23話
◆
コワイ。
蜂魔物たちの心は、その感情で埋め尽くされていた。
武器を抜くニンゲンたちを目の前にしても、身体は恐怖で固まり動くことができない。
まさか再びこの場に現れるとは思わなかった。
なぜ荒らし終えた場に再び姿を見せたのか、蜂魔物たちにはわからない。
ただ確かなのは、今この瞬間、自分たちに危機が迫っているということだけだ。
男たちの思惑は不明だが、逃げなければどうなるかは想像に難くない。
即ち、死である。
「おいおい、こいつら動かねえぞ。立ったまま死んでんのか?」
「ぎははは。冗談キツいぜ、ボス」
「きっと恐ろしくて動けないんでしょうぜ」
「違ぇねえな。ま、こっちとしちゃ都合がいい。……捕まえろっ!」
恐らく首領と思しき男の言葉を合図に、ニンゲンたちが襲いかかってくる。
『ヴヴ……!?』
『ヴヴヴヴ!?』
『ヴ、ヴヴヴヴ!?』
仲間たちが恐慌に逃げ惑い、ニンゲンたちがそれを次々に捕らえていく。
場は一気に混迷騒然と化した。
ハッと正気に戻った蜂リーダーは、仲間を助けようと飛び出す。が、
「おっと、お前の相手は俺だぜ。大人しくしてりゃ、可愛がってやるぞ?」
下卑た笑みを浮かべた首領の男が立ち塞がった。
『ギ、ヂヂヂヂ……!』
震え上がりそうになる気持ちを押し殺し、蜂リーダーは精一杯の威嚇を試みる。
しかし弱者の足掻きなど、強者には何の効果も成さない。
男はさして気にした風もなく、その穢れた欲手を蜂リーダーへと向けた。
より一層の恐怖を感じた彼女は、咄嗟にそれを回避しようと動く。怯えが邪魔をしているのか、翅を上手く動かせない。しかしなんとか避けられた。
「チッ!」
鬱陶しげに舌打ちする男。
今度は両腕で以て捕まえにきた。
躱す蜂リーダー。
さらに追う男。
何度も何度も。
ずっと繰り返していくうちに、蜂リーダーの心で恐れが膨れ上がってくる。
『ギ、ギヂヂヂィ……!』
「うおっ、と!?」
やがて堪えきれなくなり、彼女はデタラメに腕を振り回し攻撃する。
一瞬驚く男だったが、すぐに対応して身を躱していった。
ニヤついた笑みに戻った男に更なる怖情を煽られ、彼女はどんどん恐慌に陥っていく。と、
「ぐぅっ!?」
がむしゃらな彼女の攻撃が、ついに男の顔を掠めた。
傷を押さえよろめく男。
そして顔を上げると、表情が怒りに染まっていた。
「よくもやりやがったな!!」
男が武器を抜き、蜂リーダーに斬りかかる。
慌てて避ける彼女だったが、男は次々に斬撃を加えてきた。
蜂リーダーはついにその速度に対応しきれなくなり、胴を深く抉られてしまう。
途轍もない痛みに声なき悲鳴を上げ、地面に倒れ伏した。
『ギヒュ……』
触角から力なく音が漏れる。
ボヤける視界の中、男のおぞましい笑みを見た。
凶刃を振り上げるその姿に、彼女は己の死を覚悟し目を閉じる――。
◆
シルヴェリッサは渾身の力を足に込め、全力で地を蹴った。
常は静寂な心の中に怒りを宿し、男が振り上げた凶刃を腹から斬り裂く。
ほんの微かな音を残し斬れた、その男の剣。
折れたのではない。『斬れた』のだ。
その断面はまっすぐで、離れた刃以外はほんの欠片でさえも残っていない。そしてその離れた刃は飛んでいかずに、重力に従ってストン、と落ちる。
まさに神業であった。
急に軽くなった剣を見た持ち主の男以外、いや、その彼でさえも何が起きたか理解できずにいる。
「あ……? な、なんだこりゃあ。いきなり折れて……んなっ、なんだテメェは!?」
ようやくシルヴェリッサに気づいたその男につられ、周りの者たちも次々に彼女を見る。
「……」
振り抜いた剣を物言わず払う、銀美髪を靡かせた少女。
ブラウスにコルセットスカートという、街娘のような格好で剣を手にしたその姿に、違和を感じない者はそういないだろう。
己に向けられた視線をさして気にした風もなく、シルヴェリッサは地に伏せっている蜂リーダーを見やる。
『ギ、ヂ……』
酷い傷であった。
一刻も早く手当てをせねば、命が危ういだろう。
彼女の仲間たちも、少なからず怪我をしているようだった。なにやら男たちに捕らえられている。
シルヴェリッサの心に激情が燃え上がった。
しかしまだ、男たちの行動が我欲によるものではない可能性も残っている。
その砂粒ほどの可能性を考え、シルヴェリッサは目の前の男に問いかけた。
「……なぜだ」
「あ?」
問の意味を測りかねた男が眉を顰める。
さすがに言葉が足りなかったか、とシルヴェリッサはさらに続けた。
「……なぜこの魔物たちを害した」
「は? なぜ、って……”プリックヴェスパ”だぜ? んなもん決まってんじゃねえか。ハチミツだよ、ハチミツ」
「……なんのために」
「食うために決まってんだろ。うめぇんだよ」
「……ここまでする意味は」
「ゲヒハハハッ、特にねぇよ!」
「…………」
「強いて言うなら、面白かったから、だな!」
下劣極まりない男の笑いに、彼の仲間たちが続いた。
怒りと悔しさからか、蜂魔物たちが身を震わせる。
「ピュイッ!」
「グゥウッ!」
「そんな!」
「ゆるせない!」
「あんまりだよ!」
「ひどい、です……!」
「そうだそうだ!」
ハーピー、オーガ、アーニャたちは怒気を顕にして男たちに叫んだ。
セルリーンとルヴェラを筆頭に、ハーピーとオーガが前線に出てくる。
「……遠慮はするな」
「「「ピュイィーッ!」」」
「「「グゥアアーッ!」」」
シルヴェリッサが指示を出すと、それを受けたハーピーとオーガたちが一斉に飛び出していった。
蜂魔物たちを解放するため、それぞれ男たちに襲いかかる。
「上等だ! やっちまえ!」
「こっちの方が数は有利だぜ!」
「返り討ちにしてやらあ!」
「お、おい、あのハーピー、進化体じゃねえか!?」
「なんだと!? ヤ、ヤバくないか?」
「1体だけだ! 数で押し切れる!」
「「「オオォーーッ!!」」」
そこかしこで交戦の火花が散り始める。
数ではハーピーやオーガたちが不利であるが、総力では負けていない。今のところ拮抗状態であった。
やはり進化体であるセルリーンの存在が大きいらしい。
彼女は1体でおよそ10人を軽くいなしていた。
時に、流れるように攻撃を躱し。
時に、鋭く的確な反撃を繰り出し。
時に、苦戦した仲間を手助けしている。
ルヴェラもいささかのLvが上がったからか、なかなか善戦していた。
「チッ、なにやってんだ情けねえ! さっさと片付けちまえ!」
イラついたように、シルヴェリッサの前の男が仲間に怒鳴る。
非常に自分都合な人間のようだ。それに相手の力量もまともに測れないらしい。
試しに、シルヴェリッサは”神の瞳”を発動させた。
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NAME:ガラバ ♂
AGE: 28
Lv: 24
HP: 113/113
MP: 52/52
STR: 89
DEF: 81
INT: 43
RES: 31
SPD: 67
LUC: 58
スキル: □剣術Lv2 □採集Lv1
□狩猟技術Lv1
言語: □アルティア標準語
称号: □罪人 □殺人者
□悪賊
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大した脅威ではないようだ。
……称号にある3つが、シルヴェリッサの神経を逆撫でする。
この男は、彼女の忌み嫌う『人間』の典型らしかった。
即ち、醜欲の塊である。
「ったく、手こずりやがって」
吐き捨てながら、男はシルヴェリッサに向き直った。
使い物にならなくなった剣を捨て、懐から短剣を取り出す。そのまま鞘を抜いて投げ放った。
そして下卑た視線でシルヴェリッサの全身を睨めまわす。
シルヴェリッサは身に纏わりつく醜悪なそれを払うように、男へ剣先を向けた。
「いいねぇ、反抗的なその目。ますます俺の好きにしたくなる」
「…………」
もう言葉を交わすのも虫唾が走る、とシルヴェリッサは黙る。
そこへ、
「背中ががら空きだぜ!」
嘲りとともに別の男が背後より斬りかかってきた。が、
「――え?」
シルヴェリッサは見もせず回し蹴りで、その剣撃ごと男を右方へと蹴り飛ばす。
何が起きたか理解できぬまま、その男は呆けた声を漏らし事切れた。
始終を見ていた首領の男が、驚愕のあまり固まる。
シルヴェリッサを見るその目には、少なからぬ怯えが生じていた。
目の前の少女と、自分。その圧倒的な力量差を、ようやっと悟ったのである。
――しかしそれを知るのは、あまりにも時が遅すぎた。