ……!」
「あなた一人に辛い思いを背負わせてしまったわね。ごめんなさい、ソリステラ」
優しい言葉とともに、背中が撫でさすられる。包み込まれるような安心感が、そこからじわりと染み込んできた。しかし、涙は止まらない。
「わ、私がっ……私が、がんばらないと……! 私が、家を守らないと……っ!」
父は臥せり、母は軟禁されている。
8歳の妹は……幼いゆえに祖父に己の後継として見初められ、ほとんど染まってしまった。
何度エルツィアに助けを求めようとしたかわからない。だが、もしそれで祖父が思わぬ行動に出て母が傷ついたらと思うと、そうするわけにはいかなかった。
「いいのよソリステラ。いいの、無理しなくて」
「ぐす…………ううん、大丈夫。もう、大丈夫」
サーヅリス家を守る。そのためには父を治すしかないと考え、まず臥せった原因を容態から探ろうと様々な書を読み漁っているのだが、今もまだ全く手掛かりは掴めていない。
日に日に焦りと絶望感が募り、恐くてたまらなかった。
だが、諦めない。諦めるわけにはいかないのだ。
「……本当に、強い子ね」
「お母様に似たんだと思う」
「ふふ、そうかしら」
「そうだよ」
似た、といっても、母の強さには敵わない。
倒れた夫を見舞うこともできず、さらには軟禁という酷い仕打ちも受けて……それでもなお、涙も弱音も何一つ見せないのだ。父も以前からよく口にしていたが、本当に強い人だと思う。
「ごめんなさいお母様、もう行くね」
「ええ、来てくれてありがとう」
そうして最後に頭を撫でられる。
来たときよりも随分と楽になった心地を感じつつ、地下階を後にした。
自分の部屋へ戻る道中、妹――血縁上、正確には従妹なのだが――のことを考える。
彼女サリビアは過去に両親を亡くしており、引き取られて現在は自分と姉妹という関係だ。
3年前の当初は幼いながらも己の不幸を理解していて暗い表情ばかりだったが、少しずつ、本当に少しずつ笑顔を見せるようになってきていた。
だというのに、今回の件である。
祖父サイモンの思想を植え付けられ、母を蔑視するようになってしまった。このままではいずれ、取り返しのつかない溝ができてしまいかねない。
と――、
「……サリちゃん」
以前よりも少し華美なベッドドレスを着たサリビアと、曲がり角で鉢合った。子供特有の柔らかくほどよい癖のあるその髪は、相変わらず綺麗で愛らしい。
「きやすくよばないで、げせんまじり」
サリビアが不機嫌そうに眉をひそめ、そう言い捨てる。
下賤混じり。庶民の血が混じった者、つまり自分のことらしい。
そう呼ばれるようになったのは、祖父サイモンが彼女を見初め、いろいろと吹き込むようになってからだ。
「こんな時間にどうしたの? 早く寝ないと駄目だよ」
呼ばれて悲しいが、なんでもないように表情を繕いつつ注意する。
「うるさい! めいれいするな、げせんまじり!」
しかしサリビアはそう怒鳴ると、自分を押し退けて去っていってしまった。
「…………」
もうあれから何度目になるか。妹のあまりの変わりように悲しみが押し寄せ、うつむいた。
だが……だが、父が目覚めて家が立ち直れば、きっとサリビアも以前の彼女に戻ってくれる。きっと、きっとまたあの笑顔を見せてくれる。
そう信じて、精一杯のことをしよう――。
改めて決意を固め、前を向いた。
名前の由来↓
『知』 サーヅリス家(サード)
ウィズム = 知識 wisdom
リージェス = 知性 intelligence
ソリステラ = ソリダスター 花言葉『知識』
サリビア = サルビア 花言葉『知恵』
ファースアル家のセルビアさんとサリビアが名前似てますが、半分は違ってるということで許してください。