茶屋
放心状態だったカエデさんが動き出す為には、それから30秒ほど時間が必要だった。
不意に我に返ったカエデさんは大きなため息をつくと、その場にへたり込んだ。
「だめや、うち腰が抜けてまった。仕事なんかできん。ちょいとここで休ませてもらうわ」
「……良いんですか?」
「ええって、余り混んでおらんし」
彼女は俺のそばに四つん這いで寄って来ると、隣に座る。そして可愛らしい顔で俺の顔を覗き込んだ。
「アカン。ウチより綺麗でかわいいわ。こな男おるわけないさ」
「いえいえ、カエデさんも凄く素敵じゃないですか。そんな顔で覗きこまれると、私がドキドキしちゃうんですけど」
「ウチにそう言う世辞はいらんわ」
「いえいえ、さっきのは男だったからお茶をお断りしただけで、カエデさんだったら即オッケーしてましたよ。だって気さくで話しやすいし、何より可愛いし」
カエデさんは嬉しそうにほほ笑むと俺の肩に手を載せる。余り揺らさないでくれよ。俺の膝にはエリーゼがいるんだから。
「ふふ、この子いいなぁ。気に行ってもうたわ。ウチに売ってくれん?」
「駄目じゃ。何を考えておる。それは拙者のじゃぞ?」
ちなみに俺はツバメのものではない。
「それにしても。こないな可愛い男の子ホントに居るンか?」
「それがここにいるじゃないですか」
俺が徹夜で作ったキャラだぞ。可愛くない訳がない。それにキャラクリエイトは、友人にお金積まれて依頼されるぐらい得意だったんだ。
「あんた生まれてくる性別まちがえたんちゃう? もしあんたが料理や洗濯や裁縫なんかできるんやったら、ウチあんたに勝てる所見つけられそうにないわ」
そう言った瞬間、エルの表情に影が差す。そしていつもより低いトーンで話し始めた。
「……カエデは信じられないかもしれないが、カグヤは全部得意なんだ。私はもう自信を失ったよ」
「はぁ!? ちょいアカンて。それ反則や……見た目でも変化でも負けてもうたってのに」
「変化の術をしたつもりは、無いんですけどね……」
「それにしてもカグヤ。あんたなんでくのいち? あれ確か女じゃなきゃなれへんかったよな。男は忍者やろ?」
「ソレは私が聞きたい事なんですが……」
アマなんとか言う奴が勝手に変な事したんじゃないですかね?
「はー。なんだかあんたも大変なんやなぁ、てかツバメの相手しているだけで大変だものなぁ」
「っ! 分かってくれますかっ!」
「当り前や。ウチがコイツにどれだけ苦労させられたと思うてんねん。ちょっと近くの川に行こうとしたら、三途の川に辿り着きそうだったわ」
ヤバい。なにがヤバいかって、その情景が簡単に目に浮かぶのがヤバい。彼女も相当苦労したんだろう。
「行方不明になったって聞いた時は、ついにこの時が来たかと思うたわ。むしろ今まで行方不明にならなかった方が奇跡やとウチは思うてる」
そうだよな。東って言えば全力で南に行くツバメだからな。ツバメの頭はエメンタールチーズみたいに穴があいてるんじゃないかな。思えば俺も色々苦労したなぁ。
「うぅっ。大変だったんですね……気持ちはよくわかります」
「うれしいなぁ! ハナカゴ家には頭のおかしな人ばかりだからな、理解してくれる人がスズメ以外ほとんどおらんし」
そうかそうか苦労したんだな理解してくれる人がいなくて……ん? ちょっと待て、頭のおかしな人ばかり? あれ、俺もしかして今ヤバいこと聞いてしまった? 俺これからその人らに会いに行くよな。
「……あのぉ? ちょっと聞きたいんですが、ツバメの両親はどんな方なんですか?」
「ツバメ達から聞いてへんのか? 凄く美人だけど頭のネジが外れてる『ぶっとび鬼姫』と、岩すら砕く強靭な拳を振るうけれども後先を丸まるで考えない『単細胞親父』とか言われていたなぁ。ちなみに娘を溺愛しておってな。男を連れてったら八つ裂きされるんじゃないかとウチは思っている」
あれ、カエデさん。今さらっと凄まじいこと言わなかったか?
「おい、エル……」
俺はエルを半眼で見つめる。彼女は口を半開きにして、引きつった笑みを浮かべていた。まるで、『あっ、忘れてた!』だなんて口から出てきそうだ。不意にエルは俺から視線を外すと明後日の方を向いて、お茶を飲む。
「ああ、ここの茶は美味しいなぁ」
ちょっと、エルさん。お茶でお茶を濁そうとしてるんじゃねぇよ。お前からツバメの父親が娘を溺愛してるなんて聞いてないぞ?
やばい、適当に挨拶して終わるだけかと思っていたが、それじゃすまなそうだ。どうしよう。俺顔出さなくて良いかな?
「な、なぁ。ものはそうだんなんだが……」
「駄目だ、却下だ」
「おいエル。俺はまだ何も言ってないじゃないか」
「だめだだめだだめだ。そんなのでキャンセルは駄目だ。あの家に一人で行くのは心が折れそう……いや何でもない。とりあえずカグヤも来い」
お前は有給を取らせないブラック企業の無能上司か。理由が完全に私的じゃねーか!
「そもそもパッと見ればお前は女だ。そのまま押しとうせば問題ないだろう!」
エルさん。無茶言わないでください。確かにバレない自身はあるが、うっかりやらかしたら終わりだぞ?
「なんや、知らずにあのおっさんに合おうとしとったんかいな。でもな、エルネスタ様が言うとうりや。バレることは無いやろ」
おいおい、カエデさんまで何言ってやがる。ツバメの親だぞ? あの意味不明思考回路のツバメの……なんだかイケそうな気がしてきたな。
「まぁバレたら全力で逃げれば良いか……」
「大丈夫や、その調子やったらバレんて。気がかりが有るとすれば……ツバメくらいや」
そうだな。何が一番怖いかって言ったらツバメが爆弾発言しそうな気がする。いや、でも待ってほしい。いくらあのツバメでも、本当に重要な所ではボケることは無い。大丈夫に決まっている。
「ツバメ、分かってるよな?」
「分かっておる、分かっておる。きなこだけじゃなくてあんこが食べたいのじゃろう? じゃが拙者のはやらんぞ! 食べたくば自分で注文すると良い!」
「だれが、団子の、話しを、していたんだよ!!」
一切話を聞いていないみたいだ。本当に大丈夫か?
「はぁ、とりあえずお前の家では俺は女として扱ってくれ……」
「あいわかった。そのとおりにしよう!」
俺はツバメから顔をそらしカエデさんに視線を向ける。
「じゃぁそう言うことで……。それと……その、カエデさん。あんこください」
そう言うとツバメは勝ち誇った顔でウンウン頷いた。
「ほれみろ、やはり食べたかったんじゃろ!」
だって美味しいんだもん……。エリーゼの分も何か頼んでおこう。
「はいはい、じゃぁ今持ってくるから待っててや」
そう言って彼女は立ち上がると、奥へ引っ込む。そしてすぐにカウンターの方から大きな声が聞こえた。
「あれ。セツカさん、久しぶりやなぁ! 今ツバメもきとるから顔出してやってくれんか」
「ええ、どちらに?」
へぇ、ツバメの知り合いか。俺はツバメの顔を見ると、彼女は団子を口に入れたまま固まっていた。
セツカと呼ばれた人はそれからすぐに俺達の前に顔を出した。そして俺はこの女性と目が有った瞬間、ツバメと同じように固まった。
「失礼いたしますわ。まぁ、ごきげんよう、ツバメちゃん。大きくなって! お久しぶりですわね」
「セツカ殿! 久しぶりでござる!」
セツカと呼ばれた女性はヤマト人のように見えた。髪は白いものの、目は黒く顔つきがヤマト系だったからだ。また、不思議なことに彼女は和服ではなくメイド服を着用している。目つきは鋭いが、ツバメに劣らないほどの美人だ。
思わず団子を食べる手が止まった。もちろん彼女が美しいから、というわけではない。
「お元気そうでなによりだわ、ツバメちゃん。私の事を紹介して下さらないかしら」
そう言って俺達の方へ向き直り、彼女は礼をする。
「わたくしセツカと申します、みての通りメイドをしております」
ツバメとの会話を聞いた限りでは、物腰は柔らかい印象を受ける。優しそうな人、なのだが。
(なんでだ?)
だけど俺はなぜか分からないけど総毛立っていた。それも、彼女の姿を見たときからだ。
(なんだこの人?)
不意にセツカさんが俺を向いて笑う。するとまた、ぞわりと不思議な感覚が襲った。
「おお、失礼した! こちらはカグヤじゃ! とても強いぞ」
説明が適当すぎる! だけど今はつっこみを入れる気分じゃない。
「カグヤです。よろしくお願いします」
「こちらがエルネスタで、今ちょっと横になっているのがエリーゼじゃ。どうやら人力車に酔ってしまったみたいでな……」
そう言うとエルが頭を下げる。彼女は普通の表情だが、セツカさんに何か感じないのだろうか? 俺はこんなにも総毛だっていると言うのに
不意に俺の膝から重みが消失する。話を聞いていたのか、エリーゼが体を起こし小さく礼をしていた。顔色はだいぶマシになったが、まだ顔に血が戻りきってない。
「あら、起こしてしまってごめんなさいね……失礼しますわ」
彼女は俺の隣に来ると魔法を唱える。どうやら回復魔法のようだ。
(それ、あんまり意味がないんだよなぁ。船酔いの時に俺も回復魔法を唱えたけど、意味は無かった。二日酔いには効くんだけど)
しかし俺の考えとは逆にエリーゼの顔に色が戻って行く。その様子を見ていた俺は思わず呟いてしまった。
「え、なんで?」
「ふふっ、三半規管の送る信号を正してしまえば、酔いは簡単に治せるのよ?」
(おいおい、三半規管の信号って治せるもんなのか……あれ? ちょっと待てエリーゼやエルが不思議そうな顔をしているぞ?)
「あ、ありがとうございます。三半規管の信号と言うのが原因、なんですね? セツカさんはヒーラーですか?」
(なるほど三半規管をよく知らないから不思議そうな顔をしているのか。ん、ならばなんでこの人そんな事を知ってるんだ? エリーゼの言うとおりヒーラーだからか?)
エリーゼは問いにセツカさんは笑いながら首を振った。
「いえいえ、先ほども申しました通り、しがない一メイドでございますわ」
彼女の説明で余計に混乱する。
(メイドって……確かにメイドって職業はあるし、俺も転職出来るよ? だけどそんな事知ってるもんか?)
俺はこっそり小さく息をつく。
(どうする、探りを入れるか? 明らかにこの人は怪しい。でもあのツバメがあんなにも信頼していそうだぞ。いや、だからこそ俺が彼女が安全だという確証を得なければならない。でなければツバメが危険だからだ)
そんな事を考えながらじっと様子うかがっていると、不意に彼女の首がぐるりと動く。
そして彼女の視線と、俺の視線が交差する。
「あらあら、おいたは駄目よ? 今のあなたなら凍え死んでしまうわ」
彼女が浮かべている微笑で、体が凍りつくようなイメージが俺の脳裏によぎる。
(なんだこの人。俺の考えを読んだってのか? しかもこの感覚は? 体が寒さで麻痺したように動かない……?)
「うぬ? どうかしたのか、セツカ殿、カグヤ殿?」
「ふふ、何でもありません。さて、そろそろわたくしは御暇しますわ。ミヤジ様もお待ちでしょうし」
「ほう、今はミヤジと申す者に使えておるのじゃな?」
「ええ、もう一生ミヤジ様から変わることは無いでしょう。さて、カグヤさん」
セツカさんは俺に向き直ると、俺の手を取る。
ゾクリ、とまた俺の体に何かが突き抜けた。
彼女は俺に近づくと小さな声で話し始めた。
(その感覚忘れないようにしてくださいな。それは鑑定を使われた時に起こります。もしこの感覚を感じたなら、その相手を警戒するのがよろしいかと私は思いますわ)
「わ、忘れないようにします」
(鑑定って人に使えるものなのか? ゲームでも聞いたことないぞ? 人を鑑定できる特殊スキルでもあるのか?)
彼女はにこっと笑うとツバメの元へ行く。
「寂しいのう。すぐに別れるとは……」
「ふふっ大丈夫ですわ。貴方達ならばいずれ会うことはあるでしょう。その時にまた」
彼女はそう言って一礼すると俺達の元から去って行く。
「ふぅぅぅぅ」
俺は異様なプレッシャーから解放され、大きく息をつく。このまま家に帰って眠りたいくらい疲れてしまったが、息をつけたのは10秒にも満たなかった。
「姉上ぇ!」
今度は別の人が顔を出したからだ。
俺達は一斉にその声の方へ眼を向ける。そこに居たのはツバメにそっくりな10代中盤の女性だった。




