58話
◇
もうそろそろいいだろう、とシルヴェリッサはスェルカに今後どうするかの選択をさせることにした。
少し後にはソウェニア王国に向けて発つが、それを知った上でついてくると言うなら連れていくし、残りたいと言うならば望み通り置いていく。
何にせよ、好きにさせるつもりだ。
「……お前は、これからどうする」
[え、っと。それって、どういうこと?]
「……旅についてくるのか、ここに残るのか」
[旅……そっか。この街から出るんだね。……あれ? あたしって君のモノなんだよね? なのに好きにしてもいいの?]
どうやらスェルカは、今後ずっとシルヴェリッサに付き従わなければならない、と思い込んでいたようだ。初めは旅と聞いて寂しげにモニカを見てうつむいていたが、選択肢を与えられたことに気づくと小首をかしげてくる。
なので改めてうなずいてやった。
「……ん」
[ホ、ホント!? じゃああたし、モニカといたい! ううん、いるっ!]
[きゃっ! え、あの……え?]
この上なく強く感激したスェルカは、すぐさまモニカへと跳んでいき抱きついた。もう離さないとばかりにぎゅうぅぅ、っと身体どころか頬までも密着させている。
そして抱きつかれたほうのモニカはというと、急なことにただただ困惑していた。しかし抱擁を受け入れている辺り、そのくらいの余裕はあるらしい。ちなみに端のロヴィスは頬を軽く染めながら目をそらしている。
[えっと、あの、スェルカさん? 気持ちは嬉しいですけ――]
[だーめっ、いっしょに暮らすのっ。もう決めたもん!]
[えぅ……]
なにやら柔らかく断ろうとしたらしいモニカだったが、しかし最後まで言えずスェルカに遮られていた。そしてさらなる困り顔になり、シルヴェリッサとロヴィスに目線を向けてくる。
どうやら助けを求めているようだ。
「とりあえず状況を説明してくれ。たびたび悪いけど」
「……ん」
シルヴェリッサとしてもこういった場合の経験などないので、ロヴィスが対応してくれるならそれに越したことはない。と結論付け、例によって説明してやった。
「んん? モニカはなんで断ろうとしてんだ? 受け入れてやりゃあいいじゃねぇか。その……相思相愛っぽいし」
「いえ、その、ワタシって宿暮らしで家も持ってないですし……それにお金だって余裕がないので、一緒に暮らすなんてとてもできませんから……」
たしかにスェルカが無一文であることを考えると、モニカの言うことはもっともである。
だがそういうことならば、もともとシルヴェリッサが選択させたことだ。それなりの金銭は餞別として渡してもいいだろう。
とはいえ、こちらとしてもいつ何時に金が必要となるかわからない。それも踏まえて考えるに、10万メニス程度がちょうどいいだろう。
ということで、シルヴェリッサは懐から出すふりで”神の庫”からメニス袋を取り出し、金貨1枚をモニカに手渡した。
「……ん」
「はい? なんですかこれ――ってええええええ!? こ、これ、え、ええ!?」
「なんだ、ただの金貨じゃねぇか。そんな驚かなくてもいいだろうよ」
スェルカに抱かれたまま、金貨を持つ手を震わせて慄くモニカ。直後にロヴィスも言っていたが、少々驚きすぎではなかろうか。
「でででででもこんな大金っ、受け取れませんっ!」
「いいから受け取っとけ。シルヴェリッサだって、そうしてくれたほうがいいから出したんだろうし」
「ぅ、はい……ありがとうございます……」
ロヴィスの促しもあってか、モニカはまだ若干の迷いをみせながらも、やがてうなずいた。ちなみにスェルカだが、彼女は未だモニカから離れる様子が微塵もない。どうせ言葉がわからないからと、会話に参加する気がないようだ。
「よし、これでとりあえず出だしの金は問題なくなったな。あとは……家がどうとか言ってたっけか?」
「宿屋さんだと毎日お金がかかりますし、そうなるといざというときになくなってて泊まれないことだってあるでしょうから……ワタシは野宿とかなれてますけど、やっぱり家がないときびしいです」
それは、たしかにそうかもしれない。
どうしたものかとシルヴェリッサが思案に入りかけたとき、ロヴィスがにこやかに口を開いた。
「じゃあ、家こいよ」
「え?」
「実はAランクになったときにスゲー調子こいて、けっこうデカイやつ買っちまってな。二階建てだし、マジで1人で暮らすにはデカすぎんだよ。なんで、遠慮とかしなくていいぜ?」
と、最後にウインクをするロヴィス。どうにも彼女はモニカに甘い気がするが、気のせいだろうか。
「ほ、本当にいいんですか?」
「おうっ」
申し出を受けたモニカが、みるみる表情に喜色をまとわせていく。どうやら決まったようだ。
「ありがとうございます!」
「ま、もちろん家賃代わりに掃除なり何なりはしてもらうけどな」
「はいっ、がんばります!」
一層の笑顔で返したモニカは、すかさずスェルカにも顛末を説明する。興奮しているのか、ずいぶんと早口だった。
[やったっ、モニカといっしょにいられるんだ! ありがとうロヴィス!]
スェルカがロヴィスに抱きつき、感謝の言葉を口にする。
「お、おう? いや、なに言ってんのかわかんねぇけど……まあだいたい想像はつくし、通訳はいいわ」
「……ん」
と、ロヴィスにうなずきを返したとき、スェルカが今度はシルヴェリッサに抱きつこうとしてきた。もちろん避けるに容易いが、別にそうする必要もなかったのでそのまま受ける。
スェルカの体温と、温かな鼓動が伝わってきた。『生』を感じ、シルヴェリッサはほんのわずかにだが笑む。
[シルヴェリッサも、ありがとう。助けてくれて、『忘却』も解いてくれて……あたしに、自由をくれて――]
微かに滲んだ声で、しかし一言ずつはっきりと。
最後は抱擁を解き、スェルカは面と向かってこう言った。
[ホントに、ありがとうっ!]
「……ん」
何かから解放されたような、清々しく爽やかしい表情だった。
この時こそ、彼女が本当に自由となった瞬間だったのかもしれない。
ともあれ。
こうして話は落ち着き、モニカとロヴィスはスェルカを連れて、アーニャたちとも別れの諸々を済ませたあと帰っていった。
今後のことは2人に任せておけば問題ないだろう。
少し長くなってしまったものの、まだ昼時と言えるくらいの時間帯だった。おそらく今からでも食堂にいけば、昼食は残っているはずだ。
(昼を摂ったら、今日は旅の支度をすませよう)
ソウェニア王国へは海を渡って別大陸――ウィンデラ大陸まで行かなければならないと聞いている。なので食糧もかなりの量を買い込んでおく必要があるだろう。
ともあれ、今はまず食事だ。
◇
「迎えに来たわよ、シルヴェリッサ。準備はできているかしら?」
「……ん」
「ふふ、訊くまでもなかったわね。宿の前に馬車を待たせてあるから、さっそく発つとしましょう」
そう言って先導するリフィーズに従い、シルヴェリッサは皆を連れて宿を出た。すでに彼女が預けていた馬車6台(人数の増加によりこちらも増やした)も用意が済んでいる。宿の者が気を利かせたようだ。
と、サブライムホースたちが自ら馬車の許へ行き、さらにオーガたちが仕上げに彼女らを馬車と繋いだ。実に手早い。アーニャたちが「おおー、えら~い」と手を叩く。
その一連を見ていたリフィーズも驚き、感嘆を漏らした。
「ほぉん、ずいぶんと賢しい子たちね。見たこともない魔物ばかりだし、本当に貴女には驚かされるわ」
尻目にアーニャたちや従魔たちを馬車に乗せていくシルヴェリッサ。
まもなく済んだので自分も乗ろうとすると、リフィーズが声をかけてきた。
「ねえ、シルヴェリッサ。よければ妾の馬車に乗らないかしら?」
「……わざわざ乗る意味がない」
と断ったところ、なにやらリフィーズ本人ではなく彼女の従騎士2名が怒声を荒げてきた。ちなみに、先日に見た犬人の侍女は変わらず主の側に控えている。
「貴様ッ! 陛下に向かってなんたる無礼!」
「一介の冒険者がッ、召し抱えられたからと調子に乗るなよ!」
別に調子になど乗っていないのだが。
シルヴェリッサが反応する間もなく、リフィーズが彼らに怒号をとばす。
「控えなさい、馬鹿者!」
「「! も、申し訳ございません!」」
「なによあの騎士たち……」
「シルヴェリッサさまになんてこと言うのよ」
「怒られてざまぁだわ」
なにやら離れた場所で見ていた大勢の女たちが毒づいていた。
さらにリフィーズが誰にも聴こえないくらいの小声で「焦っては駄目よリフィーズっ、慎重に、少しずつ距離を縮めるのよっ……!」などと呟いていたが、特に気にする必要もあるまい。
軽い悶着はあったものの、無事に出立の時を迎えた。
なぜだか先ほどの大勢の女たちが別れを惜しむように手を振ってきたが、見知った顔でもないので無視していいだろう。
ちなみにモニカとロヴィス、スェルカとは前日に別れを済ませてあるので今日は来ていない。例の奴隷商の件で忙しいようだ。
大闘技都市ラーパルジ。
少々忙しいようでもあったが、”砕刀・黄岩陸”という大きな収穫もまたあった。
次は、ソウェニア王国――。
――”嵐剣・ストームグリーン”だ。
少し長かった割にあっさりしていたかもしれませんが、ラーパルジ編はこれにて終了です
次のソウェニア王国編では、シルヴェリッサのちょっぴり可愛いシーンを書こうかと思っています(過度な期待をするとがっかりするかも?)