66話
◇
”クラーケン”を倒した、翌日のこと。
少し早めに皆を起こして朝食を摂り、最後に諸々準備を済ませて宿を出、すぐ船に乗り込めるようにと船着き場で待機していたときだった。
「シルヴェリッサ殿、おはようございます」
「おはよーございましゅわ♪」
と、どこからか護衛とメイド、それからアキュールを連れたアリーエがやってきて、緩やかに一礼してくる。リフィーズの見送りか何かだろうか。
何にせよ、とりあえず「……ん」と返じておいた。
「つきましては、少々よろしいですか?」
どうやらシルヴェリッサに用があったらしい。
リフィーズもまだ来ておらず、出航の時間にも余裕がある。
「……ん」
「ありがとうございます。このような外の場で申し訳ないですが、是非とも”クラーケン”の素材を買い取らせていただきたく参りました」
アリーエが言うとまもなく、近くの倉庫からいくつかの台車が運ばれてきた。上には”クラーケン”の一部と思われる、細かに解体された素材が山積みにされている。
あまりの規模と多さに、周囲の人々やアーニャたちも驚いていた。
「こちらが、可能な限り解体しました全てです。疑っていたわけではありませんが、本当に見事なお手並みだったのでしょう。ほとんど無傷と言っていい状態でした。もちろんシルヴェリッサ殿が売りたくない、と仰るなら諦めるつもりですが、いかがでしょう?」
と言われたが、もともと巨大すぎる死骸に手を余して放置していたのだ。特に固執はしていない。
なので、買い取らせてほしいというなら別に売ってもかまわなかった。
「……売る」
「ありがとうございます! ではこちらとしましては、全8台あるうちの5台分ほどをいただきたいのですが、合わせて850万メニスでいかがでしょう?」
「……ん」
値段を聞いて周囲もアーニャたちも固まっていたが、放っておけばいずれ戻るだろう。
「では、メニスのほうはあらかじめ用意しておきましたので――ほら、アキュール」
「こちらをどーぞ、でしゅわ♪」
アリーエに促されたアキュールが、少し重そうにしながら袋を差し出してくる。受け取って、とりあえず後で”神の庫”に仕舞おうと腰に吊り下げた。
どうも最近、持ち金が大きく増える機会が続いている気もするが、まあ困ることでもないだろう。
「最後になってしまいましたが、”クラーケン”の危機からお救いいただきましたこと、町の代表として心より感謝いたします。謝礼金は素材の買い取り金額に上乗せしておきましたので、重ねてお納めください」
「……ん」
とそこで、やや高い笛の音が短くピ、ピ、ピィイイッと響き渡った。
「そろそろ出航が近いようですね。リフィーズ陛下ももうしばらくすればお見えになるはずですし、先に乗船してはいかがでしょう。”クラーケン”の素材は、こちらで運び込んでおきますので」
「……わかった」
「おわかれ、さみしいでしゅの……でも、きっとまたおあいできましゅの!」
しゅん、とうつむいたアキュールだったが、すぐに頭を振って笑顔を見せた。この幼女にここまで懐かれるような覚えはないのだが……何はともあれ、アリーエの言う通り、船でリフィーズを待つことにする。
「抜錨ーッ! 帆を張れぇーッ!」
「「「オオーーッ!!」」」
まもなくしてリフィーズも姿を見せ、ようやっと出航の時がきた。大きな声を挙げながら、船員たちがてきぱきと作業を進め、やがていよいよ海へと出ていく。
かなり大きい船ゆえか、船員の数も比例してとても多いようだ。先日に行商から聞いた、アリアとやらの歌い手と思しき女たちの姿も、幾人か見受けられる。
「ふう、やっぱり船の上で浴びる海風は気持ちいいわね。さ、シルヴェリッサ。ウィンデラ大陸まではしばらく暇になるから、好きにしていていいわよ」
「……ん」
と、うなずいたものの、別に特段ここでするべきことも思い当たらない。が、とりあえず皆を連れ、自分たちに宛がわれた船室に向かうことにする。
船旅という初めての体験に心踊っているらしいアーニャたちだったが、全員おとなしくついてきた。
少しそわそわしているものの、これから5日あるのだ。景色や船内を見て回る機会はいくらでもあるだろう。
甲板から船体内部へと下りていき、使っていいと言われた部屋群に従魔たちを分けていった。馬車もそうだが、”クラーケン”の素材については船体下部の倉庫に積まれているので、”神の庫”に仕舞うのはウィンデラ大陸に着いてからだ。
「「「「「おお~!」」」」」 アーニャたち
「「「「「ひろーい!」」」なのー」」 カーヤたち
船室に着くと、アーニャたちが少し興奮したように感嘆する。たしかに、シルヴェリッサと彼女たちが入っても、いささかゆとりが残るくらいの広さだった。
部屋の入り口から見て左右の壁には、押し戸式の窓が2つずつ。
ベッドは4隅に置かれており、1つ1つが大きめなようなので全員で使えそうだ。その他、簡易な戸棚や書棚、テーブルもある。
リフィーズ曰く「この船で最高クラスの部屋よ!」らしい。
ふと見やると、テーブルの上に薄い橙色の液体が入った瓶があった。気になったので”神の瞳”を使ってみる。
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⇒ ソウバー液薬 薬品【☆4】
[品質:4]
[効果:4]
[劣化:3]
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さらによく見てみると、瓶の下に紙切れが敷いてあった。説明書きらしい。
読んでみたところ、どうやらこの液体は乗り物酔いに効く薬品なのだそうだ。気分が悪くなってからお使いください、とも記されている。
次いで書棚を覗いてみると、『アルティア6大陸 ~青水の彩園 アクエウル~』という書が目についた。他にすることもなく、せっかくなので読んでみることにする。
時間も少しは潰せるだろう。
ちなみにアーニャたちは、ほどなくして一言シルヴェリッサに断り、従魔の部屋へ遊びに出ていった。
いくら船の中といえど、ここは町中ではなく海の上だ。なのであまり離れるのはどうかと思ったが、しかし考えてみるとそのくらいの距離、まして従魔たちと一緒ならばそう問題はあるまい。
それから、およそ一刻と半ほど。
耳心地の良い波風の音に混じり、なにやら甲高く、それでいてすうっと心に溶けていくような歌声が聴こえてきた。
広い洞窟で反響を繰り返したかのごときその澄んだ麗声は、およそ人間に出せるものではないだろう。となると、これは……
(”セイレーン”、か)
おそらくは、そうだ。
ならば歌い手とやらに任せておけば、何ら問題はないだろう。
と、思っていたのだが……
(…………、……妙だな)
いつまで経っても人間の歌声が聴こえてこない。
さらには”セイレーン”たちの声までが徐々に収まっていき、代わりにばしゃんッ、ばしゃんッ、と何かを水面に叩きつけるようなけたたましい音が響いてくる。
どうもただ事ではなさそうだ。
判断したシルヴェリッサは書を置き、途中で合流してきたセルリーンたちと、それからアーニャたちも連れて甲板に向かった。
あれだけそわそわしていたのに船を見て回りたくはないのか、と少し疑問だったのだが、なるほど。シルヴェリッサが言うまでもなく、アーニャたちは自分たちなりにいざという場合を考えていたのかもしれない。
ともあれ、甲板へ出る。
「シルヴェリッサ! 異変に気づいたのね」
リフィーズの他、彼女の兵士、乗客や船員たちも集まっていた。みな不安や戸惑いの色を浮かべている。
「大変なことになったわ」
「……歌い手は?」
深刻な表情のリフィーズに、とりあえず気になっていたことを問う。この状況と関係があるのは間違いないはずだ。
「……まずは、謝らせて頂戴。おそらくこれは、妾の命を狙った元老院、その手の者の仕業よ。どうやら歌い手が待機するための共通部屋に、『パラズの呪香』を仕掛けていたみたい」
「……『パラズの呪香』?」
「効果の強弱は作り手の腕によるけれど、嗅いだ者を痺れさせる香よ。ともかく歌い手は皆それを受けて、今は歌をうたえる状態じゃないわ」
なるほど。現在の状況は理解できた。
リフィーズが命を狙われているというのは初めて耳にしたが、王ともなればそういったこともそこまで珍しくはないのかもしれない。
どういった理由で命を奪おうとしているのかは知らないので、それが生物として邪な殺生に当たるか否かは判断しかねる。が、なんにせよ関係のない命まで巻き込むのは気に食わなかった。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。ふと、例の水を叩くような音が、いま先ほどからさらに大きくなってきていることに気づく。
甲板の縁へ寄り海を覗くと、大量の魔物が船の周りに集まっているのが見えた。
全体的に細身で、下半身が魚の尾ヒレのようになっている女性の姿。
水中にいるため詳細には見えないが、肌は非常に薄らとした青色で、脇腹の部分にはエラのようなものも確認できる。耳らしき器官も魚ヒレの形になっていた。
かなり怒っているのか、船を追泳しながら下半身のヒレで海面を強く叩いている。
”神の瞳”を発動してみると、
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○ セイレーン
Lv: 14
HP: 97/97
MP: 128/128
STR: 51
DEF: 45
INT: 107
RES: 96
SPD: 63
LUC: 84
スキル: □水棲Lv2 □水魔術Lv2
□魔力感度Lv2 □鞭術Lv1
□歌術Lv3
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強くは、ない。
が、相手の直接的な目的がこちらの『命』ではなく『船』である以上、戦うのは最後の手段としておくつもりだ。
生まれて初めての行為なうえ、この状況で通じるのかもわからないが、可能性があるならばやってみるべきだろう。
意を決めたシルヴェリッサは軽く息を吸い、
「……――――~♪ ~~――♪」
船を囲う全ての”セイレーン”に聴こえるくらいの声で、先日に耳にしたアリアの旋律を奏でていった。
――甲板にいた全員が、息を飲む。
あれだけ荒々しく海面を叩いていた”セイレーン”たちも、みるみる静かに、落ち着いていった。やがて残ったのは、シルヴェリッサの流す旋律と、穏やかで優しい波風の音のみ……。
アリアを聴いたのはほんの短い間だったため、その一部分を何度も繰り返すという付け焼き刃だったが、どうやらうまくいったらしい。
しかし……これは、どれだけ続ければいいのだろうか。
どうにもわからなかったので、とりあえず繰り返しを10回ほど行うことにした。もし足りなかったとしても、また歌えばいいだろう。