(20)
その瞬間、ユーマは高い岩場の上に立っていた。
砦の正面から続く平野――すなわち、〈リル・ラパ〉が大量に布陣する決戦場を見下ろせるポジションである。準備は整っていた。戦闘を開始し、そして終了させるための準備ならば――。
ここまで大した経緯があったわけではない。
全ては順調で、流れるように流れたとも云える。
王剣騎士団の第三騎士隊で構成された部隊は、第三騎士隊長であるガルシアの命令の下に、ユーマの護衛を最優先にしてここまで進軍して来ていた。敵陣の最奥であるから、ベテランの騎士の表情にも緊張の色が濃く、ただ一人、平然としているのはユーマぐらいだった。しかし、同行していたはずの第三騎士隊は現在、ユーマの傍にはいない。彼らは、岩場の下にいる。ユーマだけが、まるでヒーローか何かのように、威風堂々と高所から敵の全軍を見下ろしているのだ。
さて、どうしてこうなったか――。
進軍開始と同時に、第三騎士隊の部隊から突出した〈イストアイ〉。
彼女がフィールドの各地に潜んだデーゼル王国の斥候を潰したため、一切補足されることなくアルマ王国の各部隊は敵の本陣まで接近できた。ユーマはもちろん、ガルシアや第三騎士隊の面々に「斥候は全て片付けました。急ぎましょう」と告げたものだ。しかし、そう告げた瞬間の全員の唖然とした表情は忘れられない。何を云っているのか、と――そんな風に云いたそうな気持ちが透けて見えていた。
そうした反応に、多少の歯痒さを感じなくもない。
ただし、ユーマは自覚もしていた。
常識――この世界の常識から外れた行動を見せれば、理解されなくて当然である。
通常のゴーレムには絶対にできない行動――〈デバイス〉を握る操者から離れて自律的な行動を取ることを可能とするのは、〈イストアイ〉が既にEVEゴーレムに為っているからだ。
あるいは、また――。
フィールドの各地に風景に溶け込むように擬態して隠れた斥候。これだけの短時間で彼ら全てを苦もなく発見できたのは、〈イストアイ〉がEVEゴーレムであり――逆接的に、EVEゴーレムであるからこそ〈中間能力〉を有するために可能となった行動だったりする。
EVEゴーレム――。
中間能力――。
どちらも、この世界には馴染みがないものだ。
少なくとも、現時点では――。
だから、ユーマは何も云わない。
困惑した表情を向けられても、敢えて詳しく説明するための言葉は発しない。わからないならば、彼らはわからないままで良いのだ。傲慢に思われるかも知れない。それすらも覚悟の上で、ユーマは素っ気なく、自分の尽くすべき最善を目指そうとしていた。
最善――。
すなわち、自分一人でやること。
酷い云い方かも知れないが、現状では王剣騎士団の仲間は枷にしかならない。単独で自由にやることが最も効率が良いのだから(ただし唯一、ゴーレムではなく操者を狙うダイレクトアタックだけは別である)。
「おかえり、アイ」
デーゼル王国の拠点とする砦が間近に迫った所で、ユーマと第三騎士隊は一旦足を止めて、それまで単騎でフィールドのあちこちを駆け巡っていた〈イストアイ〉と合流した。
タイミングは、完璧。
ちょうどその時、〈レーベンワール〉が敵の前に姿を現していたからだ。さすがに間近な距離であるから、斥候を潰したとはいえ、本来ならば本隊には気付かれても不思議ではない。しかし、彼らは完全に〈レーベンワール〉の方に気を取られていた。
奇しくも、挟撃が可能な状況である。
「さて、どうするか?」
千載一遇の好機に、ガルシアが珍しく慎重な声を出す。
ユーマはあっさりと告げる。
「僕が行きます」
「……は? おい、ボウズ。ちょっと待て――」
好機である。だから、機を失するのはダメだ。
当然の選択をする時に、迷いは生まれない。
『アイ、頼んだ』
『あい! ご主人さま』
以心伝心、〈デバイス〉を通じて繋がっているから話は早い。
ユーマが駆け出した瞬間には、〈イストアイ〉は身を屈め、片手を地面に差し伸べていた。ユーマはその掌に飛び乗る。〈イストアイ〉の大きな指の一本にしっかりと掴まりながら、『いいよ。さあ、跳んで』と合図を出した。
強烈な圧力感と、一拍の後に訪れる浮遊感。
悲鳴は、どうにか喉の奥で呑み込んだ。
空が、グンと近づく。
コックピットが欲しい――真剣に、そう感じたユーマである。技術レベルからして難しいかも知れないが、搭乗型のゴーレムというアイデアも、筆頭魔術師のバーナードに伝えておくべきかも知れない。数秒間のジャンプの間に、ユーマは痛切にそんなことを考えていた。
岩場の上に、〈イストアイ〉が着地する。
衝撃で、全身がシェイクされる。
『お、降ろして。アイ』
ある程度の覚悟はしていたが、思った以上に怖かった。
そして、吐きそうだ。
ふらふらと、地面を二、三歩よろめいた。
「う、うん。これは次回の課題だな」
少なくとも、〈イストアイ〉の肩に掴まったり、掌に包まれたりという状態で戦闘行為を行うのは不可能のようだ。ゴーレムではなく、操者を狙うダイレクトアタックを警戒するならば、そうした〈イストアイ〉から一切離れないという選択肢もあり得るかと考えていたユーマであるけれど、これは我慢してどうにかなるレベルを超えている。
「……はあ、やれやれ」
吐き気を堪えながらも、何はともあれ――。
こうして、ユーマは見晴らしの良い岩場から戦場を見下ろすことになったのだ。
その時には、既に始まっていた。〈レーベンワール〉がその大鎌で、〈リル・ラパ〉を一体、まずは片付ける。デーゼル王国の騎士は臆したのか、全体的に動きが鈍い。このまま黙って見守り続けても、エンノイアならば大軍を相手に良い勝負をするかも知れないと、ユーマはそう思った。
「もちろん、加勢はする」
ユーマは杖を軽く振った。
「でも、とりあえず、まずはアイに任せようか」
最初の手を一任するのは、それもまた彼女の勉強のためである。
潜んでいる敵を各個撃破するのと、大軍を正面から相手にするのでは、戦闘の性質がまったく異なる。〈イストアイ〉がどのように判断し、行動するのか――ユーマにはそれらをしっかりと見守り、時には指導する義務があった。
『えっと、ご主人さま……』
彼女はしばらく悩むような声を出していたが、意を決したようにいきなり叫んだ。
そして、ユーマを岩場に残したまま、眼下の戦場に彗星のように飛び降りた。
『わかりました、行きます!』
その結果は、上々――。
彼女は敵軍の中央、指揮官機と思しき最大の脅威をターゲットにした。他の無数の〈リル・ラパ〉を無視し、最優先で頭を潰すことを選択――そして、実際に潰してみせた。時と場合に応じて、そうした戦い方は集団に凄まじい精神的ダメージを与えるものだ。
もちろん、まだまだ甘い。
彼女の戦い方は完璧には程遠い。
例えば、力を使い過ぎである。
彼女は全力を出したけれど、全力を出さなくても、問題なく〈ドル・リル・ラパ〉ぐらいは片付けられたに違いない。要は、二手目、三手目のことまで考えられていなかった。余力のこともそうであれば、他にも、敵軍の真ん中、最も危険な場所に身を置いてしまうこともそうである。
危機感が足りない。
確かに〈イストアイ〉の性能は〈リル・ラパ〉を脅威に感じるものではないけれど、それでも、決して無敵というわけではないのだ。そもそもが圧倒的な力の大部分――攻撃力の源は、天之超弦剣のお陰でもあるのだから。
故に、課題は多い。
それだから、ユーマはこう云った。
『さあ、ここからは手本を見せることにしようか』
勉強の時間は終わりである。
あるいは、戦闘もこれにて終わりである。
『本気を出そう、少しだけ……』
その時には、ユーマの存在は多くの者達に気付かれ始めていた。
戦場を見渡せる岩場の上にて、ユーマは身を隠すことなく立っている。高所であるから、風がその分だけ強い。銀糸が美しい黒のマントが、羽根のように大きく広がる。フードは目深に、ユーマは顔立ちや表情は隠していた。
見つかっても、もはや関係ない。これだけの高さがある場所に、生身の兵が急襲をかけることは難しい。ダイレクトアタックを受ける心配はないのだから、ユーマは開き直って堂々としていた。
計算していたのは、あくまでも自分の安全のことだけ――。
戦場から見上げる者から、自分がどのように見えるのか――。
そこまでは計算していない。
計算外の成果である。誰かが呟く。
化け物、と――。
魔王、と――。
少年の体躯。
表情は隠れ、戦場に不釣り合いな豪奢な黒マント。
何よりも、初手から異常さの極まった攻撃を見せた〈イストアイ〉。
非現実。
悪夢から抜け出たような存在感。
希薄だが、濃密。御伽噺の登場人物のようにも――。
それゆえに、自然と零れ出たのは〈魔王〉というイメージ。
誰かが呟き、そして他の者達にも続々と病のように広まり始める。
「ア、アルマの、魔王……」
ユーマは右手で、杖の先端〈デバイス〉を握り込んだ。




