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第九十八期、七節の交戦フェイズ。
滞りなく、大陸各地の戦闘行為が終了していた。
交戦フェイズの行われるのは毎月二十五日と定められており、その翌日である。アルマ王国とデーゼル王国の国境境目という大陸の辺境にあったフィールドから、一睡もすることなく、教会の司祭であるエドワード・メイヤーは〈始原の塔〉に帰還していた。
教会の本部である、地中に半分埋まった形の異様な塔。
大陸の中央に位置している。
辺境と行き来するならば、通常は二日や三日はかかるものだ。もちろん、遊戯戦争の管理代行者である教会は、交戦フェイズの終了の後、戦果報告フェイズを迅速に執り行い、全ての駒が次節にスムーズに移行できるようにしなければいけない。そのため、各地の交戦フェイズを監督した司祭が、多少の無理をしてでも、いち早く本部に帰還しようとするのは通常通りとも云える。
だが、エドワードの様子は誰の目からも尋常ではなかった。
長距離移動に際しての汽車や馬車の中で、眠る時間ぐらいは取れるものだ。
それなのに、彼は眠らなかったようだ。
正しくは、眠れなかった。
興奮と――。
恐怖のために――。
「ほ、報告いたします!」
交戦フェイズの際に顔を隠していた仮面は、逆塔の中に入る直前に取り払われていた。
遊戯戦争に際して、管理代行者としての役割を務める司祭は、一時的に神の意思の体現者として神徒のように振る舞うが、教会の本部である始原の塔においては再び一人の人間に戻るのだ。
エドワードは、四十代の大して特徴のない男である。
痩せており、神経質そうな目をしていた。性格もまた、そんな顔付きの通りである。司祭という要職に就いて久しく、教会の本部である塔、その中でも最奥の厳粛な広間においてかしずくのも幾度目のことになるだろうか。いい加減に慣れても良いはずだ。それなのに、慣れない。上擦る声に、細かく震える手足。今日は、それがいつも以上に酷かった。
「立ちなさい」
「立つことを許可する」
「司祭エドワード、起立せよ」
「……立て」
同時に、四人の声が重なる。
エドワードは怖々と背筋を伸ばして行く。
顔を上げれば、四つの仮面――教会の最高指導者である四人の神徒がそこにいる。
――大陸北部を管理する〈赤の神徒〉。神徒になってからの年数で云うならば、一番の若輩である。ただし、その存在感から現在では神徒のリーダー格に収まっており、神徒として厳格な在り方を示すことから教会の原理派の支持も厚い。
――大陸東部を管理する〈砂の神徒〉。大柄で、肌は浅黒い。原則として人前で声を発することの少ない神徒の中でも、特に無口な者として知られていた。だからと云って、その意思は強固で揺るぎなく、砂よりも岩という呼称が似合うとも評される。
――大陸南部を管理する〈灰の神徒〉。背の曲がった老人。神徒として在る年数も、年齢も、四人の中で一番である。しかし、非常に人間臭い発言が多かったりと、神徒らしくない人物として評判は真っ二つに割れていた。ある意味で一番の問題児である。
――大陸西部を管理する〈青の神徒〉。現在の神徒の中で唯一の女性である。また、四人の神徒の中で最も若い。その一方で、神徒として在る年数で云うならば、灰の神徒に次いで長かった。彼女は幼少の頃から神徒として在るからだ。
エドワードの他には、彼らだけがここにいる。
彼らは、人間ではない。神の意思の体現者である。
すなわち、今、エドワードは神そのものと相対しているに等しい。
「答えよ、司祭エドワード」
四人の声が重なり、同時に問いかけてくる。
「お前は、何を見た?」
エドワードは交戦フェイズの監督を任された司祭として、その報告の義務があった。冷静に、怜悧に。何があったのかを、見たままに神徒に伝えなければいけない。それは本来、難しいことではなかった。各地の戦場から始原の塔に帰還するまでの旅路の時間を使い、ゆっくりと頭の中を整理し、この場では整理された言葉を吐き出すだけで済むのだから。
しかし、本日――。
エドワードの頭の中は、未だ、ぐちゃぐちゃのままだった。
「あ、あれは……」
だから、感情の入り混じった説明から始めてしまう。
「化け物です……悪魔です、魔王です……」
見たままを――。
そのままに吐き出そうとするも――。
「何が起こったのか、私にはわかりません」
頭を抱えた所で、赤の神徒が云った。
「司祭エドワード、お前を惑わせるものは何か? 問おう、それはアルマ王国のゴーレム〈イストアイ〉か。あるいは、操者である見習い騎士のユーマ・ライディングか?」
エドワードが何も云わない内から、はっきりと固有名詞を出した赤の神徒に対し、他の三人の神徒が一瞬、仮面の奥にある視線を疑わしく向ける。しかし、赤の神徒は一切構うことなく、さらにエドワードに言葉を促していた。
「司祭エドワード、お前は何を見た?」
「……大地が割れました」
「大地が?」
エドワードは堰を切ったように話し始めた。
「デーゼル王国の本隊――多数の〈リル・ラパ〉が布陣する所に堂々と姿を現したゴーレム〈イストアイ〉。多勢に無勢の白兵戦が始まるかと思った矢先、あれは太陽のように輝きました。そして、巨大なその刃を地面に突き刺し……ああ! そう、聞こえたのです。私だけでなく、あの戦場にいた人間の多くに。声が。不可思議な声が。呪いのように、魔法のように……」
エドワードは、鮮明に思い出している。
遊戯戦争を預かる管理代行者として、彼は眼の役割を務めていた。手は出さない、口も出さない。ただし、フィールドで起こっていることの全てを見つめ、神に報告する――そうした役割を完璧に果たすため、最後の局面にも立ち会っていた。
大きな岩場の上に登場した、アルマ王国の最新試作機の〈イストアイ〉。
一振りの刃を両手で構えながら、〈イストアイ〉は跳躍した。
黄金の輝きを纏いながら――。
太陽が落ちたかのように、地面に刃を突き立てて――。
「黄金の風が吹きました。荒野の景色に……世界に、亀裂が――。大地が割れて、隆起した。〈リル・ラパ〉は、ある機体は割れ目に呑まれて、ある機体はせり上がった大地に串刺しにされて――全てが、あっという間の出来事でした。呆然としている間に、気がつけば戦闘は終わっており……否、あれは戦闘だったのでしょうか? まったくの偶然、その瞬間にデーゼル王国の部隊がいる場所だけに凶悪な地震が起こったと考える方が……ああ、そんな馬鹿なことがあるでしょうか? あれは何だったのか、私にはわかりません」
エドワードは憔悴した表情のまま、頭を抱える。
ゆっくりと顔を上げながら、四人の神徒を見渡した。
「お、お教えください、我が主。あれは何だったのですか?」
答えは返されなかった。
エドワードには退室が命じられる。赤の神徒は淡々と、「まずは身体を休め、再度冷静な報告を行うように」と告げただけで済ませた。エドワードは項垂れたまま、ぶつぶつと「あれは、魔王に違いない……」と呟きながら広間を出て行く。
教会の本部である始原の塔、最奥の広間。
荘厳ながら無機質なこの場に、四人の神徒だけになる。
「さて、まったくの予想外であるな」
あっさりと口を開き、愉快そうな口調でそう云ったのは灰の神徒だった。
砂の神徒はいつも通り何も云わず、頷くだけである。
「……精霊が憑いたか」
青の神徒が、涼やかな声で呟く。
「これは、大きな問題だ」
赤の神徒が告げる。
「司祭エドワードの報告は不明瞭なものだったものの、大地を〈操作〉するという業が行われたならば……十中八九、それは〈魔法〉。アルマ王国のゴーレム〈イストアイ〉には精霊が憑いていると考えるべきだろう。アーカス、バースタイム、ソレイアという三大国を支えるそれぞれのゴーレム……あるいは、我らの〈守護騎士〉と〈ミュラーザリウス〉。精霊の憑いたゴーレムは数少なく、それだけに遊戯戦争に与える影響は計り知れない。これからの展開予測に修正は必須である」
「それは当然であるけれど……、さて、赤の。お前さん、アルマ王国の〈イストアイ〉……それに、操者であるユーマ・ライディングという見習い騎士に何らかの目星を付けておったか?」
「……何のことでしょうか?」
快活に声を立てて笑う灰の神徒に対し、赤の神徒はあくまで冷淡である。
「いや、アルマ王国に何かあったならば……まずは、騎士エンノイア・サーシャーシャを思い付くのが当然だろう。あれは元々、次に精霊が憑くだろう有力な候補だったからな。さて、ユーマという見習い騎士に何らかの注目をしていたというならば、お前さん、注目するに足る〈何か〉があったことについて、どうして我々に告げなかったのかと不思議に思っての」
赤の神徒は答えない。
彼はただ、広間の奥に視線を向けただけである。
ほんの一瞬のことである。
仮面の奥から、熱の入った視線をちらりと向けたのは――。
最奥の広間のさらに奥、そこには〈始原の塔〉が始原足る理由が眠っている。巨大な門に閉ざされた通路の奥に眠るもの――それこそが教会の神であり、神徒の仕える主であるのだから。
「全ては神のためである」
赤の神徒は小さく、そんな独り言を漏らしていた。
【作者コメ】
風邪引いて苦しみ中。