48話
◆
「――素晴らしいわ、あの娘!」
リフィーズはあまりの興奮に立ち上がった。
その瞳に映るは、煌めくような銀髪を靡かせる美しい娘。至上や極上などという言葉ですら稚拙に成り下がるような、筆舌に尽くしがたい美貌だ。さらにはどことなく気品のようなものも感じる。
ポルナージュも、リフィーズの感嘆に同意を示した。
「はいっ、あれほどお強い方を見たのは生まれてはじめてですわ」
「とうとう一度も剣を抜かなかったものね! それに全員を相手にして無傷のままよ!」
美しさに続き、その実力の程も申し分ない。
リフィーズの中で、もう代表騎士は彼女以外に考えられなくなった。一目惚れ、と言っても過言ではないかもしれない。
もちろん無理やりに従わせる気は微塵もないが、もしも彼女――シルヴェリッサが条件を提示してきたならば、そのほとんどを呑んでもいいと思っている。
それほどの気概が、リフィーズにはあった。
少しでもシルヴェリッサがうなずく確率を上げるため、侍女に指示を言い渡す。
「例の緑の巨鳥について、紙に纏めておきなさい。どんなに些細な情報でもかまわないから、漏らさずにね」
「かしこまりました」
返事をした侍女の尻尾は、なにやら所在なさげに揺れたり垂れたりしていた。おそらくリフィーズに頼られた嬉しさと、シルヴェリッサに対する嫉妬の狭間にいるのだろう。なんとも可愛らしいことである。
その獣人特有の様子に微笑ましくなったリフィーズは、優しく彼女の頭を撫でてから再び席に着いたのだった。
◇
『――皆様、ご注目くださいませ。いよいよ次の試合が決勝といたしまして、優勝賞品のお披露目となります』
職員がそう言って舞台の入場口を示す。会場のざわめきが幾分凪いだ。
注目が集まる中、台車一体型の檻らしき物が運ばれてくる。その中身を見て、再び会場にざわめきが戻った。いま先ほどよりずいぶんと盛り上がっている。
「エ、”エルフ”だわ!」
「やっぱり噂はほんとうだったのね!」
「でも”エルフ”の奴隷なんて、マジでもらえるの?」
「買おうとしたら200万メニスは軽く越えるらしいのよね」
「「「「「にっ、200万メニスぅぅぅぅ!?」」」」」
「まあ、女の”エルフ”限定みたいだけど」
「「「「「200万メニス……」」」」」
「”ダークエルフ”ってのもいて、そっちはさらに値段が張るって聞いたわ」
「あー、噂じゃ攻撃的な種族らしいからねー。しょうがないかも」
「「「「「200万……メニ、ス……!」」」」」
「「しつこいわっ!」」
といった具合のやりとりが聞こえてきたが、シルヴェリッサは別のことに気がいっていた。その”エルフ”の様子である。
彼女の格好は、およそ清潔とは言い難かった。
ボロい布の衣服。痩せこけた身体に、手枷と足枷。
多くの視線に驚き怯えているのか、目を伏せて震えている。
さらにその首には、手や足と同じように枷がつけられていた。
少なくとも、見ていて心地の良いものではない。もし無理やりに捕らえたのだとすれば、それは完全にシルヴェリッサの怒線に触れる行為である。まあ今のところでも十分に触れているのだが。
「ありゃあ、モニカには見せらんねぇな……」
知った名をこぼす呟きに目をやる。少し離れた場所に、このあとの決勝で戦うロヴィスという娘がいた。彼女もシルヴェリッサと同じように感じているのか、”エルフ”娘の酷い有り様を見て不愉快そうに眉をひそめている。
(たしかイグ・ミ・バーギがあまっていたな……)
とにかくシルヴェリッサは、その”エルフ”を見て動かずにいられなかった。誰の視線もないことを確認すると、”神の庫”からそれを取り出す。
途端に薫る芳しさに視線が集まったが、気にせず舞台に飛び降りた。
次いで”エルフ”に近づいていくと、なにやら檻の傍に立っていた男が前へ出てくる。
「なんだお前は! 試合はまだだぞ、さっさと戻れ!」
「…………」
その男に用はないので無視した。
「聞こえないか貴様!」
「お、おちついてください!」
顔を真っ赤にして怒鳴る男を、職員の女が諌めに入る。その隙に”エルフ”の許にたどり着いたシルヴェリッサは、改めて彼女の状態を見た。”エルフ”もシルヴェリッサに気づき、びくびくと怯えに染まった目を向けてくる。
やはり相当にやつれていた。唇も酷く渇いている。
怯えのせいか、視線もどこか覚束ない。
しかしイグ・ミ・バーギに気づくと、微かな息を漏らし目が釘づけになった。
「……食べられるか?」
「っ、……?」
シルヴェリッサがイグ・ミ・バーギを差し出すと、”エルフ”は身体をビクリとさせたあと、妙な戸惑いを見せた。シルヴェリッサの顔とイグ・ミ・バーギを何度も見やり、首を傾げている。
もしかすると、言葉――『アルティア標準語』がわからないのかもしれない。少し思案してそう思い至ったシルヴェリッサは、イグ・ミ・バーギをゆっくり彼女に近づけた。
するとさらに戸惑った”エルフ”だったが、やがておそるおそると口を開く。
「レ、レブエリ……?」
《――『エルフ語』を修得しました》
意味が理解できない言葉に首を傾げかけたシルヴェリッサだったが、即座に通知されたそれに少し驚いた。しかし以前に見た自分のスキル欄に、『言語修得高速化』なるものがあったのを思い出し納得する。同時にいま聞いた言葉が「た、食べていいの……?」という意味であったと理解した。
なんとも奇妙な能力だが、便利なので良しとする。
さっそく、とシルヴェリッサはもう一度”エルフ”に言葉を掛けた。
「……食べるといい」
「! っッ!!」
聞くやいなや、ガツガツとイグ・ミ・バーギを頬張る”エルフ”。どうやら問題なく通じたようだが、シルヴェリッサが急に『エルフ語』を使ったことについては反応しなかった。そんなことに気を向ける余裕もないほど、空腹だったのだろう。
喉に詰まらせるとまずいので、水も渡しておくことにした。スカートの横から手を入れ、太ももから取ったように見せて”神の庫”から取り出す。木筒の水入れだ。
「……水も置いておく」
最後にそう言い添えて、踵を返した。
先ほど職員に宥められていた男が睨んでいたが、言うまでもなく無視して通る。
「礼も賠償もせんぞ」
そんなどうでもいい吐き捨ても無視し、通りすぎようとしたところ、
「あ、シルヴェリッサさま、ですよね? すぐに決勝戦になりますので、このまま舞台でお待ちください」
「……ん」
ここにいるよう職員から指示を受けたので、うなずいて従う。
まもなくして檻がさげられようとしたとき、”エルフ”の娘が不安げな顔でシルヴェリッサを見てきた。食事のおかげか顔色はわずかに回復したようだが、その目はいまだに怯えを含み、乞うような色も混じっている。
「……かならず助ける」
シルヴェリッサが『エルフ語』でそう言うと、彼女の瞳に微かな安堵が宿った。他の者――男と職員は『エルフ語』を解せないようだったが、伝えたい相手には伝わったので何の問題もない。
やがて決勝の準備が整い、ロヴィスが舞台に立つ。先の試合での傷は残っているも、その戦意は微塵も曇っていなかった。
そして彼女は、なぜかシルヴェリッサに好意的な微笑を向けてきている。
「あんた、優しいんだな」
「……」
別に”エルフ”の件はただ放っておけなかっただけなのだが、ロヴィスの目にはそう映ったらしい。とはいえ訂正する意味もないので黙っておいた。
しかしロヴィスは、シルヴェリッサの無言を気にすることなく話を続ける。
「にしても、あの奴隷商のおっさん。大商人でもねぇのに”エルフ”の奴隷なんて、かなり胡散くせぇな……」
「……どういう意味だ」
なにやら引っ掛かることを口にしたので、訊ねる。
『奴隷商のおっさん』というのは、先ほどシルヴェリッサに絡んできた男のことだろうか。
「あくまであたしの予想だけど、たぶん不当な手段で手に入れたんだと思う」
「……不当?」
「無理やり捕まえたってことだよ」
ロヴィスの返答を聞いた途端、シルヴェリッサの中でその男への嫌悪が膨れた。正当な手段がどんなものかは知らないが、少なくとも己の勝手で不当に他者の『生』を縛るなど、許されるわけがない。
『――あ、あのー、そろそろ始めてもよろしいでしょうか……?』
おそるおそる、と訊ねてくる職員。どうやら話をしすぎたようだ。
「あ、悪い悪い。あたしはいつでもいいぜ!」
「…………」
短剣を抜いたロヴィスに続き、シルヴェリッサも納刀鞘を構える。「やっぱ剣は抜かねぇか」とロヴィスが苦笑した。だが殺してしまう危険がある以上、少なくともこの大会では簡単に抜くわけにもいかない。仕方がないのだ。
「そうだ、始める前にあと一ついいか?」
「……なんだ」
「あんたが優勝したらよ、モニカに”エルフ”と会わせてやってくれねぇか?」
「……向こうがくるなら」
「そっか、じゃあ伝えとく。ありがとな。……ってわけで今度こそ」
『――は、はい! では決勝戦、ロヴィス、シルヴェリッサ……――』
かくして。
『――戦闘開始ッ!』
今大会の最後を飾る戦いが、開幕した。