3話
◇
緑の小鬼と戦ってから1時間ほど経った頃。探索で果実の生る木を発見したシルヴェリッサは、生まれて初めて感じる満腹に驚いていた。お腹いっぱいに食べるということは、こんなにも満たされるものなのか、と。
(ずいぶんと食べてしまったな……しかし、大きな木だ)
シルヴェリッサが食べた量は、生っている木の実全体の1割にも満たない。その事実からもわかる通り、この木は巨大だった。それでも彼女は軽々と登り、果実をもいでいったのだが。
全長50メートルはあろう巨躯。膨大な量の葉々が形作る傘の下には、他の木が存在せず。しかし色とりどりの花が咲き誇り、幻想的な世界を彩っていた。その壮大たる威容は、さながら『森の大長老』とでも言うべきか。
けれど一つ、気になることがあった。
ひょいひょい、と大樹から降り、周囲を見渡す。
(やはり、他の動物が一匹もいない)
普通、これほどの規模の樹木には、様々な動物が集まるものだ。だというのに、小動物一匹たりとも見当たらない。
はっきり言って不気味だった。ひとまずここに長居はしないほうがいいだろう。
そう判断したシルヴェリッサは、非常食代わりに頂戴した果実を片手に歩きだした。
この黄色い木の実は果肉が多く、とても甘い。しかも皮ごと食べられるようなので、かなりいい食糧だ。この場所をしっかり覚えておこう。
◇
◎ サナルの村
「――サナルの森の様子がおかしい、じゃと?」
木造の簡素な家の戸口。
老人がしわがれた声で、訪ねてきた村人に対して確めるように聞いた。
「ああ。村の近くに、普段は森の奥にいる魔物が現れたり。逆に森の奥に進むにつれて、魔物の数が少なくなっているみたいなんだ。子供たちには危険だから家から出ないように言いつけたが。……なあ村長、何かよくないことが起こる前触れなんじゃないか?」
「ううむ……」
村長と呼ばれた老人は顎に手をあて、思案する。
確かに今の話を聞く限り、かなり大きな異変が起きているのは間違いない。が、この村の人員では調査をするにも力不足だ。魔物の動きにも異常があるというし、自分たちでは対処できないだろう。
となれば、
「冒険者に依頼するしかないのう」
「けど、謝礼を払えるのか? 結局は報酬がないと受けてもらえないだろ」
「……村中で集めるしかないじゃろうな。少なくとも2000メニスは必要じゃ」
「小銀貨2枚分、か……まあかき集めてみるよ」
「すまんのう」
「この村のためだ。仕方ないさ。……じゃあさっそく行ってくる」
言うが早いか、男は走り去っていった。
その背を見送りながら、村長は溜め息を吐く。
「なにも起きなければ一番なのじゃがな……」
ここ数年、世界は荒れている。
魔物に強力な個体が現れたり、その被害によって国々の情勢が変わったり。救いをもたらさない神を見限り、教会から去る者も後を絶たず。果てには盗賊や犯罪者が激増する始末。
この分では、魔王が現れたという噂も、まんざら間違いではないのかもしれない。
老人は空を見上げ、世界の現状を深く憂いた。
◇
(なにか袋になるような物がほしいな)
黄色の木の実を片手に、シルヴェリッサは思う。片手が塞がっているのは、少々落ち着かないのだ。
布切れでも見つければ、くるんで腰に下げるのだが。
(早くこれをどこかに仕舞いたい)
そう思った瞬間。
彼女の手から木の実が消えた。
(なっ、ど、どこにいった?)
そして次の刹那、脳に浮かぶメッセージ。
《――⇒サナルの実×1 を収納しました》
(脳に直接浮かんでくる……さっきと同じだな。収納した、とはどういうことだ?)
文字通りに捉えるなら、どこかに保管した、という意味だろうか。
だとすれば、取り出すこともできるのかもしれない。たしか、サナルの実、だったか。
(サナルの実を取り出したい)
軽く念じると、シルヴェリッサの手に再び黄色い木の実が現れた。
(……便利だな。活用しよう)
もう一度サナルの実を収納。歩を再開した。
この現象に害はないようなので、今後は気にしないことにする。
◇
「たっ、大変だーっ! ベナがっ、ベナが森に入っていったって!」
広場に走りながら叫ぶ青年の声が、サナルの村中に響く。
それを聞きつけた村人たちが、ぞろぞろと青年の方へ集まってきた。
「本当なのかい!? 今、森は危ないらしいじゃないか!」
「なんたってこんなときに?」
「妹のリナが病気で、治療に必要な薬草を取りにいったらしいんだ……」
「あぁ、なんてこと……。早く助けに行かないと!」
「待てよ! 今俺たちが森に入っても、魔物に襲われて終わりだぞ。危険すぎる!」
「だからって若い女の子を見捨てるってのかい!」
「そうは言ってねえだろ! ただ、今いくべきじゃないって言ってんだ!」
「み、みんな落ち着くんだ」
青年が皆を宥めようとしたとき、村長がやってきた。
「静まれぃ! 皆、ひとまず落ち着くのじゃ」
「村長……でもベナが森に1人で」
「……わかっておる」
先ほど言い合っていた年配の女の言葉に、村長は厳かに頷いた。
集まった村人が注目する中、意を決して口を開く。
「今、森に人をやるわけにはいかぬ」
「村長!」
「聞くんじゃ」
「……はい」
「知っている者がほとんどじゃろうが、サナルの森には今、謎の異変が起きておる。まるで何かに追い立てられたかのように、奥から魔物が寄ってきているらしい。冒険者に調査を依頼しようとしたのじゃが、それには金がとても足りんかった。……皆、最悪の場合のことを、村を捨てる可能性を考えておいてくれ」
「「「……」」」
村長のその言葉に、その場にいた誰もが悲痛な面持ちで俯いた。
◇
日が傾きだした頃、女の悲鳴が聞こえてきた。……人間と関わりたくはないが、今の自分の状況を知ることができるかもしれない。
シルヴェリッサは悲鳴が上がったであろう方向へ駆け出した。そしていくつかの藪をかき分けていくと、
「い、嫌、こないでっ……! お願い、だ、だれかっ、だれか助けてっー!」
「ギギッギァァッ!」
「ギギ!」
「ギァッ」
「ギィギィ!」
亜麻色をした短髪の少女が、先ほどの小鬼と同じような者たちに囲まれていた。程なくして少女と小鬼たちの能力が表示される。
=== =========================== ===
NAME:ベナ ♀
AGE: 18
Lv: 1
HP: 12/12
MP: 9/9
STR: 1
DEF: 2
INT: 3
RES: 2
SPD: 2
LUC: 4
スキル: □採集Lv3 □家事Lv3
□料理Lv2 □細工Lv1
=== =========================== ===
小鬼の能力値は数時間前に見たものと大差がなかった。奴らと同類の存在なのだろう。しかし一匹だけ、一回り身体が大きく体色が濃い個体がおり、他とは異なる表示だった。
=== =========================== ===
○ ゴブリンリーダー
Lv: 11
HP: 73/73
MP: 19/19
STR: 38
DEF: 32
INT: 16
RES: 18
SPD: 34
LUC: 27
スキル: □剣術Lv3 □隠密Lv2
□統率Lv1 □狩猟技術Lv2
称号: □群れのリーダー
=== =========================== ===
(少し警戒した方がよさそうだな)
ちなみにこの時点では、シルヴェリッサはまだ己の能力値を知らない。故にこの程度の相手にも、警戒という手段を選んだのだ。
やがて外野が現れたことに気づいた小鬼たちが、それぞれ武器をならして威嚇してくる。リーダー格である一体は、シルヴェリッサが1人であることから脅威なしと見なしたのか、下卑た笑みを浮かべた。
(数でしか戦力を測れないのか……? あまり頭はよくないようだな)
そこでようやくシルヴェリッサに気づいたのか、少女が必死の様相で叫んできた。
「たっ、助けて! 助けてください! お願いしますっ!」
シルヴェリッサは懇願する彼女を冷めた目で一瞥し、すぐに目線を小鬼たちに戻した。それらが手にする得物を確認する。どうやらリーダー格の持つみすぼらしい剣が、一番マシな物のようだ。
(あれを奪っておくか。いつまでも武器無しというわけにもいかないからな)
「「「ギギギィーーッ!」」」
「あ、危ないっ!」
いつまでも動かないシルヴェリッサに業を煮やしたか、リーダーを除いた雑魚が襲いかかってきた。亜麻色の髪の少女が危機を知らせようと叫ぶ。
だが、
(やはり弱いな、この小鬼ども)
シルヴェリッサにそんな心配は無用である。
地を蹴って雑魚の合間を一瞬で潜り抜け、そのままリーダー格の腹に蹴りを入れた。
「ギッ……――?」
「……え?」
《――レベル差が開きすぎているため
経験値を獲得できませんでした》
(っ、また頭に直接……)
しかし気にしても仕方がない、とひとまず意識を引き戻した。
リーダー格は何が起きたか理解できないまま事切れ、倒れ伏す。少女もまた何が起きたか把握できず、呆けていた。雑魚たちに至っては急に消えた対象に気を取られ、リーダーがやられたことに気づいていない。
シルヴェリッサはすかさずリーダーが持っていた剣を拾い上げ、残った雑魚を一瞬よりも早い時間で葬った。
《――レベル差が開きすぎているため
経験値を獲得できませんでした》
「…………」
「……おい」
呆然とした表情で固まる少女に、不本意といった声音で呼びかける。すると少女は「……ハッ!」と意識を取り戻し、辺りを見渡した。
「わ、私、助かった……の?」
「……おい」
「あ。あなたのおかげで助かりま――」
「……答えろ、ここはどこだ?」
「え?」
「……ここはどこだと聞いている」
「あ、はっ、はい! ここはサナルの森です!」
「…………」
思案する。聞いたことのない名の森だ。いや、元々教養など全くないので、自分が知らないだけの可能性もある。しかし、先ほどの緑の小鬼――そうだ、こいつらのことも聞いておこう。
「……さっきの緑の奴らはなんだ?」
「え、なにって……」
少女が、なぜそんなことを聞くのか不思議がるような顔をしている。
シルヴェリッサはそれを無視し、答えを促した。
「……いいから答えろ」
「はっ、はひっ! ゴブリンという魔物ですっ!」
(ゴブリン……たしか奴らの能力の表示に書かれていたな)
再び思案。やはり聞いたことのない名の生物だ。それに”魔物”と言ったか……。
ここである仮定が思い浮かぶ。
その仮定の正誤を確認するため、なぜかキラキラとした目を向けてくる少女に問いかける。
「……ニホンという国を知っているか?」
「い、いいえ……」
「……アメリカという国は?」
「うう、知りません……」
「……イギリスは? フランスは?」
「す、すみません~!」
「…………」
少女はなぜか「知らない」と答える度にヘコんでいたが、シルヴェリッサは気に止めなかった。
それよりも、これでほぼ確定した予想に気を取られていたのだ。
(わたしは今、異界にいるのか!)
現状を説明できる理由が、それ以外に思い至らない。
自分が異世界に来てしまったことを、認める他なかった。
「あ、あの……」
茫然とするシルヴェリッサの耳に、少女の声が呼び掛ける。なんとか意識を現実に戻すと、その少女に目を向けた。
「え、えっと、その……」
「……なんだ」
「お、おおお名前をお教えいただけませんかっ?」
「……知ってどうする」
「え? い、いえその……め、迷惑でしたよね。すみません……」
しゅん……、と俯く少女。
その様子を横目に、シルヴェリッサはゴブリンリーダーの死体から剣の鞘を抜き取った。そのまま少女を置いて、湖の方へ歩き出す。
「あ……」
ぎりぎり聞き取れるくらいの、微かな声を背にして。
※ 各ステータスにHPとMPを追記しました。