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真・転生機神のシルバーフィオナ  作者: シロタカ
第5話 戦争という遊戯
42/64

(2)

 時間は、一ヶ月ほど前にさかのぼる。


 × × ×


 初夏――。


 ガンガンガン、と。


 フライパンを打ち鳴らす音が、朝日と共に飛び込んだ。


「ほらほら、起きなさい。朝だよ、朝だよ」


 ユーマ・ライディングはゆっくり目を開ける。


 第二王壁区画にある年季の入った二階建ての家、その自室――。


 古びた木の匂いが、初夏の風と共に薫っている。ギシギシと床が軋みの音を立てたりするけれど、手入れは行き届いているため、日々の暮らしには問題ない。


 世間的には、ここは共同住宅。


 ただし、その実態と云えば、一階と二階で名目的に分かれているだけで、十八歳の未亡人と十四歳の少年二人がルームシェアしているようなものだった。


 二階には、階段を上ってすぐの居室と二つの個室がある。


 個室は、それぞれの寝室として使用されていた。


 ベッドとクローゼット、小さな机。それだけで手狭に感じるような部屋ではあるけれど、実際に三ヶ月程度暮らしてみた今になっても、不便に思うようなことはほとんどない。何と云っても、家事の大部分を大家であるターナー夫人が引き受けてくれるのだから。


 ガンガンガン、と――。

 フライパンの音はしばらく続いていた。


 ユーマは一度、シーツを頭の上まで被ってしまい、それでどうにか日の光と騒音から逃れようとしたけれど――残念、無駄だった。「起きなさい、起きなさい。ユーマ君、ほらほら、起きなさい」と、リズミカルに調子を上げていくのはターナー夫人。


 仕方なく、起き上がる。


 ユーマは窓枠に置いていた眼鏡をかけながら、恨めし気な視線を送ってみた。


 ターナー夫人は気にした様子もない。

 むしろ、元気に明るく笑っていた。


「はい、おはよう」


「……おはようございます」


 赤毛のポニーテール、笑った形がデフォルトの口元からのぞく八重歯。

 可愛らしい童顔、思わず目を引くぐらい大きな胸元。


 年上である。

 ただし、年上である事はまったく感じさせない。


 気安く楽しい人でもある。一方で、困った部分も多い人であるけれど――例えば、本人としては名案を閃いたと思ったに違いない(実際は斜め上に外れた)目覚ましの方法もそうであるし、初夏を迎えると共にどんどん薄着になる辺りもそうである。


「ワット君は先に叩き起こしたから、二人で顔を洗って着替えて、それからご飯! さあさあ、起きた起きた。天気が良いから、ベッドのシーツを干してしまうから」


 朝一番からニワトリよりも元気なターナー夫人に対し、ユーマは冬眠から目覚めたばかりの蛇のようにのろのろしていた。


 寝癖だらけの髪を撫でながら部屋を出れば、ワイアット・モリが居室のソファーでぐったりしていた。寝覚めが悪かった様子である、どうやら、ユーマとまったく同じ起こされ方をしたらしい。


「この起こし方はさすがに勘弁だよな」


 ワイアットは立ち上がり、上着を脱ぎながらぼやく。


 ユーマは云い返してやる。


「ワットがいつも起きないからだよ。そのせいで、遂にこんな目に……。どうやったらすぐに起きてくれるかなって、ターナー夫人も色々と考えていたみたいだから――」


「いや、俺だって、起きようと思えば起きられるんだぞ。田舎にいた時は、日が昇る前から親父や爺さんの手伝いをしてたぐらいで……。タニアちゃんが悪いんだよ。ほら、あの、これまでの起こし方が――『起きてー、起きてー』と馬乗りになって揺さぶるとか……」


「知らないよ、もう……」


 呆れたようにため息を吐くユーマだけど――。


 内心、わからなくもないのだ。


 カーテンの向こうに太陽の光をうっすら感じつつ、意識が半分だけ覚醒したような、ゆらゆらと波に揺られるような朝の微睡み。そんな怠惰な時の中で、ターナー夫人から優しく頭を撫でられながら、『起きて、ね』と耳元で囁かれると、思わず、いつも、ぞくぞくと――。


「タニアちゃん、天然エロいよな」


 ワイアットが、不意にそう呟いた。


 確かに――。


 ユーマは非常に納得するものの、内心で頷きつつ、表面的には「なにそれ……。ダメだよ、ターナー夫人のことをそんな風に云うなんて」と、呆れたようにため息を吐いていた。


「そう。そして、ユーマは隠れエロい」


「な! な、な、ななな……」


「目が覚めた所で、顔を洗いに行こうぜ」


 ユーマは、ずれた眼鏡を直した。


 ワイアットの背中を睨みながら階段を降りていく。


 住居の裏手に回り、冷たい井戸水で顔を洗う。ワイアットはさっさと先に食堂の方に行ってしまうが、ユーマはしばらく寝癖を直すのに格闘しなければいけない。いつもの事である。遅れて向かえば、ワイアットは既にパンを齧っていた。


 台所に立つターナー夫人と云えば、袖のない布服にショートパンツと相変わらずの恰好であり、さらには、火加減を見るために腰をぐっと曲げて、ユーマとワイアットの方に下半身を突き出すようなポーズを取っており――。


(あー、また……)


 ユーマは視線を逸らす。


 すると、ワイアットと自然に目が合った。


 言葉はいらない。二人、視線だけで会話する。心は通じているのだ。うなずき合った。もはや何も云うまい、何も感じるまい、と――そして粛々と静かに、テーブルのナプキンだけ見つめて食事を済ませていく。


「わー、ソースが跳ねた! 汚れちゃう!」


 ターナー夫人のそんな悲鳴が、いきなり大きく――。


 思わず、振り返ってしまうユーマとワイアット。だが、すぐさま勢いよく顔を伏せる事になった。料理のソースが跳ねたのか何なのか、とりあえず、服の染みを水で洗い流したいのはわかるけれど――しかし、いきなり服を大きく捲り上げるのはどうした了見だろうか。


 くびれた腰も腹も、大きな胸も、一瞬、ほとんど丸見えになっていたけれど――。


 ユーマとワイアットはテーブルにゴツンと頭を打ち付けた後、そのままの体勢で、ぶつぶつと騎士道の教科書のページを最初から暗唱し始める。ちょうど良い。今週の宿題であり、課題なのだ。去れ、煩悩。来たれ、無味乾燥な知識よ――。


 紳士協定。


 それは、ユーマとワイアットの間に結ばれた誓いである。


 云い変えると、男の約束。


 日常の安定のためには、ターナー夫人のあれこれに鋼の精神で耐えなければいけない。何と云っても、現在の日常は手放すには惜しい程にのんびりと居心地の良いものであり、その一方、紙一重のバランスに成り立っている事もまた確かであり、ひとつ屋根の下で暮らすからには、家人に、やましい気持ちを向けてしまうのはまずい。


 ユーマとワイアットは明確に話し合ったわけではないけれど、暗黙の内に了解し合っていた。何もかも、見ない。云わない。気にしない。――気にしないのが、とにかく大変であるけれど。


 ターナー夫人はたぶん、生まれ付いての才能の持ち主である。


「タニアちゃん、天然エロい……あらゆる行動が男を誘惑するものに直結するとか、ある種の天才だよ! ぎゃー、もう、『騎士ナイトは騎士協定に基づき、国家毎に任命される』。毎日があの調子なのに、タニアちゃんは何も意識してないんだぜ。『教会もまた、騎士ナイトに対して国家と同等の権利を有する』。想いは亡くなったダンナさんにまだあって、誰とも新しく付き合ったりしないと断言するぐらい貞淑なのに……『ゴーレムという強大な武力を持つ騎士ナイトは、それ故に高潔な心を持たなければいけない』。――畜生、俺、騎士ナイトになれるかな?」


 騎士道の教科書の文言を途中に挟みながら、ワイアットはそんな風に嘆く。


 王剣騎士団の制服に身を包み、第一王壁区画のさらに奥、王城内に位置する騎士団本部を目指して急いでいた。食事を終えて着替えた後、二人は見送りに出て来たターナー夫人にぎこちなく手を振りながら出発したものだ。


「エロい! なあ、そうだろ?」


 そんな軽口に対して、ユーマは何も答えない。


 時々、ワイアットと同じように騎士道の教科書からテストに出そうなフレーズを呟いてみるけれど、それも含めて、意識を逸らすのに必死だったのである。


「タニアちゃん、天然エロい」


「……やめて、思い出すから」


「ユーマは、なんだかんだ普通にエロガキだよな」


「……普通って、素晴らしい事じゃないかな?」


 遠い目をしながら、そんな風に返してみた。


「あ。ダメ。思い出しそう。えー、『騎士ナイトは遊戯戦争に参加する事が使命として――』」


「思い出せ、思い出せ。捲れ上がった服の下に見えた白い柔肌と大きな……」


「やめて。本当に、やめて。記憶から消し去ろうと必死なのに――」


 朝から、思いっきり騒がしい。


 ワイアットの調子の良さはいつもの事である。延々と茶化されたり、肩を小突かれたりしている内に、ユーマも笑うしかなくなり、何となく認めるしかない気分になり、「……まあ、ターナー夫人はヤバいよね」と小声で囁いてみた。


 ワイアットに肩を組まれる。

 ユーマは肘で、その脇腹を突き返した。


 へらへらと笑い合い――。


 そして、ため息。


「タニアちゃん。本当、どうにか……」


「どうにかならないかな、もう……」


 なんだかんだ、二人はターナー夫人の事が好きである。


 異性として、ではなく――。

 あくまで、家人として。


 それゆえに、己の動揺が鬱陶しく情けないのだ。「恰好いい大人になりたいな」とは、ワイアットの素朴な呟き。風が吹いた。初夏の熱気に、頭も身体も冷める所か煽られる。二人で歩き続けていると、さらに色々な方向に話が流れていくものだ。


「えーい、畜生!」


 所詮は、十四歳の少年二人である。


 そう、馬鹿なのだ。


 ユーマはこれまで、自分の深い所をさらけ出すような事はして来なかった。何でも云い合えるような相手――馬鹿をやり合える友達なんて、一人もいなかったからだ。それだから、楽しい。自分らしくない振る舞いだって、時にはやってしまえるぐらいに。もしかすると、それこそが本当の自分なのかも知れないと思いながら――。


 否。


 ここまで調子に乗るのは、さすがにワイアットの勢いのせいだ。


 どのような会話の流れだっただろうか。

 もはや、後から思い出す事もできなかったけれど――。


 とにかく。


 ユーマとワイアットは、両手を突き上げながら叫んでいた。


「おっぱい!」


「おっぱい!」


 その瞬間――。


 曲がり角で、レイティシアと出くわした。

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