52話
◆
その日、その時――。
アルティアという世界に於いて、とある異変が起きた。
一部の魔物たちが、全くの同時に動きを止めるという奇妙な異変である。
ある者は、今まさに獲物を仕留めるかというタイミングで。
またある者は、深く暗い大洞窟の巣穴で。
またある者たちは、新たな土地を目指す道中に集団で。
とかく。
彼らは一様に動きを止め、一点を見つめる。
その奇妙な行動が何を意味するのか、知る者はいない。
ただ確かなことは、彼らの見つめる先が大闘技都市ラーパルジであること。
そして……
彼らがみな例外なく、『地属性』であることだけだった――。
◆
アルティアの何処か……。
秘境という言葉が相応しい、人々の記憶に忘れ去られし樹海の奥地。
無数の蔦や苔を纏い、太古の色を宿す遺跡があった。
周囲にそびえていたであろう飾り柱は、その半数以上が朽ちて倒れ、緑の息吹に埋もれている。
規則的に張り巡らされた水路は枯れ、ただの窪みと成り果てていた。しかし水源は完全な自然のものらしく、未だ衰えることなく清水を湛えている。
中央の神殿内部。
地下フロアの一角に、柩のようなカプセルが大量に並ぶ空間があった。どのカプセルも埃にまみれ、深く沈んだような色をしている。
だがある時、その一部が何の前触れもなく動作を起こした。
黄色に強く発光すると、音も静かに蓋が中央で2つに分かたれ、ゆっくりと開く。
中には人間――否、『人形』が眠っていた。開いたカプセルの人形が、各々瞼を上げ、起き上がる。
20体ほどもいる彼女らは髪型さえ様々だったが、顔の造形、背格好などは全くの同一であった。人形であるゆえか、表情は常に無で、およそ感情というものが窺えない。
艶美なる黄髪。美しい宝石の瞳は、波紋のように規則的な円が重なった模様を内に宿し、彼女らが造形物であることを色濃く表していた。
そんな人形たちは、自らが裸体であることを認識すると、何ら恥じらいも見せず胸に埋まった黄色の宝石に手を翳す。
すると次の瞬間、その裸体を黄色のエプロンドレスが包んだ。金属と布の中間のような素材でできた、およそ人の手では作られ得ぬ衣服である。
そして次に彼女たちが始めたのは――掃除であった。
壁と一体になった収納からそれぞれ用具を取り出し、まずは各々が眠っていた柩を綺麗にする。間もなくして終えると、未だ目覚めぬ他の仲間たちのカプセルにも清掃の手を伸ばしていった。
誰も知らない、世界の片隅での出来事である――。
◇
シルヴェリッサは瞬く間にグヴェルドに肉薄すると、その腹部へ目掛け鞘による打撃を叩き込んだ。微かな苦悶を漏らし、グヴェルドが吹き飛ぶ。そのまま壁を盛大に崩し瓦礫に沈むと、場を静寂が包んだ。
”タウロスミーティア”だけは何故か先ほどからずっと固まっているが、別に特には気にする必要もないだろう。
それはともかく。
今のは単なる様子見の一撃だったのだが、どうやら相手にとっては相当な威力であったらしい。
「にん……っげん如きがああああああああーーーーっ!!!!」
激昂しつつ這い出てくるグヴェルド。
そのまま紅蓮に燃える燐光を纏い始める。
「オオオオオオオォォーーッ、《ファイアボール》ッ!!!!」
彼が唱えると、その頭上に巨大な火球が発生した。
シルヴェリッサが見たことのある《ファイアボール》とは、熱量も大きさも比較にならない。
が、『避ける必要を感じなかった』彼女は、飛んでくるそれを真っ向から受けた。
「フフ、フハハハハハハハハッ! 狂ったか人間ッ、そのまま塵も残さず燃え――……は?」
高らかに笑ったグヴェルドだったが、途端に呆ける。他の者たち、セルリーンたちさえも驚いていた。
理由は簡単なことであろう。シルヴェリッサがまったくの無傷だったからだ。
そしてそのシルヴェリッサは、すでに再度グヴェルドへ肉薄し”黄岩陸”を振りかぶっていた。
「……《穿地》」
”黄岩陸”での、最も単純な技。
『地』の力を刀身に込め、一直線に振り抜く。
ただそれだけの一撃が、
グヴェルドの命を容易く絶ち、斬り裂いた。
断末魔の叫びも、絶命への恐怖もなく。
グヴェルドという存在は、このアルティアから呆気なく消え失せたのだった。
一番の障害が消えたことを確認したシルヴェリッサは、これから魔人の女たちとの乱戦になると予測し、セルリーンたちに1つ指示を出す。
その際、舞台の端で気絶したままのロヴィスを指差した。
「……連れていけ」
「ピュ、ピュイ!」
「グュウッ!」
『ギヂッ!』
セルリーンらがうなずくのを確認するや、シルヴェリッサは改めて魔人の女たちに向き直った。そして彼女らの様子に首を傾げる。
どうにも、今しがた仲間がやられたような雰囲気ではなかったのだ。
「……ここどこ?」 鴉魔人
「ん~、というかキミたちだあれ?」 鮫魔人
「りょうほうとも、こちらがききたいことですが」 粘液体魔人
「ねえ、ずっとボーッとしてるけど、だいじょうぶ~?」 蜘蛛魔人
「…………はっ! え、ええ、だいじょうぶです」 牛魔人
かなり妙であったが、芝居を打っているわけではなさそうだ。
敵意も害意も感じられない。まるで全く別の生き物になったかのようである。
どうしたものか、とシルヴェリッサが思案していると、
「えっと……これからどうしましょうか?」 牛魔人
「……しらない。かえる」 鴉魔人
「あ、じゃあいっしょにかえろ~♪」 鮫魔人
「おうちがどこか、わかるのですか?」 粘液体魔人
「まあ、なんとかなるんじゃない~? みんなでいきましょ~」 蜘蛛魔人
というやりとりの後、誰からともなく去ってしまった。
謎にもほどがあるが、急に暴れ出したりなどはしなさそうであったので、このまま逃がしても問題はないだろう。
(なら、あとは……)
舞台に残ったのはシルヴェリッサと、そして未だ凶暴な意思を溢れさせる”トロール”。
”黄岩陸”の力で動きを封じてはいるものの、だからといって彼女のことが解決したわけではない。
一切の障害が消えたこのタイミングで、シルヴェリッサは彼女の状態と救う方法を探るために、改めてその様子の観察を始めた。
「クア゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ーーゥ!」
”トロール”が吼える。
しかし、シルヴェリッサは怯まない。
絶対に救い出す。
そう彼女が意思を強めた瞬間――、
気づくと、シルヴェリッサは無意識に刀を納め、右手を”トロール”に翳していた。
なぜ自分はこんな行動をしているのか。疑問に思う間もなく、
《――変異体”トロール”の浄化を開始します》
◎
◎
◎
《――浄化が完了しました。”トロール”の能力値が通常に戻ります》
そんな通知に驚いていると、次の瞬間には”トロール”の身体を銀色の光が包んでいた。光はやがて一瞬だけ強く瞬き、ゆっくりと鎮まっていく。
そして……、
「――くむぅぅ~~ん」
間延びした、もしくは欠伸のような声を漏らし、”トロール”が元の正常な姿を現した。
「? く、くむむぅ!?」
顔には出さず安堵するシルヴェリッサを他所に、己が縛られていることに気づく”トロール”。今にも泣きそうになっていた。やはり凶暴になっていたのは、変異体という状態に原因があったのだろう。
ともあれ、再び鞘の鐺で地を打ち、”トロール”を岩柱から解放した。
「く、くむぅぅ……」
腰が抜けたのか、その大きな身体でへたりこむ”トロール”。
すぐに立とうとするが力が入らないらしく、また涙目になっていた。どうやらシルヴェリッサが何者か測りかねているようで、怯えたような瞳を向けてくる。
「……”終刃”」
武器を持っていては怯えられても無理はない。
判断したシルヴェリッサは、すぐに”黄岩陸”を納めるべく呟いた。それに呼応し、神鎧もろとも”黄岩陸”は黄色の粒子となり、主の胸に戻っていく。
「くむぅっ?」
驚いたように目を見開く”トロール”の許へ、ゆっくり近づいていく。
まだ少し怯えの残る彼女の頬を、安心させるように優しく撫でた。怪我などがないことも確認でき、シルヴェリッサは再び安堵する。
「……よかった」
無意識に口にしていた。
……なにやら”トロール”が見惚れたような視線を向けてくる。もしかすると、また知らぬ間に笑顔を浮かべていたのかもしれない。
しかし、何はともあれ、
《――7910350p 経験値を獲得しました》
《――シルヴェリッサのLvアップにエラーが発生したため
獲得した経験値をすべての従魔に分配します》
※ 以降、この通知はされません
◎
◎
◎
《――セルリーンのLvが上限に達しました》
《――”エリアルハーピー”から”ゲイルハーピー”に進化します》
《――ルヴェラのLvが上限に達しました》
《――”フレアオーガ”から”クリムゾンオーガ”に進化します》
《――ハニエスのLvが上限に達しました》
《――”プリックヴェスパ”から”スティングヴェスパ”に進化します》
《――21体の”ハーピー”のLvが上限に達しました》
《――”ハーピー”から”エリアルハーピー”に進化します》
《――10体の”オーガ”のLvが上限に達しました》
《――進化先が複数存在するため
選択されるまで進化を保留します》
《――6体の”サブライムホース”のLvが上限に達しました》
《――分岐先いずれの条件も満たしていないため
進化を保留します》
《――32体の”プリックヴェスパ”のLvが上限に達しました》
《――”プリックヴェスパ”から”スティングヴェスパ”に進化します》
今回の騒動は、これで終わりだ。
いまの通知の嵐には少し驚いたが、整理するのはあとで落ち着いてからでも問題ないだろう。
ひとまずの区切りとして、シルヴェリッサは深く息を吐いたのだった――。
経験値だけは美味しいグヴェルドさんでした