(4)
ゴーレムの作成――すなわち、魔術師の世界は日進月歩である。
十年前には大活躍した〈サーラス〉が、現在では時代遅れになっていることがその良い例である。かつては堅牢な安定性が重要視されたが、それは詰まる所、当時の技術レベル・魔術レベルが相当低かったことを物語っている。
例えば、当時のゴーレムはよく転倒した。
人間のような滑らかな動作には程遠く、一旦倒れてしまえば、立ち上がるまでには数分かかるようなことも珍しくなかった。そのため、〈サーラス〉の圧倒的な安定性は高く評価されたのだ。
だが、時代は変わっていく。
安定性は、もはや十分――。
今や、機動性が重視される時代である。
アルマ王国は〈サーラス〉に向けられた賛辞の言葉に酔い痴れて、次の次代が来ることを忘れたまま、いたずらに時間を浪費してしまった。酔い潰れた後に目覚めてみると、他国の魔術師は新しい地平に踏み出していたのだ。
例えば、隣国の最新鋭機である〈リル・ラパ〉は『赤狐』という仇名を持つが、その名の通り、狐のようにすらりとしたフォルムをしている。〈サーラス〉と比較した時の重量感は一目瞭然であり、実際、身のこなしには格段の差が生まれていた。
時代により、ゴーレムの見た目は大いに変わる。
アルマ王国にとって、ようやく待ち望んだその姿は――。
――ゴーレム〈レーベンワール〉。
新月の夜に漂う闇のように、重々しいカラーリング。
骸骨の死神のように、不吉で、細く儚いデザイン。
肩や腕部など、一部の装甲パーツが肥大化しているのに対し、逆に、随所で内部構造が――すなわち、エーテルフレームが剥き出しになっていたりする。それは恐ろしいことだった。エーテルフレームが剥き出しというのは、心臓をさらけ出しているに等しいのだから。
そこに一撃を受ければ、すぐに敗北――。
否。
ただの敗北では済まない。
エーテルフレームが破壊されれば、ゴーレムの〈死〉に直結する。
「でも、問題ない」
大衆の前で口を開くことは禁止されているから、それは誰の耳にも届かない小さな独り言である。エンノイアが尋ねた相手は、すぐ目の前の〈レーベルワール〉だ。
「枯れ木のような姿だが、君は強い。ボクにはわかる、だから――」
ゴーレム〈レーベンワール〉と騎士のエンノイアが向き合った瞬間から、闘技場の観客席を埋める者達の歓声は最高潮に達していた。風が止んでいる。熱気が重たく、闘技場を包み込んでいる。不吉な漆黒のゴーレムと、言葉少ない耽美な騎士だけが、この上なく冷たい殺気を静かに垂れ流し始めていた。
「レーベン、ボクが愛してやる。だから、従え――」
エンノイアは、騎士の証である〈魔法の杖〉を腰元から引き抜いた。
高々と掲げられた杖の先端には、〈デバイス〉と呼ばれるエーテルフレームの欠片が埋め込まれている。杖こそが、騎士の命――ゴーレムを操るために欠かざるものだ。
「さあ、ボクに従え。――受け入れろ!」
そして、再び、銅鑼の音が響き渡った。
披露会の本番である。
試作型の性能を見せるためには、ただ動かすだけでは全てが伝わらない。だから、戦うのだ。闘技場に居並ぶ、何体もの〈サーラス〉が試合相手である。
続々と〈サーラス〉が起動し、装甲の隙間から輝きを零し始めた。王剣騎士団から運悪く選出されてしまった騎士達は緊張に身を固くしながら杖を構え、それぞれの〈サーラス〉を必死な形相で操っている。
そして、遂に起動する〈レーベンワール〉。
クリスタルのようなエーテルフレームに光が流れ始めると、すぐさま雷鳴のような凄まじい輝きを見せ始めた。紅蓮の光――それこそ、エンノイアのパーソナルカラーである。不吉な黒と不穏な紅に染め上げられながら、産声のひとつ上げることなく、やがて『死神』の異名で恐れられる〈レーベンワール〉は戦闘を――。
否。
殺戮を、開始した。
× × ×
誰よりも最初に悲鳴を上げたのは、闘技場の最前列にいる若い女性――。
「こ、壊した。また、壊した……。あ、あはは。〈サーラス〉が、手が、足が――」
目立たない鳶色の法衣。さらには、フードを目深に被っている。引き攣った笑いで大口を開けると眼鏡がずり落ちた。どうにも頼りなく見えるが、彼女は魔術師である。
魔術師――騎士と対を為す特殊階級。
騎士がゴーレムを操る者ならば、魔術師はゴーレムを作る者である。
「まあ、いいじゃないか」
トオミ・アグリコラが狼狽するのに対し、のんびりとそう云ったのはバーナード・ファイルマン。彼もまた魔術師であるが、正確には、そこに〈筆頭〉の頭文字が付く。
初老のバーナードは、禿げ上がり始めた額を無造作に撫でている。
こちらは魔術師らしい法衣ではなく、周囲の観客と同じく正装――ただし、でっぷりと太ったバーナードが着飾っても、まるで豚がガウンでも羽織っているように滑稽である。
トオミは、にやにやと笑い続けるバーナードを睨んだ。
まだ若い――若いと云っても、そろそろ三十歳近いのだが――とにかく、自分はまだ若いと思っているトオミは、師匠であり上司であり、一日に三度はセクハラしてくるクソジジイである所のバーナードの付き人として、この〈レーベンワール〉の披露会に出席していた。
「先生! 笑っている場合ではないです」
泣きそうな顔で、トオミは訴える。
「もう三体も〈サーラス〉が壊れたんですよ。どうするんですか?」
「どうするも何も、後で修理せねばならんな」
「修理! そんな簡単に云って、予算はどうするんですか。人員も、時間も、何も足りません。〈レーベンワール〉は試作機なんですから、ここから量産のための開発が……」
「気にするな。それに、ほら――エンノイア騎士隊長は、エーテルフレームだけは傷つけないように、一応は気を使ってくれている。壊れているのは装甲だけじゃないか」
装甲だけでも、修理には莫大な時間と資金が必要である。トオミは文句を云いたくなったが、そんな事はバーナードもわかっているはずなのだ。わかっていながら、この醜悪な男は喜んでいる。〈レーベンワール〉という最高傑作が活躍すればそれで良い――〈サーラス〉のような旧式はどうでも良いと云わんばかりだ。
「ああ! また――」
トオミは幾度目かも忘れた悲鳴を上げる。
あまりにも、驚異的な光景が繰り広げられていた。
タイミングを合わせて攻撃したはずの〈サーラス〉が二体、ほぼ同時に〈レーベンワール〉の反撃を受けて吹き飛ばされていた。速い。いや、速いという言葉だけで済ませて良いのだろうか。
速すぎた。
「な、なんなの、あれ!」
悲鳴の声は、闘技場のトオミだけでなく――。
教会の塔の上でも、かん高く叫ばれていた。
「レティ、うるさいよ」
双眼鏡を覗き込んだままの恰好で、レイティシアは息を呑んでいる。ユーマの声はそもそも聞こえてすらいないようだ。せっかく準備してきた双眼鏡を奪い取られた時もそうだけど、ユーマは大きなため息を吐いた。
「あれは、なんだろう――?」
極端に軽量化された〈レーベンワール〉の装甲は一部、エーテルフレームを剥き出しのままにしている。エーテルフレームは〈宝玉髄〉という特殊な鉱物が元になっており、普段の見た目は無色のクリスタルに近い。
無色透明の状態では何の変哲もない鉱物に過ぎないが――。
エーテルフレームの欠片〈デバイス〉による干渉を受けると、それは大きな変化を生じさせる。神経として、筋肉として――それ自体が生き物のように動き始めるのだ。そして、干渉を行う騎士ナイトの心の色――〈属性〉と呼ばれるパーソナルカラーに染まり、さらには騎士ナイトの力量に応じて輝きを増していく。
剥き出しの部分が多い分だけ、〈レーベンワール〉のエーテルフレームの輝きは殊更によく見えていた。
「エーテルフレームから、粒子が漏れ出している?」
ユーマはようやく気付いた。
「レティ、ちょっと貸して」
彼女も集中していたらしく、隙だらけ。
普段ならばあっさり避けられるだろうが、ユーマは運良く双眼鏡を取り戻すことができた。もちろん、その二秒後には、激怒したレイティシアから膝蹴りを受けた上に、「馬鹿、死ね。殺すわよ」と暴言を吐かれ、双眼鏡をまたも奪われるのだけど――。
二秒の間に、どうにか確認できた。
ユーマはレイティシアから膝蹴りを受けた腹を押さえながら、「や、やっぱり。エーテルフレームから、粒子が……あ、あれは、そう、プレローマ――」と、痛みのために混乱する頭で無意識に呟いた。
痛み。
腹部ではなく、頭にも――。
「あ、うぅ――」
いつもの頭痛。
あちらも、こちらも――。痛みが忙しい。どうにか落ち着くまで、ユーマはしばらく塔の階段に座り込んでいるしかなかった。レイティシアが時折、悲鳴や歓声を上げるのが妬ましい。せっかくのチャンスなのだから、〈レーベンワール〉から一時でも目を離したくないというのが本音である。
やはり、不幸――その原因となるのは、持って生まれた妹と病なのだ。
しばらく経って、ようやくユーマは身を乗り出した。
「うわ、そんな馬鹿な!」
思わず叫んだ。
その瞬間、六体目の〈サーラス〉が行動不能に陥っていた。
「五分も経っていない。たった一分か、二分で――」
絶句する。
もはや、戦闘ではない。
狩りという言葉でも云い過ぎだ。まるで、野花を摘むようなものである。〈レーベンワール〉にとって、〈サーラス〉は止まっている的以上の意味を持たない。
今もまさに、〈レーベンワール〉が一体の〈サーラス〉に向けて真っ直ぐに進んで行く。標的にされた〈サーラス〉は教科書通りの動きで、シールドをまず突き出した。そして、ソードをゆっくりと振り被る。
だが、遅い。
ソードがようやく振り上げられた時には、その手は〈レーベンワール〉の大鎌に薙ぎ払われている。無惨にも、大きく切り裂かれる装甲――剥き出しになった〈サーラス〉のエーテルフレームの輝きは弱々しかった。模擬試合をそれ以上無理して続ける意味はないため、小破した〈サーラス〉は降参のポーズとして大地に膝を折る。
くるり、と。
滑らか過ぎる動きで、大鎌を回転させる〈レーベンワール〉。
そんなポーズのひとつを取って見ても、驚異的――。
踏み込んだ。
次の標的は既に視界に捉えている。
速い。
大鎌が降り降ろされた時、獲物にされた次の〈サーラス〉はシールドを構えるのも間に合っていなかった。そして、悠然と振り返る〈レーベンワール〉。死神のように。ゆらり、と。静かに踏み込んだ。獲物は動けない。速さが増しているのだ。
死神は、さらに、さらに――。
あまりの光景――。
十体の〈サーラス〉が戦闘不能に陥る。
闘技場に立つゴーレムは一体だけとなった。
「……終わった」
レイティシアが、大きく肩の力を抜いた。
彼女は何も云えないようだ。
ユーマも、とてもではないが何も云う気になれない。
内心では、披露会の意義ならば十分過ぎるぐらい果たされただろうと思っていた。
教会の塔まで聞こえていたギャラリーの歓声は、もはや一切聞こえない。想像を遥かに上回る〈レーベンワール〉の戦いぶりに、一人残らず言葉を失ってしまっていたからだ。