(14)
終わり――。
ほとんどの人間にとっては、何が終わったのかもわからない終わり方である。
何もわからない。
煙に巻かれたようなものだ。
闘技場を忙しく行き交っているのは、王剣騎士団と魔術師ギルドのメンバーばかりである。まだまだ混乱が続く中で、彼らは後始末に追われている。バタバタと忙しない。だが、それでも一様にホッとしたような表情に見受けられるのは、彼らもひとまずの決着を何となく感じ取っているからだ。
風が吹いた。
春の爽やかな風である。
王都の街中では、闘技場から外に追い出された人々がブーブーと文句を云いながらも、酒の肴に本日の一件に関する様々な噂話で盛り上がっていたりする。そんな風に、平穏な日常があっさりと戻って来ていた。
「さて、どうしたものか?」
ローマンは、まるで休日の昼下がりのように呟く。
ぼんやりと、のんびりと――。
気が抜けていた。
それは誰の目にも明らかだったけれど、敢えて咎めるような者はいなかった。皆、大体似たような気分だったからだ。闘技場の中心に集まっている幾人か――王剣騎士団の団長の他にも、騎士隊長のジノヴィとガルシア。魔術師ギルドの長である筆頭魔術師のバーナードに加え、試作機に多く携わってきたという事でトオミも隅に控えていた。
これからの事について、要職にある者達で話し合っておかなければいけない事はたくさんあるはずだ。しかし、あまりの衝撃にポンと外に飛び出してしまった心が、ふわふわと空を漂ったまま、なかなか体の内に戻って来てくれない。
「何だったのだろうな、一体……」
ローマンの呟きに、幾人かのため息が重なる。
皆は、見上げていた。
闘技場の入口からは、数体のゴーレム〈サーラス〉がやって来る所だった。今からようやく、ゴーレム〈レーベンワール〉とゴーレム〈イストアイ〉の回収が始まるのだ。「慎重にやれよ」と、ガルシアが近くを通り過ぎて行く若手の騎士達に向けて叫んでいた。
死神と天使、対照的なデザインの試作機――。
戦いを終えて、その状態もまた対極である。
果たして修復は可能なのだろうか――ボロボロの〈レーベンワール〉。まるで、満身創痍で蹲る人のようにも見える。装甲もエーテルフレームも大幅な改修が必要だろう――そのために、魔術師ギルドはまた地獄の日々を迎えるに違いない。いつもならばその事に青ざめるトオミも、今はさすがに真面目な顔を崩さなかった。量産機の計画や戦争、凶悪な魔物の討伐等々、〈レーベンワール〉が失われれば国家に対するマイナスの影響は必至なのだから。
一方で、〈イストアイ〉と云えば――。
「……何だろうな」
ローマンがまた呟いた。
皆の気持ちを代弁するその一言を――。
より意味のある言葉として吐き出せる者はいない。
何だろう、と。
あやふやな一言にしかならないのだ。
天使のように純白の〈イストアイ〉は、見た目には何も変わらない。見た目にわかる違いと云えば、ただひとつ――その手に握られた大きな太刀である。「そう云えば、あの剣は何処から降ってきたんだ?」と、ガルシアが何気なく呟いたけれど、当然ながらそれに答えられる者は一人もいない。
しばらく、皆は黙ったまま〈イストアイ〉を見つめていた。
「何かが、違う気がするけれど……」
トオミが、小さな独り言を漏らす。
「気配? でも、そんな印象だけのあやふやな――」
ぶつぶつと自身に反問を繰り返していた。
結局、考えてもわからない。
何もかも、である。
「……少し、良いかな?」
沈黙を破り、皆の注目を集めたのはバーナードである。
彼は全員の顔を見渡しながら云った。
「結局、何が何だったのか――情けない話ではあるが、私達はあの二人に尋ねてみるしかないのだ。騎士エンノイアと……それに、ユーマ様に尋ねてみるしか――」
その瞬間、凄まじく怪訝な顔になる者がちらほら――。
バーナードがただの見習い騎士をどうして恭しく呼ぶのだろうか――否、本日の〈拝杖の儀〉を経て、ユーマを『ただの見習い騎士』と呼ぶような者は一人もいないだろうけれど――何にしろ、これまで傲慢で尊大な男として知られてきたバーナードが、遥かに年下の、何の権力も持たない少年を敬うのは異常な光景である。
だが、バーナード自身は奇異な視線を向けられても気にした様子はなかった。
実際に、これからすぐに広まる事になるのだ――筆頭魔術師が、十四歳の少年に心を奪われたという色々な尾鰭の付いたその噂は……(そして、それはまた別の機会、別の場所で物語るエピソードである)。
彼はあくまでも真面目な顔で続けた。
「良いか、決して間違うな。何が起こったのか、私達はあくまでも慎重に、丁重に……神にお伺いを立てるように訊かなければいけない。盲目的に接する事は禁じる。考えろ、よくよく考えろ。身分が上だとか、年齢が上だとか……ああ、くだらない。常識など、まずは捨ててしまえ。曇りなき眼で見るのだ。そうだぞ、良いか。ユーマ様を不快にさせるな、怒らせるな、悲しませるな――私達は叡智を授かる立場にいるのだから。それを重々しく理解した上で、諸君らがこれからの探究の日々を歩む事を期待する」
ある意味でいつも通りの、偉そうな命令口調ではあったけれど――。
それでも、この場にいる全員がしっかりとその意味を受け止めていた。
ユーマ・ライディング――間違いなく、本日の主役であった一人の少年。何があったのか、何をしたのか、これから彼に尋ねてみる事は当然である。少なくとも、その操る〈イストアイ〉によって、〈レーベンワール〉は片腕を失うという多大なダメージを負ったのだ。〈拝杖の儀〉の最中であり、真剣勝負の最中で起こった事であるから、もちろん罰を受けるような事ではないけれど――。
それでも本来ならば、団長直々に苦言を呈されるぐらいはするものだ。
その事は置いておいたとしても、意識していなければ、所詮はまた十四歳の子供であり――王剣騎士団の厳しい上下関係の中で、鋭く、厳しく、ユーマに詰問したり、尋問したりするような者が出て来るかも知れない。
バーナードはそれを止めたのだ。
はっきりと諫めた。
そんな事をしてはならない、と――。
守ろうとしていた。
それこそが自分の義務であり、使命であると、バーナードはそれこそ神に仕える信徒のように熱い想いを胸に抱いていたのだ。そして、彼のそんな行動や発言は確かに意味のあるものとして周囲に受け入れられていく。
少なくとも――。
ローマンはその瞬間、思い返していた。
舞台において、見たもの――誰もが恐怖に震えた恐るべき化け物を真っ向に見ながら、堂々と胸を張り、黄金の風に吹かれていたユーマという少年。救世主、と――そんなイメージを、ローマンは自然と胸に抱いたのだ。
それを忘れない事にしようと、彼も静かに誓っていた。
また、風が吹く。
爽やかに――。
次の物語の到来を告げようとしている。
「当然だが……」
バーナードは最後に、珍しく茶目っ気のある笑顔で云った。
「叩き起こすなんて事も、絶対に許されないぞ」
終わり――。
終わりは、次の始まり――。
バタバタと後始末に奔走する者達とこれからの未来を話し合う者達から離れた場所にて、本日の主役である二人はまだ、終わりと始まりの狭間でのんびりと漂っている。
一度は目覚めたのだ。
だが、すぐにまた眠りに落ちてしまった。
戦いの終わった舞台にて、まだまだ続きをするかのように杖を握り締めたまま、一方で、もう片方の手を繋ぎ合わせながらユーマとエンノイアはスヤスヤと眠っている。
遊び疲れた子供のように――。
たった一日で仲良くなってしまったようだ。
もちろん、二人の絆はこれからのアルマ王国の礎となるものであり、〈魔王〉と〈死神〉が手を結んだという事実によって、これから近隣諸国はかつてない恐怖に震え上がる事になるのだけど――。
それはまた、そう遠くない未来の話である。
「……ん、ユーマ」
エンノイアが寝言を漏らした。
「好き」
春はひとまず、ここに終わる。
END
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