21話
◇
翌、明朝。
窓から照らし来る陽光と共に、シルヴェリッサは目覚めた。
両隣で寝息を立てるセルリーンとルヴェラ。彼女らを起こさないように、そっと寝所から抜け出す。
軽く手櫛で髪を梳いた後、”神の庫”からコルセットスカートを取り出した。昨日に購入した物だ。
寝間着の代わりに着ていたブラウス――これも昨日購入した物である――と合わせて裾を通した。
それから宿の本館から出て、庭にある井戸で顔を洗う。預けている馬車に異常がないことを確認し、部屋へと戻った。
「……起きたか」
「グュゥ」
「ピュイィ~……♪」
シルヴェリッサが出ている間に起きたらしい。
ルヴェラは完全に活動モードだが、セルリーンはまだ眠そうである。けれど主人の姿を捉えた途端、嬉しそうに鳴いて擦り寄ってきた。
そんなセルリーンを羨ましそうに見つめるルヴェラを見て、シルヴェリッサはふと思い出す。
(わたしはなぜ、あんな真似をしたのだろうな)
彼女は昨夜、セルリーンを羨ましがっていたらしいルヴェラを、自らの寝床に招いたのだ。
今までの自分ならそんなことはしなかったであろう。
けれども最近は、自分を慕う魔物やアーニャたちに対して、昨夜のような行動をすることがちらほらあった。
現に今も、甘えてくるセルリーンを撫ぜている。
なぜこうまで暖かな気持ちになるのか、考えてもわかりそうにない。
別に悪いことでもないので、シルヴェリッサはもう気にしないことにした。
隣室のアーニャたちが起きてきたら、町外待機中のオーガたちを馬車に乗せ、いよいよ出立だ。
◇
サナルの村とは反対側の門から、一行は町を出る。
セルリーンとルヴェラをやって先回りさせていたハーピーとオーガ。彼女らとも合流し、ジャハール王国に向けて歩を踏み出した。
馬車を引く魔物が従魔である場合、主人が同行すれば御者は必要ない。細かな軌道修正も『命令』で済むためだ。
この世界では常識であるが、シルヴェリッサは当然知らなかった。しかし結果としては問題ないだろう。
現に出発から2時間ほど経っているが、至って順調である。
「あの」
「……なんだ」
御者台に腰かけるシルヴェリッサに、荷台からイリアが声を掛けてくる。
ピコピコと動く猫耳に、落ち着きなく揺れる尻尾。着ている服には、その尻尾を外に出すための穴が開けられていた。
どうやら服飾店のサービスらしい。
「ありがとうございます」
「…………」
いきなり礼を言われてもわからないので、続きを待つシルヴェリッサ。
イリアも元々そのつもりだったのか、すぐに次を口にする。
「きのう、ゆっくりあるいてくれました」
「……ああ」
そういえば、とシルヴェリッサは思い返す。彼女としては無意識の行為だったが、確かにアーニャたちは最後まで自分で歩けていた。
「……偶然だぞ」
「でも、ありがとうございます」
「……ん」
自分の意外な一面を知りつつも、シルヴェリッサは素っ気なく返す。
ふと、山がいくつも連なる山脈が遠くに見えた。もしかすると通り道かもしれない。
それほど大きくもないので、通るとしても今日中には抜けられるだろう。
魔物は時々見かけるが、ぶつかることはなかった。この辺りに気性の激しい者はいないようだ。
しばらくは何事もなく進めそうである。
◇
さらに2時間ほど経過し、一行は一休みした後に山道へ入った。
数十分を進んだ頃、シルヴェリッサは周囲に複数の気配を感じ取る。
「……”止まれ”」
「「「「「「ヒヒーン!」」」」」」
ディグニティホースがシルヴェリッサの『命令』で一斉に脚を止めた。
ハーピー、オーガ、アーニャたちが、何事かと戸惑いを見せる。どうやら気づいているのはシルヴェリッサだけのようだ。
”何か”がこちらを見ている。
それも結構な数だ。
今のところ危険は感じられないが、全身に不快が纏わりついてくる。それにいつ襲いかかってくるとも知れない。
シルヴェリッサは御者台を降り、じっと様子を窺った。
すると……、
(………………去った、か)
しばらくして、気配は一つ残らず消え失せていく。そして周囲には、風に揺らめく葉音だけが残った。
これ以上ここで立ち止まっていても無意味なので、シルヴェリッサは御者台に戻りゆく。
「ど、どうしたんですか?」
恐々と尋ねくるウルナ。赤茶の犬耳と尻尾が不安そうに垂れている。
彼女だけでなく、他の4人とハーピー、オーガもシルヴェリッサに注目していた。
「……何かがいた。数も多い」
「「「「「……」」」」」
アーニャたちが不安の色を一層濃くする。正体不明な多数の存在がいると聞いたのだから、至極当然の反応であろう。
けれどもシルヴェリッサは、彼女らの胸の靄を消す術を知らない。少なからず思案した挙げ句、”神の庫”からサナルの実を取り出し後方へ軽く放った。
「わっ、ととっ!」
アーニャが受け止めたようだ。
別に誰が手にしても問題ないので、シルヴェリッサは構わず補足する。
「……分けて食え」
「「「「「? い、いただきます」」」」」
甘い物でも食べれば多少なりと気も紛れるだろう、と考えたのだ。
先ほどの休息時に早めの昼食を摂ったばかりであるが、5人で分ければ軽く平らげられるであろう。
アーニャたちが仲良く一緒に実をかじる。
次の瞬間には、その甘く瑞々しい美味しさに笑んでいた。
横目にして、シルヴェリッサはディグニティホースに『命令』し歩を再開する。
そのまま何事もなく数時間を進んだのだが……、
案の定というべきか、やはり異変は起きた。
『ギヂヂヂヂヂヂ……!』
『『『『『ヴヴヴヴヴヴヴヴ!』』』』』
遠くからけたたましい羽音がいくつも近づいてきたかと思えば、次の瞬間には大量の魔物が飛び出でる。
蜂を彷彿とさせる見た目だが、フォルムは人間の女性に近い。
ちょこん、と飛び出た2本の触角。人間の顔に、蜂の眼。
口元を隠す、首に巻かれたマフラーのような白毛。手首にも同じ物が窺える。
地上に降りた何体かを見ると、背中には逆Vの字を描く2枚の翅があった。
首より下に肌色はない。胴体と四肢は、昆虫独特の光沢ある黒殻。胸の双丘は、黄色と黒のストライプが波紋を描く外殻で、それぞれ覆われている。
全体的に人間よりほっそりしており、四肢もしなやかで細い蜂の物であった。
だが蜂としてあるべき尾針はなく、代わりにどの個体も少々ながら手先が鋭い。
恐らくそれを武器とするのだろう。
『ギヂヂヂヂヂヂ……!』
と、ひときわ異彩を放つ一体が、触角を震わせ威嚇音を出しながら前に出る。どうやらこの個体だけ、翅が2対4枚あるようだ。
(……こいつがリーダーか)
悟るシルヴェリッサ。
実際それは正解であった。いかにも、この4枚翅の彼女こそがリーダーである。
木々より上空を飛んでいたセルリーンとハーピーたちが、次々に降り立ってきた。ようやく地上の異変に気づいたらしい。
一様に蜂娘たちへ威嚇の声を上げる。
「ピュイー!」
「ピュー!」
「ピュッピュイー!」
「グュオー!」
「グゥウウ!」
「グォゥゥ!」
オーガたちもルヴェラを筆頭に馬車から跳び出してきた。
『ギヂ、ギヂヂヂヂ……!』
蜂娘たちは数瞬だけ怯んだが、すぐに持ち直す。
再び場は一触即発の空気に包まれた。
そして――
蜂リーダーがシルヴェリッサに狙いを定め、尖指を向けて突撃する。
シルヴェリッサは迎撃しようと構えた。
が、
『ギ、ヂィ……』
その蜂リーダーは、シルヴェリッサまで辿り着く前にぐらり、と体勢を崩し落下する。
『『『『『ヴヴヴヴ……!?』』』』』
彼女の突撃に続こうとしていた他の蜂魔物が、慌ててリーダーに寄り添い集った。それらとシルヴェリッサとの間に壁を作る者もいる。
そこでシルヴェリッサは気づいた。
彼女らは皆、大なり小なり弱っている。傷を負っている者もいた。
よくよく目を凝らすと、奥の方には仲間に肩を支えられている個体の姿も見える。
(……それなりの”何か”があったようだな)
そもそも、これだけの数が一つの箇所に集まって行動するなど異常である。
ハーピーやオーガたちが、目の前の意外な事態に戸惑いを浮かべた。
シルヴェリッサも少し迷う。こちらに敵意を向けてはいるが、恐らく危険性は非常に薄いと思われた。
それに悪意的な敵対ではなく、彼女らの場合は『生きるため』という摂理に基づいた行動であろう。つまりは、餌を求めてのことだ。そこに善悪などは存在しない。
(このまま去ればいいが……)
と考えるも、その可能性は低いと予想するシルヴェリッサ。
リーダーが倒れた時点でも退かないのだ。それだけ詰まった状態なのだろう。
蜂魔物が何を餌とするかはわからないが、彼女らは態々ここへと現れた。ということは、ここに『ある物』もしくは『あった物』が該当するはずである。
けれども馬車には食糧の類は一切積んでいない。
「………………」
シルヴェリッサは記憶を巡らせる。そしてすぐに心当たりへと思い至った。
ちらり、とアーニャたちを振り向く。急に視線を受けた5人が疑問符を浮かべたが、シルヴェリッサは気にせず脳内での予想を完成させた。
(サナルの実、か)
少なからず匂いが残っていたのだろう。それを嗅ぎ付けてきた、と。
ならば、とシルヴェリッサは”神の庫”からサナルの実を一つ取り出した。
見ていた蜂魔物たちが、ンッ、と唾を呑む。どうやら正解のようだ。
そのままシルヴェリッサは蜂リーダーへと寄っていく。
警戒を強める蜂たちだったが、シルヴェリッサの不可解な行動に戸惑っているのか、何もしてこない。
そしてついには、シルヴェリッサが目的の蜂リーダーへと辿り着いた。
屈みこむと、身体を強張らせて睨みくる彼女の口元に実をやる。
「……自分で食えるか」
『ギヂヂヂ……?』
シルヴェリッサの言葉が通じたのか、蜂リーダーは困惑しながらも実を一口食んだ。それを皮切りにして、彼女は堰を切ったように次々と果肉を腹に収めていく。
やがて1分と待たずに、シルヴェリッサの手からサナルの実がなくなった。
残り全てのサナルの実を蜂たちへやることにし、シルヴェリッサは”神の庫”から取り出して地面に置いていく。彼女らは30匹近くいるのでとても足りないだろうが、致し方あるまい。
そして最後の実を置いたシルヴェリッサは、夢中で食事を始めた蜂たちを避け、ジャハール王国への路を再開させた。