(16)
王剣騎士団の第三騎士隊は、大掛かりな編成と周囲を最大限に警戒する陣形で、慎重にフィールドを進んでいた。騎士と従騎士は、四方をゴーレム〈サーラス〉に囲まれる体勢。これならば、もしも敵にうっかり背後に回り込まれたとしても、いきなり操者が倒されるような心配はない。
ユーマは見習い騎士であるため、何処の小隊にも所属していなかった。
そのため、急場の措置として第三騎士隊に組み込まれている。
組み込まれていると云っても、命令系統は整理されないままで――。
ローマン曰く、「臨機応変にやれ」とのことである。
それに対し、「無茶苦茶だ、ダンナ」と愚痴を零したのはガルシアだった。
ガルシア・シトロエン、第三騎士隊長を務める伊達男。
普段はへらへらとふざけた調子の男であるが、戦場では打って変わって凛々しく――などということは残念ながらなかった。ピリピリと張り詰めた戦場の空気の中だろうと、彼は冗談も茶目っ気も絶やさない。
しかし、そんなガルシアですら言葉を失っている。
彼方から、轟音――。
ゴーレム同士の白兵戦が起きれば、かなりの音が立つものだけど、それにしても凄まじい。地震か、地滑りか。天災かと錯覚するぐらいの轟音に、第三騎士隊は自然と進軍をストップしていた。
警戒すると云うよりも、皆、不安そうに周囲をきょろきょろと見渡す。
そんな中で唯一、周囲と様子が異なる者がいた。
「おい、ボウズ」
ガルシアは、どうにも様子のおかしいユーマに呼びかける。
「どうした? 何があった、いや……」
反射的に、彼は云い直していた。
「何をやった、ボウズ?」
ユーマは顔を伏せている。
そして、思いっきり頭を抱えていた。
『ご、ごめんなさい。ご主人さま』
この場において、そんな幼い少女の声――。黄金色に輝く〈デバイス〉を通じ、〈イストアイ〉の声が聞こえているのはユーマだけである。
当然、二人の以下の会話は他の誰にも知れない。
『いや、大丈夫。敵は倒せたから、まずはそれを喜ぼうよ』
『は、はい。ご主人さま、ありがとうございます』
ユーマは、持病である頭痛のために頭を抱えているわけではなかった。
轟音の原因――。
それは、〈イストアイ〉が天乃超弦剣で岩肌を斬り崩したためである。
もちろん、彼女が勝利したのは良い。だが、勝利はあくまでも前提に過ぎないのだ。どんな風に勝利するか――〈イストアイ〉の自動戦闘に対する評価のポイントはそこであり、今回の結果は完全にやり過ぎというものだった。
無駄な、魔力の消費――。
ぐったりと身体にのし掛かる疲労感に、ユーマはため息を吐いていた。
しかし、こんなものかも知れない。
最初から完璧を求めるなんて、それこそ馬鹿な話である。
『うん。初めてにしては、僕に比べれば……』
初めての戦闘であり、初めての戦場なのだから。
ユーマは束の間、思い出していた。
遥かな過去――。
養成所の年若いパイロット候補生が、戦況の悪化に伴い、訓練不足のままに駆り出された初めての戦闘のこと。否、初めての戦争のこと。遊戯ではない。だから、敗北はそのまま死に繋がった。
実際、養成所のクラスメイトは初戦で幾人もいなくなった。
空っぽの机。
泣いているクラスメイト。
それなのに、淡々と続く日常風景――。
「おい、どうした?」
ユーマは突如として肩を強く揺すられ、我に返る。
「あ。すみません、ガルシア隊長」
「ボーっとしているな。戦場だぞ、ここは……」
ガルシアはいつになく厳しい口調で云った。
「ここらのフィールドはまだまだ、アルマ王国の側と云っても、デーゼルの奴らがこっそり進軍していたり、斥候が少しばかり潜んでいたりする可能性は十分に……」
「はい、もう大丈夫ですから」
「……ん?」
「斥候ならば、もう大丈夫です」
ユーマは繰り返した。
「片付けました。そのためにうるさい音を立ててすみません」
ガルシアは、ポカンと口を開いたまま呆けた。
「片付けた?」
思わず、彼はオウム返しに尋ねる。
「倒したのか、リル・ラパを?」
「はい。とりあえずは一体目を……」
ユーマは何でもないことのように頷く。
ガルシアはさらに何も云えなくなる。
確かに――。
そう、確かに――。
――ボウズ、自由にやってみろ。
ガルシアは最初、敢えて、土壇場で自分の隊に同行することになった見習い騎士に、あれこれと命令を下したり、指図や注文を付けたりはしなかった。いつも通りの笑みを浮かべながら、半分冗談で、半分本気で、とにかく自由を与えてやったのだ。
それはある意味で、ローマン以上の投げやりな采配と云われても仕方ない。
だが、予感ならばあった。
騎士としてのキャリア、第三騎士隊長としての自負と責任。軽々しい男であることは重々自覚しつつも、ガルシアの芯にはそうしたものがちゃんとある。だから、普段ならば、初めて戦場に出る子供の面倒を見ないなんて馬鹿はしない。
面倒を見ない――。
否。
そんな発想からして、今回は違うのだ。
自由を与える。
縛らない。
ガルシアは、己の選択をそんな風に捉えていた。
ユーマ・ライディング――肩書きこそ見習い騎士であるけれど、その実力は疑いないものである。そしてまた、戦場における嗅覚というものに対しても――。
進軍を開始したその瞬間、ガルシアはちらりとユーマの表情を盗み見た。
それ自体は、何気ない行動だったけれど――。
だが、ガルシアは思わず、ギョッとしたものである。緊張も戸惑いも、殺気も敵意も、ユーマには何もなく、ただ凪いだ海のように静か。初戦だというのに、小柄な体躯から立ち上る雰囲気はベテランの騎士か、それ以上の落ち着きと風格を感じさせるもので――。
「先行します」
あっさりと、ユーマは自分のやるべき行動を宣言した。
迷いはなく、堂々とした声色である。
ガルシアが許可を出すよりも早く――もちろん、ユーマは第三騎士隊の下の命令系統に置かれているわけではないから、自由に行動して良いのだけど――とにかく、素早く、疾風のように〈イストアイ〉は第三騎士隊の〈サーラス〉の集団から飛び出した。
先行すると云ったが、何処まで行くのか――。
皆が呆然と見送っている間に、〈イストアイ〉は岩場の果てに見えなくなった。
当たり前であるが、ゴーレムは騎士が杖の〈デバイス〉を介し、事細かに意思を飛ばすことで操るものだ。目視できないぐらいに離れてしまえば、それはもう目隠しされたのと変わらない。今回のフィールドは入り組んだ岩場が無数に存在するため、操者から見えない状況で動かせば、何処かにぶつかって倒れたり、壊れたりする危険性が高かった。
あるいは、〈デバイス〉の有効範囲の問題もある。
騎士の力量にも依るが、ゴーレムと騎士は近くにいる程、本来の実力を発揮できるものだ。逆に、遠く離れてしまえば、騎士の意思は届き難くなり、ゴーレムの動作も鈍くなっていく。
今さら、ユーマのやることにいちいち驚くまいと思っていたが――。
やはりまた、ガルシアを始めとした王剣騎士団の面々は驚かされてしまった。
遥か彼方、一切の状況が見えないままにユーマは〈イストアイ〉を自由に動かしているらしく、それだけで驚きに何も云えないような状況だったけれど、それに加え、あっさりと〈リル・ラパ〉を仕留めてしまったと云い出すのだから――。
これはもう、とにかく褒め称えるしかない。
「おい、やったな。ボウズ、いきなりの大手柄……」
敢えて道化のように大声を上げたガルシア。
だが、ユーマは笑っていなかった。
「はい。ありがとうございます」
ユーマはもう、頭を抱えるのはやめていた。
顔を上げて、前を向いている。
全てが、淡々と――。
「それでは、次です」
ユーマはそう呟く。
淡々と、機械のように――。
「再び、先行します。目標を確認後、速やかに排除を開始します」