(10)
ADAM――。
その人類の天敵に関する記憶ならば、ユーマはこの瞬間を迎えるよりも前から、それこそ〈杖の儀式〉で何かが変わり始めた瞬間から少しずつ、断片的に情報を取り戻していた。
思い出したくもない記憶ではあったけれど――。
異世界からの侵略者である奴らは、地球上の生物に比較して、遥かに素早く進化していくという特徴を持っていた。第一世代は、獣――。第二世代は、人――。第三世代に至り、ADAMは自らを巨大な兵器として進化させた。
戦車や戦闘機を圧倒した、驚異的な戦闘力。
奴らは、ただ単に大きくなっただけではないのだ。
それだけならば、単純にミサイルの一発で片付いたに違いないのだから。人類が手も足も出なくなったその理由はエーテルフレームにある。巨大になった事で、第一世代・第二世代の頃からその身に宿していたエーテルフレームもまた、遥かに大きく太くなった。
そのために、魔力の総量も増大して――。
すなわち、グノーシス粒子の展開力が上がったという事であり――。
詰まる所。
プレローマ超量子場の形成に関して、生身の人間の追随を許さなくなったのだ。
「勝てない、か――」
戦闘開始。
最初の一手で、ユーマは悟っていた。
「僕だけの力では、これが限界か……」
ゴーレム〈レーベンワール〉がADAMとして目覚めたその姿――。
装甲が結晶化していた。〈レーベンワール〉の頃には漆黒に塗られていた装甲が透明のクリスタルになっている。一方で、エーテルフレームは漆黒の輝きを放っていた。装甲が透明になってしまったから、その分だけエーテルフレームはよく見えている。
まるで、ブラックホールのような――。
虚無の塊。
ADAMから放たれる輝きが、周囲一帯を真っ暗に染め上げていた。漆黒の世界。それこそがプレローマ超量子場でもある。ユーマはゴーレム〈イストアイ〉を操り、必死にその輝きで闇を拭おうと――プレローマ超量子場のコントロールを奪おうとしていたが、世界は一方的に浸食されるばかりで勝ち目はまったくなかった。
やはり、無理である。
人間の力だけでは、人間の意志だけでは――。
必要なものは、誰かもう一人の――。
キルキリ・キラリリ、と――。
ADAMが鳴いた。
そして、跳んだ。
まるで、弾丸のように――。
速い。
避ける暇なんてなかった。
「アイ!」
ユーマは悲鳴同前の声を上げながら、杖を固く握りしめる。
ADAMは勢いよく〈イストアイ〉に組み付いていた。
至近距離――。
足掻くように突き出そうとした二本のソードは、片方はADAMの手に掴まれ、強引に止められてしまう。運が良かったのは、もう片方――〈レーベンワール〉の片腕は斬り飛ばされていたため、ADAMとなった今も、その左腕は失われたままである。そのため、ソードがADAMに届いた。
キルキリ・キラリリ。
ADAMが小さく、悲鳴を上げる。
ただし、ダメージを受けた様子はほとんどない。
力の差は、絶望的なものである。
どうしようもない。
どうにもできない。
だが、それでも――。
「でも、僕が……」
ユーマは絶望している。
「怖い。無理だ。怖い。無理だけど、無理だけど……」
絶望しているけれど、戦わなければいけない。
そうだった。
そうなのだ。
絶望の中で、ユーマは戦い続けていた。
今も――。
いつかの時も――。
悲鳴を。
否。
恐怖と共に勇気も吐き出した。
吠えて、絶叫し、雄叫びを振り絞りながら――。
「そうだ! 僕が、やらないと……」
ADAMの振り上げた拳が、〈イストアイ〉の胸部の装甲を砕いていた。
痛み。握り締めた〈デバイス〉から伝わってくる痛みと、頭を締め付ける痛み。ズキズキと激しく、頭がまた痛み始めていた。苦しみに表情を歪めながら、ユーマはそれでも前を見続ける。逃げない。逃げてはいけない。逃げてやるものか、と――。
叫んだ。
ADAMがさらに振り上げた拳に対し、〈イストアイ〉はソードで突き返した。
だが、やはり装甲に弾かれる。勢いの止められなかった拳が、先と同じように〈イストアイ〉の腕部にめり込んだ。装甲が紙クズのように吹き飛んでいく。エーテルフレームが剥き出しになるが、まだ、どうにか無事である。
だが、次はない。
同じ部分に攻撃を受ければ、確実に破壊される。
必死だった。
ユーマは弱点を狙う。
ADAMは、エーテルフレームの漆黒の輝きや装甲の結晶化など変化も大きいが、一方、見た目には〈レーベンワール〉そのままである。装甲に覆われていない、剥き出しのエーテルフレーム。〈イストアイ〉は無事な方の手で、ソードをADAMの腹部に向けた。
無茶な体勢であるし、〈イストアイ〉のダメージも激しい。
万全の攻撃にはならない。
だが、剣先がどうにか届いた。
ADAMが悲鳴を、キルキリ・キラリリ、と――。
そして、飛び退いた。
一旦、間合いが大きく開いた。
ユーマはドッと息を吐き出し、思わず倒れそうになってしまう。全身が汗だくである。途方もない疲労感。ADAMとの戦いだけではないのだ。エンノイアと繰り広げていた攻防による疲労の蓄積が、今さらに押し寄せていた。
息を整えなければいけない。
体勢も、作戦も――。
何もかも、整えなければ――。
でも、何も思い付かなかった。
頭が痛いのだ。
ズキリ、と。
「……ああ」
ユーマは先程からしばらく、ゴチャゴチャに入り混じる過去の記憶と、この瞬間の戦いの苦しみと――そうした両方の痛みに襲われていた。ADAM。かつて戦い続けた敵を認識した瞬間から、堰き止められていた記憶が勢いよく流れ出したようだ。
(思い出せ、何か……何か、勝つための……)
ユーマは自分に云い聞かせる。
「ああ、そうだ……」
燃え盛る都市。戦争。
結晶化していく大地と海。
敗北した者、死んでいく者。
そして――。
唯一、奴らを圧倒するものは何だったか。
それは他でもなく、ユーマと彼女であり――。
「フィオナ」
だから、その名を口にした。
「助けて、フィオナ……」
情けなく悔しく、必死に祈るように呟いたその言葉。
沈黙。
静寂。
一秒。
二秒。
三秒。
そして、答えが返される。
いつも通りに、涼やかな声で――。
――はい、ユーマ。
銀色の大太刀。
そんなものが、天空から降ってきた。
闘技場を包み込む程に拡散していたADAMの漆黒の世界――それを斬り裂いて、堂々と大地に突き立つ。
ユーマもさすがに目を丸くするけれど、「……フィオナ?」と反射的に口にした時にはもう理解していた。果たして何処から降ってきたものか――いや、そんな事はどうでも良いのだ。大事なのは、彼女――。彼女が、これを寄越したという事実だけである。
鞘はない。抜き身の刀身はそれだけでゴーレムの体躯にも匹敵する大きさであり、長さ。雲のない夜、澄んだ秋の空に浮かぶ月のような輝き。鍔の意匠は、満月である。そして、その銘と云えば――。
「天之超弦剣」
ユーマは口にする。
懐かしい、その名を――。
彼女の、唯一の武装である。
火器の類を美しくないという理由だけで嫌った彼女のため、ユーマは数多の戦場を一振りの太刀だけで駆け抜ける事になったのだ。懐かしい。そして、昂揚した。
さて、屠った敵の数はどれぐらいだったか。
この刃の輝きに、どれだけのADAMが散ったものか。
「ありがとう、フィオナ。……アイ、お願い」
ユーマは、〈イストアイ〉に両手のソードを捨てさせる。そして、一歩を踏み出させた。大地に突き立った天之超弦剣に〈イストアイ〉は手を伸ばし、その向こう側で、ADAMは警戒したように、キルキリ・キラリリと鳴き続けており――。
ユーマに躊躇はない。〈イストアイ〉に剣の柄を握らせた。
引き抜くための力を込めた、次の瞬間には――。
「……え?」
気が付くと、ユーマは懐かしい場所に立っていた。