9話
◇
木製のスイング式扉を開いてギルドに入る。ハーピーもトテトテッ、とついてきた。
ザワザワと騒がしかった室内が一瞬静まり、こちらに視線が集まる。大半の者はすぐに談笑に戻ったが、一部の輩はジロジロと全身を嘗めるように睨めてきた。
(……不快な視線だ)
どうやらこちらに対して劣情を抱いているらしい。こんな汚ならしい姿を見てそのような感情を抱くとは……。そういった目で見られたことは初めてだが、これほど不快な気分になるとは思わなかった。
奴らのうち数人はさらに、シルヴェリッサの後ろのハーピーにも同様の目を向けている。確かに半身は美しい女性の姿をしているとはいえ、節操のないことだ。
(当のハーピーは歯牙にもかけていないようだが)
彼女は基本、シルヴェリッサ以外の者はいないものとして扱うらしかった。先ほどアベカがシルヴェリッサにつきまとったときは、もの凄い形相で睨んでいたが。
下品な男たちは気にしないことにして、ギルドの内装を改めて見てみる。
広大な広場の中央と奥の2隅には正方形のカウンターがあり、職員らしき女たちがそれぞれ作業をしていた。特に中央カウンターは他の2つより大きいらしく、職員も10人ほど就いている。
手前の2隅付近には、複数掛けの椅子やテーブルがいくつもあった。そこに大勢の者たちが屯し、飲んだり騒いだりしている。恐らく、この者たちは”冒険者”なのだろう。
魔物を連れている者も、ちらほら見えた。
入口から見て両側斜め向かい、中央カウンターの真横の壁際に階段がある。どちらも地下に伸びているらしい。登り降りするのは、専ら給仕係と思しき女たちばかり。厨房やらが地下にあるらしい。
所々の壁面に掛けられたボードには、何やら紙切れが所狭しと貼り付けられている。さらにそれらを真剣に眺める者が何人もいた。
「……冒険者登録をしたい」
そんな周囲の状況を横目にまっすぐ中央カウンターまで進み、空いている職員に声をかける。するとその職員の女は、シルヴェリッサの汚れきった格好に怯みもせず、にっこりと微笑みを返してきた。
制服はルモネッタの物と色違いらしい。こちらの職員は皆、ブラウスが白、胸リボンとスカートが薄い緑色だった。
「はい、かしこまりました。ではこちらの用紙に、お名前と年齢、使用武器をご記入ください」
「……わかった」
羽ペンと用紙を受け取り、言われた通り記入しようとした。しかし書こうとした文字に対して、手が勝手にペンを走らせていく。驚いて咄嗟にその手を止めた。
「どうされました?」
職員が笑顔のまま首を傾げてくる。
無視して、自分の書いた文字を見てみた。……読める。
(シルヴェリッサ……と書いてあるな。自動的に『アルティア標準語』に変換されるのか)
そうと判れば気にする必要もあるまい。
再びペンを走らせ、やがて全て記入し終えた。職員に紙を渡し、ペンも返す。シルヴェリッサの無視に不快を表すこともなく、彼女は変わらず笑顔で受け取った。
「え~、っと……はい、結構です。では続けて、力量を測るための実戦試験を行います。試験官がすぐに参りますので、こちらでしばらくお待ちください」
「……ん」
指示通り待機していよう、と思ったとき、
「ようようねーちゃん、そんな柔そうな姿で戦えんのかぁ?」
「来るとこ間違えてんじゃねえの? 娼館なら向こうだぜ」
「なんなら俺たちが連れてってやろうか? ギャハハハハ!」
下品かつ屑な3人組の男が絡んできた。だがシルヴェリッサはほんの一瞥すらしない。視線を向けてやる価値もないからだ。
男たちはそんな彼女の態度が気にいらなかったのか、ただでさえデカイ声をさらに荒げた。
「おい無視してんじゃねえよ!」
「調子ぶっこきやがってこのクソ女が!」
「俺達ゃDランクの先輩だぞ!」
「ギルド内での揉め事は禁止ですよ! 新参の方に絡むのはお止めください!」
男3人のエスカレートを察知したのか、先ほどの職員の女が口を挟んでくる。どうせ止めるなら、もう少し早めにしてほしかったが。
「チッ、覚えてやがれっ」
「ぜってぇ後悔させてやる」
「1人で出歩くときは気ィつけるんだな」
興が削がれたのか、彼らは暴言を吐きながらも去っていった。何やら物騒なことを言っていた感もあるが、正直あれら程度ではシルヴェリッサに傷の一つもつけられないだろう。
「……可能な限り単独行動は慎んだ方がいいですね」
「…………」
職員の女が心配気にしていたが、微粒子ほどもない脅威など気にするだけ無駄だ。しかし彼女にそれを説明する意味もない。故にシルヴェリッサは黙っていた。のだが、
「大丈夫ですよ。今後ギルド側でも、彼らの行動には注意するようにしますので。安心してください」
優しげに励まされた。どうやらシルヴェリッサの沈黙を、『怖くて声を発せないでいる』と捉えたらしい。
誤解を解くのも面倒だ。なので試験官が来るまでの間、甘えてくるハーピーを撫でながら待つことにした。剣呑な空気に彼女が反応しなかったのは、シルヴェリッサの強さをよく分かっていたからだろう。
やがて試験官の大柄な男がやってきて、ギルド裏の広場へと連れ出された。ギルドと魔物取扱所の敷地を、そのまま更地にしたような広さだ。見事に何もないが、数人の冒険者たちが各々修練に励んでいる。
ちなみに試験官の男は普段、冒険者をしているそうだ。この町のギルドでは、暇な冒険者に試験官役をさせるらしい。
シルヴェリッサと試験官が来ると、彼らは一様に手を止め観衆の姿勢に移った。
試験官はそんな外野を気にすることもなく、試験内容を口にする。
「試験の内容は簡単だ。俺と戦って、5分間倒れなければ合格。晴れて冒険者の仲間入りってわけだ」
「…………」
「……聞いていたか?」
相槌も打たないシルヴェリッサに、試験官が怪訝そうに聞いてくる。シルヴェリッサは黙って頷いた。
「まあ、わかったならいいや。時間はこの砂時計で計る。質問はあるか?」
「……倒してもいいのか」
「んあ?」
「……お前を倒しても合格か、と聞いている」
「…………ぶっ」
――ぶわっははははははははははーーーーっっ!!
周囲のあまりにうるさい爆笑に、シルヴェリッサは眉をひそめた。何を馬鹿笑いしているのだろうか。
「いやいやいや! 姉ちゃんよぉ、俺って一応Cランクなんだぜ? 3人PTでオーガを1匹、討伐したこともある。そんな俺をお前さんみたいな新参が倒すなんて、無理に決まってるだろ! はははは!」
なんだ。そんなことで笑っていたのか。
オーガならシルヴェリッサは一撃で屠ったのだが、説明する意味もないので言わずにおいた。
「くあーっ、笑った笑った。さて、とっ、始めるか! おら、木剣だ」
「……ん」
「ピュイー!」
差し出された木剣を受け取り、ハーピーの声援らしきものを背に、男が構えるのを待つ。やがて男は、(シルヴェリッサから見れば)拙い構えを取った。
「うしっ、じゃあ試験開始だ――え?」
合図が出た刹那、シルヴェリッサは男の背後を取り、その首筋に木剣を突きつける。当の男とハーピーも含め、周囲は何が起きたかわかっていない様子だった。
「……合格、でいいな」
「あ……ああ、そ、そう、だな」
ようやく理解したらしい試験官の男が、呆けがちに頷いた。
◇
「す、すごい……」
「つ、つよいね……」
「き、きえた、よね……?」
「う、うん……」
「み、みえなかった……」
冒険者ギルド裏の広場の道脇にて。ボロボロでみすぼらしい格好の幼い少女たちが、呆然と呟く。ギルドの登録試験を偶々見学していたら、とんでもないものを見てしまったからだ。
元々彼女たちは、いつものように”とある仕事”をもらうために、ギルドの冒険者にねだりに行くところだったのだ。けれどひ弱で非力な彼女たちが雇ってもらえることは少なく、もし運良く仕事をもらえても、稼ぎはかなり微量であった。
しかし彼女たちが日々の糧を得るためには、危険の伴うその仕事でも、やめるわけにはいかないのである。
「……ねえ、あのひとなら」
「うん、いつもよりおかねもらえるかも」
「だね、もしかしたらたくさん」
「つれてって、くれるかな……」
「だいじょうぶっ、きっとやとってくれるよ」
何かを決意した様子の彼女らの瞳。そこには、1人の少女の姿が映る。
その少女の名は、シルヴェリッサといった。