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91話

     ◇




 夢を見た。




 内容は、景色の窺えない虚ろな空間に自分だけが居て、急に現れた正体のわからない『何か』に襲われるという短いもの。


 明らかな悪夢である。

 唐突に目を覚ました今、それが夢見であったことを自覚し、上体を起こして少し落ち着いた。


 夢というもの自体あまり見ることはないが、それを踏まえても今回は少し引っ掛かったというか、とにかく妙な感じが心に残っている。ただ、悪夢といってもそう恐怖を感じたわけではなく、そのせいかさほど息の乱れも寝汗もなかった。


 暗い静寂に包まれる部屋の中、すぐ周りではアーニャたちがすうすうと静かに寝息をたてている。まだ日も昇っていない深夜だ。当然だろう。


 自分の腿の辺り、きゅっと寄り添うようにして眠っているウルナと、その左右反対側のエナス。どうも彼女ら二人はこの位置が落ち着くらしい。

 なんとなくそんな気分になり、ウルナの頭をそうっと撫でた。


「んん、ぅ……♪」


 寝ていても撫でられているのがわかるのか、気持ちよさそうに身を捩り、わずかに頭を手にすりつけてくる。

 ひとしきり撫でてから手を離し、先ほどの夢を思い返した。


 襲いかかってきたあの正体不明の『何か』だが……ひとつ気になる点がある。

 錆色・・、だったのだ。


 ”黄岩陸”や”ストームグリーン”。あの黄猿と緑鳥が見せていた粒子と、そして――


 ――邪怨じゃえん


 あれらが纏っていた気と同じ、錆色。

 果たして単なる悪夢……なのだろうか。


 …………。


 ……いや、さりとて意味がある、と明確に言えないのもまた確かである。結局、今は気にしたところで詮無きことだろう。


「………………」


 一息。瞑目する。

 どうも完全に目が冴えてしまったらしい。


 どうしようかと少し思案し、結局もうに入るのは諦めることにした。

 アーニャたちを起こさぬようにそっと寝台を抜けると、静かに部屋を出る。


 夜闇に染められた静寂な城内が、自分にとっては少々しょうしょうからず心地よかった。


 深夜とはいえ、どうやら人がいないわけではないようだ。見張りらしき兵たちがちらほら徘徊している。何度か遭遇したが、全員とも少し驚きながらも黙って静かに一礼を残していった。


 そうして玄関大扉まで着くと、外へ出るためその前まで歩み寄っていく。

 しかし、


「申し訳ございません。こちらの大扉は原則、陛下がお休みなされたのちご起床なさるまで開閉を禁じられております」

「出入りなされる際は横口よこぐちをご利用ください。こちらへ、ご案内いたします」

「……ん」


 と、大扉の脇に設えられた普通の大きさの扉まで連れられ、そこから外へ出た。その際に「夜風でお身体を冷やされぬよう、お気をつけください」と送られたが、その程度でやられるほど身体は弱くないしもともと寒暑には強い。が、とりあえず「……ん」とうなずきは返しておいた。




「…………」


 優しい静寂。心地のよい夜風。

 チリチリ……、シャラシャラ……と、虫の音色も耳に美しい。


 虫の音もそうだが、自分は自然の色音いろねというものが好きだ。前の世界にいたときも、草木のさざめきや鳥の鳴き声などによく心を浸していたものである。


(……座るか)


 庭木の一つ、その根元に腰を下ろし、夜天の月を見上げた。満天の星空の中、ひときわ煌々としていて美しい。

 夜明けが遠くないこともあってかあまり高い位置にないが、それでもその美麗さに曇りなどは一片たりとなかった。


 ……。…………。………………。


 静かに時間が流れていく。


 ひゅるひゅるという風の音も、草木のサラサラさざめく音も、虫たちがコロコロ唄う声もまた、何度も何度も繰り返し夜闇に生まれては消えていった。


「…………?」


 そうしてどれだけ経った頃だろう。朝が近づく空気の中、にわかに小さな気配が囁き出した。


(厩舎のほうか)


 気配といっても悪性は感じないので、特に気を張ることなくそちらに歩いていく。すると、



「ピュイッ。ピュイッ!」

「グォウッ! グォウッ!」



 セルリーンとルヴェラだ。

 蹴ったり殴ったりと打ち合いをしている。しかし喧嘩などではなく訓練事であるのは一目見ればわかった。


 肉弾戦を目的としているのかセルリーンは地上にいるままで、蹴りや体当たりを繰り返し、またルヴェラはそれに応戦する形で隙を見つけては打撃を撃ち込もうとしている。


 互いにあまり上手い動きとは言えない。なんというのか、そう、ただ流れのままに体を動かしているだけなのだ。あれでは得られるものも少ないだろう。


「……そこまで」


「ピュイッ?」

「グゥッ?」


 前まで出ていくと、セルリーンとルヴェラは少し驚いたように動きを止めてこちらを見た。セルリーンはいつも通り「ピュイー♪」と抱きついてきて、ルヴェラはほんのりおどおどした様子で寄ってくる。


「……セルリーン」

「ピュ?」

「……飛べない相手には、無理に地上で戦うな。お前は接近戦に向かない」

「ピュイ……」


 自分が言うと、セルリーンは何か思うようにうつむき、片方の膝を上げてその足を見つめた。彼女のその行為の意味を図りかね、少し考える。どうも悩んでいるようだが……。


「…………鉤爪が不安か?」

「ピュイ」


 その通りだったようだ。おそらく空中地上の両方に於いても、彼女なりに決定打として不安を感じているのだろう。

 たしかに、わからないではない。もともとセルリーン、というより”ハーピー”という種には腕手わんしゅがなく、物理的な攻撃手段が脚部によるものしかないのだ。


「……見せてみろ」

「ピュ」


 膝をついて屈み、セルリーンの上げた足に手を添えて眺めてみる。


 細やかながらもしっかりとしており、強い。生物的な温もりも伝わってきた。

 見る限り爪部分も十分に鋭く、問題はないように思う。が、当のセルリーンはそう思っていないらしい。


 例の緑竜ディーガナルダ。あれの影響だろう。

 セルリーンとしてはやはり、あの竜に突き立て得る牙がなかったことが強く悔ましいようだ。


 ……しかし、とはいえどうしたものか。

 彼女には『風魔術』という武器もあるが、おそらくより上位の風属性であるディーガナルダには通用しないだろう。


 まあそもそもあの竜は自分が片付けるつもりで、セルリーンもそう理解しているだろうが、問題はおそらくそこではない。きっと今回の件でディーガナルダのことがしこりにというか、精神的な引っ掛かりになっているのだろうと思われる。


 それが取り払われるような、彼女が納得する武器となると、何だろうか……。


(……そうか、武器・・か)


 もともと持っていないのなら、持てばよいのだ。

 部位は……翼に装着させる形が妥当なところだろうか。


 立ち上がり、セルリーンの翼手に軽く触れながら見定めてみる。


「ピュイ?」

「……ここにやいばを着けてみるか?」

「――ピュッ。ピュピュイッ!」


 セルリーンは少し「え?」と理解していない様子だったが、すぐに「なるほど!」といった具合にうなずいた。もともと野生であった彼女は、それゆえに『手を加えて作られた武器』を己が使うという発想が希薄なのだろう。


 ともあれ、だ。

 セルリーンが満足するよう、しっかりとした物を用意せねばなるまい。今日、『エッテアック』の帰りにでも武器屋なり覗いてみることにする。まあ正直なところ並みの店にそれほどの品があるとは思えないが、念のため一応だ。


 さて。


「……ルヴェラ」

「グッ、グゥッ!」


 向き直って呼び掛けると、ルヴェラが少々ビクリと返事をした。どうも以前から彼女は自分に対して緊張を示すことが多いように思う。まあ別にかまわないが。


「……どんなに力が強くても、ただ振り回しているだけなら棒きれと変わらない」

「グ、ゥ……」


 しょんぼりと項垂れるルヴェラ。


 棒きれは棒きれで使いようなのだが、それはこの際おいておく。それよりも、だ。


「……決定打になる一撃を作るか、それが難しいなら心臓を狙って打ち込め」

「グ、グォゥッ!」


 ルヴェラはギュッと拳を握り、強くうなずいた。セルリーンの場合と違って内面的な解決法になるため、あとは当のルヴェラ次第である。


 と、空の端がほんの薄らと白んできた。


「…………」

「ピュイ~♪」

「グュゥ///」


 最後にセルリーンとルヴェラを交互に撫で、踵を返す。


 たまに夜月よづきを眺めるのもいいな、などと余韻に浸りながら、未だアーニャたちが寝ているであろう部屋へと戻っていった。



地の神子ドゥムカを本編に合流させるタイミングを少し伸ばしたほうがよいものか、それとも当初想定していた場面のままでいくべきか……。物語的にかなり重大な秘密を握っている娘なので悩みます。

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