45話
◇
職員の言葉に従い、通路をゆくシルヴェリッサ。他の見学者たちに続き、途中の十字路を曲がる。
しばらく進むと、向かいからも数人が歩いてきた。どうやら他の控え室にいた出場者らしい。例のごとくと言うべきか、やはりシルヴェリッサに視線が集まる。
だが本人にとってはどうでもよく、いつも通りすべからく無視した。
ともかく舞台側の壁に階段があったので、そちらを上っていく。まもなくして大きな円状の空間に出た。
真上は一般の観覧席らしく、それが傘になって暗い。が、舞台はよく見下ろせた。
すでに1組目の2名が向かい合って、試合が始まるのを待っている。小さなナイフを両手に弄ぶ女性と、金属鞭の柄の握りを確かめる幼い少女だ。
女性のほうはともかく、子供がこんな大会に出て大丈夫なのだろうか。
「”小人族”かー。すばしっこいのよねー」
「投げナイフのほうは苦戦するっぽいかな」
「小さくてかわいいわぁ…………はぁ、はぁはぁ……♪」
「「こいつヤバい!?」」
なるほど、子供かと思ったがそういう種族らしい。”ドワーフ”と同じように見た目と年齢が比例しないのだろう。
あれだけ小さい上にすばしっこいなら、たしかに投擲武器はかなり不利だ。
『――では、ただいまより開会といたしまして、第1試合を開始いたします』
と、会場の至るところから声が響いてくる。見やると舞台の端に職員が立ち、なにやら先端に宝石のついた短杖を持ち喋っていた。
察するに、前いた世界で言うところの『マイク』のような物だろう。
「うおっ、なんだこの声!?」
「”魔巧器”よ。ほら、客席の一番上に魔石が見えるでしょ?」
「本当だ、ちょっと大きいな」
「あれが四方にあって、声を増幅させて出してるらしいわ」
「へえ~、お前よく知ってるな~」
「聞いた話だけどね」
また知らない言葉が出てきた。
その”魔巧器”とやらのことは今度しらべてみよう。
『第1試合、マーテル、ミペ。――戦闘開始!』
合図と同時に去る職員。
シルヴェリッサは舞台に意識を向けた。
即座にナイフを投げるマーテル。
ミペは慌てることなく余裕で躱し、挨拶代わりに軽く鞭を振るう。
しかし挨拶代わりなのはマーテルも同じだった。
後ろへ飛び退くことで鞭を避け、またもナイフを投げる。
「ぅわッ!」
軽く意表を突かれた一投だったため、ミペは避けきれず左肩に傷を許してしまった。けれど戦闘に影響がない程度には浅い。
「んもーっ、やったなー!」
すぐに体勢を整え、鞭を構えようとするミペ。だったが……、
「あ、あれ?」
なにやらうまく左手が動かせないらしかった。痙攣したように指先が微かに震えている。
戸惑うミペに対し、マーテルはニッタリと口端をつり上げた。
「痺れ薬。降参するなら、いまのうちよ?」
「へ、へんっだ! みぎては、まだうごくもんねっ」
若干やせ我慢ぎみに言い返すと、ミペは右手だけでもう一度鞭を振るった。だがその軌道はかなりぎこちない。
当然、マーテルは危なげなく横へ飛び躱す。そして着地すると、なぜか恍惚の表情で身体を抱き、ゾクゾクと震えた。
「ひひっ、最後のチャンスよ。降参、しない……?」
「う、うう~……しないッ!」
少々迷っていたが、ミペは最終的に頭を振った。めげずに鞭を振るおうとしたが、
「あっ」
ついに右手も動かせなくなったらしく、鞭を取り落としてしまう。そこからは早かった。
じわじわと膝からくず折れ、やがて倒れ伏す。果てには口もぱくぱくとしか動かなくなり、声も出せなくなったようだ。
ミペが完全に戦闘不能となったのを確認すると、マーテルは悠々と彼女へ近づいていく。手にしていたナイフを懐に仕舞い、別のなにかを取り出した。
その様子を見たミペが、目だけで怯えを見せる。観客も少々ざわめいた。
「あ、別に殺したりしないわよ? 大会規約に反するし」
とマーテルが殺意のないことを伝えると、皆がほっと胸を撫で下ろす。ミペだけは変わらず動けないようだったが、とりあえず怯えは落ち着いたらしかった。
さらにマーテルは、先ほど取り出した”ある物”を小さく掲げる。――鳥の羽だった。
「ちょぉ~っとイタズラしちゃうけど、ひひっ♪」
「!?!?」
邪悪な笑みを浮かべたマーテルに、ミペが動揺の気を発する。
「じゃ、さっそく♪」と、マーテルが”イタズラ”を開始した。つまりは、くすぐりである。
最初はちょんちょん、と軽く頬をつつき。
徐々に強めつつ首筋に移動し、さらりさらりと撫でる。
「っ、ぅ……ん……っ」
「降参したい? ひひっ、でも声だせないでしょ……?」
羽を一旦やすめ、油断させてから背筋を指ですっと撫で上げる。
「っっ!?」
「だから言ったのに。降参するならいまのうち、って」
服をめくり、ヘソをしつこく責め立てる。
その後もミペの痺れが解けるまで、マーテルのイタズラは続くのだった――。
『――し、勝者、マーテル!』
「ひひっ、ごちそうさま♪」
マーテルはぐったりと気絶したミペに微笑むと、るんるんとした様子で舞台を去っていった。
「や、やだ……あの人コワイ……」
「うぅ、ミペちゃん……かわいそうに」
「じゅる……はぁはぁはぁはぁはぁ……♪」
「「こいつマジでヤバい!!」」
今の試合に対する観客の反応はそれぞれだったが、シルヴェリッサだけは少しばかり見方が違った。
(……こんなに緩いのか)
最弱級の『邪怨』との戦いでも、これほど緩くはなかった。
たとえ不死の呪いを受けようが、痛みは関係なく感じる。気が狂れるような激痛も、幾度となく味わった。そしてそれは、最弱級が相手といえど変わらない。
地獄のような戦いを経験してきたシルヴェリッサにとって、今の試合はさながら『子供の遊び』である。周囲の反応を見るに、マーテルとミペが特別に弱いわけでもなさそうだ。
となれば、もしかすると『剣を抜かない』くらいの手加減をしなくてはいけないかもしれない。
『では第2試合、出場者――ロヴィス、モニカ!』
そうこう考えているうちに、知った名前が出てきた。
とりあえず思考を中断し、舞台に意識を戻す。
◆
モニカは思った。なんという巡り合わせだろう、と。
目の前に立つのは、好戦的でどこか嬉しそうな表情を向けてくる女性――ロヴィス。つい先ほど、自分を叱咤してくれた人だった。
「悪いけど、手加減はしないからな」
「……はい!」
「まだちょっと頼りねぇけど、いい感じの顔だ」
ニッと笑うロヴィス。モニカの小さな成長を、心から喜んでくれているのを感じた。
『戦闘開始!』
合図を受け、両者ともに武器を抜く。
モニカと同じく、ロヴィスも短剣だった。何の変哲もない普通の短剣だが、モニカの物と違って持ち主の手によく馴染んでいる。
少なくとも、モニカにはそう感じられた。
「じゃ、いくぞ!」
「はい!」
宣言と同時に斬りつけにきたロヴィスの刃を、モニカは短剣で弾く。
自分で驚いた。格上のはずの相手に反応できている。
いったん距離を置き、ロヴィスに問い掛けた。
「手加減、してますか?」
「しないって言ったろ。いまのはお前の実力だよ」
「でも、そんなはずは……」
「お前、たった1人で何年も旅してきたんだろ?」
ロヴィスに訊かれ、モニカはうなずく。
たしかにそうだが、それがなんだというのだろうか。
「その経験が、お前を強くしたんだよ。気づかないくらい、ゆっくりとな」
「で、でもワタシ、弱い魔物としか……」
「強敵と戦って得られる一番の力は、”自信”ってやつなんだよ。お前には、それが足りなかったんだ」
「あ……」
祖母にも言われた。”自”分を”信”じなさい、と。
モニカは右手の短剣を一層強く握りしめた。
「さてと、おしゃべりは終いだ。ここからは、もう言葉なんかいらねぇだろ」
「……はいっ、いきますッ!」
今度はこちらから仕掛ける。
右肩を狙った刺突。弾かれ、迫るロヴィスの蹴り。咄嗟にしゃがんで避けた。
(チャンス! ここでッ――)
隙と見て、ロヴィスの脇腹に一撃を見舞おうと――したところで、後ろ首の付け根にドッと重い衝撃を加えられた。たまらず体勢を崩し倒れる。
「うっ、ぐ!」
「武器は落としてねぇな、上等だ!」
ロヴィスが嬉しそうに叫びながら、短剣で追撃を仕掛けてくる。転がって躱そうとしたが、読まれていた。左腕にくらってしまう。
一瞬で走る痛みに歯を食いしばりつつ、無理やり立ち上がった。地に転がったままでは、また追撃をされるからだ。
しかし不思議だ。先ほどから、考える前に身体が動く。
これが”経験”というものか。
「やああぁぁッ!」
とにかく短剣を握り直し、再びロヴィスに斬りかかった。
右の斬撃がいなされれば、すかさず刃を返し今度は左から。それも躱されれば次は刺突。
時に反撃を受けて傷つこうが、こちらの攻撃が全て防がれようがかまわない。歴然たる実力差があることは、もうわかっている。
だがここで諦めたら、今までと変わらない。”変われ”ないのだ。
正直なところ、まだ逃げたい気持ちは残っている。
それでも、モニカは耐えた。耐えて踏んばって、何度も何度も、ロヴィスに向かっていく。
「お前……すげぇな。さっきまで怯えて泣いてた奴とは思えねぇよ」
「はぁっ、はぁ、っはぁ……!」
「同じ戦士としての敬意だ。戦技で終いにしてやる」
ロヴィスはそう言うと、改めて短剣を構えた。その切っ先は、まっすぐモニカに向いている。
気迫のこもった鋭い構え。しかし、モニカは怯まなかった。
次の攻撃を受けたら、自分は間違いなく倒れるだろう。
だが、せめて一撃。たった一撃でいい。ロヴィスに届かせたい。
そんな思いを込めて、モニカも短剣を構えた。
一瞬だけ驚いたロヴィスだったが、すぐにその唇が弧を描く。
「上等ッ!」
「いき、ますッ!」
両者が同時に地を蹴り、駆けた。
刹那とも、永遠とも感じられる時を掛け、その間を縮めていく。そして――
「「”スウィフトバイト”!!」」
斬撃の瞬間だけその速度を上げた、2つの刃。
最後の一撃にモニカはゆらりと倒れ――その身体を、ロヴィスが支えた。
「ほら、肩かすから。ゆっくり座りな」
「あり、がと、う…………あ、その傷、は……?」
ロヴィスの右肩に血傷を見つけ、モニカは力なく訊ねる。
するとロヴィスが、
「さっきまではなかっただろ? つまり、そういうことだ。……よくがんばったな」
優しい声で、そう微笑んでくれた。
モニカは悟る。ああ、自分はやれたのだ、と。
「やっ、た……おばあ、ちゃん……ワタ、シ、やれ……た、よ……!」
薄れゆく意識のなか響く、「ゆっくり眠れ」というロヴィスの声と、八方の喝采。
意識を失う直前、自分の涙が頬を撫でるのを感じた――。