(14)
開戦から、数時間――。
両陣営共に、〈殲滅戦〉であるがゆえの慎重さを感じさせる幕開けとなっていた。
静かである。重武装の騎馬隊が進軍する時も、それなりの騒音を立てるものだが、全長20メートル前後にもなるゴーレムが動いた際の騒音はそれの比ではない。
岩陰にて、ゴーレム〈リル・ラパ〉と軍馬を隠し、戦場の地図を広げながら難しい顔をしているのは、デーゼル王国の斥候を務めている騎士だった。斥候のため、小隊ではなく単騎である。
太陽の位置とコンパスを確認した後、男は地図を懐に収めた。
侵略側と防衛側、双方のスタート地点でもある砦を両端として、細長い長方形の形に伸びた今回の戦闘フィールド。斥候として、彼はフィールドの中間地点で待機していた。開戦から数時間も経てば痺れが切れそうになるものの、これ以上進むのはさすがに危険だろうと改めて自重する。
騎士として、彼はベテランである。
実力も、デーゼル王国の中で相当に上の方だ。そうでなくては、慎重さと冷静さ、いざという時に危機を回避できるだけの戦闘力が求められる斥候は務まらない。
そんな男にしても、本日の静けさは不気味に感じられていた。
どうして、アルマ王国は動かないのか――。
先程から迷いが頭の片隅をコツコツと叩いている。
そもそも、ゴーレムと騎士を斥候に出すのは得策とは限らない。むしろ、限定された状況下の使用法だったりする。今回の交戦フェイズは、〈殲滅戦〉――そしてまた、ゴーレム〈リル・ラパ〉とゴーレム〈サーラス〉を比較した時のスペックが、前者が後者を圧倒的に上回ることから、敢えてゴーレムと騎士を斥候に出すという判断が下されたのだ。
一対一ならば、〈リル・ラパ〉が〈サーラス〉に負けることはほぼない(唯一の例外が、騎士として異常な実力を備えるエンノイア・サーシャーシャの存在であるけれど)。
特に、身のこなしとスピードは遥かに違う。
斥候として出された騎士が運悪く、敵方の大群とばったり出くわして見つかった場合でも、〈サーラス〉は〈リル・ラパ〉に追い付けない。逃げ切るのは容易なことである。そしてまた、大軍ではなく少数の散兵を発見した場合ならば、状況に応じては奇襲を掛けてもいい。
ローリスク・ハイリターン。
要は、そういうことである。
とはいえ――。
個の戦い――散兵による遭遇戦を、アルマ王国が今回選択するとは思えなかった。
大軍を布陣させての正面衝突ならば、〈サーラス〉の頑強さが活きるし、〈リル・ラパ〉の素早さは多少なりとも削がれる。アルマ王国はそうした戦いを望んでくるに違いないと、デーゼル王国は概ね予想していたのだ。
そのための斥候でもある。
崖や丘、うず高い岩場のために、フィールドの一部は迷路のようになっている。数人の斥候はそれぞれ要所で待機し、アルマ王国がどのルートで進軍して来るのかを見定めた後、デーゼル王国の本隊は状況に応じた作戦・布陣で待ち構えるつもりだった。
しかし、静か――。
相変わらず、アルマ王国に大軍が動く気配は見られない。
「さて、どうしたものか……」
斥候の男は小さく呟き、大人しくしている軍馬を撫でる。
「密集陣形を取らず、散兵による進軍を選択したか。いや、まさか……」
男は、まだ知らない。
気付いていない
まさに今、戦闘フィールドの遠く別の場所では、ゴーレム〈レーベンワール〉の大鎌によって戦いの火蓋が斬り落とされていた。
常識外の選択。
アルマ王国が、たった一体のゴーレムとたった一人の騎士に全てを託すような戦の仕方を選ぶなどと、デーゼル王国の誰が予想できただろうか。防衛宣言書に記された大量の戦力、アルマ王国の〈サーラス〉と騎士の名前が、それすらも囮のようなものだったなんて――。
そして、また――。
土壇場で組み込まれた、もうひとつの常識外。
「……なんだ?」
音。
遠くからでもズシンと身体を震わせるその音は、そう、ゴーレムの足音である。
「来たか!」
男は咄嗟に、岩場の影に身を潜ませた。
片手に杖を抜き放ち、いつでも〈リル・ラパ〉を起動できる状態を保ちながら、もう片方の手で双眼鏡を構える。音の聞こえた方を注視するが、そのように素早く冷静な行動を取りつつも、男は既に小さな疑問が浮かべていた。
大軍の足音ではない。
耳を澄まし、振動をより身体で感じ取る。
やはり――。
「一体だけか?」
見えた。
「……あれは、噂の新型か?」
純白の装甲、黄金の輝きを放つエーテルフレーム。
一目でわかる、〈サーラス〉とまったく異なるそのフォルム。
防衛宣言書の戦力明細にあったため、デーゼル王国の人間にも、それがゴーレム〈イストアイ〉であることはすぐにわかった。
思わず一瞬、見惚れる。
我に返った後、斥候の男は黄金色という初めて見るパーソナルカラーや人間そのものの滑らかな動きに驚嘆しつつも、アルマ王国のゴーレムの姿が他に見えないか、素早く周囲の確認を始めた。双眼鏡を巡らせる。しかし、最初に足音が教えてくれたように、新型の試作機の他には敵の影はないようだ。
故に、悩む。
男と〈リル・ラパ〉は岩陰に隠れた状態であり、〈イストアイ〉を先に発見した。不可思議なことであるけれど、敵の味方は近くにいないようだ。スペックは不明、本来ならば斥候として帰還と報告を最優先にすべきだろうが――。
「しかし、チャンスだな」
奇襲を仕掛けるには、これ以上の状況はない。
男は汗ばむ手で杖を強く握りしめながら、もう一度、〈イストアイ〉の方に双眼鏡を向けてみた。確認しようとしたのは、操者である騎士――否、見習い騎士の存在である。
見習い騎士。
確か、ユーマ・ライディングと記されていたか――。
男は緊張のために息を呑んだ。
なぜ、緊張するのか――。
防衛宣言書に記された戦力明細に、まさかの〈見習い騎士〉という肩書きを見つけた時、デーゼル王国の面々は大いに笑い声を上げたものである。長年の好敵手であるアルマ王国。しかし、ゴーレムの開発競争に乗り遅れて、時代遅れの〈サーラス〉で悪戦苦闘する内、遂には騎士の人材にも事欠くようになったのかと――。
馬鹿にして笑ったのだ。
だが、今、男は笑えない。
一目、〈イストアイ〉を見ただけでわかってしまった。エーテルフレームの圧倒的な輝き、ベテランの騎士でも難しいような滑らか過ぎる動き。ぬるぬると人間のようだ。それを、本当にただの見習い騎士がやっているとすれば、これはもう笑い話になんてならなかった。
もしかすると、エンノイアにも匹敵する才能の持ち主を見つけたのかも知れない。
男はそんな風に思った。
ならば、無茶をするべき所ではないか――。
ここはやはり、一旦退却すべきかと――。
「……馬鹿な」
操者である見習い騎士が何処にいるのか、しばらく双眼鏡を巡らしていた男であるけれど、結局は見つけられなかった。普通に考えれば、近くにいるはずだ。単騎であるから、斥候のように身を隠しているのかも知れない。諦めて、もう一度だけ〈イストアイ〉を確認してからこの場を立ち去ろうとした瞬間である。
「ば、馬鹿な!」
双眼鏡を離して、男は肉眼で辺りを見渡した。
ありえない。
見当たらない。
何処にも、〈イストアイ〉の姿がないのだ。
『見つけた』
頭に――。
『あい。見つけました』
舌足らずな、童女の声が――。
ぞくり、と。
悪魔の声を聞いたような気分。
耳で聞いたのではない。音ではない。心が拾った。何かを――なんだ、これは。恐怖。かつてない恐怖を感じて、男は無我夢中で杖に力を込める。〈リル・ラパ〉を起動させた。
影。
気付いた。
太陽が隠れている。
ゆっくりと、空を見上げた。
『てき、発見。攻撃します』
さながら、死刑宣告――。
無邪気に、死ねと云われたようだ。
そこにいた。
何かが――敵が。
ゴーレムか――。
否。
人間に見えた。
太陽を背負い、高く積み上がった岩場の上に立つ彼女。純白の装甲、黄金の輝き。鎧を纏い、兜を被った戦乙女のような立ち姿。跳び上がったらしい。消えたように見えたのも頷ける。一瞬の内にこれだけの高所に登ってしまうなんて、どう考えてもゴーレムの動きではないのだから。
既に、彼女は構えていた。武器は、一振りの刀である。長い。大きい。それだけでゴーレムの全長程もありそうな規格外の刃である。
天之超弦剣。
そして、ゴーレム――。
否。
EVEゴーレム〈イストアイ〉。
『あい。アイは行きます!』
かつてない恐怖と不条理が、男に舞い降りた。




