(10)
「ところで、団長殿」
エンノイアが片手を挙げながら云った。
「なんだ、エンノイア騎士隊長?」
「そろそろ、団長殿は国王陛下に謁見の時間ではありませんか?」
「ああ。まったく、そんな所はよく押さえているな。俺をここから厄介払いしたいのは見え見えだが……確かに、陛下を相手に遅れるわけにはいかん。レーベンワールの様子を見て、お前も満足しただろう。長旅から帰ったばかりなのだから、いい加減、浮かれるのはやめて、しっかりと休んでおけ。すぐにまた次節の戦いが――」
話しながら背を向けようとしていたローマンだが、途中で口を閉ざした。
「そうだな。そう、次節の戦いが……」
その時、ユーマは〈レーベンワール〉を見上げていた。魔術師ギルドに長らく預けられたままだったため、じっくりと眺める機会はこれまであまりなかった。
漆黒の死神。片腕を失った痛々しい姿なのは、〈拝杖の儀〉におけるユーマのミスのせいだ。そのことに関して、負い目がないわけではなかった。ただし、それ以上に、〈レーベンワール〉に関しては思う所がある。
ADAM。
機械生命の意思が、〈レーベンワール〉には宿っていた。
否。
残留していたと云うべきか。
今はもう、大丈夫である。
ひとまず、は――。
そう。少なくとも、〈レーベンワール〉に関しては問題ない。ユーマの心に暗い影を立ち込めさせる原因は〈レーベンワール〉ではなく、それ以外の可能性なのだ。
原石と呼ばれる希少な素材。アルマ王国は弱小国だから、原石を利用したゴーレムを作ることはこれまでできなかった。〈レーベンワール〉と〈イストアイ〉が、この国にとっては原石を利用した初めての機体だったわけである。
ユーマは考える。
大国は、どうだろうか――。
もちろん、どのような素材を使用し、どのようなレシピでエーテルフレームを錬成したかは、国家とギルドの重要な機密であるため、調べようと思った所で簡単に調べられるものではない。だが、可能性は十分にあるだろう。権力と財力を豊富に有する国家ならば、これまでにいくつもの原石を入手し、エーテルフレームに原石を利用した機体を作り上げていても不思議ではなかった。
そう思って、実際、〈レーベンワール〉のようにADAMが覚醒したと思しき事件・事故がこれまでなかったか、ユーマは調べてみたのだ。結果は、幸いと云うべきなのか、当てが外れてガッカリしたと云うべきか――該当するような事例はまったく見当たらなかった。
考え過ぎなのだろうか。
ユーマはそう思いつつも、不安をずっと抱えている。
「ユーマ」
謁見という大事な用事のため、この場から歩き去ろうとしていたはずのローマンから名前を呼ばれた。今一度、彼はユーマやエンノイアの方に向き直っている。何やら神妙な顔であり、「あー、その、なんだ……」と、煮え切らない口調になっていた。
「第六節の戦争は、エンノイアのお陰でどうにか切り抜けられたわけだが……。あー、その――すぐにまた、第七節の宣戦布告フェイズがやって来る。ここに来てようやく、アルマ王国は〈レーベンワール〉を投入できるわけで、油断している敵国に一泡吹かせてやる好機なのだが、そこで、その、なんだ……」
「団長殿」
もごもごと悩む様子のローマンに、エンノイアが口を挟んだ。
「次節から、レーベンが使用可能になります。兼ねてから計画していた通り、次節は唯一にして最大の好機となる……そこまでは、騎士団員ならば誰でもわかっています。はっきりと仰ってください。全力を尽くすのかどうかを――」
「いや。いや、しかし……」
ローマンはやはり言葉を濁らせる。
二人のやりとりを端で見守っていたユーマは、何の話がされているのか、遅ればせながら気付く。理解した上で、じっと黙り込んだまま考え始めた。
見習い騎士。
ユーマの立場は、未だにそんなものだ。
王剣騎士団において、あらゆる点で特別扱いを受けているものの、だからと云って、全ての慣例や風習をぶち壊しているわけではない。むしろ、いたずらに破壊を伴わないように、ユーマは極力ひっそりと息を殺して目立たないように心がけている(残念ながら、それでも思いっきり注目を集めてしまっているのだけど)。
見習い騎士――正しくは、〈見習い〉。そこから〈従騎士〉になるまでの期間が丸一年というのは規則として厳密に決まっている。〈従騎士〉になってからも、〈騎士〉になるまでは一朝一夕という訳にはいかない。〈拝杖の儀〉を受けるだけの資格があると認められるのがそもそも大変であるし、それに合格して〈騎士〉になるのはもっと大変なのだ。
普通は、十年以上かかる道である。
しかし、ユーマは〈拝杖の儀〉で誰にも有無を云わせないぐらいに己の実力を見せつけた。シンプルにその実力だけを評価するならば、すぐさま騎士の称号が与えられてもおかしくない所だったが――。
『すまない、ユーマ』
騎士団長のローマン直々に、謝罪の言葉と共に告げられたものだ。
『騎士の称号は与える。お前には、その資格が十分にある。だが、少しだけ待ってくれないか? 今すぐにお前を騎士にするのは、色々と問題があるのだ』
少しだけ待つというのが、具体的にどれだけの期間かと云えば、見習い騎士を卒業するまでの間である。すなわち、ローマンは一年間待ってくれと云ったのだ。
ユーマはそれを了承した。
別段、騎士の称号がどうしても欲しいわけではなかった。〈拝杖の儀〉が終わった段階で何よりも望んでいたのは、〈イストアイ〉の杖を握ることだけである。テストパイロットの立場を得られたからには、ユーマはあまり騎士の称号には固執していなかった。
それに、ローマンの考えも理解できたからだ。
騎士団長として、彼は色々なものを守ろうとしていた。
伝統や風習はもちろん――。
ユーマの立場や生活というものも含めて――。
「ダメだ。やはり、馬鹿な思い付きだった」
ローマンは今、きっぱりとそう告げる。
「ユーマは見習い騎士だ。見習い騎士のまま、敢えて留めている。不用意に他国から注目を集めたり、無駄な危険を寄せ付けたりしないようにな。それに、どれだけ素晴らしい力を秘めていたとしても、まだまだ見習い騎士として学んでもらうべきことはたくさんある。単純に騎士になるための方策だけではなく、大人として強く生きるための方法も含めてだ」
要は、まだ子供と――。
「ユーマを遊戯戦争に出すなんて、馬鹿な話でしかない」
子供だから、戦場に出せないと――。
ローマンはそう云っている。
実力ならば、確かに認めてくれている。それだから、彼は一旦立ち去ろうとしたものの、その足を止めて、大いに悩む表情になったのだ。ユーマと〈イストアイ〉を遊戯戦争に参戦させたならば、それが王剣騎士団にどれだけの恩恵を与えるか理解しつつ――。
それでも――。
優しさと甘さが、そんな打算を止めていた。
「ボクの時もそうでしたね」
エンノイアが呟く。
「ボクが見習い騎士だった頃、団長殿は実力ならば騎士として十分であると気付きながら、騎士の称号を与えることも、〈拝杖の儀〉を受けさせることも許可しなかった。もちろん、ボクを駒として戦場に出すことも……。あるいは、ボクをクレバーに使役していれば、この国はここまで追い詰められなかったかも知れない。それなのに、団長殿は再び繰り返そうとしている。辛抱して、子供のボクを見守ってくれたことには感謝しています。ただし、とても歯痒かったことも覚えておいてください」
「若さは、時にそれだけで危険や死を招く。エンノイア騎士隊長、それにユーマ。お前達を大切だと思うからこそ、無闇矢鱈に戦場に送り込むようなことはしたくないのだ」
実際、ユーマは入団してから今まで、遊戯戦争に微塵たりとも関わることはなかった。
ローマンからは話題に出されることもなかったのだ。〈レーベンワール〉と違い、〈イストアイ〉はずっと健在である。〈拝杖の儀〉を見届けたからには、ユーマと〈イストアイ〉を遊戯戦争に駆り出せば、目覚ましい戦果を上げられる可能性があると考えていたに違いないのに、ローマンはそんな胸の内を欠片程も見せなかった。
「遊戯戦争はルールに守られているが、それでも生死を賭けた戦場に出るからには、相応の覚悟が必要だ。見習い騎士にいきなりそれを求めるのは、さすがに残酷で非道だろう」
ローマンは背を向けた。
「気の迷いだ。忘れてくれ」
遊戯戦争には、エンノイアと〈レーベンワール〉の戦力だけで足りると――。
ローマンが胸の内で、そんな結論を下そうとした瞬間に――。
「ローマン団長」
遂に、ユーマは口を挟んでしまった。
「構いません」
思わず、強い口調で云ってしまう。
「僕も、遊戯戦争に参加します」
覚悟ならば――。
「殺すことも、殺されることも――」
その程度の覚悟ならば――。
昔に――。
遥かな、昔に――。
「覚悟ぐらい、僕は済ませていますから」
覚悟というよりも、生き方。
運命。選択の余地はかつて無かった。
ユーマにとって、その道は当たり前の道である。
「僕は、戦うために……」
戦うために――。
そのために、生まれてきた。
かつて、そうだった。
今は、どうなのだろうか――。
わからない。
だが、強くなりたい。
彼女のために――。
「フィオナ」
その瞬間だけは、誰にも聞こえないような小声。
自分だけが知っていれば良い、大切な存在の名前。
ユーマは、ギュッと拳を握りしめていた。見上げるは、〈イストアイ〉。フィオナ、と――その名前を呟いてしまったものの、今、考えるべきは、見守っていくべきは彼女の方である。逃げ出すことなんて許されない。戦わなければいけない。ユーマは少なくとも、己の責任と宿命だけは知っていた。
「戦います」
だから、頭を下げた。
「お願いします。戦わせてください」
戦い。
戦闘、戦争――。
遊戯ではなく、本物の――。
ユーマの覚悟は、まさに本物だった。その点で、ローマンの心配は杞憂だったと云える。ただし、両者の間には決定的に間違いや勘違いも存在していた。覚悟の度合い、である。遊戯戦争。平和のためのルールに守られた戦争ごっこ。遊戯戦争が百年近く続けられてきたこの時代に、本物の戦争を知る者はいないのだ。
人類の命運すら背負ったことのある少年が、覚悟を決めるというその意味。
あるいは――。
少し、先のことだけど――。
命を賭すと、真に誓うその時が来れば――。
「僕は、誰にも負けません」
ユーマの前に立ち塞がれる者など、果たして存在するのだろうか。




