30話
◇
『ギルド』から10分ほどの距離に建つ『シャロトガ』という大きな宿。
名称は初めて聞く言葉だったが、”アルティア標準語”の効果で意味は理解できた。
「麗しき闘女」である。
泊まれるのなら宿の名前などどうでもいいので、シルヴェリッサはそれ以上気にしなかった。
全員で宿泊できるかの確認のため、ひとまず単独で中へ入りフロントへ。
「ようこそいらっしゃいました。お一人様でご宿泊ですか?」
バレッタで右後ろ側の髪を留めた女性に、柔らかな微笑と丁寧なお辞儀で迎えられた。特徴的なその服装は、おそらく宿の制服だろう。
襟の大きい白ブラウスに、左右の裾が花弁のようにふわりと垂れた黒ベスト。そして段々の縦折り目が付いた黒スカート。特に目を引いたのは、ゆったり絞められた宝石付のタイだった。
「……子どもがあと5人と、魔物が大量に」
「恐れ入りますが、ご確認させていただいても?」
「……外で待たせている」
「では、ご確認に伺いますね。ご同行をお願い致します」
「……ん」
ということになったので、すぐにシルヴェリッサは女性を連れて外へ出た。
主人の姿に気づいたアーニャたち、従魔らがトタトタ寄ってくる。
さっそくとばかりに、女性が目視でなにやら確認を始めた。そしてさほどの時間もかからず、シルヴェリッサへと向き直る。
「失礼ですが、こちらの皆様のうち男性、ないしはオスの方はいらっしゃいますか?」
「……子どもは5人とも女。ハーピーとオーガもすべてメス。それ以外は知らない」
「はい。では恐縮ですが、この場でご確認させていただきます。なお”プリックヴェスパ”はメスのみの魔物ですので、問題はございません」
「……オスだと問題があるのか」
なぜ態々雌雄を明確にするのか、気になったために問うた。
アーニャたちも興味があるらしい。ジッと女性を見つめ、答えがもたらされるのを待っている。
「当宿は女性専用でございますので、魔物であっても男性の立ち入りは禁止となっております」
(変わった宿だな)
とは思いつつ、シルヴェリッサは渋ることなくサブライムホースを女性に寄せた。もちろん馬車とは切り離して。
しかし女性はサブライムホースを直に見たとたん、口を小さくポカンと開けて呆けてしまった。
アーニャたちがそんな彼女を「ん~??」と首を傾げて見つめる。
代わりに、というわけではないが、シルヴェリッサが女性に問いをかけた。
「……どうした」
「! し、失礼致しました。見たことのないご立派な魔物でしたので……」
今までもそうだったが、どうやら自分の従魔たちは周りから見ると特異であるようだ。
とはいえ別段どうということでもないので、気にせず女性の確認を待つシルヴェリッサであった。
◆
――……あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
スェルカは暗くじめっとした石床にへたり込み、光彩の薄れかけた瞳で檻の外を見つめやった。
自分が入れられているここと同じような鉄檻が、ずらりと並んでいる。それぞれ中には、様々な者たちが首枷で繋がれていた。皆一様に目が死んでいる。
ここは地下らしいのだが、まともに明かりもない。
そんなところにずっと閉じ込められ、満足に食事も与えられないのだ。
彼らのように心が絶望に染まっても、なんら不思議はなかった。
きゅぅぅ……
力なくスェルカの腹が飢えと鳴く。
しかしこの場に食べる物がない以上、我慢する他なかった。
自分はこれからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。
外に希望を見つけようにも、記憶のないスェルカにはそれは叶わない。
今できることといえば、絶望に呑まれぬようにただひたすら耐えることだけだった。
◇
どうやらサブライムホースたちもすべてメスだったらしく、『シャロトガ』には無事に宿泊できることとなった。
初めてそのフロントホールを目にしたアーニャたちはというと、
「「「「「ほあぁ~……!」」」」」
と、そのあまりにきらびやかな様相に圧倒されている。
シルヴェリッサも、改めてホールを見渡してみた。
フロントのカウンターを背に見て、大フロアの左右それぞれの中央部には円形の噴水台が置かれている。しかし噴き出しているのは水ではなく、よくわからない光の粒子だった。粒子の色は右側の台が赤、左側が緑である。
そしてよく見ると、噴水の頭頂部はクリアカラーの”ジュエリーパピヨン”像だった。それぞれの光の粒子と同色らしい。
さらに噴水台の外縁部はベンチになっているようだ。ちらほら他の客の姿もある。
他にも美しい装飾が、豪奢過ぎず派手過ぎず、壁や床、天井まで散りばめられていた。
世の女性のほとんどを魅了し得るそれらだったが、しかしシルヴェリッサの感心を響かせることはできない。
当然ながら、魔物である従魔たちも無反応だった。
「「「「「! んゅぅ~~っ……」」」」」
なにやらアーニャたちが妙な声を発しだしたので、そちらに振り返る。5人は何故か各々の頬を、むにむにと両手で揉み押さえていた。どうやら綻んだ頬を懸命に戻そうとしているらしい。
察するに、シルヴェリッサがホールを見ても平常であったため、自分たちも同様にしようとしているのだろう。
(別に無理をしなくてもいいのだが)
このまま放っておくのも何なので、部屋を借りたらすぐに向かうことにした。
ちょうど良いところで、部屋の確認に離れていた先ほどの女性職員が戻ってくる。
「お待たせ致しました。恐れ入りますが、皆様お揃いでのご入室か、個別のご入室。どちらのご利用をお望みでしょうか?」
全員で同じ部屋に泊まるか、それぞれ別に部屋を取るか。
皆の管理も楽であるし、せっかくである。
「……揃いの部屋」
「かしこまりました。最上階のスイートフロアとなりますので、少々お値段の方が掛かりますがよろしいでしょうか?」
「……ん」
スイートフロアという言葉は聞いたことがないが、恐らくは上質的といったような意味合いだろう。「あまいのかな?」などとひそひそやっているアーニャたちをよそに、シルヴェリッサは宿泊賃を払い鍵を受け取った。
所持金746270メニス → 416270メニス
2階、3階と上っていき、シルヴェリッサたちは最上階へたどり着いた。
このフロアには部屋が4つあり、全体を1つとしての宿泊部屋と定めているらしい。2叉の階段を挟んでそれら4部屋と反対側にあるのが、宿泊客用のフリースペースのようだ。2階と3階にも同じ位置取りで設けられているようだったが、そちらも自由に使えるのかは今のところ不明である。
とにかく一行は宿泊する部屋へと入ってみた。手前左側の場所だ。
扉を開くとまず目に映りきたのは、天蓋付の大きなベッド。間に豪華な鏡の付いたチェストを挟んで、2つ並んでいる。
それから少し手前、部屋の中央には角の丸い四角形テーブルと、それを囲う2つのL字ソファー。
さらに扉側の壁際には本棚が並んでおり、様々な本が綺麗に整列している。
最後に左壁の窓辺を見ると、赤い花の鉢がいくつも飾られていた。
「「「「「…………」」」」」
アーニャたちは驚きのあまり声も出ないようである。
その後も他3部屋を覗いてみたが、鉢の花の色と、部屋の位置による内装の左右逆転。この2つ以外は全て最初の部屋と同じであった。