(17)
デーゼル王国は端的に云って、アルマ王国を侮っていた。
ゴーレムの性能ならば、〈リル・ラパ〉は〈サーラス〉を完全に上回っている。それは確かに純然たる事実であり、万人が認める所だ。今回の交戦フェイズは〈殲滅戦〉である上、互いに投入したゴーレムの総数は同程度――それならば、正面から堂々とぶつかれば敗北するわけがない。
デーゼル王国の思考はそんなものである。
彼らが警戒するものは、わずかに二つの事項だけである。
ひとつは、アルマ王国の策にはまらないこと――。
具体的に云うならば、デーゼル王国の本隊が側面や背後から強襲されたり、挟撃を受けたりすることを何よりも警戒していた。
要は、デーゼル王国は本来の力を発揮できない状況を恐れている。一対一ならば〈サーラス〉に負けるはずもない〈リル・ラパ〉だろうと、複数体を同時に相手取ることは難しい。そのため、本隊の進軍は非常に慎重に行うものとなり、開戦から未だ、スタート地点の砦からほとんどの機体が動かないままになっていた。
デーゼル王国の指揮官や参謀は、最終的に、大隊同士による決戦を目論んでいる。小規模な部隊がフィールドの各地で遭遇戦を繰り広げるよりも、その方が安全で確実と判断したのだ。
危険を冒してでも斥候を出したのは、そのためでもある。
斥候がアルマ王国の進軍状況を察知してくれたならば、布陣や進軍でミスをする可能性はぐっと低くなる。そうなのだ。デーゼル王国は自分達が間違いを犯さなければ、それだけで今回の交戦フェイズは勝ったも同然と思い込んでいた。
それは大いなる間違いだったと、すぐに知れる。
一応は警戒していた、もう一つの事項――。
ただし、そちらはあくまで、小石に躓くのを恐れるようなものである。
アルマ王国の防衛宣言書に記されていた、新型の試作ゴーレムである〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉。それらがどれだけの力を持つのか、デーゼル王国にはもちろん、事前に完全な予想をするなんてことはできない。
未知の敵――。
不確かだから、不気味と云えば不気味。
実際、デーゼル王国は警戒していた。
ただし、警戒すると云っても、それは常識の範囲内である。常識の範囲内――最悪でも、〈リル・ラパ〉が二体で相手をすれば負けるはずがないだろう。そんな風に判断されていた。
甘かった。
交戦フェイズの緒戦――。
斥候により、アルマ王国の中規模の部隊が確認された。
そこには、懸念の〈レーベンワール〉の姿もあった。
デーゼル王国の指揮官達は、斥候からのその報告に諸手を挙げて歓喜したものである。何と云っても、不確定要素を先に排除できるのだから。すぐさま、確認された敵部隊と同規模――五体の〈リル・ラパ〉で構成された中隊を差し向けた。
後は、再びの報告を待つだけ――。
心待ちにしていたのは、〈レーベンワール〉を含めた敵部隊の撃破の報せだったけれど――。
「ほ、報告します!」
悲鳴。
「我が方の部隊は、壊滅――敵に損害はなし!」
ありえない報告に、デーゼル王国の本部に動揺が走る。
ざわめき。動揺と混乱は一気に場を支配した。
「馬鹿な、何もできずに全滅とは!」
デーゼル王国の指揮官や参謀はそれでも冷静さを保とうとする。だが、さらに詳細な報告を聞く内に血の気をどんどん失っていった。負けるにしても、負け方というものがあるのだから。〈レーベンワール〉と〈リル・ラパ〉の戦闘の推移に関して、幾度も、「見たままを話せ、無駄な脚色はいらん!」と罵声が飛んだけれど、それもそのはず――とにかく一方的に嬲り殺されたとでも表現すべきその内容は、最初の内、まったく誰にも信じられなかったのだ。
「死神、か……」
ぽつりと、誰かがそんな感想を漏らした。
その後、しばらく痛々しい沈黙が続いた。
「どうする……?」
誰かが、恐々と呟く。
「どうするも、何も……」
叫び声が返される。
「どうにかして倒すしかあるまい。これは〈殲滅戦〉だぞ。双方共に、勝利条件は敵軍の殲滅なのだ。〈レーベンワール〉を無視するという選択肢はない」
「だから、〈レーベンワール〉をどうやって倒すのかという話だよ。〈リル・ラパ〉をまとめて五体も、たったの一体であっさりと倒すなんて……。では、次は十体を差し向ければ良いのか?」
「ああ、忌々しい。皮肉を吐いている場合か」
「落ち着け、皆の者。まずは冷静になれ」
混乱は広がり、議論はまとまりを欠く。
罵声がしばらく飛び交った後、再び、誰かがぽつりと零した。
「他の斥候からの報告はどうした?」
その瞬間、とても嫌な空気が立ち込める。
静寂。
じりじりと、真夏の熱気。
流れる汗は、冷や汗ばかりである。
「他の地点に派遣した斥候から、なぜ連絡が来ない?」
広大なフィールドの要所に配置した斥候は、いずれもベテランの騎士であり、定刻になればその都度報告が入る。交戦フェイズの開始からそれなりの時間が経過し、そろそろ正午にもなろうかという頃合い。これまでも既に二度、各地の斥候から「異常なし」の報告が入っていた。
しかし、三度目の報告に関して、その定刻は過ぎて久しい。
「確認だ。確認のため、早く! 誰か人をやれ!」
彼らは従騎士に命令を下し、フィールド各地の斥候に何らかのトラブルが起こっていないか、急ぎ馬を走らせた。迅速に命令を下しながらも、全員が青ざめた表情になっている。
実際、やはり、それは無駄な一手だった。
確認の必要はなかったのだ。
予想通り、事態は既に最悪だったから――。
そう、時既に遅く――。
この時点で、斥候の騎士と彼らのゴーレム〈リル・ラパ〉は全て始末されていた。
最悪の報告を受けた時点で本当ならば気付くべきだったのかも知れない。最悪の、そのまた最悪を――。防衛宣言書に記載されていた不確定要素は、一つだけではなかったのだから。そうなのだ。〈レーベンワール〉を誰かが『死神』に例えたけれど、それ以上の破壊を運んでくる恐怖の存在――『魔王』とも云うべき、ワンランク上の最悪が潜んでいる可能性に最初から気付かなければいけなかった。
「ほ、報告! 本隊に、敵が接近中です!」
そして、警報が鳴り始める。
速い。
早い。
展開は矢継ぎ早――。
戦争のクライマックスは、一瞬で訪れる。
全てが大いなる間違いの元に始まっていた。
デーゼル王国の悪夢は、まるでこの瞬間に訪れたようにも見えるけれど、その実、とっくの昔に全身が頭まで浸かり込んでいた。悪夢の沼。もはや、抜け出せない。デーゼル王国の本隊、砦からすぐの平野に〈リル・ラパ〉の大部隊が陣を敷いている。〈サーラス〉の大部隊に直接ぶつけるはずだったその本隊は、しかし、この瞬間――。
「さて。狩ろうか」
微笑む、最強の騎士。
紅蓮に猛るは、不吉の死神。
たった一体の〈レーベンワール〉の急襲、こうして終わりは始まる。




