114話
◇
自分が、女神アルト――。
あまりにも突拍子のないその内容に、思わず沈黙してしまう。しかし、目前のドゥムカとエリフィナはそれに焦れるでもなく、ただただ神妙な面差しで、まっすぐに自分の反応を待っていた。
「………………本気で、言っているのか」
「「はい」」
やがて自分が搾るように出した問いに、二人は寸分の間もなく、しっかりと頷く。もとより冗談や虚言などの気は感じていなかったが……それでもやはり、問わずにはいられなかった。たとえ二人から返ってくるだろう答えが、わかっていたとしても。
まだその内容を受け止めることはできないが……とにかく今は、最後まで二人の話を聞くべきか。
「…………続きを話せ」
「……、はい」
「わかりましたさね」
二人とも何か言いたげな様子だったが、呑み込んだようだった。
「シルヴェリッサさま。この世界はいま、滅びの危機にひんしているのですニ」
「…………」
これもまた、どうにも予期せぬ内容だった。
が、先ほどの話に比べると、こちらのほうがまだ受け止めやすい。……前いた世界が同じような状況だったから、だろうか。
「ことの起こりは、およそ二千年ほど前のことですニ」
「アルティアの『外』より突然あらわれた『何者か』が不意をうち、女神アルトさまと先代の光の神子に重傷を負わせたのですさね」
「けれど女神アルトさまはすぐに反撃を起こして戦い、まもなくその『何者か』は封印されたのですニ」
「…………」
記憶に、ない。
いや、そもそも本当に自分のことであるかも確信しきれていないし、少し探ってみつかるなら手間もないだろう。
「しかしその『何者か』は封印される瞬間に大きくあがいて、女神アルトさまを異界へとつきとばし、さらにはアルティア中へ濁った波動をばらまいたのですさね」
「それによってアルティア中の大地や自然の調和が乱されましたが、神獣さまや先代の神子たちが力をつくしたことで、なんとか大きな影響はでないまましずめられたのですニ」
「…………わたしが記憶を失っている理由は?」
これまでの話を確信するかどうかは別として、とりあえず疑問に思ったことを問いかけてみる。するとドゥムカが「はい」と頷き、
「異界へと飛ばされるその間際……女神アルトさまは残ったお力をふりしぼり、我らアルティアのすべての生命にくださっていた守護を、より強くしてさずけてくださったのですニ」
「おそらく、その前に深い重傷をうけていたこともあって強い反動が起こってしまい、それによってご記憶に影響がでたのだと思いますさね」
「…………」
話の筋としては、通っているだろうか。
だがやはり、自分が女神であるなどと言われても、どうにも飲み込みきれない。いや、ドゥムカとエリフィナを信じていないというわけではないが、なんというのだろう……戸惑いや混乱のほうが大きすぎて、どう受け止めればいいのかわからないのだ。
「…………続きは?」
自分の問いに今度はエリフィナが「はい」と頷き、答えを述べる。
「あなたさまがいなくなってからも各大陸を調律しつづけ、アルティアの安定を保ってきた神獣さまたちでしたが、徐々に限界が近づいているのですさね」
「神獣さまはたしかに膨大な力を持っていますが、それをもってしても世界を維持しつづけることはできないのですニ」
「それにくわえて、例の『何者か』の封印が弱まってきていることも大きな要因と思われますさね」
なるほど。
「シルヴェリッサさま。いまあなたさまの中には、六刃のうち風と地の力しかございませんニ?」
六刃のことを知っている。しかし……また不思議なことに、彼女たちがそれを知っていても違和感がなかった。
ドゥムカのその問いに頷くと、次いでエリフィナが口を開く。
「実際に見たわけではないので断言はできませんが、おそらくあなたさまがアルティアにご帰還されたそのときに、例の『何者か』による妨害をうけたのでしょうさね」
「…………」
思い返してみる。
邪怨の主を打ち倒した少しあとに、急に発生した光の陣に包まれて、それから妙な空間に投げ出され……そうだ、そういえばたしかにあの妙な空間はひどく荒れていて、そこで六刃を失うことになったのだ。
「本来なら、アルティアにご帰還された時点であなたさまは女神として復活なされるはずだったのですニ。けれど異界間の転移という、ひどく不安定な状況で妨害をうけたことで、不具合が生じたのでしょうニ」
「…………」
それらの話が全て真実だと考えると……その『何者か』は自分のことを相当に警戒している、ということになる。
となると、これまでの出来事でもその『何者か』の意思が絡んでいた、ということだろうか。
………………思い浮かぶのは、例の『錆色』についてだった。
邪怨。
六刃を生やした獣。
緑竜ディーガナルダの急激な変貌。
そして、ドゥムカたちを狙って生じた錆色の裂け目。
どれも、自分に対する妨害の意図が感じられる。
「せまりくるアルティアの危機をふせぐには、あなたさまの女神としてのお力を、一刻も早く取り戻さなくてはなりませんニ」
「なによりあなたさまのためにも、私たち神子もこの身をつくしてお手伝いさせていただきますさね」
「………………」
思案する。
ここまでの話すべて、納得できる整合性ではあったし、彼女たちのことはすでに信じていると言えるのだが……やはり話が話なので、どうしても飲み込みきることができない。
しかし、
「……お前たちはわたしに、六刃を取り戻せと言いたいのか?」
「はい。結論としては、その通りですニ」
「……そうか」
ならば、もともとの自分の目的と全く変わらない。
であれば、
「……お前たちの話を全て信じきることはできないが、ついてくるというならそうすればいい」
その自分の言葉に、ドゥムカとエリフィナは一欠片の不満も見せることなく、ただそろって静かに跪く。そして両手を胸に添え、深々と頭を垂れた。
「「ありがとうございますニ」さね」
これで、これから先の旅は彼女たちも連れ添うことになったわけだが、戻ったら他の皆にも伝えなくてはなるまい。
もちろんその他の話は混惑させるだけなので、黙っておくつもりだ。ドゥムカとエリフィナも、このような状況を選んでまで人目を忍んだのだ、徒に話すようなことはしないだろう。
「………………」
と、いつまで経っても二人が礼をしたまま動こうとしない。そういえばドゥムカと初めて会ったときもそうだったが、礼をしたあとは自分が許可なりをしなければ動かないのだろうか。
「……立っていい」
「「はい」」
やはりそう考えてよさそうだ。……まあ、特に不都合なわけではないのでいいだろう。
「……それで、他に話は?」
「「……」」
自分が問うと、なにやら二人は悲痛な面色となり、静かに俯いた。しかしすぐに神妙な表情で顔を上げ、口を開く。
「「あなたさまに、知っておいていただきたいお話がございますニ」さね」
その二人の様子に重い何かを感じ、黙って頷いた。
「光の神子が、あなたさまと同じく『何者か』に攻撃をうけたということはお話ししましたニ。瀕死は逃れ傷も治されましたが……このとき彼女には、いまわしいものが打ち込まれていたのですニ」
「それは、『何者か』の力による因子の楔。あなたさまの守護がかけ直されたのちも、その因子は彼女の内にひそみ続け……少しずつ、少しずつ、その力を増していったのですさね」
因子の楔。
もともとあった護りをも突き抜け、その後にかけ直された守護を受けてもなお消えなかった。それはつまるところ、『何者か』の持つ力が少なくとも女神アルトと同等である、ということだろう。まあそうでなければそもそも仕掛けてなどこないだろうが。
「そして、あなたさまがこの世界より消失されてから、およそ千年後……事は起こったのですニ」
「日に日に自分の内側で大きくなる異物に感づいた光の神子は、自分以外で当時ゆいいつ健在だった闇の神子に助けを求めるべく、ダルキェスト大陸に向かったのですさね」
「しかしその途中、魔巧都市マギス・ペルタのある大島で、ついに彼女の中の因子が暴発したのですニ」
「暴発したその因子は瞬く間に光の神子を侵食し、彼女の意識をうばって暴れさせたのですさね」
忌まわしい話だ。不快な内容に思わず眉がひそまった。
「幸い人里からは離れていましたが、弱まっていたとはいえ神子としての力と因子が持つ力が合わさり、周囲の環境に甚大な被害がおよびつつありましたニ」
「そこへ異変を感じ取った闇の神子が到着し、暴走した光の神子を止めるべく戦いをはじめたのですさね」
「丸三日つづいた神子同士の戦いは熾烈を極め、まさに死闘とよべるものでしたニ」
「しかし因子による力をも有する光の神子に、闇の神子は徐々に圧されはじめ、やがて防戦一方となってしまいましたのさね」
と、そこで二人は話を一度止め、祷をするように目を哀しげに伏せた。しかしすぐにドゥムカが「そして……」と静かに口を開き、エリフィナとそろって目をこちらに向け戻す。
「敗北をさとった闇の神子は、一つの賭けにでたのですニ」
「光の神子がふるう侵食された神器――光杖ホーリレナスを自ら胸に受け、自分が女神さまからたまわっていた守護を、そこから無理やり流し込んだのですさね」
「その結果、光の神子から因子は消え失せ、彼女は意識を取り戻しましたニ。ですが……」
「そのさい因子がもたらした反動はあまりに大きく……光の神子と闇の神子は、どちらも深い慟哭を遺しながら、ともに息をひきとったのですさね」
「………………」
真実――であるとするならば、その『何者か』の行いは、自分にとってあまりに厭わしい。
ふと気づくと、自分は拳を握りしめていた。
それは単に不愉快な話を聞いたからなのか、それとも、己が本当に女神アルトである故なのか。
わからない。
わからないが、この胸に盛る怒りは紛れもなく本物だ。
「お話は、以上ですニ」
「無理に信じてほしいとは言いませんさね。ただ……そのお胸の内に、わずかにでも留めおいていただければ、それで十分ですさね」
「…………そうか」
目を閉じて、呟くように返す。
わずかにでも、とエリフィナは言ったが、とても忘れられるような話ではない。だがもともと忘れるつもりもないので、悲劇に呑まれた神子たちへの想い、そして『何者か』への怒りも含めて、静かに胸にしまいおく。
「改めまして、シルヴェリッサさま。この身、ドゥムカ・ワグーム」
「同じく、エリフィナ・エフラ」
二人がそろって片膝をつき、片手を胸に添えて頭を垂れる。
「「心身を尽くし、あなたさまへ献身を捧げます」」