8話
◇
「――おまたせしましたっ、”従魔刻印”を刻めば中に入れるそうですよっ!」
というアベカの報告を受けたが、言っていることの意味がわからない。
「す、すごい数……あっ、はじめまして、冒険者ギルド・魔物使い部門担当のルモネッタと申します。話を聞いたときは冗談かと思いましたが、これだけの数なら町が騒ぎになっているのもわかりますね」
なので彼女が連れてきた”専門家”の女――ルモネッタに任せたところ、いきなり血を求められた。
「……なぜ血がいる」
「奴隷や魔物に”刻印”をする際に必要なんです。主人となる方の血で、”刻印液”を作るんですよ」
「……わかった」
「では、こちらのナイフをどうぞ」
丁寧な物腰の女だな。服装も小綺麗だ。
長袖の黒いブラウスの胸元には、結び目に丸い小宝石がついた赤リボンタイ。膝丈の赤いフレアスカートには、腰側に大きな飾りリボンがついている。”ギルド”とやらの制服だろうか。
ナイフを受け取り、何の躊躇いもなく小指に傷をつける。その流れるような動作に、ルモネッタは驚いていた。
「肝が据わっていますね……」
「素敵……///」
「え……」
そしてアベカの様子に少し引いていた。だがそれは一瞬で、すぐに「こほん」と通常に戻る。スカートのポケットから片手サイズの黒い瓶を取り出し、差し出してきた。
「ではこの瓶に、血を数滴入れてください。22体と少し多いですが、一回で十分に足りると思います」
「……こうか」
言われた通りにすると、瓶の中身が一瞬だけ発光した。中を覗くと、なにやら赤暗い色の液体が揺れている。
「はい、それで大丈夫です。では、ハーピーの場合はお腹か胸元に、その液を塗ってください。この小筆でどうぞ」
「……わかった」
まずはリーダーらしき大きい者からいこう。ちょうど自分の隣に陣取ってきているからな。
小筆の先に液を付け、彼女の胸にそっと撫で塗る。
「ピュッ、ピュイッ~!」
くすぐったいのか、ぷるぷると耐えるハーピー。ふと、どれだけ塗ればいいのかと疑問に思ったとき、
《――ハーピー(※個体名なし)が従属しました》
《――以降、PTに加える・外すことができます》
……二行目はよくわからなかったが、どうやら本当に少しだけ塗ればいいらしい。
「ピュイ~♪」
嬉しそうに翼の腕で抱きつき、頬を擦りつけてくるリーダーハーピー。シルヴェリッサはその頭をそっと撫でてやった。
「(ああっ!? い、いいなあ……)」
アベカがなにやらボソボソと言っているが、シルヴェリッサは気にすることもせず作業を再開する。
同じような具合でハーピーたちを従属させていき、まもなくして最後の個体の”刻印”が終わった。
「お疲れさまでした。では規定事項ですので、あなたのお名前をお教えください」
「……シルヴェリッサ」
「(なっ!? わ、私は教えてもらえなかったのにぃ~っ!)」
「はい、シルヴェリッサさんですね……っと。はい、記録しました。では使役登録の方は、こちらでしておきますので。あ、”刻印液”はお返しくださいね」
「……ん」
シルヴェリッサは実に素っ気なく”刻印液”の瓶を返した。受け取ったルモネッタはポケットに瓶を仕舞い、真面目な表情で向き直ってくる。
「これでシルヴェリッサさんは、町にお入りいただけます。けれどさすがにハーピー22体を連れて入ることはできません。せめて1体に絞って、他は外で待たせるようにしてください」
「……わかった」
「それから”刻印”を通して『大人しくしている』ように命令しておいてくださいね。町中で急に暴れられでもしたら惨事ですし、あなたの責任になりますので。もちろん、命令は全個体にお願いします」
なるほど、”刻印”とは相手を従わせるための物なのか。そして魔物にも有効、と。
冒険者の仕事の一つに『魔物の捕獲』があるということだったが、そういうことか。”刻印”を刻んで従わせるわけだ。
(あとは愛玩用として飼うなり、戦闘に参加させる、か。有用だな。戦闘で使い潰すというなら気にいらないが)
ともあれ、今は町だ。
シルヴェリッサは全22体に『大人しくしていろ』と命令し、やたらと主張してきたリーダーを伴って町に入った。
外壁の門を潜るとき、衛兵にまだ少々警戒されたが、無事に町へ入れた。
今はルモネッタの案内で”ギルド”に向かっている。なぜかアベカもついてきていたが。……仲間の2人はどこに行ったのだろうか? 付きまとわれるのは好きではないので、できればこの女を引き取ってほしいのだが。
「ちょっとアベカ!」
「ア、アベカさん……」
と思っていたら、実際に現れた。なにやら仲間に怒っているらしい。
「ルモネッタさんを連れていったら、すぐに帰ってくるように言ったじゃない! アベカもまだ応急手当てしか受けてないでしょう!」
「は、早く休んで治療しないと……」
憤慨しながら、アベカを連れていこうと首根っこを掴むロシュリー。リーズは傍で、こちらに「す、すみませんっ……」と頭を下げてくる。当のアベカは、必死にこの場に残ろうとじたばたしていた。
「なっ、なにすんのよちょっと! 私には大事な用があるの! シルヴェリッサさんに町を案内しないといけないのよ! あっ、ああああっ~~……!」
わりと呆気なく、アベカはロシュリーに引きずられていった。町の案内など頼んだ覚えはないのだが。
「ご、ご迷惑おかけしました~……」
リーズは最後にもう一度ペコリと頭を下げ、2人を追いかけていった。
「賑やかな方たちですね」
「…………」
ルモネッタが微笑みつつ口にする。しかしシルヴェリッサとしては、賑やかというより騒がしい連中といった印象しかなかった。
「ピュイ~♪」
隣にくっついて歩くハーピーには、周囲から多数の視線が向けられている。騒ぎの現況だったからか。
「……そういえば、シルヴェリッサさん。アベカさんたちが護衛していた商人のこと、聞きましたか?」
逆隣を歩くルモネッタが尋ねてくる。
別にあんな人間のことなど興味がない。なので無言で返したのだが、ルモネッタは構わず続けた。
「アベカさんたちを雇って、セルエナ平原で魔物素材を集めていたそうですね。……けれど実は、彼が所属するラナンド商会に無断での行動だったみたいで。話を聞くに、普段からかなり評判が悪い人だったので、今回の件で商会から除名が決まっていたらしいですよ」
「……どうでもいい」
「まあ、死んでしまったみたいですからね。……なんでも、その、オーガが出たらしくて」
なぜオーガについてを、言いにくそうに口にしたのだろうか。なにかありそうだな。
「……オーガがどうした」
「え? あ、ああ、遠くから来た方ならご存知ないかもしれませんね。この町の周辺では、稀にオーガが大量発生するんですよ。そしてオーガが街道沿いに出てくることが、その凶兆と云われています」
そこまで話したところで、ちょうど”ギルド”と思われる大きな建物に着いた。もう一つさらに大きめの施設と隣り合っている。どちらの入口の上にも看板が掛かっており、知らない文字が書かれていた。
恐らく自分の能力値の言語欄にあった、『アルティア標準語』の影響だろう。難なく読むことができた。最初の建物が”冒険者ギルド”と、もう一方の施設は”魔物取扱所”と、それぞれ書かれている。
(……? そういえば、この世界とわたしの使う言葉は違うはず。しかし問題なく会話ができているな)
これも『アルティア標準語』の力だろうか。
「では、私は魔物取扱所に戻りますので、ここで」
考え込んでいると、ルモネッタがそう言い残して大きめの施設の方へと入っていった。
……さて、
(さっさと登録を済ませるか)
◇
宿屋『宵の花亭』、一室にて。
「――というわけで、あのアホ商人が今回手に入れた素材は全~部、私たちの物にしていいってさ」
「え、ええええっ!? すごいラッキー!」
ロシュリーの報告に、手当てを終えたアベカが驚愕の声を上げた。比較的雑魚の魔物素材が多いものの、全て売ればここの宿泊費があと3日分は払える。ちなみに3人分で。
今後のことを考えれば、かなり助かる額だ。
「で、でもなんで? ラナンド商会はなんて言ってたの?」
「そ、その、今回の依頼は、あの商人さんの独断だったみたいで……」
「商会を通した正式な契約じゃないから、素材は実際に倒した私たちの物になるそうよ。もちろん、馬車は商会の物だから返さなきゃだけど」
本当に助かる。危うく取り越し苦労となるところであった。
とはいえ、早く傷を治して次の依頼を探さなければ。
「それにしても、途中に転がってた大量の骨。あれ全部、あの人――シルヴェリッサさんだっけ? と、ハーピーたちの仕業だったのね」
「うんうん! 倒したのはシルヴェリッサさんだけだっていうし、マジで痺れるわぁ~///」
「で、でも、さすがにあの中にオーガはいない……ですよ、ね?」
「いやいや、ないでしょう。オーガを1人で倒すとか、少なくともBランクの実力よ? 私たち3人ボロボロになって、ようやく1匹退治できたってレベルなのに……」
「で、ですよねっ……」
その点に関してはアベカも同意見だった。自分たちがあれだけ苦労して、ようやく追い払えた相手なのだ。
あの人はとても強いが、さすがにそんなオーガを1人で、なんて考えられなかった。この町にはBランクの冒険者が数人いるが、その人たちでも単独で倒せるかは微妙だろう。
そのあとも3人は取り留めのない会話をしながら、傷つき疲労した身体を休めた。