102話
お待たせしました。
今回はあの娘が活躍します。
◆
ソウェニア城・外庭。
「耐えろ! 耐えろ! 耐え続けろッ!」
叫ぶ。ひたすら叫ぶ。
返答は、ない。しかしそんなことは承知の上だ。竜を相手取っている者に対しそのようなことを求めるなど、馬鹿以下であろう。
だが返答は無くとも、部下や兵士たちが自分の言葉に従わんとしていることくらいはわかる。一体の竜を囲んでそれぞれ防御と回避に専念しており、その凄絶なる暴撃にさらされても戦列を崩していない。たとえ攻撃を流し損ねてどこか一角が崩れても、すぐにその周囲の者たちがそこを埋めて対応し、負傷者が下がるまで持ちこたえている。
「決して勝とうなどと思うなッ! 勝ち目のない相手に少しでも贅沢を懐けば死ぬぞ!」
いま自分たちにできるのは、ただひたすら戦線を維持し耐え続けることのみ。少し離れた場所で白い竜と戦っている兄の部隊からも、おそらく同じようなことを叫んでいるであろう兄の声が響いていた。
希望は――ある。
見やるのは、城の上空。
あそこでシルヴェリッサどのが、竜の親玉と戦っているのだ。両者ともに人知を越えた速度で戦っているため目に映すことは叶わないが、それでも彼女は『戦えている』。
そう。竜の親玉と、『戦えている』のだ。
この事実が、自分たちにとってどれほどの希望となっているか。
なかなか崩れきらないこちらに竜も苛立っている様子ではあるが、この場はなんとか耐えることができていた。……しかし、
「伝令、伝令! アランドラ団長! 商業区画で中規模な火災が起きています! そこを襲っていた竜は他の区域へ飛び去りましたが、防衛に当たっていた者たちはほとんどが重傷で動けず、鎮火作業に手が足りていません!」
「くッ……! 救援をやる余裕はないッ……」
「そっ、そんな! このままでは火が広がり全滅してしまいます!」
「……すまない」
自分たちはここだけで手一杯、死者だって出ている。他へ救援を回せる余裕など、一切なかった。おそらくここ以外も同じ状況だろう。
希望はあるとはいえ、絶望もまたそれ以上にあるのは変わらない……それぞれがそれぞれで耐えるしかないのだ。
幾度めか、竜が咆哮して尾や爪を振るう。また一角が壊され、すぐさまそこを塞ぎに動く騎士と兵士たち。そして負傷した者たちを下がらせ治療する救護兵……。
呼吸をする間にも繰り返されるその一連の流れを見て、伝令は唇を噛んでうつむき、来た道を戻っていった。
「……他の部隊はどうなっている?」
「はっ。貴族街の第三部隊、及び兵士団第二防衛部隊は苦戦ながらも持ちこたえていますが、ともに重傷者が多数、死者も複数でています」
幸いにも壊滅の報告がないのは、まだ戦端がひらかれてそれほど間もなく消耗が少ないからだろう。それにもちろん、どこの部隊も防戦に徹しているというのもある。だが、その状態もどこまでもつか……。
「第二部隊は?」
「いまだ報告がありません」
「そうか……」
第二部隊が向かったのは庶民区画だ。距離があるため他より報告が遅くとも不思議ではないが、やはりこの状況ではどうしても不安がよぎってしまう。
副団長が指揮を取っているので簡単に落とされることはないと思うが、それでも報告がこないことには安心できなかった。
――と、
「伝令、伝令! 第二部隊より伝令!」
「! どうした!?」
「現在、第二部隊は二体の竜と交戦中! 冒険者たちと協力し対応しておりますが、乱戦で彼らに指示が通り難く、いつ崩れてもおかしくない状態です!」
「なっ……!」
一体でも苦しい相手だというのに、もう一体も同時になど対応しきれるものではない。絶望的だ。いや、そもそもそういった状況にある区域など他にいくつもあろう。伝令を出せたのが彼女ら第二部隊のみだったというだけで……。
どうやら、自分の考えはいささか楽観的すぎたらしい。これでは希望が届く前に街が全滅してしまう。
「なにか、なにか手はないのかッ……!」
希望は遠く、絶望はそこら中に広がっている。
「なにか……なにか……!」
自分はあまり知恵の回るほうではない。複雑な頭脳戦は不得手だ。
それでも、考える。考えて考えて、打つ手を探す。
「どうする……どうする……どうする……!」
なんでもいい。ほんのわずかでもこの戦況を覆し得るなにかがあれば――
突然、幾重もの咆哮が響いた。
はっと竜を見やる。が、竜に今しがた咆哮したような様子はなかった。それどころか今の咆哮に反応し、とある場所をじろりと睨み向いている。
戦っていた騎士兵士たちも、待機している救護兵らも、そして自分も。竜への警戒は解かぬまま、そちらへ視線を向けた。
――城門。
そこにあったのは、
両翼に刃を抱き飛空する、緑の”ハーピー”。
朱き衣に闘気をまとわせ、静かに佇む深紅の”オーガ”。
蒼の装衣に身を包んだ”セイレーン”。
岩の鎧に巨大な棍を携えた”トロール”。
女王種たる威容の”ヴェスパ”。
白。黒。赤。青。黄。緑。六頭の荘厳なる馬魔物たち。
こちらがその姿を認識してまもなく、彼女たちはそれぞれ勢いよく散らばっていった。”セイレーン”は青い馬の背に乗り、そのほかの者たちは各々の足や翼でもって、城壁や街のほうなどいたるところへと向かっていく。しかし、”オーガ”だけは唯一その場に残っていた。
唐突なことに理解が追いつかない。そもそも彼女たちは先んじて城の地下から逃がされていたはずだ。なのになぜ……。
「グゥオオオオオオオオオーーッ!!」
と、残った”オーガ”はひとり再び咆哮を上げると、そのまま躊躇なく竜へと挑みかかった――。
◆
「グゥオオオオオオオオオーーッ!!」
目前にある黄色の竜へと咆哮し、地を蹴る。そのまま駆けていくと、竜がその大きな尻尾を薙いできた。軌道上にいた騎士たちは屈んだり跳び退いたりして避けていたが、自分はそうしない。
右足を軸にして左足を振り上げ、走っていた勢いを乗せた蹴りをその尾にぶつける。受け止めた。
「ガアァッ!」
竜が驚いたように声を上げ、尾を引いた。受けられるとは思っていなかったのだろう。意想外の出来事に警戒しているのか、態勢を整えてこちらに低く唸っている。
周りの騎士や兵士たちも自分が竜の尾を受け止めたことに驚いているようだったが、さすがにむざむざ隙を見せてはいなかった。ただ、竜はもう彼ら彼女らには目を向けていない。じっとこちらを睨み向き、やがて……、
「ガアアアアァァーッ!」
一吼え。そして――爪を降り下ろす。
「グォウッ!」
身を翻しながら横へ跳んで躱し、その着地の勢いを利用して竜の頭部めがけ跳躍した。下顎を狙い拳打を撃つ。
それに短く声を上げた竜だったが、鼻から素早く少しだけ息を吸うと、そのまま口を開いて砂礫の息吹を吐いてきた。
「グッォオ……!」
咄嗟に腕を交差させて防御の姿勢は取ったが、まともにくらってしまった。だが、相手も咄嗟でそれほど力を込められなかったのか、痛手になるほどではない。くるりと身体を後転させ、着地する。
「! 総員さがれ! 動ける者の半数はこの場に残り、ほか半数は街へ出て各区域の救援に当たれ! 最優先は民および非戦闘員の救護、次に火災発生区域の鎮火作業とする!」
「「「「「はっ!!」」」」」
と、騎士兵士たちが長である女の指示に従い、即座に動く。それに対しても竜は何の反応も示さなかったが、自分はこれで周りに気を向ける必要がなくなった。目前の相手に集中できる。
「ガルァアアアッ!」
空気を裂く尾の薙ぎ払い。上へ跳んで躱す。
が、素早く振り返された尾を胴に受けてしまった。
「グッゥ……!」
鈍い痛み。
強く吹き飛ばされたが地面に接する前に身体をよじって態勢を整え、なんとか足でズザザッと着地する。
前を向くと、竜がその巨体で地を揺らしながら突進してきていた。横幅が広すぎて避けるのは間に合わない。ならばと、思いきってこちらからも向かっていく。
予想にない行動だったのか竜はわずかに速度を緩めたが、すぐにもとの勢いに戻った。
それにはかまわず、走りながら魔力を込める。そして、
《ファイアボール》。
「ガァアアアーッ!?」
竜の顔に向けて魔術を放つ。だが自分の魔術は決して強いとはいえず、威力に乏しい。いまの《ファイアボール》も、竜が一瞬おどろいただけで大した傷にはなっていなかった。
が、それでいい。
その一瞬の隙だけで、自分は竜の首に捕りつけた。
「ガァッ、ガルァアアアアアー!」
竜はすぐにこちらに気づき、振り払うべく暴れだす。その首にしっかりと四肢でしがみつき、両の手のひらへと魔力を集めた。だが、この不安定な状態で術式を組めるほど、自分は魔術が得意ではない。
なので、集めた魔力はそのまま熱火に変える。竜の首に面する両の手のひらから糸のような煙が生じ、やがてその掌部が高熱によって赤々と変色した。
「ギァアアッ!? ガァッギァァアアッ!」
竜が苦しげに悲鳴を上げ、一層に暴れる。こちらを振り払おうと必死だ。揺れも凄まじくなるが、一瞬でも長くダメージをと全身に力を込めなおす。
「ガッルァアアアアアーッ!」
「ッ!」
城壁に向かって突進しはじめた。首ごと自分をぶつけるつもりのようだ。
このままでは直撃してしまう。だがむやみに手を離せば足に踏まれる危険があり、それもまずい。
となれば。
竜の首が上向きに反った瞬間、即座に態勢を変え後方へ蹴り跳ぶ。そして背面まで落ちた後、尾の方向から地面へ飛び下りた。
「ガルァアアッ!」
しかし竜はこちらが離れたことに気づいておらず、そのまま城壁へ突っ込んでいきその一部を崩壊させた。ただ、すでに壁のほとんどの部分は他の竜によって壊されているため、いまの衝撃による被害はさほど目立っていない。
ともあれ、これまでの攻撃もあわせて竜が受けたダメージはそれなりになっているはず。ここで一気にたたみかけて、少なくとも致命傷の一つは負わせたいところだ。なので、こちらも少々危険な間合いにはなるが思い切って竜の懐へと駆ける。
「ガァァアアルァアアアアアアアーッ!!」
かなり憤激したのか、これまでにない大きな咆哮を上げてこちらを睨む竜。そのまま再び突進の状態になり、猛然と迫り来る。
このままぶつかりにいくのは危うい。
が、あの凄まじい勢いは攻撃に利用できるかもしれない。意を決して身体に強く魔力を巡らせると、そのまま速度を上げる。
「む、無茶だ、潰されるぞッ!」
女騎士たちの長が叫んでくるが、かまわず突き進む。そして練った魔力を右腕に込め、いよいよ竜が目前に迫り激突する瞬間、
《猛心拳》
襲いかかる竜の咬撃に合わせ、その鼻頭に渾身の一打を叩き込んだ。メギッという鈍い音と竜の悲鳴が響き渡る。
隙。
すかさず足に魔力を込めながら高く跳躍し、空中で身体を前転させつつ右足に勢いを乗せて、そのまま竜の頭部へと思いきり踵を落とす。
《豪転脚》
「ギッァアアァアアアアアアーーォッ!」
竜の絶叫。
上手くダメージを負わせられたようだ。着地し、竜の首下に潜り込む。すかさず力を入れて連撃。背面よりも比較的うすい体皮なので、それなりに手応えがあった。
それから反撃を受けながらも距離を至近に保ち、攻撃を加えていく。互いに撃って防いでを幾度も幾度も繰り返して、戦闘は続いた。
しかし、致命傷を避けるためまともにくらわないようにしているのだが、それにしてもこちらのダメージが少ないような気がする。不思議だ。
と、次の瞬間、突然ふるわれた前肢に直撃してしまう。
「グォオッ!?」
身体に痛みが走るが、思ったよりも軽かった。一瞬なぜだろうと疑問が浮かんだが、すぐにこの装備のおかげだと気づく。王主様が作ってくれた大切な服。
たちまち湧いてきた力をふりしぼり、身体をよじって着地する。
「ガル、ルルゥ……!」
竜がこちらを睨みながらわずかに後退した。自覚しているのかは知らないが、怯んでいるようだ。
ここで勝負をかけるべく、強く強く魔力を練り上げる。竜もこれに警戒し、魔力を練りはじめた。おそらく次で決まるだろう。
緊迫した空気が漂い、やがて――
どちらからともなく、地を蹴った。
詰まる距離。猛然と吐き出される砂礫の息吹に耐えながら、一気に速度を上げて駆け抜ける。そして、驚慄する竜へと穿つ――全力を込めた渾身の一打。
《猛心拳》
「ガァアアアアアアアアアアアアアアァァーー……!」
一層おおきく絶叫を上げ、竜はやがてゆらりとその巨体を地に沈める。
静寂。そして……、
「グォオオオオオオオオオオオオオーーッ!!」
「「「「「ぅおおおおおおおおッ!!」」」」」
自分の叫びと、人間たちの奮気の声が重なった――。
基本的に戦闘シーンは難産になりがちですが、書ききったときの達成感がすごいです。