62話
◇
アリーエとリフィーズから”クラーケン”の見た目や特徴などを訊いた後、シルヴェリッサはすぐさま宿に戻りセルリーンを連れて海へ出た。もしもの場合なども考えて、他のハーピーたちも追従させている。
スティングヴェスパたちについては、おそらく力量的に危険だろうと踏んだので置いてきた。
結い紐も、少し出番は早まったが使っている。靡いて邪魔にならなければそれでいいので、結い方はごく簡単なものにした。
後ろ髪を一纏めにして、その根元の部分と端のほうをそれぞれ紐で束ねる、という結び方だ。
ちなみにであるが、根元には白、端のほうには黒い紐を使っている。
と、それはそれとして。
打って出る旨を知ったアリーエとリフィーズには止められたが、考えてみればそれも無理からぬことかもしれない。さすがにこのまま赴くとは思われていないだろうが、シルヴェリッサは現在、傍から見ると完全に丸腰なのだ。
だが、それは『傍から見ると』である。
たしかにラーパルジでの一件でそれまで使っていた剣は駄目になったが、シルヴェリッサの胸には六刃が一振り――”砕刀・黄岩陸”が戻ってきたのだ。並みの武器など今のところ必要ない。
それに、もともと無理に突撃するつもりはなかった。
主軸はあくまで様子見である。ましてや相手は勝手知らぬ存在なのだから、無警戒で臨むなど論外だ。
「ピュイピュイ~♪」
と、セルリーンが嬉しそうに鳴く。
出発してから、いや、する前からずっとこの調子だ。
役に立てて喜んでいるのか、単に一緒での飛行を楽しんでいるのか。
あるいはその両方なのかもしれないが、何にせよ、やはりシルヴェリッサを運びながらの飛行に問題はないようだ。
セルリーンの片足に掴まりながら、下に広がる青の光景を見て思う。
――美しい。
いささか簡素がすぎる評言かもしれないが、しかし最初に浮かんだ言葉がこれなのだ。つまり、あるいはこれこそが最もふさわしい感想なのかもしれない。
海底まで見えるほどに澄み渡った水質。さらにはその影響で色とりどりの海藻や生物の姿なども窺え、それらがずっとずっと先まで続いた様相は、さながら一枚の絵画のようにも思えた。
一瞬として同じ姿を留めない、清浄なる青の世界。
海というもの自体は、前いた世界でも見たことがある。が、決してこんなに美しい光景ではなかった。
(……波が大きくなってきたな)
そう気づき周囲へ視線を巡らすと、ずっと遠くの海中に何か巨大なモノの影が。
どうやら目的の存在のようだ。セルリーンたちも気づいたらしく、各々警戒にはいっている。
波が増え大きくなるにつれ海中の様子も見えづらくなったが、ためしに”神の瞳”を発動させてみた。
=== =========================== ===
○ クラーケン
『水』
Lv: 62
HP: 1222/1222
MP: 981/981
STR: 674
DEF: 667
INT: 533
RES: 512
SPD: 81
LUC: 209
スキル: □水棲Lv5 □水魔術Lv4
□水中戦闘Lv5 □触手Lv4
□魔力感度Lv2
=== =========================== ===
そこまで強くはない。いや、並の人間や魔物にとってはとんでもない存在なのだろうが、グヴェルドなどと比べるとやはり数段劣っている。
ただ、セルリーンやハーピーたちだけに任せるには危ういだろう。
それにシルヴェリッサは今、海の上ということで行動能力に制限があるのだ。そもそも自分をぶら下げているままでは、セルリーンも満足に戦えまい。
なので”クラーケン”の進行先を確認し、それによってはこのまま去ろうとしたのだが……。
(そういうわけにもいかないようだな)
しかし”クラーケン”はまっすぐこちらに、つまりグラドポートの方角へ進んできている。特に自分たちに気づいた様子ではないので、おそらく例のネオイ号とやらが逃げた方に向かっているのだろう。
やはり波の影響でよくは見えないが、距離が近づくにつれ徐々になんとなく全容が窺えるようになってきた。
前の世界で見た2つの生物、タコとイカを合わせたような姿。
全体が苔っぽい色合いで、計18本の触手の部分も含め所々に岩礁のような鱗がある。
その巨体ゆえか、海底を這うようにして移動しているようだ。
ゥオ゛ォゥッ――! オ゛オ゛ォゥッ――!
と、不意に妙な鳴き声をあげ、”クラーケン”が浮上してきた。どうやら向こうもこちらに気づいたらしく、威嚇なのか触手を蠢かせている。
「……《黄刃抜刀》」
シルヴェリッサの呟きに応えるように、”砕刀・黄岩陸”と”神鎧:黄裂”が顕現した。のはいいのだが……、
(……髪がほどけた)
どうやら”神鎧:黄裂”を纏うと髪型も変わるのが通常であるようだ。”終刃”すれば消えた結い紐も含め元に戻るのだろうが、せっかく買ったというのにこれではあまり意味がない。
いや、しかし考えてみると、別に普段づかいしてはいけないわけでもないのだ。戦闘に限らずとも、風が強い時などに使えば良いだろう。
と短い間に結論をつけたシルヴェリッサは、己の背に負われる形で顕現した”黄岩陸”を鞘から抜いた。とはいえ直接斬りつけることは難しいとわかっているので、これは念のためである。
ゥッオ゛オ゛ォゥッ――!
そこで”クラーケン”がひときわ大きく鳴き、全身に青い燐光を纏った。やがてまもなく、その身体の周囲の空間から赤子ほどの大きさの泡が大量に出現し、こちらに向かって飛来してくる。
おそらく『水魔術』の一種であると予想できた。
「ピュッピュイーッ!」
「「ピュイ!」」
「「ピュピュイッ」」
シルヴェリッサが指示するまでもなく、セルリーンの一声でハーピーたちは飛び来る泡を次々に回避していく。
無事に全て躱せたが、相手に遠距離の攻撃法があるとわかった以上、不用意に近づくわけにもいかなくなった。となればこちらも遠距離から攻めるしかあるまい。
セルリーンはじめ、ハーピーたちも同じ結論に至ったか、各々『風魔術』で応戦しはじめた。
ラーパルジの闘技大会で見た風の爪《ウィンドネイル》。そして初めて見るのは、セルリーンが出した円錐形の強風だ。
そう大きくはないものの、アーニャたちくらいの体格ならすっぽり埋まるほどの規模はある。
ともかく、それら大小の『風魔術』が一斉に”クラーケン”へ襲いかかった。
が、それほど効果は見られない。ほぼ全て直撃したようだが、やはり実力の差が大きいようだ。
もしハーピーたちだけでも倒せそうなら任せてみようか、と様子を見ていたものの、これではやはり厳しいだろう。
判断したシルヴェリッサは、”黄岩陸”を持ったまま左手のひらを”クラーケン”に向けて翳した。そして、
「……《黄印:降礫》」
呟くと同時、掌の前に黄色の粒子でできた拳大ほどの礫がいくつも出現し、”クラーケン”へと降り注ぐ。
ただこれは、数は多いのだが威力に乏しいのだ。よっていま撃ったのは単なる牽制のつもりである。
だが結果としては、
《――110524p 経験値を獲得しました》
《――複数の従魔のLvが上がりました》
この攻撃で十分だったようだ。
しかしふと思ったのだが、どうも”黄岩陸”は殺さずともよい相手との戦闘では使わないほうがよさそうである。
と、そういう考えに至ったので、グラドポートに戻ったらさっそく剣を購入しにいくことにした。