お誕生日カップケーキ
努力している人が好き。
才能に胡座をかく人がこの世で一番嫌い。
叶わない努力を虚しく感じるくせに、誰にも負けないように自分で自分に厳しくしている人が好き。
矛盾を感じていても焦がれることを止めれなかった。
「……格好いいよねぇ」
ほぅ、と感嘆の吐息を漏らしながら窓枠に寄り掛かる。
私達の教室からは、グラウンドが良く見えていて授業中の暇つぶしには持って来いだったり。
今は全く生徒のいない朝の時間で、私は必死に早起きをして教室からグラウンドを見下ろす。
いつからか始まった恒例行事。
朝練中の彼を見守ること。
「まるでストーカー」といつも通りの、お決まりの台詞を横で吐き捨てているのは幼馴染み。
ストーカーはしていない。
ただ練習風景を見ているだけだ。
彼の練習風景を見ることが私の楽しみであり、今現在の生きがいである。
決して彼のことを追いかけ回しているつもりはない。
同じクラスだけれど話したことなんて数えられるくらいだし、練習中のところを近くで見たこともないのだ。
ストーカーではないと言い切れる。
「そのうちストーカーになりそうなのよね」
「あぁ、ストーカー予備軍的な」
私のことを言われているのだろうけれど、何となく他人事で答えてしまう。
窓枠から身を乗り出すようにして、彼の練習風景を見ながら朝食を取る。
コンビニの袋から取り出すのは新発売の『かりんとうメロンパン』だ。
かりんとうとメロンパンを合わせるという、何とも馬鹿馬鹿しい菓子パンだけれど、これを買うために朝からコンビニを三件も梯子した。
そのせいで今日はいつもより彼を見れる時間が短くなってしまったのは、勿論言うまでもない。
バリバリと音を立てて袋を開ける。
それから直ぐに齧り付けば、かりんとう特有のベッタリとした黒糖感が歯と舌に感じた。
ザクザクしたメロンパンだけど、蜂蜜やら黒糖の香りが抜けた後にメロンの風味。
何だろう、不味くはない癖になる味。
「ん、バッティングだ」
もくもくと口の中の水分を奪われながらも、必死に咀嚼していると視線の先の彼が金属バットを持ち上げた。
重さを感じさせずに持ち上げる彼を見て、筋力の違いかなぁ、何てボヤく。
筋力というよりは男女の差と言ってもいいだろう。
教室の窓まで聞こえてくる、マシーンからボールが勢い良く飛び出すボシュッ、と言う音。
彼が真っ直ぐに前を見据えて、足に踏ん張りを効かせてバットを振れば青空に響く金属音。
「好きだなぁ」と呟く私に溜息を被せる幼馴染みは、相変わらず警戒するような目で私を見ていた。
***
彼の努力を一番最初に見たのは、高校に入学してからしばらく経った頃だった。
高校の図書室って何だか不思議な感じがして、居座っていたら下校時間になっていたのだ。
あの本面白かったなぁ、とか、今度はテスト勉強しに行こうかな、なんて考えて歩いていると、空気を切り裂くような音が聞こえて来た。
「ん?」
重たい鞄片手に足を止めて辺りを見回す。
音の出処に自然と足が向いていて、ふらふらとそちらに歩き出していた。
またヒュンッとかフォンッとかそんな感じの音。
音のしていた場所はグラウンドで、ぼんやりした街灯の下に人がいた。
何か棒のようなものを振り回していて、それが空気を切り裂く音を出しているようだ。
そこで私はやっと素振りと言う単語を導き出す。
その人は私に気付かずに素振りを続ける。
重そうな金属バットを一心不乱に振り続けるその姿は、邪念を払い悟りでも開けそうだ。
前だけを見据えて振った回数を数えるその人は、話したことはないけれど同じクラスの人。
確か名前は――。
私の唇が思い出して、きちんと記憶をするようにとその人の名前を呟く。
星が街の明かりのせいで霞んだ夜、彼が素振りをする音しかないこの場所で、私の声はよく響いたようにも思えた。
彼が手を止めて振り返る。
何となく悪戯を見付かった子供のような気分になり、その場から後退れば今度は砂利を踏みつける音が響く。
夜の中、薄暗い闇の中でも彼と目が合ったことくらい分かってしまう。
「あ、えっと」
悪いことをしているわけじゃないのに。
自分が凄く悪いことをしたような気がするのは何故だろうか。
努力をしている、そんな神聖な空間を壊してしまったからなのか。
兎に角彼が何かを言う前に、私が何かを言わなくてはいけない。
弁解でも挨拶でも何でもいい。
ぐるぐると色々な言葉が頭の中を回っているが、出すべき言葉も出したい言葉も、喉の奥に引っかかって上手く出て来なくて困る。
彼の唇が暗い中なのに動き出すのが分かった。
どういう言葉を発するのか、どの言葉の形にその唇が動くのか。
だがそれを見届けて聞くよりも早く、私の口から言葉が出る。
「ごめんなさい!」
バッ、とクレーム処理担当も吃驚の勢いで頭を下げれば、目の前の彼も目を瞬いていた。
校則スレスレのスカートを翻して、砂利を蹴り上げて立ち去ろうとして思い返す。
ヒュンッ、と空気を切る音が耳に残っていた。
振り返れば彼はバット片手に私を見ている。
キリッとした顔立ちなのに、今はきょとんとしていて私を見ていた。
胸の中がむずむずしてくる。
「頑張って、下さい」
少しだけ裏返った声。
そんな声に気付かない振りをして、彼も気付いていませんように、なんて願う。
先程とは違いちょっとだけゆっくりと、小さく頭を下げて立ち去る。
砂利を蹴る、地面を蹴る。
いつもより増えた心拍数を、走ったせいだと言い聞かせるように、私は家まで走り続けた。
***
あの日から私は彼の努力をいつも見ていた。
試合があると聞いた時は、必ず時間を作って見に行っていたし、朝練だってこうして見ている。
――ただ、見ているだけ。
差し入れをしたり声をかけたりなんてしない。
話してもクラス内の業務連絡的なもの。
あんなことがあった次の日でも、彼が私を見ているのを感じたけれど、話すことはなかった。
因みに見られていたのも翌日だけで、それ以降は特に関わりのないクラスメイトという関係性だ。
「そう言えば今日、調理実習ね」
「あー、そうだねぇ」
緩く頷きながら腕時計で時間を確認する。
調理実習は四時間目で、今日作るのは確かカップケーキだったような気がするけれど、どうだったか。
食べ終わったパンの袋をグシャッ、と音を立てて丸める。
「あげるの?」
コンビニの袋の中にゴミをまとめていると、そんなことを問われて顔を上げた。
幼馴染みと目が合ってうーん、と唸ってしまう。
何て答えて欲しいんだろう、と言う意味の唸りだ。
決してあげるかあげないか迷っている唸りではない。
「まぁ、別にあたしには関係ないけど」
関係ないなら聞くなよ、何て言えば幼馴染みの機嫌を損ねるのは分かっているので黙る。
黙って苦笑を漏らす。
カキーン、とよく響くボールが金属バットに当たって、飛んでいく音がした。
***
「相変わらず器用ね」
彼の朝練を見届けて今現在四時間目の調理実習。
バターの溶ける甘い香りが、家庭科室いっぱいに広がっている。
甘いものが特別好きって訳じゃないし、料理が大好きですって訳でもない。
だけどこの香りは好きだ。
何だか幸せな気分になるから。
「器用貧乏とも言うけどねぇ」
「料理出来て損はないでしょ」
チマチマとチョコペンやら生クリームやらで飾り付けをしながら、幼馴染みに返すと口説き文句みたいな言葉を返される。
幼馴染みも普通に料理は上手いけれど、特に飾り付けをする気はないらしく、味見と称してカップケーキに齧り付いていた。
幼馴染みも私同様に、誰かにあげる気はないのだろう。
淡白な彼女らしい。
周りの女の子達はキャッキャと楽しそうに、飾り付けやらラッピングやらしているのに。
そして聞こえてくる会話は、誰にあげるって話。
その中に彼の名前もあった。
あぁ、確かに顔も整っているからね。
そんなことを思いながら、目の前のカップケーキの上にチョコスプレーを振り掛けた。
「……モテるらしいわね」
「そうだねぇ」
幼馴染みがお花を飛ばしながら話している子達を尻目に、そんなことを言うので、私は頷く。
じわりと良く分からない物が、私の胸の中に広がっていくのを感じた。
少量の水が入ったコップを倒してしまって、テーブルの上に薄く広い水溜りが出来るみたいな。
それを感じながら、誰にあげる訳でもないのに可愛らしくデコレーションされてしまったカップケーキが出来上がる。
ラッピングする意味も、デコレーションする意味もあまりないんだよなぁ。
可愛らしくなったのにごめんね、何て全く見当違いなことを考えながら、カップケーキを供養するように心の中で手を合わせた。
その後これまた可愛らしくラッピングされたカップケーキ片手に、幼馴染みと教室に戻るために廊下を歩く。
五つもあってこんなに可愛いのに、全部自分で食べてしまうのは勿体無いし、お母さんにでもあげようかな。
「あげる気もないのに、よくそんなに凝ったわね」
チクリ、と棘のある言葉に私は顔を上げた。
その先には眉を寄せた幼馴染み。
家庭科室でその話は終わったんじゃなかったのか、と思いながらも「飾り付けが一番好きだからね」と答える。
これは嘘じゃない。
お菓子作りをそんなに楽しいとは思わないけれど、飾り付けは割と好きなのだ。
一個あげるよ、と幼馴染みに差し出せば眉を寄せるだけではなく、顔を顰められた。
「あたしにあげるくらいなら、アイツに渡してくればいいでしょう」と更なる棘。
怒っているわけじゃないだろう。
ただただ、こうしてのろのろと彼を見つめ続ける私に、私よりも早く痺れを切らしただけ。
私はこのままで満足しているけれど、誰かと彼が付き合うこともあるのだから、行動しろと言いたいのだろう。
「へぇ、好きな人いるんだ」
幼馴染みと二人だけだと思っていたら、背後から全く別の声がかけられる。
驚いて肩を跳ねさせれば、幼馴染みの方が早く振り返って声の主の名前を言った。
同じクラスの友人で、彼と同じ部活の男子。
いつも通りの笑顔を浮かべているが、その背負っているオーラが怖い。
笑顔が真顔みたいな男だ。
話を聞かれていたのか、と口元が引き攣る。
「知ってた?」
「いや……」
ドクッ、と心臓が嫌な音を立てた。
そうして血の巡りが早くなりドクンドクンと馬鹿みたいに大きな音を立て始める。
友人に向けていた視線をゆっくりと上げて、その隣を見れば彼がいた。
友人は相変わらずニコニコと笑っていて、底の見えない雰囲気を出している。
何で一緒にいるんだよ、なんて言うことは出来るはずもない。
キュッ、と唇を結んで幼馴染みに視線を向けた。
幼馴染みも口が引き攣っていて、そっと静かに私から視線を逸らす。
おい、お前が余計なことを言ったからだぞ。
そういう視線を向けても頑として私を見ようとしない。
「そんなに可愛く作ったならあげればいいのに」
「いや、別にそういう意味で可愛くした訳じゃないから」
「……ふぅん」
早く教室に戻ってお弁当を食べたいし、この場から逃げ出したい気持ちが大きい。
会話を切り上げるために早口で対応するも、友人の方は動揺を見せずに、私のことをジッと見つめる。
笑顔が貼り付いていて、ビリビリした空気。
何でだ。
友人の隣に立つ彼は、友人の言葉のせいで私の手元のカップケーキを見ている。
女子は家庭科、男子は体育だったために疲れているだろう。
成長期だから沢山食べるのだろう。
だから二人とも早く教室に戻りなよ。
私達を抜かしてご飯食べに行けよ。
「アンタ達も貰えるんじゃない?家庭科室で女の子達があげるって話してたから」
幼馴染みがやっと口を開く。
その言葉はこの空気を何とかするためのもので、友人の意識を私から逸らすためのものだった。
何となくだけれど、友人は私が彼の練習姿を見ていて視線を投げかけていることを知っている気がする。
じゃなかったら、今この場でこんな風に突っかかって来ることはないはずだ。
ないと信じたい。
そして気付いていても黙っていて欲しい。
「へぇ、でも俺甘いの好きじゃないんだよね」
「最低ね」
友人がありがとう、なんて見当違いなことを言うので、幼馴染みは思い切り顔を歪めた。
仲が悪い訳じゃないと思うんだけど。
チラリ、と彼に視線を向ければ特に止めるでもなく二人の話を聞いていた。
「ねぇ」
「え、っ?!」
くんっ、と軽く腕を引かれる。
ぼんやりしていたせいで、大きく体が傾くが友人がそれを支えて、私の耳に唇を近付けた。
僅かに香る制汗剤の匂いを感じて、体が固まる。
ドキッ、ではなく、ビクッ、が正しい。
緊張が体中に走って、冷や汗が出る。
横では幼馴染みが「ちょっと!」と言っているけれど、友人は気にした様子もなく小さく笑う。
彼が見ている。
「今日さ、誕生日なんだよね」
楽しそうな声で彼の名前が続けられる。
誕生日、誰が、彼が、いつ、今日。
単語だけが頭の中を弾け飛んで、私の視線は彼の方へ向く。
目が合う。
友人が満足そうに笑って、私の肩を叩いた。
そして隣で何事かを怒鳴っていた幼馴染みを引っ張って、私と彼を残して教室へと戻って行く。
知っている気がする、じゃなくて、知っていたのか。
性格が悪い、と心の中で吐き捨てつつも私は彼を見上げる。
「……すまないな」
「え?」
「悪気はないんだ、アイツも」
別に彼が謝ることじゃないのに。
小さく笑みが溢れて、緩く首を横に振る。
手に持っていたカップケーキのラッピングが音を立てた。
あの日よりももっと近くてハッキリ見える彼の姿。
あの日以降帰宅時間が遅くなることはなくて、夜に近い時間に彼を見ることはなかったけれど、いつもいつも頑張っていることを知っている。
その姿が何よりも、好きだ。
「今日、誕生日、なんだってね」
カサリ、とラッピングを指で弾く。
彼が軽く首を傾げてから「あぁ」と今思い出したみたいに答える。
友人は面白がっているのか、それとも協力する気満々なのか。
きっと前者だろう。
彼の性格からして。
「おめでとう。これ、良かったら」
可愛らしくされたカップケーキを手渡す。
彼はほぼ反射で手を出して受け取ってから「……好きな人はいいのか?」と、全く持って必要ない気遣いをしてくれた。
苦笑を隠すことなく頷く私に、不思議そうな顔で「そうか」と頷く彼。
キリッとした顔立ちが、どこか幼さを見せる。
練習中は男前なのに、それ以外だとどこか抜けている雰囲気があってギャップを感じた。
「ありがとう」
「どう致しまして」
それじゃ、と教室に戻るために体を反転させれば、もう一度彼から「ありがとう」が飛んでくる。
何で二回も、と振り返れば彼が笑っていた。
唇に乗せられた笑みに、心臓が掴まれたようにキュッ、となる。
何が、なんて少し震えた声。
そのことに気付かないで、と願っていれば「頑張れと言ってくれたからな」と彼が言う。
その時にお礼を言えなかったから、とも。
そんなことを律儀に覚えていて、今になってそんな風にお礼を言ってくれるなんて。
嬉しいやらその抜けっぷり天然っぷりに、何とも言えない気分になる。
じわじわと口角が上がっていく。
「こちらこそ、ありがとう」
私がお礼を言う必要なんてないだろう、とでも言いたげな顔の彼。
彼の大きな手の中に、可愛らしく行儀良く収まるカップケーキを見て、嬉しくなる。
好きです、と心の中で唱えて笑った。




