43話
◇
いつもと同じく夜明けとともに目覚めたシルヴェリッサは、武器に異常がないかの確認を始めた。
普通の剣の寿命など知らないが、購入してからしばらく経っている。大会中に折れでもしたら、たまったものではない。
そんな具合に危惧していたシルヴェリッサであったが、どうやら杞憂だったようだ。刃こぼれの1つもない。これなら大会で使用しても問題はないだろう。
武器の点検を終えたところで、彼女は外の空気を吸うため部屋を出、フリースペースに歩を向ける。
廊下を歩いていると、ひんやりとした夜の余韻が感じられ、少々心地よかった。
そうしてフリースペースにつくと、テラスへ出て風を浴びながら街の様子に目を向ける。
日が昇って間もないというのに、いささかの人の群れができていた。流れる先を見るに、おそらく大会の観覧が目的なのだろう。
(戦いを楽しむ、か……よくわからないな)
けれどもシルヴェリッサには、『競技』としての戦いの経験がなかった。ゆえにそれを観て楽しむ、という発想もないのである。
が、別にそれで困ることもないので、ここでその件の思考は止めた。
風を聴くため、そっと目を閉じる。
ひゅぅ……ひゅぅ……、優しげな風の歌声が、緩やかに耳を通り過ぎていった。
(……風もきれいなのだな、この世界は)
以前からひそかに思っていたことを、いま改めて感じるシルヴェリッサ。
暫しの間、1人その素晴らしさを堪能したのだった。
宿にて諸々の準備を済ませたあと、街へ出て中央闘技場に向かう一行。
皆の中では、今日はシルヴェリッサの晴れ舞台という認識があるようで、何の感動もしていない本人をさしおき盛り上がっていた。
「たのしみだね~」 アーニャ
「おう! ぜった――」 カーヤ
「ぜったいゆうしょーだよっ」 キユル
「うん!」 イリア
「まちがいないのだ」 クアラ
「うぅーっ、こうふんしてきたかもっ」 ウルナ
「か、かも……」 エナス
「「かもなのー♪」」 ケニー、コニー
「なのなのー♪」 オセリー
「「「ピュイーッ」」」
「「「グオゥ!」」」
『ギヂヂッ!』『『ヴヴヴヴッ!』』
いつも通りかなりの大所帯だが、今日に限っては周囲の喧騒も相当なものだった。なので幼女10名は、はぐれないように従魔たちで囲わせている。
そうこうと闘技場に近づくにつれ、出店らしきものも増えてきた。もちろんそれに伴い、賑わいもまた増してくる。
「ポポンの果実酒いかがー? 1つ150メニスでーす!」
「こっちはビッグベア肉の大串焼き、200メニスだよー!」
「両方もらうぜ、3人分な!」
「アタシらはポポンのお酒2つねー!」
「大串焼き5本くれっ!」
「「まいどー!」」
見やるにポポンの酒は、半分に切った実の中側をくりぬいて器としているようだ。付近の別の店で扱っている他の果実酒も、同じようにして売られている。
大串焼きの店もこれらの店も、そろって盛況そうだった。
騒々しさに内心でため息を吐きつつ、シルヴェリッサは人混みを通りすぎていく。やはり大所帯で周囲の注目を集めてしまうが、それは仕方のないことなので諦めた。
アーニャたちの談笑を背にしながら、黙々と歩く。
やがて闘技場に着くと、さらに多くなった出店と雑踏を無視して中へ入った。そのまま受付に向かう。
シルヴェリッサに気づいた受付嬢が、笑顔で彼女を迎えた。ちなみにもう1人いる受付嬢は、他の来場者の対応をしている。
「ようこそいらっしゃいました。出場者の方と、そちらの皆様は観覧をご希望の方でしょうか?」
「……ん」
「かしこまりました。出場者の方は、あちらの階段の間にございます扉へお進みください。観覧をご希望の皆様は、そのまま階段を上っていただければ、すぐ観覧席に続いておりますので」
「……わかった」
さっそく皆を連れ、階段のほうへ歩いていくシルヴェリッサ。
階段と扉に別れる直前、皆が激励の言葉をかけてきた。
「「「「「がんばってください!」」」」」 アーニャたち
「「「「「がんばれー!」」」なのー」」 カーヤたち
「「「ピュイー!」」」
「「「グウッ!」」」
『ギヂヂィ!』『『ヴヴヴッ!』』
正直なところ緊張もなにもしていないシルヴェリッサだったが、皆の気遣いには少し温かい気持ちになった。とはいえ態々口にする必要もないので言わずにおく。
「……ん」
ただ簡潔にそう返すと、いよいよ出場者用の扉をくぐった――。
◆
中央闘技場・出場者控え室。
モニカはぶるぶると震えながら、部屋の隅でひたすら気配を殺していた。
おそるおそる他の出場者たちに目を向ける。
大斧を背に携えた厳めしい巨漢。
いくつもの投擲用ナイフを並べ、うっとりと眺めて舌なめずりする女性。
片手剣、片手槍、片手棍、片手斧を背や腰に帯びた”ドワーフ”の娘。
金属製の鞭を腰につけた”小人族”の少女。
放つ気からして、全員モニカより確実に格上だった。もう初戦敗退は揺るぎないだろう。
場違いにでしゃばってしまった羞恥やら、”エルフ”に会えない悲しさやら、いろんな気持ちが胸に去来して涙が浮かんできた。
「ぐすん……」
「? なんだお前、泣いてんのか?」
モニカが鼻をすすると、なにやら濃橙色の髪の女性が顔を覗き込んできた。
ハッとして身を縮ませるモニカ。
「ひっ!」
「お、おいおい、そんな怯えなくていいだろうよ。なんかあったのか?」
心配そうに横に座る濃橙髪の女性。そっと優しく頭を撫でてくる。
ほんのり心がおちついたモニカに、女性はさらに続けた。
「あたしはロヴィス。お前は?」
「モ、モニカ、です」
「よし、少しは落ちついたみたいだな。んでモニカ、なにがあったんだ?」
「は、はい、えっと――」
『優しそうな人だし、話してもいいかな……』と、モニカは自分の目的と今の状況を簡単に説明した。
一通りの事情を聞いたロヴィスが、「なるほどな」とうなずく。
「まあ、そんなに気を落とすなよ。あたしが優勝したら、その”エルフ”にゆっくり会わせてやるから」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。けどその代わり、お前は最後まで優勝をあきらめるな」
真剣な表情でロヴィスが出した条件に、モニカは戸惑った。先ほど初戦敗退を確信したばかりだというのに、無茶にも程がある。
「で、でも――」
「『どうせ勝てない』、だろ。じゃあ訊くけど、『どうせ勝てない』ような魔物に遭っちまったらどうする? そのときもあきらめて、おとなしく死ぬか?」
「そ、それは……」
ロヴィスの厳しい言葉に、モニカは口ごもる。
たしかに彼女の言うことはもっともだった。モニカとて、それは正しいと思う。
「それは、ワタシもわかっています……でもっ、こわいものはこわいんです!」
「……そうかい。なら、”エルフ”はあきらめるんだな」
「あ……」
言い残して去るロヴィスに、モニカは何も言うことができなかった。やがてロヴィスは他の出場者たちの中へ消えてしまう。
自身の情けなさ、そして悔しさに唇を噛むモニカ。
わかっている。何年も1人旅をしてきた自分が弱いままなのは、ほんの少しでも強い敵を避け続けてきたからだ。
しかし冒険者をしていく以上、命の危機というものはいつか必ずやってくる。
(でも、やっぱり……)
強敵への恐怖は拭えなかった。再び涙を浮かべ、一層にうつむくモニカ。
すると、
腰に差した短剣が目についた。祖母が愛用していた、大切な短剣。
ふとよみがえる、幼少の記憶。
幼き日、祖母の言葉が思い起こされた。
――いい、モニカ?
――勇気というものはね、臆病な人にほど、より強い力を与えてくれるの
――こわくてたまらなくても、勇気を出して、立ち向かってみなさい
――あなたなら、きっとできるわ
――自分を、信じなさい
当時はピンとこなかったが、今はその言葉が強く、深く胸に響いた。
ここで逃げたら、もう二度と恐怖に立ち向かうことはできないだろう。
(おばあちゃん……ありがとう)
モニカは歯を食いしばり、立ち上がる。
いまだ足腰は覚束ないが、”それ”はたしかに、ちっぽけな”勇気”だった――。