2話
◇
「――んっ、ぅ…………?」
シルヴェリッサは微かに肌を撫でる風を感じ、意識を取り戻す。右半身にはひんやり冷たい地面の感触。ざわざわ、と草や葉が踊る音が、耳にそよいだ。
(ここは、どこだ……?)
身体を起こし立ち上がり、周囲を見渡す。簡潔に言うと森であった。草の絨毯が半径20メートル程に広がっており、その外周にはひたすら木々が立ち並んでいる。シルヴェリッサの立つ地面は半径2メートル程が不自然に禿げていて、草の一本も生えていなかった。
先ほどまで彼女がいた”邪怨の領域”とは、明らかに違う場所だ。あそこにはこのような緑など存在せず、ただただ紅くドス黒い空間が広がるのみだった。
(さっきの現象、か……?)
考えられる要因はそれしかなかった。そこまで思い至ったところで、離別してしまった六刃のことを思い出す。
聖剣 シャインホワイト
魔刀 黒月影
嵐剣 ストームグリーン
焔刀 赤炎紅
瀧剣 タイダルブルー
砕刀 黄岩陸
これら総じて六刃は、シルヴェリッサが自身の負を調伏し生み出したものだ。故に彼女と六刃には特殊な繋がりがあり、どれだけ離れても念じれば戻ってくるのだが……。
(”戻れ”…………駄目か)
何の反応も返ってこなかった。こんなことは10年来、一度もなかったことだ。
恐らくは、これも謎の現象による影響だろう。
(……もう邪怨との戦いも終わった。六刃がなくても問題はない、か)
そう結論付けたシルヴェリッサは、己を殺すに足る手段を思案しはじめた。が、
(いや、待て。もしかすると今わたしが死ねば、六刃はこの世界に残る……?)
その可能性は十分にあるだろう。そしてそうなれば、醜欲な人間たちが間違いなく六刃を悪用するはずだ。シルヴェリッサは己自身とも言える六刃が、人間の欲望に使われるかと思うと我慢ならなかった。
(探そう。一本残らず、あの世へ持っていくしかない)
決意したシルヴェリッサは、喉が酷く渇いていることに気づいた。
あれだけの大物と激戦を繰り広げたのだ。仕方あるまい。
(……まずは水場を見つけよう)
そうしてシルヴェリッサは、静かに木々の間へと入っていった。
自分が立っているのが、異界の大地だとは気づかずに――。
◇
10分ほど歩いた頃だろうか。獣の物と思われる足跡を見つけたシルヴェリッサは、さらに20分ほどかけてそれを追跡していった。野生の物であれば、高確率で水場に続いていると思ったからだ。
そして予想は当たり、彼女は小さな湖にたどり着く。直径は50メートル程、周囲には小動物一匹すらいない。しかしシルヴェリッサは特に気にすることもなく、存分に喉を潤した。
ふう……、と息を吐いたシルヴェリッサは、ふと湖面に映る己の姿を見やる。
(……酷いものだな)
後頭部で束ねた正銀色の長髪は、血や煤で汚れきって濁り。白かった肌は全身が泥にまみれ、清潔さなど欠片もない。ノースリーブのタイトウェアと、下半身のホットパンツ型戦闘衣は、痛々しい傷痕や焦げでボロボロだ。薄灰色のブーツは所々が破け、もう靴としての寿命は尽きかけていた。
10年もの間、憎い人間たちの為に戦い続けた結果が、これだ。
底知れない憤怒に呑まれかけたところで、力なくかぶりを振った。もう終わったのだ、と。
(……腹が減ったな)
喉の渇きが治まった所為か、身体が次は空腹を訴えだした。そういえば、最後に何かを食べたのはいつだったか。もう思い出せない。
ひとまず木の実でも探そうか。と立ち上がった瞬間、後方から殺気を感じた。
ヒュンッ――
後ろから飛んできた何かを、前を向いたまま首を横に反らし避ける。矢だった。そのまま湖面に落ちたそれを視線から外し、振り返る。
「……出てこい」
「ギッ……!?」
軽く威圧の意志を込めると、なんとも奇怪な声が返ってきた。間違いなく普通の声ではない。元より高い警戒心をさらに強め、矢が飛んできた藪を睨む。
程なくして藪から緑色の何かが複数飛び出してきた。
その姿を見たシルヴェリッサは、驚愕に目を見開く。
(な、なんだ、この生き物はっ……!?)
「ギギーーッ!」
「ギァギァッ!」
「ギィーーッ!」
小さな体躯に全身緑色の肌。額には小鬼のような二本の角。
一体は錆びの酷い剣を持ち、一体は木で出来た棍棒を持ち、最後の一体は拙い弓を持っていた。弓を手にした者は何やら悔しそうに地団駄を踏んでいる。この弓持ちが矢を射ったのだろう。
その奇妙な存在を呆然と見つめていると、突如として謎の数値群が視界に現れた。
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○ ゴブリン
Lv: 3
HP: 21/21
MP: 4/4
STR: 10
DEF: 7
INT: 2
RES: 4
DEX: 12
SPD: 6
LUC: 4
スキル: □剣術Lv1
○ ゴブリン
Lv: 2
HP: 17/17
MP: 3/3
STR: 9
DEF: 7
INT: 1
RES: 3
DEX: 10
SPD: 3
LUC: 4
スキル: □片手棍術Lv1
○ ゴブリン
Lv: 2
HP: 13/13
MP: 5/5
STR: 4
DEF: 3
INT: 4
RES: 2
DEX: 15
SPD: 8
LUC: 7
スキル: □弓術Lv1 □木工Lv1
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(これは……こいつらの能力、なのか……?)
なぜ自分がこのような情報を視ることができるのか、ゴブリンとは何か。答えはわからない。
ともかく、こんな生物は見たことも聞いたこともなかった。
「「「ギギィァーーッ!!」」」
呆けるシルヴェリッサに隙ありと見たか、その生物たちは奇声を上げ襲いかかってきた。
しかし、
「――ッ!」
「ギィ!?」
長き時を戦いの中で過ごしたシルヴェリッサにとって、この三体の動きは緩すぎた。
一番前の者が振るう錆び剣の腹を回し蹴りでへし折り、怯んだ隙に肘鉄で打ち飛ばす。その時点でその一匹は事切れた。
物凄い勢いで飛んでいくその一匹目に、後方の者が射ち出した矢が刺さる。しかしそれでも勢いは落ちず、そのまま弓持ちに激突し、その命を道連れにした。
「ギッ、ギィ……!」
残った一匹が恐怖に慄きながらも飛びかかってくる。シルヴェリッサはそのがら空きの脇腹へ、蹴りを放った。
「ギャッ……」
小さな悲鳴を残し、最後の一体が沈黙する。
(なんだったんだ、この生き物は……? 人間、ではない……のか?)
《――Lv差が開きすぎているため
経験値を獲得できませんでした》
「……っ!? 誰だ!」
脳に直接響くような声。周りを探っても、なんの気配もない。
ただただ静寂と、三つの死体があるのみだ。
(なんなんだ一体っ! わたしになにが起きている!)
当然ながら、その疑問に答える者はいなかった。
※ ゴブリン三体のステータスにHPとMPを追記しました。